8月31日(日曜) 夜
ずっと家でグダグダしていた一日。
ほとんどクーラー入れっぱなしで過ごしていたのだが、長時間なだけに電気代が心配になってくる。できれば設定温度を高くして、少しでも倹約につとめたいところだ。
そこで設定を29度とかにしてみるのだが、どうしても暑くなってくる。27度の快適さを一度知ってしまった身にとって、生活レベルを下げるのはかなりの苦痛である。でも電気代が高くなるのはイヤだ。ああ、もはやこれまでか!?
だが本日、29度の設定でも涼しく過ごせる妙案を発見したのでした。
「ついに倹約と快適さの両立が可能になった!」とさっきまで大喜びしておりました。そしてつい先ほど、ようやく大きな落とし穴に気づきました。これってむしろ消費電力増えてるやんけ。莫迦かオレは。
だいたい考えてることがセコすぎるのだ。男なら冷房の一つや二つ、ガツンと10度くらいに設定しようじゃねえか!!
でも冷房で10度設定かァ…。ぼくにはまだ勇気が足りません。冬になったらにチャレンジしてみます。
8月30日(土曜) 深夜
小学生のころ、相手の言動をとことん真似するというイタズラ(というかイヤガラセ)が流行した。
相手が何を言おうと何をしようと、とにかく真似し続けるのだ。
「算数の宿題やってきた?」
「算数の宿題やってきた?」
「え? いやオレは忘れてて。もしやってたら写させてェや」
「え? いやオレは忘れてて。もしやってたら写させてェや」
「はァ!?」
「はァ!?」
「ちょっと待てや。なんやねん」
「ちょっと待てや。なんやねん」
「おい、オレのこと真似すんなや!」
「おい、オレのこと真似すんなや!」
「…いいかげんにせんとしばくぞ!」(殴るポーズ)
「…いいかげんにせんとしばくぞ!」(殴るポーズ)
という具合に、だんだん相手がキレてくるのがおもしろかったんである。当然ながらそのまま殴り合いの大ゲンカに発展することもあった。
当時からケンカが弱かったぼくは、いくら真似をされても手を上げることはなかった。でも、ずっと真似され続けるのは非常に癪だったので、自分なりの対抗法をいくつか編み出したのだった。
効果はてきめんだった。なかにはぼくの真似をして下半身を露出する奴もいたが、たいていはそこでゲームオーバーとなった(骨を断たせて皮を切るの戦法である)。よっしゃ! そして、それに比例するようにして友達も減っていった。
女子がぼくの真似をしてからかってきたときは、チャンス到来とばかりに「ちんぽ!」と叫んだり、自分の胸を揉みしだいたりした。もちろん向こうは真似などしなかった。よっしゃ! そのうち女子は誰もぼくの真似をしようとしなくなった。
当時のぼくは果たしてイヤガラセに勝利していたんだろうか…。いま振り返ると自分が不憫でなりません。
−−−
というわけで、ぼくはこのような「イヤな小学生」だったわけです。
子どもらしさや純粋さが早くから欠落していたような気がする。中学生みたいな小学生、という感じだろうか。
でもその後、中学、高校、大学…と進んでもずっと中学生っぽいままだった。社会人になって数年目の現在でも、知人から「中学生のスピリットを守り続けてるよね」などと指摘される。生まれてから死ぬまでずっと中学生なのか。
" The Boy With The Junior High-School Guy In His Side"。ぼくはモリッシーにもなれない。
−−−
本日は土曜日ですが、某企業のコラムはお休みです。
8月29日(金曜) 深夜
先日、会社から帰宅途中、街角の Yahoo! BB キャンペーンに強引に声をかけられてつい話を聞いてしまった。
で、契約などはせずそのまま立ち去ったわけですが。
翌日、同じ場所を通ったら、同じ人がキャンペーンしていたので、気まずくて思わず引き返してしまった。ぼくはいい年こいて自意識過剰なので、こういう状況がとにかく苦手なんである。
だが問題は、この道がぼくの「ルーチン帰宅路」だということ(けもの道のようなものである。公道だけど)。ここを迂回すると、とてつもなく遠回りしないと帰宅できないのだ。
付け髭+サングラスで変装して通過するか、遠回りするかを目下思案中です。向こうは全然気にしてないだろうけど。
皆さんも Yahoo! BB キャンペーンを冷やかすなら、自分のテリトリー外でやったほうがいいですよ。って、こんなこと常識ですか。
−−−
さて、金曜日なのでプチ狂気コーナー更新しました。
冒頭に掲載した「特定の無意味なコトバを繰り返してしまう」というのは、ぼくも身に覚えがあるだけにシンパシーを感じました。言語チックの一種でしょうか。あまりの間抜けさに圧倒され、ただただ茫然とするばかりです。
「自分は王子様(or女王様)の生まれ変わりなんだ」という愉快な思い込みも素敵です。こういうのがいいんだまた! 一歩踏み外すと、いま流行りの統合失調症ですが、このコーナーに投稿されている時点で大丈夫でしょう。
あと、パンティライナーをスカートにつけたまま歩いていた女性のエピソードは素晴らしくて何度か読みかえしてしまいました。女性を偶像視していた中学生当時の自分に読ませてやりたい。
ほかにも楽しい投稿がいろいろありますので、よければご覧になってください。楽しい投稿も引き続き募集中です。
8月28日(木曜) 夜
宅間守被告が死刑宣告されたとのニュース。
ところで絞首って、最も楽な死に方のひとつらしいですね。ぽいーん
−−−
本日の昼休み、上司が突然しゃべり始めたのでした。
「植物には人間の愛情を感じ取る能力があって、人が愛情を注ぐとよく育つんだってね」
話によるとその上司自身、当初は半信半疑だったらしい。だが試しに愛情をこめて庭の植木を育ててみたところ、実際によく育つようになったのだという。「だからね、この説は本当だったんだよ」「まさに生命の神秘だね!」とは上司の言。
ただ、ぼくはこういう類の話を一切信じてないので、ついつい反論してしまったのでした。
すると上司はそれ以来、ぼくと口を利いてくれなくなった。しまった!
