■鎖骨骨折のススメ

2009年6月、自転車(マウンテンバイク)で転倒した際に鎖骨を折ってしまいまして。整形外科を受診したところ手術が必要との診断で、1週間ほど入院することになりました。

今まで手術にも入院にも無縁なヌル〜い生活をおくってきただけに、これはエライコッチャ! 人生の一大事をレポートにしておかなくちゃ!…というわけで、治療の模様をルポルタージュ形式でまとめてみたという次第。

いちいち大げさでお恥ずかしいですが、これから鎖骨を骨折する予定を立てておられる方々のお役に少しでも立てれば幸いに存じます。



再現イメージ


クラビクルバンド
 

◆X日(事故当日)

とある週末、マウンテンバイクで遊びに出かけた後、居酒屋に立ち寄ってから帰宅していたときのこと。

機嫌よく夜道を飛ばしていたら、ふいに現れた段差に対応できず、そのまま転倒して前方に投げ出されてしまったのでした。もちろんアルコールも入っていたので、もはや言い訳のしようもない自業自得なんですが…。

暗がりで路面すらよく見えない状況だっただけに、気がつけば身体ごとアスファルトに叩きつけられていたような感覚で。おまけに肩から着地してしまったらしく、激しく痛む右肩をさわってみたら骨の形が明らかに変わっていて。

そのまま第一赤十字病院の救急外来に駆け込んで診てもらったところ、レントゲン写真を見た医師いわく「鎖骨がポッキリ折れてますね」。

この日は応急処置としてクラビクルバンド(鎖骨バンド)と三角巾、鎮痛薬を処方されて帰宅。週明けに改めて整形外科を受診することになった。

少しでも動かすとズキズキ痛む右肩を鎮痛薬でごまかしながら、週明けの診察をひたすら待つ。

ちなみに処方されたクラビクルバンド、装着するとおそろしく胸を張った姿勢のまま上半身が固定されて、オードリーの春日さんみたいになる。こうすることで鎖骨の動きが制限されるのだけれど、骨折してるくせにかつてなく堂々とした立ち振る舞いになるのがちょっと可笑しい。
 

   


京都第一赤十字病院


レントゲン写真


骨折部分(拡大)


チタン製の鎖骨プレート

◆X+2日目(整形外科受診)

週明けの月曜、朝から電車に乗って赤十字病院の整形外科を受診する。

ちょうど朝のラッシュアワーと重なってしまい、満員電車で隣人と肩がぶつかるのがなにより恐い。今までは女性の胸が肩に押しつけられたりするのは決してやぶさかでなかったのだが、それさえも恐いのだから情けない限りである。

病院の外来に入ると、いずれの診療科も老若男女の患者でごった返していて、平日なのに働いていない人がこんなに沢山いるんだなァと軽く感慨をうける。

けっきょく2時間以上待ったすえ整形外科の診察室に呼ばれ、再度レントゲン写真を撮り直したうえで、専門医による診察が始まったのだった。

整形外科医はレントゲンを見るなり、「これは手術しないと難しいでしょうね」。

鎖骨というのは、骨折のズレが小さい場合や中央部分で折れた場合は固定しているだけで治ることが多いものの、ズレが大きい場合や肩の外側で折れた場合はそのままだとくっつかない可能性が高いらしい。

ぼくのケースは「右鎖骨遠位端骨折」との診断で、外側で折れているうえにズレがあり、さらに一部が砕けているため、ギプスで固定してもつながる可能性は30%以下とのこと。

骨折部分がつながらないとどうなるかと言うと、肩のラインが変形したままになるうえ、肩を動かすたびに鎖骨がクニャッと折れ曲がるから、肩全体が慢性的に凝ったり痛んだりするような生活を強いられるようになるんだとか (これを「偽関節」という)。

さらに、つながらないまま放置された骨折をつなごうとすると、今度は身体の別の部分から骨を取り出して移植する必要が出てくるそうで。このあたりから考えただけでクラクラしてくるのを禁じえない感じで、ああ、はい、もう手術します! という気持ちになってくる。

