2002年2月のプチ日記

2月28日(木曜) 深夜

 知人と近所で飲んでたら、すっかり遅くなってしまった。おえー。

 明日も仕事で朝早いので、遅くならないようにと考えて近所の店を選んだのだ。でも、飲んでるうちに考えかたが変わってきた。近所で飲んでるんだから遅くなってもまァいいやと。

 おかげでゲロ吐いたうえ、さっそく下痢気味。

 飲むと思考と大便が柔軟になります。今回はしんどいのでこの辺で。

 

2月27日(水曜) 夜

 職場の他部署の先輩から指摘された。

 「名倉さんって職場ですごく気を使ってるよね。しんどくない? もっと自然体で過ごせばいいのに」

 気を使ってるのは確かにその通りだが、「もっと自然体で過ごせばいいのに」というのはちょっと違う。ぼくにとっては「周囲に気を使っている状態」がベースラインなのであって、「気を使わずに過ごしている」なんてことはまずないといってもいい。

 つまり、「気を使うあまり挙動が不自然になる」のがぼくの自然体なのだ。なのに「気を使わずフランクな自分で過ごせ」などと命じられたら、そのうち心労で倒れてしまうだろう。ぼくにとっては「気を使う自分」でいることが最も楽チンだからこそ、そうしつづけているんである。

 だから、友達と過ごしていても職場で働いていても、たまに実家に帰っても、いつも普段と変わらぬ「自然体」。

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 そういや以前、知人から「名倉さんは飲むと挙動が自然になるから変だ」と言われたことがあるのを思い出した。

 

2月26日(火曜) 深夜

 読者のかたからメールをいただくことがあるんですが。

 ときどき次のようなメールがあって混乱する(固有名詞は変えてあります)。

> 送信者:motchy
>
> はじめまして。私、キングダムと申します。
> (本文中略)
>今後も更新楽しみにしています。
>
> ---
> e-mail: honopy@mail.xxx.ne.jp

 あなたは「モッチー」なのか「キングダム」なのか「ホノピー」なのか!?

 せめて2つくらいにしていただけると嬉しいのですが…。いや、身勝手なお願いですね。すみません。

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 手紙作法のひとつに侍史という脇付がある。「××先生侍史」とか付け足すやつ。

 これはそもそも、「相手に直接手紙を書くなんて恐れ多いので、侍史(書き役の人間)を経て差し上げました」という謙遜のメッセージであるらしい。こんなことを本人が大まじめに書いてるのもどうかとおもうが、それはさておき。

 ぼくの父は「侍史」の精神を、言葉ではなく行動で示していたのを思い出す。お歳暮をいただいたときなど、お礼の手紙を書くのが面倒だというのですべて母親に代筆させていたんである。

 こう考えると、「直子の代筆」なんかのソフトに任せて書状をしたためるのが伝統礼儀を重んじる作法なのかもしれへんですね。

 

2月25日(月曜) 深夜

 通勤電車の中、隣の女子高生2人が英語の試験勉強をしながら喋っていた。

「ところでさ、この所有形のSの前とかにつくコンマみたいなのって何ていうんだっけ?」
「あー、ちょこっと尻尾が生えてるやつでしょ。なんとかっていったよね」
「うーん、喉元まで出かかってるんだけど…」
「最初に『ア』がついたんじゃない? なんか長い呼びかたで」
「そうそう! なんていうんだっけ? あーイライラする!!」

 それはアポストロフィだろ。

 …と教えてやりたいのだが、見知らぬ男にいきなり教えられたら不気味がられるに決まっている。さりげなくつぶやくという手もあるが、どうすれば「さりげなく」言えるのか見当もつかない。

 そうするうちにも彼女たちは「こういうのって一番イライラするよねー!」「あーホント! なんだったっけ!」と、ますます泥沼に入り込んでいる。ああ、教えてやりたくてイライラする!! キーッ!! 