黙ってウンウン聞いていた他の連中はまったくオトナである(同じようなことを思ってても損得を考えて口にしなかったのだろう)。というか、ぼくのほうこそ上司の心中を感じ取る能力が欠けているのかもしれない。植物の能力にケチつけてる場合じゃあない。
どうフォローしようかと今も思索中です。いつものように「ウソでした」と素直に謝るか。
8月27日(水曜) 深夜
同僚がみんな出払った部屋にて一人でデスクワークに励んでいたところ。
ノックの音とともに他部署のY氏が入ってきた。そして彼は部屋をぐるりと見回した後、ぼくに尋ねてきたのでした。
「あのー、Fさんいます?」
ぼく以外だれも部屋にいないことくらい見りゃあ分かるでしょうが。それとも何ですか、サーカスみたいに花瓶の中に入ってたりするんでしょうか。
「これでいたらビックリですよね」とお答え申し上げたところ、Y氏から地獄のような顔でにらまれてしまいました。
「あ、ウソです」と慌ててフォローしたものの、時すでに遅し(何がどうウソなのか自分でも分かりませんが)。
−−−
ところで昨夜、知り合い数人でベトナム料理を食べに行った。
珍しいものがいろいろあって楽しかったので、酒は一滴も飲まずにひたすら食べた(ぼくは飲むと酒ばかりに集中してしまい食べられなくなるので)。いやー、くさい料理は美味しいですな。
…とまァそんなことはどうでもいいのだが、驚いたのは今夜のウンコだった。色合いもニオイも普段とぜんぜん違ったんである。具体的に言うと、いつもよりずっと黒いうえに、ちっとも臭わなかったのだ。
そういや学生時代、ヨーロッパへ旅行したときも、ウンコの色やニオイが変化して楽しかった(このときは黒くて臭くなった)。個人的に旅行はそれほど好きでもないのだが、このときは「旅っていいなァ」と素直に思ったのを思い出す。海外旅行の楽しみ=ウンコ。
だが今回、「旅の楽しみ」は飛行機に乗るなどの苦労を経ずとも簡単に味わえることが判明した。素晴らしいことだ(こんなことを暴露して旅行会社から圧力を加えられたらどうしよう、という不安はあるけれど…)。
ちなみに中国旅行したときは、ウンコはまったく変化しませんでした。理由は単純。紹興酒が格安(ボトル一本90円とか)だったので飲みまくってたら、お腹をこわしてずっと下痢続きだったという話。これじゃあ普段と同じである。
旅先では酒を控える。これが「旅上手」への第一歩ですぞ!!
8月25日(月曜) 深夜
対談集が好きでたまに読む。
最近では松尾スズキの『第三の役立たず』(情報センター出版局)がおもしろかった。対談相手も天久聖一、根本敬、町田康、鶴見済…と、おもしろくならないほうがおかしいメンバー構成である。おまけに、対談しているうちにみんな酔いつぶれてメチャクチャになっていくという痛快さ。いいなァ!!