手術の内容はとても明快なもので、

1.骨折した部分を切開する
2.折れて砕けた鎖骨の形状を整える
3.そこにプレートをあてがってネジで固定する
4.切開した部分を縫合する
5.骨がうまくつながったらプレートを取り出す

これに加えて、手術は全身麻酔下で行うので1週間程度の入院が必要になると説明を受ける。

身体に金属のプレートを埋め込むとか、骨をネジで固定するとか想像するとゾッとするけれど、ここは観念して手術することにして、4日後の入院が決まったのでした。

あと、この日から手術にそなえて「禁煙」を言い渡された。タバコを吸っていると全身麻酔のとき痰が肺に入って危険とのことなので仕方ない。
 

   

入院した病棟


病室(総室・4人部屋)

 

◆X+6日目(入院初日)

入院までの数日間は出勤して、やり残していた業務を片付けたり、同僚に引き継いでもらえそうな仕事を割り振ったりしてバタバタと過ごす。

痛みはあるものの、デスクワークをするぶんにはそれほど支障はないから、助かるような悔しいような複雑な心境である。

入院・手術となると費用もそれなりにかさみそうなので、病院の窓口で尋ねてみたところ、3割負担で15万円程度でしょうとのこと。

ただし被保険者には高額療養費の負担限度額制度があるから、1ヶ月の上限額(ぼくの収入ランクだと8万円強。お金持ちの人だと15万円くらい)を超える分については公的保険から支給される。

だから、民間の保険会社がよく「大きな病気をすると1ヶ月の入院費がウン十万円にもなりますから、是非当社の保険にご加入ください!」みたいに言って脅かすが、実際には月額8万円少々で済むわけで、あれはちょっと悪どいんではないかと思ったり。

閑話休題。

入院当日、手続きを済ませて病室に案内される。ぼくが入院したのは総室(4人部屋)である。

個室は利用料が高いというのも勿論あるけれど、せっかく入院するんだったら同室の人と喋ったり、面会中の会話を盗み聞きできたりしたほうが楽しいに決まってる。

   


麻酔科の診察室


気管挿管用のチューブ


恥ずかしいT字帯
 

◆全身麻酔についての説明を受ける

入院初日、手術のための予備診察として麻酔科を受診。

全身麻酔を行うにあたっての体調チェックや、麻酔に関する詳しい説明をいろいろ受ける。当日は一日絶食になること、全身麻酔中は記憶がなく、手術後のペインコントロールもちゃんと行うから心配いらないこと等々…。

その一方で、麻酔同意書へのサインを求められ、そこには「予期せぬ事態が起こりえる」だの「歯が折れることがある」だの恐いことがずらっと書かれていてテンションが下がる。

医療訴訟の問題とかあって病院側もやむなく同意書を取っているのだろうけれど、最悪の事態ばかり並べられるのはあまり気分のいいものではない。

あと、病院として救急救命士の研修を受け入れており、研修生に気管挿管の実習をさせてやってほしいと頼まれる。

麻酔科医から「どうしてもイヤでしたら断ることもできますけど」と言われるが、とても断われるような空気ではなかったし、まァ自分が救急救命士の育成に役立つのならと思って承諾することに。

全身麻酔のあいだは呼吸はもちろん、排尿も自分ではコントロールできなくなるため、尿道にカテーテルを突っ込まれる。

で、その際にパンティーやらショーツやら穿いていたらカテーテルを操作しにくいので、手術中は「T字帯」というフンドシのような代物を穿くように求められる。やむなく病院の売店で購入しておいたのだが(1着300円なり)、まさかこんな屈辱的なモノを穿く日が来るとは思わなかった。

ちなみに手術終了後しばらくは、フェンタニルという合成麻薬(モルヒネの200倍の強さ!)を用いて鎮痛が実施されるらしい。おまけに、PCA(Patient Controlled Analgesia:患者自己管理鎮痛法)といって、自分で流入量をある程度コントロールできるとのことで、不謹慎ながらちょっと楽しみになっている己がここにあり。
 

   


ストにならなくてよかった!