 気がつけば「女子高生2人&ぼく」の3人でイライラの極致に。 「三方一両損」みたいな話である。

 3人とも平等に損したと思って納得することにしよう。なにがどう平等なのか分からないけど。

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 さて、とても久しぶりにプチ狂気コーナーを更新しました。投稿ありがとうございます。

 以前から申し上げていることですが、このコーナーは全ての投稿を掲載しているわけではないので、どうかご了承ください。ぼくの主観で「ありがちすぎる」とか「ヒドすぎる」とか判断したものは掲載を見送っております。ワンマン経営ですみません。

 よろしければご覧ください。狂気と性癖は紙一重と感じさせられます。

 

2月24日(日曜) 深夜

 ある雑誌に「女は謎な部分のある男に魅かれる」という内容のことが書いてあった。

 こんなものを読んでいること自体かなり恥ずかしいが、それはさておき。

 モテるためには「謎な部分」を作ればいい。こう聞くと簡単なようで、実はかなり難しいことに気づく。たとえば「マンホールの写真ばかり撮って集める」という趣味を持っていたとしても、しばらく一緒に過ごすうちに相手が慣れてしまい、またコレクターとしての「意味」を理解されてしまうことだろう。こうなると、もはや謎ではなくなってしまう。

 かといって「街中でとつぜん奇声をあげる」なんて性癖もダメである。いつまでたっても慣れないだろうけれど、これは謎というより単なる奇行だ。「謎な部分」というのはあくまで常識性という前提があってのことで、人格そのものがキチガイになってしまっては元も子もない。

 そこで考えてみた。「一ヶ月のガス代が10万円」というのはどうか。

 ごく平凡な一人暮らしの男性だと思って交際し始めたある日、彼の部屋に落ちていたガスの領収書をふと見ると10万円にもなっていることを発見するのだ。びっくりした女性はその理由を問うが、ただうつむいたまま沈黙を続ける男。アンタッチャブルな部分に触れてしまった重苦しい空気がただよい始める。

 その後も毎月、10万円を超すガス代請求書が彼のもとに届くのだった。給料の半分がガス代に消える生活。いったい何にガスを使ってるのよ! いくら考えてもワケが分からないわ! 素敵!!

 …こんな男なら魅力を感じ続けて「永遠の愛」が育まれるに違いない。がんばろうと思う。

 

2月23日(土曜) 深夜

 小学生のころ、口笛でネコを呼ぶオジサンが近所にいた。

 大のネコ好きで何匹も飼っておられたのだが、そのオジサンが口笛を吹くと近くのノラネコたちまでもが集まってくるのだった。エサをやるわけでもないのに、ただゴロニャンと身を任せるノラネコたち。

 ぼくらはオジサンを尊敬していた。犬笛を使って犬をおびき寄せる、というのは聞いたことがあったが、なにも道具を使わずに体ひとつで動物を呼べるというのがとてもカッコよかったのだ。

 そして時が経つこと二十余年、またもや同じような人に遭遇した。

 それは上司のFさん。糖尿病持ちなので、立小便した跡にアリがたかるらしいのである。

 笛などの道具を一切使うことなく、己のオシッコのみでアリを呼ぶことのできるのだ。もっと病気が進めばカブトムシやクワガタだっておびき寄せることができるだろう。体ひとつでクワガタを呼べるオジサン。おおカッコイイ! まるでムツゴロウのようです!

 Fさん 尊敬申し上げております。

 そしてぼくも、近い将来クワガタを呼べるようになると思います。アルコールによる糖尿病併発。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京丹波橋」。京都のマイナーな住宅街である丹波橋のようすを取材してまいりました。よろしければご覧になってください。

 国際秘宝館のレポートは時間的に間に合わなかったので来週に掲載する予定です。書くの楽しみだなー。

 

2月22日(金曜) 深夜

 アパートの隣室に若い女性が住んでいるのですが。

 しょっちゅう男が来ているようで、夜になると毎日のように大きなアエギ声が聞こえてくるので閉口している。

 「アン、アン! ギシッギシッ(ベッドがきしむ音) アン、アアーン!」

 はじめのうちは興奮しながら嬉しく拝聴していたのだが、そうも言ってられなくなってきた。なにしろ「持ち帰りの仕事しなくちゃ!」と机に向かったとたん、アエギ声が聞こえてくるのである。こっちまで妙な気分になってきて、とても仕事どころじゃあない。

  「アン、アン、アアーン! すごい! すごい! イクーッ!」

  …すごいのはテメーの声だよ、まったく。「イクーッ!」の瞬間に部屋のチャイム押してやろうか。ピンポーン。

  そして男はあくまで寡黙。考えてみるとチョット可笑しい。

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 大学院に在籍していた頃、英文講読の授業のテキストに"Goethe"という人物が出てきた。