それはさておき、別の意味で考えさせられたのが、本文209ページの鶴見済のセリフ(以下抜粋です)。
鶴見:「要するに、『ない』って言っちゃうことと『全てある』って言っちゃうことは、実は同じだと」
松尾:「僕はそれ、論理的に説明できないんですよ」
鶴見:「ゲミュタルト崩壊を起こす、ってことなんですけど。数学的にも説明できないらしいですね。空集合の補集合は〜(以下略)」
「ゲシュタルト崩壊」が「ゲミュタルト崩壊」になっているのだ。
小難しげなコトバで言い間違えるのは、読んでるほうもかなり恥ずかしくて顔が赤らみそうになる(そういや久住昌之さんの漫画にも、片思いの女の子に「僕、ツルゲーネスの小説が好きなんです!」と豪語する場面があった)。とくに対談集だと、喋り言葉だけに一層マヌケな風情がただよってしまう。
鶴見済がこういう間違いを言うとは考えにくいから、おそらく誤植なのだろう。でも読者は普通そうは思わない。「鶴見さんったら博識を気取ってイタいことになっちゃって…」と受け取るのではなかろうか。
ニヒリストで鳴らしている鶴見済もきっと、今ごろ顔から火を噴き出しているに違いない。ニヒリストも苦労が多そうです。
8月24日(日曜) 深夜
休日なのに研修会に行ってました。
会場では壇上に立った講師がレクチャーしていたわけですが。
講師の頭上に「火事です」との掲示があったので妙な感じだった。火災が起きたらランプが点灯するしくみなんだろうけれど、消灯していても字が目立つせいで、ずっと火事みたいなんである。
火事が起こってるのに、「えー、このような場合はですねえ…」とか呑気にレクチャーし続ける講師。こう見るとまるでコントである。「ふーん、火事になってるみたいですねえ。では講義に戻りますが…」なんってって。
−−−
ちなみに「火事です」という報知もどうなんだろう。
一刻を争う緊急事態なのに「火事です」なんて淡々と告知されたら、怒りのあまり逃げることさえ忘れてしまうかもしれない。せめて「火災が発生しました!」くらいの慌てぶりはアピールしたほうがいいんじゃないのか。かと言って、「うわァー! か、か、火事だー!!」なんていう告知ランプが点灯したら、逆に白けてヘナヘナになりそうだけど。
それともあえて淡々とすることによって、群集の冷静さを保たせようとしているのか。だったらもっと淡々としたほうが効果的だろう。「火事なのであります」とか「火災が発生しておる次第です」とか「火災発生(笑)」とか。
火事のことばかり考えていて研修の内容などほとんど聞いてなかったことだけ付け加えておきます。
8月23日(土曜) 深夜
一人でレッチリとか聴きながら飲んでおります。もちろんCDレンタルもの。もちろん発泡酒。
ところで最近気になるのが「バイキング」である。
ホテルの立食パーティー、もしくは食べ放題レストランなんかでよくあるやつである。語源を調べてみたところ、バイキングというのはヨーロッパ各地で略奪を繰り返していた北ゲルマンの海賊で、当時広く怖れられていた存在らしい。
凶暴なバイキングたちは略奪した食料を並べて、好き放題に喰いまくったのであろう。そしてそれが、今日の「バイキング料理」につながっているものと思われる。 そういやバイキング料理を目の前にした男女は皆、目を血走せて摂食行動に邁進している。
それはさておき、本日こんなバイキングを見かけた。
凶暴なバイキングたちも、略奪したお茶漬けをテーブルに並べてむさぼり喰っていたんだろうか。 「この茶漬けはおまえたちが50人以上殺って得た戦利品だ! 喰いまくるがよい!」なんてって。「今日は特別に湯どうふセットもつけてやろう!」。
ぼくは会食恐怖(他人がいると食事が喉を通らない神経症)の気があるせいでバイキングをあまり楽しめないので、悔し紛れに書いてみました。畜生、バイキングはやはり悪者だ!
酒のバイキングなら大丈夫なんだけどなァ。「排尿困難」とは反対に液体ならいけるのです。マンギョンボン。
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さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。
今回のテーマは「いまどきの京戸(きょうと)」。語呂合わせを兼ねて、京都の街中で見かけた戸をいろいろ集めてみたレポートです。おそろしくヘボいコラムですが、これを集めるのに3ヶ月近くかかりました。自分が不憫でなりません。
よろしければ読んでくださると嬉しいです。
8月22日(金曜) 深夜
ぼくのサイトを読んでいる知人から「もっとちゃんとしたこと書けよ」と言われることがある。
あと匿名の読者から「うんこみたいな文章ですね」と指摘されたこともある(これにはちょっと本気でムカついたんですが、それはまあさておき。実際うんこの話題は頻出しているから直喩でもある)。
たしかにどうでもいいことばかり書いてる気はする。他人の日常些事や妄想など、どうでもいいことの最たるものだろう。
でも、だったら何が「ちゃんとした」「うんこみたいでない」ことなのか。良識的でまっとうな正論を並べるのがいいというのか。そこまで言うなら書いてみますよダンナ!
本日、交差点で信号待ちをしていたら、歩道の信号が赤になってるのに横断歩道を走って渡っている人を見かけた。このとき小生は心から思ったのである。「信号無視をしてはいけない!」。
こんなこと、テメエに言われなくたって分かってますよ。
というか、「まっとうなこと」なんて小っ恥ずかしくて書けないんっすよ。書けないんっす。勘弁してください。
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さて、金曜日なのでプチ狂気コーナー更新しました。
いやー皆さま、いろんなことを密かに考えたり実行したりしてるんだなあァ、と感心してしまいました。しなきゃいいのに余計なこと考えてしまったり、大人になっても子どものままの部分が保続してしまったり。あと、彼氏に母乳を「顔射」してる女性の投稿も末恐ろしいです。
よければご覧になってください。ヤバくて楽しい投稿も募集中です。
8月21日(木曜) 深夜
母親の手料理の中では「ししとうとチリメンジャコの煮物」が好きだった。