売店で見かけた乳頭付きパット


救急ヘリのご到着
 

◆X+7日目(院内探検 &外泊)

手術までにあと数日あって、前日までは好きにしてもいいよ(ただし禁煙は守って!)と言われていたので、病院のなかを探検したり、ヒマなので自宅に一泊外泊したり。

廊下の一角には「スト中止」の貼り紙が。それもぼくが入院する日にストが催される予定だったことを知って、ふうよかったと胸をなでおろす。

あと売店には、ガーゼや包帯に混じって、乳頭付きパットなどマニアックなグッズがいろいろ並んでいて、つい立ち止まって見入ってしまう。

…とそのとき、院内放送で「屋上に救急ヘリが到着します!」とのアナウンス。

うわ、こりゃあ見にいかなくちゃ! きっと大勢の見物客でごった返しすだろうなァー! …と急ぎ足で屋上に駆けつけてみたところ、誰一人として来ていなくて恥ずかしかった。なんだなんだ、どうしてみんなそんなにオトナなんだ!?

あとからスタッフに聞いたところによると、救急ヘリのアナウンスは業務上まったく必要なく、完全に外向けのアピールであるとのこと。そして、まんまと釣られて屋上に駆け上がったのは、広い病院の中でぼく一人。どうしていつもこうなるんだろう。

ま、救急ヘリも見れたことだし、もういいやと思い直して自宅に外泊することに。外泊許可の用紙に理由を記入せねばならいのだが、これといって理由が思い浮かばず看護師さんに相談してみたら、「入院準備 って書いとけばでいいですよ」とアドバイスを受ける。

もう入院してるけれど、そういやコップと箸を持参し忘れたし、これらがないと入院生活に支障を来たすのは明らかなので、心おきなく「入院準備」と書き込んで用紙を提出。

コップと箸を自宅まで取りに帰るついでに、近所の定食屋で最後の晩餐。串カツ、どて焼き、チヂミなどなど腹いっぱい食べてきました。

   


点滴のラインを入れられる


若い女性看護師に浣腸される


手術着に着替えたところ
 

◆X+8〜9日目(手術前日〜当日)

手術前夜には睡眠薬と下剤を服用。しっかり寝て体力を温存するとともに、翌朝のお通じをよくするためである。

前夜はひょっとして不安で眠れないんじゃなかろうか…と実は心配していたのだけれど、いざ臨んでみると大した不安もなく、睡眠薬なしで普通に眠れそうな感じ。「不安になったらどうしよう」という予期不安のほうが強かった自分が情けない。

***

…というわけで前夜は問題なく眠ることができて、当日の朝がやってきました。ここからは完全に絶食&絶飲(一滴の水も飲んではダメ)。

点滴のラインも朝から入れられる。左腕には腕時計、病院のロッカーキー、IDシート、点滴ラインと、いろんなもんが巻きついていて、さながら若者のようなジャラジャラさ加減である。

手術の数時間前には若い女性看護師に浣腸された。注入し終えた直後から猛烈な便意に襲われるが、「3分間くらいは我慢してくださいね」と言われていたので、必死にこらえた末に大放出。思わず「ああっ…」と声が出そうになる。

そして看護師の眼前で手術着に着替え、手術室から呼び出されるのをひたすら待つ。

それにしても病院というところは、羞恥心を持っていると身が持ちませんですな。10歳ほども年下の女性看護師の前でアナルを見せたり、浣腸されたり、ウンコを確認されたり、フルチンで着替えたり。

入院生活が長いと退行的になるとしばしば言われるけれど、退行的にならないとやってられないのかもしれません。



 

 

 


手術中の光景(パンフレットより転載)