 前後の文脈からして外国の作家のようだが、こんなの聞いたことがない。そこでぼくは「ゴエゼっていうのはどうやら作家のようです」と注釈を加えながら発表を進めたところ、全員から失笑を浴びた。「それってゲーテだろ」。

 そうだったのか。ゴエゼはゲーテのことだったのか。赤面。ゲーテと言えばファウストのせりふ、「時よ止まれ!」で有名だけど、こんな恥ずかしい状況で時が止まるのだけはイヤだと思ったのを覚えている。

 「ギョエテとはおれのことかとゲーテ言い」という川柳をふと思い出した。

 

2月21日(木曜) 夜 ※昨夜はジオシティーズのサーバーがダウンしてたので更新できませんでした。

 「Otearai Web のページデザイン、もう少しなんとかしたらどうですか」

 こんな内容のメールを未だにいただくことがある。サイトを始めてもう3年近くになるので、デザイン云々はとっくにあきらめてもらってると思っていたんですが。

 テキストを「絵画」とするとページデザインは「額縁」と考えることもできる。となると、ヘタクソな絵を立派な額に収めるのがみっともないのと同じく、ショボい日記をかっこいいレイアウトに配置するのも小っ恥ずかしいのではないだろうか。

 こんな考えかたのもと、文章のショボさにつりあったデザインを死守しているのであります。

 …本当はレイアウトを変更するのが面倒なだけなのに(そしてデザインセンスがないだけなのに)、それを「自分の謙虚さをアピールするための手段」にすりかえているぼく。こんなヤツは早く死んだほうがいいと自分でも思います。

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 調理はわりと好きなのでだいたい毎日自炊しているのだが、後片づけが面倒でしかたない。

 料理を作ると「作ったぞ!」という達成感があるし、来客があったときに美味しく作れるとほめてもらえる。それに対して、皿を洗ったところで充実感などないし、いくらキレイに洗ったところで誰からも評価されない。よそん家の皿を見て「この洗いっぷりはすごいよ! 職人芸だよ!」なんて感動してくれる人などまずいないだろう。洗い物にがんばれないのはこの辺にも原因があるような気がする。

 というわけでキッチンの流し台には洗い物がたまるばかり。これではいけないと思い、ビール飲んで酔った勢いで片づけようと試みるのだが、酔うとますます面倒くさくなって放置してしまう。アルコールは本性を増幅させるだけなのだった。

 だが、面倒くさがりな生来が幸いしていることもある。

 ぼくは酒をまとめ買いすると飲みすぎるので、毎日缶ビールを2本だけ買って帰ることにしている。2本とも飲み終わると「もう1本飲みたいなあ」と思うのだが、面倒くさがり傾向がパワーアップしているので、その「もう1本」を買いに出る気になれないのだ。

 面倒くさがりじゃなかったら、今ごろ酒で身を滅ぼしていたかもしれない。

 

2月19日(火曜) 深夜

 三重旅行で泊まった宿には部屋に風呂がなく、共同風呂オンリーだったわけですが。

 風呂場に足を運んでみたところ、「マイ洗濯ばさみ」がはさんであるスリッパを見つけた。なるほど。

 宿泊者がみんな同じスリッパで風呂場にやってくるので、どれが自分のだか分からなくなってしまうのだ。他人のを履いて帰ると水虫とか伝染りそうで気持ちわるい。そこで目印として、自分のスリッパに洗濯ばさみをはさんでいるものと推測される。

 気持ちはよく分かるのだが、これってどうなんだろう。

 スリッパのどれもが薄汚れているところを見ると、ずっと洗わずに再利用され続けているに違いない。たまたま最初に履いたやつが自分のスリッパということになるんだろうけど、考えてみたら、それだって不特定多数に履き古されているわけである。今さら「マイスリッパ」に執着したところで、どれだけの意味があるというのか?