ぼくの中では数少ない「おふくろの味」である。このことを知ってか知らずか、たまにぼくが帰省すると、母はいつも食卓に用意して待ってくれていた。実家に帰るのは面倒だったが、ししとうとチリメンジャコの煮物だけは少し楽しみだった。
一人暮らしを始めて何年かになるが、自分で作ろうと考えたことは一度もなかった。母親が長年にわたって作り続けてきた味にはとうてい及ばないという思いと、まずい煮物を口にすることへの抵抗感が根強くあったのだ。
しかし今日、スーパーでししとうが安売りされていたので、一念発起して作ってみたのだった。
調理法そのものは簡単である。煮立てたダシにししとうとジャコを入れて醤油&みりんで味付けするだけ。作り始めると15分くらいで完成した。
そして、おそるおそる口に運んでみると…。
めちゃくちゃ美味しい! というか母が作ったやつより美味しいじゃないか。いままで「おふくろの味」と思ってたのは、実は15分で簡単に作れてしまうモノだったのだ。おふくろの味=手抜き料理の味。
そういや先日、余っていた卵で「味の素としょうゆだけで味つけした出汁巻き」を作ったときも、なんだか「おふくろ感」があったのを思い出す。友人宅で安い食パンをごちそうになったとき、「このパン、おふくろの味がする…」と言って失笑を買ったこともあった。
実家に帰る機会がますます減りそうです。
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ぼくも今後、万一家庭を持つことになったら、我が子にだけはちゃんとした想い出を残してやりたいと思う。
娘が年頃になって、彼氏の精液を初めて口にしたとき、思わず「パパの味がする!」と叫ぶのだ。幼い頃、いったい何を飲ませてたんだって話である。
…こんなことばかり考えてるから、いつまでたっても結婚できないんでしょうか。
8月20日(水曜) 深夜
寝転がってるとき天井を向いてクシャミをすると、1〜2秒後に結構な量のミストが降り注ぐことを発見。
以来、クシャミするときは決まって天を向き、顔面へのミストを味わっている。成分は100%唾液なので、こすると臭くなるところもスリリングで楽しい。
人生に疲れたときは是非お試しください。悩んでる自分がバカバカしくなってくると思います。
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読者のかたからこんなメールをいただいた。
>プチ日記のソースを見たら、キーワードのタグに「子持ちししゃも」「陰茎」と書かれてましたが、これは何ですか?
一瞬なんのことかと思ったが、すぐに思い出した。
数年前、ホームページの作成ノウハウみたいな雑誌を読んでいたときのこと。「検索エンジンのクロールに備えて、自分の興味のある事柄の単語をメタタグに埋め込んでおきましょう」「そうすれば検索キーワードで引っかかりやすくなります」等と書かれていたので、さっそく実行してみたのだ。
そのときとりあえず埋め込んでみたのが「子持ちししゃも」と「陰茎」だった(いずれもぼくが興味ある対象であり、事実、当時のプチ日記に頻出していた)。そんなことは自分でもすっかり忘れていたのだが、数年ぶりに指摘されて思い出したという次第なのであります。
さっそくメタタグ対応型の検索エンジンで試してみたところ、「子持ちししゃも OR 陰茎」だと専門サイト(?)に上位を独占されるものの、「子持ちししゃも AND 陰茎」で検索するとぼくのサイトがほとんどを独占することが判明した。やったー!
数年間忘れている間にも、「子持ちししゃも 陰茎」で検索したユーザーに対しては確実に獲得効果を培っていたのだ。アクセスアップにはやはり、地道な工夫が功奏するということなのだろう。
でも、こんな組み合わせのキーワードで来る人ってどのくらいいるんだろう。100年に1人くらいか。
8月19日(火曜) 深夜
新聞の書評欄などではけっこう同じ人が評論している。
こういうのを見ると素直に「偉いなー」と思う。とくに読みたくないも本を読むだけでも面倒なのに、それについて批評するなんて、考えただけでも面倒死にしてしまいそうだ。
ただ、批評家は何を書いても自由とも言われる。内容を読まなくてもいいのならぼくにでも書けそうである。ここはひとつ、一度も読んだことのない本について書評してみようじゃないか。
『スプートニクの恋人』 村上春樹・著
この小説の世界を一言で表すなら「ひょんな異空間」ということになろうか。
主人公の茂吉(27歳会社員)が街でスーパーの袋を拾うことから物語は始まる。袋の中に入っていたのは合挽きミンチとロックアイスとパスポート。このパスポートが彼の運命を決めること自体、正に「ひょん」との表現がふさわしいプロットであろう。
村上作品は一冊も読んでいないが、これまでの小説で彼が一貫して描き続けてきたテーマが「ひょん」であることだけは、この際明らかにしておかねばならない。村上の小説を読み解くうえでの重要なキーワード、それが(異論もあろうが)ひょんさである。
付記するなら、ハードなアクションシーンも本小説の見どころであろう。個人的に圧巻だったのは、茂吉が聡子と出会うシーンで大五郎と繰り広げるテコンドーの描写である。
一連の村上作品にジャッキー・チェンへのオマージュが込められていることは広く知られているが、テコンドーと射的とキックベースとが三つ巴となって人間兵器へと収束していく展開には、エンターテイナーとしての確かな手腕を感じずにはいられない(彼自身かつてキックベーサーだった経験が存分に生かされている!)。
ひょんな「読む楽しみ」を与えてくれるだけでも、この小説は「買い」である。未読ではあるが、心からそう感じられた一冊。私にとって2003年度のベストバイブックと言っても過言ではない。
書いてるぼくは非常に楽しかったんですが、恐ろしくつまらないですね。すみません。もうしませんので許してください。
8月18日(月曜) 夜
納豆に醤油のみならずマヨネーズを加えて食べると、ちょっと金持ちになった気分を味わえる。
さらに余った納豆のタレを豆腐にかけて食べると、いよいよ金持ち感がアップする。ああ、なんて贅沢なんだ!