モルヒネ系鎮痛剤「フェンタニル」


術後の恩人、ティッシュ箱


ぎゃ! 目が合って驚く


よく見たら反対向きだったけれど…
 

手術開始&つらかった術後

しばらくすると看護師がやってきて、「さっき手術室から呼ばれました。そろそろ行きましょう」。

看護師に付き添われながら、自分で点滴を持って手術室まで歩いていく。さすがに緊張と不安が募ってくる。

手術室に入ると手術用のシートに横たわるよう指示され、固いシートと低反発ジェル製の枕に身をあずける。

そのまま額に電極みたいなのを貼られ、指先にはバイタルチェック用のクリップみたいなのを挟まれ、口元を酸素マスクみたいなので覆われる。

ここで麻酔科看護師から「そろそろ麻酔入れますねー」と言われ、「よーし、できるだけギリギリまで眠らないぞ!!」と気合を入れようと思った瞬間、「よーし、でき…」くらいの時点で記憶がプッツリ途絶えて。

そして気がつけば朦朧とする意識のなか「名倉さん、名倉さん、手術終わりましたよ!」と揺り動かされていた。

え? 今どこにいるんだっけ??

…と、その直後、右肩に激痛が走りはじめ、さらに悪寒で身体がブルブル震えてきて、思わず「痛いです! 寒いです!」と声を上げてしまう。

傍らの看護師がいささか慌てた様子で「身体が震えてます!」と叫び、それに対して執刀医が「これはシバリングって言って、身体は震えていても体温が上昇している場合があるから云々〜」と冷静に指示しているのが耳に入ってくる。

悪寒戦慄のほうは幸いすぐにおさまったものの、肩の痛みはなかなか軽減しないし、寝返りも打てないし、喉はカラカラなのに絶飲だし、口元は酸素マスクで覆われてかえって息苦しいしで、術後の数時間はかなりシビアな辛さでした。

呼吸への悪影響がないようにと枕が禁止されていたのも辛かった。なので看護師さんの目を盗んで、こっそりティッシュ箱を枕にしてみたら、ああ、なんて気持ちいいんでしょう!! 

麻薬「フェンタニル」の効果のほうは、結論から言うとトロけそうな気持ちよさを得られたんですが、増量ボタンは15分に1回しか押せないから開始当初は痛みがなかなか引かず、トロけるまでには数時間が要されました。

あと、トロけた代償として、しばらく吐き気と倦怠感と便秘に悩まされたことを付記しておきます。副作用もモルヒネやヘロインと似ているようで。

…こうして、フェンタニルの追加ボタンを握りしめながら呻いているさなか、シーツに印刷された不気味な顔とふと「目が合って」、一瞬飛び上がりそうになった。ぎゃあ! いったい何者だ!?

よく見たら、ワタキュー・セイモアというリース屋のロゴマークが反対向きになっていたのだけれど、正方向にしてみても何のマークなのか皆目分からず、後味の悪さだけがなんとなく残ることに。

ワタキュー・セイモアのロゴに翻弄される入院生活。まったく油断できません。





 

   


埋め込まれた鎖骨プレート

◆X+10日後(手術翌日)

手術の翌日、朝方こそ痛みで目が覚めたけれど、夕方になるとかなり落ち着いてきて、鎮痛剤があれば痛みを気にせず読書などに集中できるように。

午後には主治医が来室して手術の経過説明をしてくれた。いわく、思ってたより骨が細かく砕けていたから少々難儀したものの、鎖骨プレートは予定通りうまく埋め込むことができたとのこと。

レントゲン写真を見せてもらったら、トカゲのようなプレートがしっかり写りこんでいて気持ち悪かった。あと縫合は糸ではなく、ホッチキスみたいなの (スキン・ステープラー)で行っているらしく、レントゲンの表皮部分に映ってます。
 

   


「患者さま」とか言うからおかしくなる


つい撮ってしまったFUZEI写真


医局が入っている建物
 

◆X+11〜13日目(再び院内探検〜退院)

手術の翌々日には歩く元気も出てくる。

外出許可はおりないものの、院内は自由に歩いていいとのことで、懲りずに病院の未探検部分を見て回ることに。

掲示されていた入院規定には、最近流行の「患者さま」という言葉が無理やり使われていて可笑しかった。

  • 患者さまは療養に関して主治医及び看護師の指導に従うこと。
  • 患者さまは入院中の事務事項については職員の指示に従うこと。

偉いんだか偉くないんだかサッパリ分かりません。個人的には「患者さま」なんて言われても気持ち悪いだけですけどねえ。

屋上には用もないのについうい何度ものぼってしまう。阿呆と煙は高いところにのぼりたがるの法則どおり。おまけにFUZEI写真まで撮ってしまって、入院中なのに一体なにやってんだか我ながら情けない。