 いやまァ、いったん自分の足を入れたら「消毒」されるような気がするのは事実なんだけど。これだけ臭いんだから先客の菌なんかに負けないだろうト。我が足の細菌パワーに対する過信とも言える。

 風呂あがりに他人のスリッパが気になるのは、自分の足が無臭化したせいで弱くなったように思うからかもしれません。

 

2月18日(月曜) 夜

 昨日は三重県まで遠出していたので更新できず。

 三重といえば伊勢神宮や国際秘宝館が有名だが、ぼくはおもに後者を観光してきました。これについては某企業のコラムにでも書くとして(載せるのを断られたらこちらにアップします)。

 泊まった安ビジネスホテルに金庫がついていたので興奮した(金庫がついてるような宿に泊まったのは恥ずかしながら初めてでした)。これはぜひとも使ってみなくてはいけない。人生なにごとも経験である。

 そこで財布を入れてみたものの、これだけではどうも物足りない。せっかくの広い金庫を活用しきれていないことが明白である。他にも「大切なもの」を探してみたのだが、失うと困るものなど財布以外に思い浮かばない。

 ああ、ぼくは所詮これっぽっちの人間なのか。大切なものは財布だけの人生。

 …と落ち込みかけたとき、ふと気がついた。靴下の替えを持参し忘れていたのである。コイツを失ったら大変なことになってしまう! これだよこれ!

 火災にも耐えるという金庫には財布と靴下。万一火事になっても靴下は無事。ああ頼もしい。

 ただ、唯一の不安は強盗である。金庫をこじ開けられたら、財布と一緒に靴下も奪われてしまうにちがいない。

 人生はギャンブルだとつくづく思う。

 

2月16日(土曜) 深夜

 うちのアパートの郵便受けには毎日のようにエロチラシが入れられる。

 出張ヘルスの広告がほとんど。一人暮らしでサミシイ男性をターゲットにしているのだろうが、毎日大量に入れられるチラシは、はっきり言って迷惑以外のなにものでもない。

 それでアパート側も「不用チラシ投函BOX」を設置してくれている。ぼくも普段はこれを利用しているのだが、今日は捨てずに部屋まで持って上がることにした。日記のネタにでもなるかと思ったのである。

 で、チラシを手にしてアパートに入ろうとした途端、階段をおりてきた隣室の住人(女性)とすれ違ってしまった。ぼくの手元をチラッと見て、そのまま挨拶もせず立ち去っていく彼女。うわー、しまった! これではまるで出張ヘルスを利用しているみたいではないか。

 結果的にこうして日記のネタにはなっているが、まさかこんなシビアなネタになるとは思わなかった。

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 そういや以前、この手のチラシに「パイ見せプレイ」という単語が載っていた。

 胸を見せるんだろうけど、それってわざわざ「プレイ」とネーミングするほどのものなのか。セックスするんだったら、そりゃあ胸くらい見せるだろう。

 ついでに言えば、挿入プレイというのも非常に当たり前だと思います。

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京植木」。京の街をいろどる、民家の軒先の植木鉢たちを取材してみました。なんとも地味な企画ですが、ぼくにはこういうのがお似合いなんだという自覚もあります。

 よろしければご覧になってください。地味さだけは抜群です。

 

2月15日(金曜) 深夜

 最近、「ブクブク」をしていないなァとふと思う。ドリンクにストローで息を吹き込むやつである。

 童心を忘れないためにも定期的にブクブクを行っていかなくてはと反省している。

 一人でふらりとバーに立ち寄り、カウンターで煙草をくゆらせながら、ドライマティーニで黙々とブクブク。

 …なんて書いてるうちにほんとにやりたくなってきたんですが、我が家にはストローがないことに気づいて愕然。

 仕方ないのでストローレスでブクブクしてみたところ、えらいことになってしまいました。

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 洋画の吹き替えには特徴的なせりふがあるような気がする。

 それともぼくが知らないだけで、どれも日常語として使われているんだろうか。

 渡哲也が刑事ドラマのなかで静かにつぶやく。「ちくしょう! とっちめてやる…」。そして篠ヒロ子が頭をかきむしる。「…このままじゃオマンマの食いあげになっちまう!」。

 もはや刑事ドラマではない。

 

2月14日(木曜) 深夜

 最近、持ち帰りの仕事が多くてアップアップしてます。

 テープに録音したインタビューをワープロで文字起こししていて、これがけっこう大変なんである。会話の4〜5倍の時間がかかるので、1時間のインタビューを文字起こしすると4〜5時間。うへー。

 幸いぼくはタイピングがわりと速いからなんとかなっているものの、そうでなかったらお手上げ状態になっていたところだ。タイピングの上達はプチ日記を書き続けているおかげなのだが、世の中、なにが役立つか分からないものである。

 もしタイピングが遅かったら、仕事がはかどらずプチ日記を更新できなくなっているところだった。ふう。

 …ってことは、結論は「日記書いてたことが日記書くのに役立ってる」。 うわー、当たり前だよ母さん!!