本当の金持ちはこんなことしないですか。そうですか。
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みんな同じようなこと考えてそうだったので書かなかったけれど。
この前の「トリビアの泉」で、宮内庁御用達の表記は勝手に名乗れるというネタが紹介されていた。個人的には、かなりへぇーと思った一件だったわけでありまして。
たとえばこんなのだってありだろう。
やりすぎると怒られるともあったが、怒られるだけなら是非やってほしいと思う。
ところで、宮内庁御用達のバイブは細くて上品なんだろうか。そういう問題じゃないのか。
8月17日(日曜) 夜
ずっと家でゴロゴロしていた週末でした。
ぼくはリポビタンDが好きで、ヒマな週末にたまに飲む。なんとなく元気になって楽しいからである。
今日も飲んだのだが、だからといって特に何をするわけでもない。なんとなく元気になって、その状態を楽しみながらゴロゴロするのが好きなんである。なんとも非生産的なドリンク剤の使用法。
ちなみに平日はまったく飲まない。こんなので仕事にがんばってしまったら悔しいから。
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先日電車に乗っていたら、隣の乗客が『パイレーツ・オブ・カリビアン』の話をしていて偶然知ったんですが。
カリビアンってカリブ海のっていう意味だったのか。全然知らなかった。字面だけ見て漠然とエロいことを考えていたのだが、そういや「カリブ海の海賊」とかあった気がする。
エロいことを連想すると、それで満足して先に進まないことが分かりました。
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さて昨日、某企業の連載コラムが更新されてます。
今回のテーマは「いまどきの京地蔵」。ちょうどお盆の終わりということで、地蔵盆ゆかりの「京のお地蔵さん」をいろいろ訪ね歩いたレポートです。あまりの地味さに我ながら同情を禁じえません。なんてかわいそうなコラムなんだ。
地味ですが、よろしければ読んでくださると嬉しいです。
8月15日(金曜) 夜
横尾忠則展をやってたので京都国立近代美術館に行った。
横尾作品は普通にかっこよかったのでまあいいとして。ついでに常設展を見たら、こんなガラスオブジェが展示されていた。
なにやら有名な芸術家の作品らしい(よく知らないけど)。値段とかきっとすごいことになってるんだろう。
…と思いながら近くに寄ってみたところ。
接合部がセロテープで補強されていたのでした。作者は自分の作品がこんなことになってるのを知ってるんだろうか。
ゴッホやピカソの絵画も意外と、セロテープで補強されてたりするのかもしれません。
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さて、プチ狂気コーナー更新いたしました。
楽しい投稿ありがとうございます。共感するものもあれば「何ですかこれは?」というものもあり、人生いろいろあるなと思わされました。
今回は盗聴されてる系が多い印象です。ぼくも子どもの頃は、親に盗聴されてると思って天井をコツコツしまくった経験があります。あと、人の前で鼻をほじってたらデカい鼻くそが出てしまい、あわてて鼻の中に戻したという報告も、スケールは小さいながら圧巻です。
人の情けない狂気っていいもんですね。よければご覧になってださい。
8月14日(木曜) 夜
減少へのハイウェイを快調に疾走し続ける我が毛髪。
大切な頭を守るべき毛髪なのにどうして抜け落ちるのか。腹に脂肪をたくわえる余裕があるんだったら、もっと髪の毛にもエネルギーを回せと言いたい。莫迦じゃないのかオレの体は。
ただ、こう考えると思い当たる節もある。平和な社会に暮らしている現在、頭上から石やらヒョウやらが降ってくることはほとんどない。「使われない器官は退化する」の法則に従うなら、毛髪が不要物として消失してしまうのも納得がいく。
なるほど、頭皮を甘やかしているのがダメだったのか。そういやペンタデカンかなんかの育毛製品は頭皮をブラシで叩いていた。頭をボリボリかきむしっている小汚いホームレスの方々も、思えばハゲは少ないような気がする。やはり、かわいい頭皮には旅をさせなければいけなかったのか。
今後はもっとあちこちに頭をぶつけることにしよう。それとも画鋲をちりばめた帽子をかぶろうか。手榴弾が降り注ぐ戦場に赴くのも効果的かもしれない。ロケット弾が頭を直撃、ドッカーン! 毛の髪ニョキニョキー! よっしゃー、グフッ!