病棟の裏には、いったい何十年間前に建てられたんだという風体の老朽化した建物が佇んでいて、こっそり忍び込んでみたらナント医局(医師のデスクがある部屋)だった。

新しい病棟は患者の病床に使い、ボロい建物は医師の控え室にあてるという姿勢は、なんだかカッコイイなと柄にもなく思ってしまった一件。ま、医局があまりに快適すぎたらこもりっきりになって、ちっとも回診してくれなくなりそうですが。

***

そして入院して一週間が経ち、主治医から退院の許可が出ました。

お会計をしてもらったところ、自己負担額は(冒頭に述べたように)8万円少々だったわけですが、実際にかかった診療点数は合計48661点、つまり今回の治療だけで総額48万円がかかっていた計算になります。

自分の不注意で、多額の医療費を税金からも出してもらうことになって、本当に申し訳ない。
 


入院費の領収証


日赤の医療施設は277億円の赤字!

【おまけ】X+15日目の現在、包帯を巻いている状態です 。
(画像をクリックするとガーゼをめくった手術創の画像が表示されます。かなりグロいのでご注意を!)


とくに変わりのないレントゲン写真


抜糸(抜ピン)後の術創


 

◆X+22日目(術後2週間目の外来)

退院して一週間少々が経過。

ちょうど手術後2週間になるので、レントゲンを撮っての診察となる。

主治医によれば「とくに変わりないですし、問題ないでしょう」とのことだが、変わりないと言われるとなんとなくガッカリしてしまう。

でもまァ、骨がつながり始めるのは最短でも術後1ヶ月くらいかかるらしいので、ここはのんびり待つことに。

個人的に牛乳があまり好きでないこともあり、「カルシウムのサプリとか飲んだほうがいいですかねえ?」と尋ねてみたら、「飲んでもらってもいいですけど、それより禁煙のほうがいいですね」と言われてしまった。なんでも、タバコを吸ってると血液循環が悪くなり、骨がつながりにくいんだそうで。

今まで一日に7〜8本だったタバコを、5本にすることにしました。

傷口は順調に塞がっているようで、本日めでたく抜糸(抜ピン)となりました。皮膚からホッチキスがなくなるのは素直に嬉しい。

ホッチキスのように「ピンッ!」と抜くのかと戦々兢々だったんですが、実際には傷と痛みが小さくなるよう工夫されていて(下図参照)。抜く瞬間はチクッと鋭い痛みがあるのもの、とくに大騒ぎするほどではありませんでした。


抜糸(抜ピン)の図説

 


依然変わりのないレントゲン写真


 

◆X+36日目(術後4週間目の外来)

今回も医師いわく、「とくに変わりないから大丈夫ですよ」。たしかにレントゲンを見ても、前回からの変化はちっとも感じられない。

さすがに医者もがっかりしているぼくの雰囲気を察したのか、骨折部分を指さしながら「まァ強いて言えば、このあたりに白いモヤがかかってきてるように見るような、見えないような…。ひょっとしたら骨ができてきてるのかもしれませんね」と付け加えてくれたものの。

医者が指さしたところを凝視してみるも、なにがなんだかよく分からず。正に「気休め」である。

あと、手術した傷跡の一部に皮膚感覚がないことが気になっていたので相談してみたところ、「そりゃまあ、皮膚を切ったわけですから、そういうことはあり得るでしょうね」「治ることもあるし治らないこともあります。ま、心配ないですから、気にしになくていいですよ」という返答がかえってきて。

「気にしなくていいですよ」って便利な言葉だなあ…と、いささかの皮肉を込めて思った本日。

末期ガンの患者さんも、「余命3ヶ月くらいと思いますけど、気にしなくていいですよ」と言われたら、気にしなくていいのでしょう。万能薬のような言葉です。


 