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 全然関係ないが、知人の女性Fさん(30歳)は顔にシワができるのをとても気にしておられる。

 彼女は決して大笑いしない。笑うと目元に「笑い皺」ができるというのである。だから、おかしいことがあると反射的に笑いをかみ殺しているらしい。

 でもFさん、こんなことしてると「笑いをかみ殺し皺」ができて大変なことになると思います。口元に不自然な皺が何本も。

 そうなったら愉快なので、本人には言わないけど。

 

2月13日(水曜) 夜

 大学生の頃、小学生のキャンプ指導員のバイトをやったことがある。

 オリエンテーリングの手伝いをしたり、テントの張りかたを教えたりというのが主な仕事。一泊で2万円という収入につられて申し込んだものの、バイト中は禁煙と決められていたので、トイレの中で小学生に隠れてタバコを吸ったりと情けないことになっていたわけです(普通は立場が逆だろう)。

 それはさておき、そのときの同僚スタッフに「スパルタ式の指導」をモットーとしている人がいた。たとえば彼は、シャツの裾が出ているダラシナイ小学生を見つけるたびに怒鳴りつけるのだ。「シャツを入れろバカッ! しまいに殴るぞ!」。

 そしてスパルタの彼は、その効果をぼくらに自慢するのだった。

「あのガキ、オレと顔を合わすとサッとシャツの裾を入れよる。ふだんはダラシナイ格好してるのに、オレがそばにいるときだけはシャキッとしてるんや。オレの教育効果、すごいやろ!?」

 ちょっと待て。確かに身だしなみは大切かもしれないが、ちゃんとしてるのが「オレがそばにいるときだけ」というのは全然ダメじゃないのか。こんなことを自慢してる時点で教育者失格だろう。

 かくいうぼくは気が弱く、小学生にも卑屈になってナメられまくってたんですが。当時の怨みをこんなところで晴らしてみる。

 

2月12日(火曜) 夜

 インターネットというものに接した当初。もう5年以上前のことでありますが。

 ブラウザのメニューから「編集」を選ぶと、現在表示されているホームページを書き換えることができると思っていた。

 実際にやってみると案の定、編集結果がページに反映している。まじめなページの片隅に「うんこブー」なんて単語が出現しているのである。うわーすげえ。オレってハッカー!?

 だが、リロードしてみると、ぼくの落書きは跡形もなく消え去っていた。さては管理者に気づかれたか!?

 その後もぼくは何度も「編集」を繰り返した。すると即座に反映するのだが、リロードするともう元通りになっている。この「管理者がすぐに反応する」というスリリングさがたまらなかったんである。

 その数年後、自分でホームページを作るようになってようやく分かった。ホームページを書き換えるにはFTPなどの操作が必要なのであって、ブラウザから編集しただけでサーバー上のファイルを更新できるわけがない。キャッシュファイルが一時的に書き換えられるせいで、自分のパソコン画面上でのみ「編集が反映している」ように見えていただけだったのだ。

 こんなことも知らずに「管理者との壮絶ないたちごっこ」を一人で繰り返していたぼく。莫迦としか言いようがないが、タダでスリルを味わえて得したと考えることにしよう。

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 というわけで先ほど、久しぶりにブラウザからセルフ編集してみたんですが、更新が反映されなくなってました。おまけに「編集」ボタンが消える設定になっているページもちらほら。

 ぼくと同じような莫迦な人がたくさんいたせいで、ブラウザやHPが改良されたのかもしれない。ちょっと心が和む。

 

2月11日(月曜) 夜

 少し前までは狂牛病を恐れてカレーすら食べようとしなかった人も、気がつけば牛丼とか食っている。ぼくもその一人。

 これは安全宣言うんぬんではなく、ただ単に「我慢の限界」に達したからだろうと思う。だって牛、うまいし。

 でも、ぼくの祖父(85歳。ややボケ気味)は神経質なので、いまだに牛肉に手をつけようとしない。「狂牛病の潜伏期間は10年くらいあるんですけど」と進言したくなる気持ちをグッとこらえる。

 こう考えると、安全宣言のために年寄りの政治家たちが牛肉食ってたのもズルいと思う。どうせ発症までにボケるだろ。

 そしてぼくは、命をもって人生の罪をつぐなうため、牛肉を食い続けております。まるで古典落語のような話ですが。

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 潜伏期間200年なんていうウイルスがあっても、問題にもされずそのまま見過ごされてるんだろうなァとふと思う。

 というか、そういうウイルスは既にたいていの人が持ってるのかも。

潜伏期間200年で劇的に発症。全身から血やら愛液やら噴出し、100%の確率で死にいたる!!