…などと幸せな妄想にひたっておったわけですが。
よく考えると例外が多すぎるのだ。しょっちゅうヘディングとかしてるサッカー選手にもハゲはいるし、格闘技の選手もしかりである。それに己の陰毛だって、ものすごく甘やかしているはずなのに、こちらは一向に減る気配すらない。それとも"warm safe place"に収まる機会が乏しいから、危機を感じて増毛し続けているんだろうか。
というか、こんなことでクヨクヨ悩んでいたら余計にハゲるじゃないか。ああ、どうすればいいのだ。
※ちなみに竹内久美子の「モテ終わったからハゲる」説には個人的に全くくみしないので、どうかご了承ください。
8月13日(水曜) 夜
お盆だというのに出勤してました。ハードワークお盆。
知人はたいていお盆休みに入っているようで。さっきも知人へのメールの冒頭に「お盆休みおつかれさまです」と書き出している自分に気づき、あわてて修正しました。
−−−
そういや社会人になってから、「おつかれさまです」を多用しすぎているような気がしてならない。みんなも自分も。
たとえば先日も、昼休みから帰ってきたら後輩から言われた。「おつかれさまっす!」。こっちはただ、昼ご飯を食べてボーッとしていただけである。なにをどう疲れるのかよく分からないが、言われてみれば確かにずっと疲れているかもしれない。
ぼくだって同じようなものだ。9時に出社して、その日初めて上司と顔をあわせたときは「おはようございます!」と挨拶するのだが、10分くらい経って偶然その上司に出会ったら、今度は「おつかれさまです!」と言っている。
念のために申し添えると、ウチは10分で疲れるような激しい職場ではない。
また、長年勤めている先輩の中には、オリジナルな挨拶を用いる人がいる。口にしてるのは「おつかれさま」なのだが、何年も言い続けてると飽きてくるのだろう。「お〜つかれえっす」だの「おつっかれさーまーァ」だの、独自の境地に達しちゃってるんである。
そして問題は昼休み時である。社員が一斉に廊下へと飛び出す結果どうなるかというと、すれ違う全員が互いに挨拶することになる。「おつかれさまです」「おつかれさまです」「おつかれさん!」「おつかれさまです」「お〜つかれえっす!」「おつかれさまです」……。
無限とも思える「おつかれさま地獄」。終盤になると自分に対して言っているような気がしてくる。
8月12日(火曜) 深夜
上司から「君はいつも腰が低いねえ。もっと堂々としたらいいのに」と言われることがある。
あまり本当のことを指摘されると気分が悪いが、こちらにも反論はある。ぼくだってずっとオドオドしているわけじゃない。どころか、ものすごくデカい態度で過ごしている時間が意外に多いことに気づいていないのだ。
それは「一人で過ごしているとき」だ。言っちゃあナンだが、一人のときのぼくは壮絶なほどに態度がデカい。
…とこのように、まるで社長のような暮らしっぷりなのだ(社長をなにか勘違いしてるような気もするが)。
人さえいなけりゃ堂々とした態度を貫く自信がある! ありまくりだ! 悔しいかっ!!
−−−
こう考えると、注察妄想なんかに陥らなくて本当にヨカッタと思う。
もしそうなってたら、自宅で一人で過ごしてても妙にオドオドと腰低くて、始終作り笑いで、テレビ番組とかもほめてばかりで。
「いい人」のまま、しまいに衰弱死してしまいます。そのほうが世のためかも知れないけど。
8月11日(月曜) 夜
本日の駐車場です。
ありふれた一戸建てマイホームの駐車場なのだが、よく見れば「無断駐車しないで下さい!」との訴えが。
こんなとこに無断駐車するほうもするほうだが、されるほうもされるほうである。ようやく購入した念願の駐車場付きマイホームなのに、ある日突然、見知らぬ車が駐車するようになってしまったという笑える悲劇。どう見ても「よそん家の駐車場」なのに。
きっと「因果」なのだ。ここの家主の祖先は原始時代から、せっかく狩った獲物をヒョイと誰かに盗まれるような「弱者の血」を受け継いでいたに違いない。ぼくも思い当たるところがあるだけに、気持ちは痛いほどよく分かる。
家主の今後もなんとなく想像がつきますな。
こうして振り返ると、立場をわきまえず「無断駐車しないで下さい!」なんて訴えたのが転落の始まりだったのだ。あのとき「いつもありがとうございます!」と書いておけばよかったのに…。と、それだけが悔やまれるのであります。
楽しい話を書いてるとつい文章が長くなってしまいました。申し訳ありません。
8月10日(日曜) 深夜
本日見かけた犬。
まるで人形かぬいぐるみのようですが、オシッコやウンコは普通に出しておられました。
−−−
そういや小学生の頃、授業中のクラスに犬が入ってきたことがあった。
とくに悪さはせず教室をウロチョロするだけだったのだが、児童たちの注意は犬の一挙一動に集中するし、犬にちょっかいを出す児童も出てくるしで、とても授業どころではなくなってしまった。先生(若い女教師)は「犬のことは気にしないの!」と声を荒げるが、もちろん効果は全くなし。
というか、教室に犬がウロウロしているのに気にするなというほうが無理である。相手がオトナであってもそうだろう。オフィスの中を犬が歩きまわっていたら、仕事どころではなくなるのは目に見えている(というか、蝿が1匹飛び回っているだけでも仕事にならない)。
業を煮やした先生は犬を追い払う作戦に転じたのだが、犬もそう簡単には教室から出ようとしない。ついには先生と犬が教室を駆けずり回る事態となるも、犬は一向に退治できず、とうとう先生はキレて大粒の涙をこぼし始めたのだった。
「ううっ… アンタたちが犬にかまうから出て行かないのよっ! もういいかげんにしてよ…」