医者は変わりのないというレントゲン写真


 

◆X+50日目(術後6週間目の外来)

主治医から「手術から1ヶ月半くらい経ったころから、仮骨がついてくると思います」と言われていたので、楽しみにして受診したところ。

レントゲン写真を見た主治医いわく、「まー今回もあんまり変化ないですね。でも大丈夫ですよ」とのこと。

うーん、骨の成長が遅いのか? もしかしてタバコ吸ってるのか悪いんだろうか。

でも素人目には、前回の診察で「白いモヤがかかってるように見えるような、見えないような」と言われた部分のモヤが、なんとなく強くなっている気がするのだけれど…。

それでも今回から、腕を自由に上げたり動かしたりしていいことになりました。

やったー! と万歳してみたところ、ズキッと痛みがきて、すぐに腕をおろさざるを得なかった本日。

 


依然大きな変わりなしレントゲン写真


 

◆X+70日目(術後10週間目の外来)

今回は主治医が手術スケジュールの都合で外来診察できなかったため、代わりの医師による代診だった。

それはいいのだけれど、写真を見るなり代診の医師いわく、「結論から言うと、大きな変化はありません」。うーん、手術から2ヶ月以上たつのに変化なしですか。大丈夫なんだろうか…。

このようなぼくの質問に対する答えは、「8ヶ月経っても骨が形成されないようなら、別の治療法を考えなければいけませんけど、とりあえず大丈夫でしょう」、「欲目かもしれませんけど、このあたりちょっと骨がついてきてる感じもありますし」。

そう、レントゲン写真は「欲目」でなんとでも見える微妙なもののようです。はい、素人のぼくも写真を見た途端、「あ、ちょっと埋まってきてる!」と思いました。

 


ようやくくっついてきたお骨さん


 

◆X+180日目(術後6ヶ月目の外来)

だいたい2ヶ月に1回のペースで診察を受けていて、とうとう術後6ヶ月が経とうとしていたとき。

それまで「目立った変化はないですね」の一点張りだったレントゲン写真が突如、「もうくっついてますね。いつでも抜釘手術していいですよ」に変貌したのでした。はァー。

でもなんだか不安なので、「じゃあ3ヵ月後くらいでお願いします…」と咄嗟に返答してしまったのでした。なるべくしっかり骨がくっついてから抜釘したい! という素人考えにて。

そうしたら主治医から怪訝な顔をされ、「そんなに忙しいんですか?」。精一杯深刻な表情を作って、「ハイ……」と答えておきました。

 


ますますくっついてるようで嬉しい
 


プレート抜釘後のレントゲン写真


 

◆術後9ヶ月目の再手術

骨折から9ヶ月の歳月を経て、とうとう鎖骨プレートの抜釘手術がやってきました。

手術直前のレントゲンを見せてもらうと、ますますくっついているようで心強い。

ちなみに手術のほうは、プレート埋め込みのときに比べると苦痛もかなり少なかった。埋め込む手術の苦痛を10とすると、抜釘手術の苦痛は4くらいでしょうか。

ただ、全身麻酔から醒めてからの数時間はやはりつらくて、ただただ耐えるのみ。

手術終了後のレントゲンを見せてもらうと、鎖骨はたしかにくっついているけれど、なんだか不恰好で、やっぱり骨折したんだなあと分かる仕上がりっぷりでした。

「先生、強度に問題はないんですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「また折れたりしません?」
「骨折時と同じようなことをしたら折れます」
「なるほど、分かりました」

…こんな莫迦のような会話をしながら、術後3日後には無事に退院することができたのでした。
 

 


5年経過後の傷跡


 

◆そして術後5年経過した術創です


手術から5年が経過した傷跡です。抜釘した直後から少しずつ傷が引っ張られて伸びてゆき、こんな感じで落ち着きました。

傷の部分は感覚のない部分があったんですが、感覚は少しずつ回復している気がします。

正直、結構な傷跡が残りますので、「鎖骨骨折してみようっと♪」なんていう軽い気持ちで折らないほうがいいと思います。
 

 

Otearai Web トップページに戻る