 派手なのか地味なのかてんで分からないウイルスである。

 

2月10日(日曜) 深夜

 市内を歩いていたら教え子に出会った。

 大学院にいた頃、女子短大で非常勤講師をしていたときの教え子である。無視するのもナンなので挨拶したところ立ち話になった。

ぼく:「久しぶりやね。今はなにしてんの?」
相手:「卒業して働いてます」
ぼく:「そうなんだ。どこで働いてるの?」
相手:「ある旅行会社で事務職してます」
ぼく:「へー、どこの会社?」
相手:「いやまァ、それはちょっと…」

 彼女はその後も決して会社名を明かそうとしなかった。ぼくなどに教えたらストーキングされると警戒したんだろう。ヤバそうな人をちゃんと見分けて判断している教え子、まったく頼もしい限りである。

 彼女の「人を見る目」は、ひょっとするとぼくの授業で養われたのかもしれません。まったく教育者冥利であります。

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 連休なので調子に乗ってガンガン飲んでたら体調が崩れましたので、この辺で失礼します。

 

2月9日(土曜) 深夜

  街で見かけたスナックの貼り紙チラシ。

 「飲み放題」「歌い放題」まではいいとしても、「盛り上がり放題」まで売り文句にするのはいかがなものか。看板に偽りはないんだろうけど、盛り上がるのは客の勝手である。

 この調子だったらなんでもアリだろう。

 ちなみにこの日記は「読むのやめ放題」が最大のセールスポイントです。この太っ腹!!

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 さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京冷蔵庫」。外出するのが面倒だったので、我が家の冷蔵庫の中身を一挙大公開してみました。こんなしょうもないものを読んでくださる方のことを思うとさすがに良心が痛みます。

 というより、旅行ポータルのサイトに「冷蔵庫の中身紹介コーナー」が当然のように存在していることの不条理。「できれば京都にちなんだコラムを書いてほしいのですが…」という担当者のご意向は十分に理解しています。ただ、京都を理解するためには、冷蔵庫を避けて通ることはできないと思ったんです。

 よろしければご覧になってください。ひょっとしてぼく、頭弱いですか。 

 

2月8日(金曜) 夜

 バレンタインデーが近づいてくるとダークな日記を書かなくちゃならない、みたいな安易な風潮が蔓延しているようですが。

 愛を信じているぼくにとって、バレンタインデーはかけがえのない一日である。女が男に愛を告白する聖なる日。比較行動学的に考えれば単なる「繁殖のチャンス」だが、人類にとって繁殖は文化でありロマンなのだ。

 ただ、愛を「形」として示すにはチョコレートに何らかの工夫を施さなくてはいけない。愛のかけがえのなさを示すためには「お金で買えないもの」という付加価値が必要なのである。

 かといって「手作りチョコ」の類がダメなことは論を待たない。材料がお金で買えるんだから。

 そこで参考にすべきは、イタリアのカーニバルで供される「サングイナッチョ」なるチョコレート料理である。溶かしたチョコレートに豚の血とシナモンを加えて食べるという素敵な一品。ここにバレンタインチョコのヒントが隠されているのではないだろうか。

 愛といえば性器。つまり、己の女性器からしたたり落ちるどす黒い経血をチョコレートに混ぜ込んでプレゼントするのだ。臭いが気になるならシナモンを増量してごまかすがいい。こうすることによって、お金では買うことのできない、かけがえのない「自分の一部」を愛しの人の口に入れることができるのである。

 おまけに翌月はホワイトデー。「ホワイト」チョコに男性がこっそり注入すべき液体はいわずもがなである。

 こんなバレンタインデーならぼくも猛烈に燃える。いくら燃えたところで「一人たき火」であることはこの際考えない。

 うおー、ホワイトチョコ作りてー。バレンタイン万歳! 愛を信じますぞ! 気持ち悪いですか!