それは何か違うだろうと子どもながらに思っていたのだが、とりあえずその授業はつぶれたので結果オーライだった。急に静まり返った教室に違和感を感じとったのか、犬もクーンクーンと泣きはじめた。
あのときの体験のせいか、今でも仕事で窮地に陥ったりするとつい、「犬が来てくれたらいいのに…」と考えてしまう。
−−−
さて昨日、某企業の連載コラムが更新されてます。
今回のテーマは「いまどきの京弁天」。むかし京都で遊郭として栄えた中書島にある、「島の弁天さん」こと長建寺を訪れてみたレポートです。最近なんだか、京都のお寺とかをマジメに紹介してばかりで、これではいかんなあと気を引き締めております。
よろしければ読んでくださると嬉しいです。
8月8日(金曜) 夜
ふぅ、プチ狂気コーナー更新いたしました。
たくさんのご投稿ありがとうございます。こうして読んでみると楽しい投稿がいろいろありますねえ。
エレベーターの中はプチ狂気好発ゾーンのようであります。 捨てるつもりのTシャツをいったん着てビリビリ破く話には思わず笑みがこぼれました。あと、風呂場で脱衣するときはぼくも、「こんなとこで全裸になっても変態じゃないよな?」と一瞬考えてしまいます。
狂気というより変態というほうが似つかわしい投稿もありましたが、あえて掲載しています。あまりにもありがちなのはボツにさせていただいてますが(申し訳ありません)、「引いちゃう」と「シンパシー」のボーダーラインに関しては、ぼくは閾値が高いので。
どうぞよろしゅう。
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ちなみにプラットホームで電車を待ってるときは、「後ろの人に突き落とされて死ぬかも」と警戒してるんですが。
最近では、突き落とされて死ぬことを心のどこかで覚悟して電車を待ってます。悲壮です。だったら後ろのほうで待てばいい話なのだが、移動するのが面倒くさいので。
面倒くさパワーは死への恐怖にも勝る。おそろしい。
8月7日(木曜) 深夜
漢字の「しんにょう」って、手書きすると誰もがもっさくなってるような気がする。
そこで知り合いに「進」の字を書いてもらったところ、この確信はますます強くなった。
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1.全体的に情けない雰囲気であるが、とくに「しんにょう」が間延びしてる(ぼくが書いた字です)。
2.稚拙ながらきっちり書いてる印象だけど「しんにょう」はやはり何か変です(20代女性)。
3.シャープかつ精悍である。でも「しんにょう」は下部が一回転(30代男性)。
4.全てにわたってテキトーに書かれているが、とりわけ「しんにょう」の誤魔化し具合は圧巻(20代男性)。
5.一部が回転してる点では「3」に似ているが、これは中央が一回転(30代女性)。
6.これも情けない雰囲気をかもしだしている。とくに「しんにょう」の間抜けさといったら(20代女性)。
オトナになれば「正しいしんにょう」が書けるようになると信じていた小学生時代。でも現実はそう甘くない。
※ちなみに、正しくはどう書くのかと思ってフォントをデカくしてみたんですが(進)、これじゃあちっとも分かりません。
8月6日(水曜) 夜
風呂あがりに飲むつもりで買った缶ビールを冷蔵庫に入れ忘れていた。
今さらどうしようもないので、常温のままチビチビ飲んでおります。このクソ暑いなか。
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でも、妥協こそが人生だなと時々マジメに思う。大人になること=幼児的万能感からの脱皮=妥協。
この壮大なテーマを題材にして、映画のひとつでも作れないものだろうか。
『妥協』: 人生は妥協と信じて生き抜いた男の壮絶な物語が今、明らかとなる…
主人公の男性はとにかく妥協しまくるのである。
だが晩年になり、男はふと悟るのだ。「ここまで完璧に妥協を重ねるべきだったのか」と。「妥協に対しても妥協するのが本当の妥協ではなかったか」と。
そして少しだけ盆栽に凝りはじめたところで急死。"THE END" のロール。
8月5日(火曜) 夜
たまたま入った喫茶店のトイレに、こんな注意書きが置かれていた。
「尿を便器の外に飛ばすなボケ」ということを婉曲に表現して、かえって下品になっている注意書きはたまに見かける。これもその一つである。黄金のつゆって、聖水プレイじゃないんだから。
おまけに、放尿しながら手など合わせていたら棒に指を添えられず、「黄金のつゆ」はそれこそ暴れ馬の様相を呈してしまうだろう(手離し運転と同じ!)。いくら心静かに合掌しても、それが裏目に出ることもあるという好例である。
少し話はそれるが、小生の経験から申し上げると「棒の状態」と「聖水の飛び散り具合」の関係はおおむね次のようになる(グラフが妙に緻密ですが、データを取ってるわけじゃないので念のため。ほんとにデータ取ってたらちょっとヤバいと自分でも思います)。
1.すっかり小さく柔らかい状態(平常時)
銃身が短いうえに柔軟すぎるため、狙いが定まらなかったり、下に垂れたりして的から外れやすい。2.少しだけ大きく硬くなりかけた状態(半勃ち時)
銃身はほどよく伸びてある程度の硬度も出るため、正確に目標をロックオンできる。3.もう辛抱たまらしまへんのや状態(ピンコ勃ち時)
砲台が上向きで固定しているため、どんなにへっぴり腰で無理してもあらぬ方向に放水してしまう。
したがって上記の喫茶店も、注意書きするなら「ほんの少しだけ大きくさせる」方向のほうがいいでしょう。トイレに貼っておくべきポスターは、アイドルの水着写真か、もしくは裕木奈江の無修正ヌードあたりで…どやっ!!
8月4日(月曜) 深夜
暑くて死んでしまいそうです。帰宅時の室温36℃。
倹約と思ってエアコンの設定を30℃にしても涼しく感じられる。倹約の第一歩は猛暑から。
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ところで。
相変わらずスパムメールが増えるいっぽうでイライラムカムカ(そして時にはピンコ立ち)しております。
戦前の頃はスパムにも伝書鳩なんかが使われていたんだろうか。
「大尉殿、鳩が到着いたしました!」
「ふむ、何の伝言と?」
「50銭投資すればゼッタイ50円になって返ってくる…と書いてございます」
「またか…。今日だけでもう12通目じゃ」
「しかし大尉殿、こちらの伝書は英語ですが、なにやら無修正動画が5銭で見放題と…」
「なぬっ。は、早くよこせ!」
想像してみると、なかなか風情があっていいなと思う。だって鳩だし。
8月3日(日曜) 夜
宇治のほうをブラブラしていたら自衛隊の駐屯地を通りすがったんですが。
時節柄、自衛隊も「納涼盆踊り」を開催していたのだった。日本は平和なのだな、と痛感するひととき。
だが軍隊仕込みだけに、自衛官たちの繰り広げる盆踊りは非常に統制がとれたシャープなものに違いない。そしてその裏には、それこそ血のにじむような訓練があったのだろう。鬼軍曹による壮絶なシゴキ、「お国のための盆踊りをなんと心得るかっ!!」。あまりの辛酸に後を絶たない脱走兵。まさに恐怖と地獄の盆踊りである。
ひょっとしたら全員、歩兵銃を持って盆踊りしてるのかもしれない。一斉整列!! 銃構え!! ♪アーソレソレ〜!!
陽動作戦、という言葉がふと頭に浮かんだことだけ付記しておきます。アーソレソレ。
8月2日(土曜) 夜
最近、夜になると暴走族が河原町通りにやってくる。
4〜5人それぞれが改造原付にまたがり、ブオオォーンと轟音を立てながらノロノロと道路を往復し続けるのだ。そばを歩いていると耳が痛くなるし、少し離れたところにあるウチのアパートにも聞こえてくるほどである。
おまけに4〜5人で道路をふさぐ形でノロノロ走行して、後続の車にいやがらせをするからたちが悪い。その結果、彼らの後ろ100メートルくらいだけが交通渋滞状態になってしまう。心底迷惑な連中である。
ただそんな彼らも、シールド加工した黒ベンツなどが背後から近づいてきたときだけは素直に道を譲る。さすがにヤクザ相手にいやがらせする根性はないのだろう。
しかし昨夜の彼らは少し違った。なぜか黒い個人タクシーにも道を譲っていたんである。黒塗りというだけでどうやらヤクザと勘違いしてしまったらしい。タクシーに道を譲る暴走族。いいことだ。
道を譲られて当然のように暴走族を追い越していく黒タクシー。直後、それに気づいた彼らは、再び猛然とエンジン全開にして気炎を上げ始めたのだった。タクシーに道を譲ってしまったのがよほど悔しかったのだろう。
が、なにしろ彼らは改造原付である。普通の原付よりもスピードが犠牲にされているおかげで、いくらがんばってもタクシーに追いつけない。ただ轟音だけが空しく道路にこだまし続ける。
そもそも、暴走族なのに原付という時点で全てがダメだと思います。本気出せば軽自動車のほうが早いし。
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さて本日、某企業の連載コラムが更新されてます。
今回のテーマは「いまどきの京シブヤ」。京都のシブヤと称される(?)京都・山科区の様子を観察してみたレポートです。観光ガイド等にはあまり載ることのないスポットですが、行ってみたら本当に何もなくてびっくりしました。
よろしければ読んでくださると嬉しいです。
8月1日(金曜) 深夜
PL教団の花火大会に行った知人が、その様子を写メールで送ってきてくれた。
メール本文には「この写真で名倉さんにも美しさを楽しんでもらえたらと思います」と書かれていた。けっ、そんなに自分の幸せを見せびらかしたいのかよ。それってホントは幸せじゃないから、自己確認せずにはいられないだけじゃないのか。
…などと悪態つきながら添付画像を開いてみたら、こんな写真だったのでした。
羨ましさもすっかり吹っ飛びました。こんなもん全然見たくありません。
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お詫びとご報告です。
一年以上にわたって凍結していた「私の中のプチ狂気」コーナーを心機一転、更新しました。
多くの投稿をいただいていたにもかかわらず、忙しいからと自分に言い訳して更新をサボッてました。そのくせ休日は昼寝とかしてました。本当に申し訳ありません。
実はこのたび、二見書房さんのご助力により、「私の中のプチ狂気」が書籍化される運びとなったという次第なのです。
これを機にコーナーをリニューアルし、定期的に更新していこうと思います(レイアウト等は変わっていませんがちゃんとリニューアルしたつもりです)。原則として毎週金曜日に更新する予定です。
せっかくなのでおもしろい本にしたいと思っているので、皆さまの素敵なプチ狂気報告を広く募集したいと思います(とか言ってて一通も投稿が来ないかも、という恐怖にも脅えております。更新が再び滞ったらそうなのだと静かに嘲笑してください)。
よければ「お知らせ」の欄も併せてお読みいただければ幸いです。