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 …というわけで、チョコレートに経血まぜたりザーメン垂らしたり。

 気がつけば、本来の目的であるはずの生殖行為からどんどん遠ざかっている。

 やっぱり生殖は文化だなあと思う。 動物たちはこんなメンドクサイことしませんよ。まったく。

 

2月7日(木曜) 夜

 仕事関係のメールが増えてきたのでシグネチャに一工夫こらしてみた(実際には会社のアドレスですが)。

それではよろしくお願い致します。
---
○○部  名倉   e-mail: otearai@geocities.co.jp

 たいていのメールは文末に「それではよろしくお願い致します」と書いている。そこで少しでも楽をしようと思ったわけである。こうすればメール一通あたり5秒の倹約になる。おお、時は金なり。

 …とほくそえんでいたのも束の間、実際に使ってみると不便でしかたがない。メールは知人との私用にも使っているので、たとえば次のようなことになってしまうのだ。

昨夜は飲みすぎました。迷惑かけて申し訳ない。おかげで今、二日酔いで死にそうです。

それではよろしくお願い致します。
---
○○部  名倉   e-mail: otearai@geocities.co.jp

 おかげでその都度、「それではよろしくお願い致します」部分を削除している始末。メール一通あたり5秒間の損失。おお、時は金なり。

 楽をするのも大変です。

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 昨年10月から一人暮らしを初めて以来、お菓子の類をほとんど食べていない。

 生活費に余裕がないので余計なものを買わなくなったのである。菓子など食わなくても生きていけると思うと途端に買う気が失せてしまう。で、気がつけばそのまま半年近くが経過している次第なのであります。

 ぼくはきっと質実剛健タイプの人間なのだろう。無駄なものは一切買わぬ。人生を楽しむなどもってのほか。煩悩や邪念をふりはらい、必要最小限の生活を送ることが我が人生なのだ。心境はすでに仙人。

 酒やタバコ、エロ本などはしょっちゅう買っているが、これは必需品なので仕方がない。

 

2月6日(水曜) 夜

 レンタルビデオを返し忘れてて延滞金500円。おかげで激しくションボリしております。

 こんなとき、自分に何度も言い聞かせる言葉がある。

 「たかが500円、小さいことじゃないか。宇宙レベルで考えればほんとに些細なことじゃないか」

 自分がビッグな人間だと自己暗示するわけだが、本当にビッグな人間は「たかが500円、小さいことじゃないか」なんて自己暗示しないだろう。

 小さいのはぼくのスケールのほうだと改めて再確認。

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 というわけでレンタル屋をぶらぶらしてたら、70歳くらいのおじいさんがアダルトビデオを物色しているのを見かけた。

 なにを借りてるのかと思って見てみたら「盗撮モノ」だった。

 「老いてますます盛ん」というか「老いてますますこぢんまり」というか。

 

2月5日(火曜) 深夜

 友人K君はエロビデオのことを「エッチビデオ」と言う。

 それはいいのだが、彼が見てるのは

  アナルファックも「エッチビデオ」。だったらレイプは「強エッチ」かよ。

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 清朝時代の中国の王帝は「闘コオロギ」に興じていたらしい。昨夜テレビでやっていた。

 ようするにコオロギ同士を戦わせて勝負を競うわけであるが、中国の王帝ともなるとさすがに本格的である。財に糸目をつけず強いコオロギを探し求め、その研究成果(どんなコオロギが強いかなど)を一冊の本にまとめたというのだ。闘コオロギの漢文書。

 漢文といえば高校の授業。漢文教材には李白の詩などがポピュラーなのだろうが、個人的には是非、闘コオロギの本を授業に用いてほしい。何ヶ月もかかって必死で読み解いた漢文が「つよいコオロギの見分けかた」。いいじゃないですか。

 ちなみにぼくは漢文が苦手で、ずっと赤点続きでした。「一人フェラチオを行う方法」を紹介した漢文が教材だったら死にもの狂いで勉強したのになァ、とふと思う。

 生徒の学習モチベーションを高めたい先生方は是非、ご参考ください。

 

2月4日(月曜) 深夜

 さくら餅作りの模様を紹介しているテレビ番組で職人さんが言っていた。

 「この餅はね、女性の胸くらいの柔らかさにこね上げるのが一番いいんだ」 

 そんなこと言われても、女性の胸の柔らかさなど分からない男子高校生はどうすればいいのか。また、恋人のいる青年であってもカチカチになるまでこね上げてしまうかもしれない。自分の彼女が猛烈な「固パイ」であることをみんなに知られてしまう責任をいったい誰がとるというのか。

 …なんていうまっとうな反論はさておくとしても。

 良識派のぼくが許せないのは、ここに男女差別のニュアンスを感じることだ。「女性の胸」との表現を用いる限り、男性を用いた形容も心がけるべきではあるまいか。

 したがって、羽二重餅などは陰嚢にたとえるのがいい。ただし、陰嚢は気温によって固さが大きく変化するから(多くの諸兄は風呂あがりに玉袋がだらしなく垂れ下がっていることにお気づきだろう)、その表現には細心の注意が要されよう。

 「羽二重餅はね、男子高校生の陰嚢、それも気温24度前後のときの柔らかさが一番いいんだ」

 これなら柔らかさを細やかに指定できるから、デリケートな舌触りが求められる高級餅にもぴったりである。菓子職人の間では今後、次のような論争が交わされるものと予想される。

 「羽二重餅は気温24度の男子高校生の陰嚢に仕上げるのが本物なんや」
 「いや、ウチでは代々、気温28度の中年サラリーマンの陰嚢に仕上げとる!」

 ぼくの日記が伝統菓子作りの一助になれば幸いです。

 唯一の問題は、こんな羽二重餅など死んでも食いたくないことだ。

 

2月3日(日曜) 夜

 昨夜は部屋で飲んでてそのまま寝てしまったので更新できませんでした。それはさておき。

 阪急電車でミニスカートの女性が隣に座っていたのでありますが。

 そのうちに居眠りし始めた彼女。それにともなって両足が緩み、しまいには大股びらき状態になったのである。こりゃあ正面から見たらパンチラ全開だろう(正確にはパンモロと表現するべきか)。

 向かいを見てみたら案の定、男性がチラチラと「そこ」を見ていた。畜生! いいなァ!

 …と同時に、とっさに男性の目を凝視してしまった。ひょっとしたら瞳孔にパンツが映りこんでいるのではないかと考えたのだ。

 だが男性はぼくの視線に気づいたらしく、すぐに目を伏せてしまった。パンツを見ていることを非難されていると思ったのだろう。以降、彼が女性のほうを見ることはなくなってしまった。

 ああ、そうじゃない、そうじゃない。もっとパンツを見てくれなきゃ困るんだよ!! その大きな瞳に白い股布をくっきりと映してほしいんだよオレは!! 目の前の現実を見つめるんだ!!

 追いかければ追いかけるほど逃げてしまう。パンチラは恋に似ているのかもしれない。

−−− 

 さて昨日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京哲学」。京都の観光地である「哲学の道」を一人で散策してみたレポートです。かなり退屈な取材だったので、コラムも非常に退屈な仕上がりとなっております。

 退屈に耐える力を養いたいかた、よろしければご覧になってください。

 

2月1日(金曜) 夜

 高校時代、背伸びして上等のボタンダウンシャツを買ったことがある。なんと2万円なり。

 当然のことながら、「これは一生モノだぞ」という意気込みで慎重に購入したのだった。

 …とまァ、いろいろ考えた末、LLサイズ(かなりダボダボ)を購入したわけです。

 ただ、実際に着てみると、案の定ダボダボでかっこわるい。

 そこで少しでも縮ませようと、一日に数回のペースで洗濯しつづけた結果、アッという間に襟元がボロボロになってしまいました。こんなボロいシャツ、恥ずかしくてとても着て行けない。

 というわけで現在、パジャマ代わりに着用している毎日であります。普段はユニクロでもパジャマだけは2万円。

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 居酒屋で「サイコロトーフ」というメニューを発見。

 そういや昔、「サイコロトーク」というのが流行った(小堺一機がやってたやつの真似)。ぼくが学生の頃も、サークル合宿の折、誰かが持ってきたサイコロでこれが行われたことがあった。

 そのとき「かなしい話」(略してカナバナ〜!)を引いたデブのA君は、自分が中学時代に壮絶なイジメを受けて自殺まで考えた経緯を長々と話してくれた。声を詰まらせながら、最後には目に涙を浮かべながら…。

 場の空気は水を打ったように静まり返った。その5分ほど後、幹事の判断で飲み会はお開きとなった。

 こんなA君のことが今でも大好きです。

 


   2002年1月のプチ日記 

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