2003年10月のプチ日記

10月30日(木曜) 深夜

 ダブルブランドの商品がレア物として高値になることがあるらしい。

 ブランドに疎いのでよく知らないのだが、「ビームスとナイキのダブルブランド」とか「ヴィヴィアンとスウォッチのダブルネーム」とかとか言われると確かになんとなく有り難い気がしてくる。入手しにくいものは価値が上がるの法則である。

 だったらこんなダブルネームはどうだろう。

 分野の違うブランドを並列することによって、両者の客層を集めることができるのではないか。

 「アクアスキュータム」+「PIKO」+「白水社」のトリプルネーム・テニスラケットなんか発売した日には、上流階級もヤンキーも文学好きもテニス愛好家も、みんなみんな買いに殺到して大もうけですな!! 違いますか!?

 

10月29日(水曜) 夜

 読者のかたから予想外のお言葉をいただいて困惑することが時折ある。

 たとえば今日はこんな一言を頂戴した。

> ちょっとエッチな内容もあるけど、これからも応援していますね!

 はい、嬉しいです。ちょっとエッチな佐川一政。

−−−

 というわけで今回は「ちょっとエッチな」内容です。

 先日男ばかりで飲んでたとき、F君が愉快な話をしてくれた。

 彼は学生時代、うまいことして女友達をホテルに連れ込んだことがあったんだと。で、それなりにいいムードになり、いざコトに及ぼうとした途端、相手の女性からビシッと言われてしまったらしい。「付き合ってないんだからダメ!」。

 もちろんF君の愚息はもう辛抱たまらない状態である。が、ここで無理強いして嫌われてしまっては元も子もない。…という葛藤の末、彼はものすごい妥協案を思いついたのだ。

 「当てるだけならいい?」

 先っぽだけというのはたまに聞くが、F君の場合は「当てるだけ」である。往生際の悪さも、ここまで極まればいっそ清々しい。そしてさらに驚くのは、相手の女性がそれを承諾したということ。ああ、真実は妄想よりも奇なり。

 こんなのがOKなら何だってアリではないのか。

 ちなみに上記のF君は、「当て」た後に入れようとしたら足蹴りをくらったそうです。ざまみろ。

 これを読んだ諸兄も、ガールハントなぞの際には是非ご活用ください。「ねえ、オレと当てない?」

 

10月28日(火曜) 深夜

 ぼくは酔うとウソを言う癖がある。

 先日ウチで友達と飲んでたときもそうだった。

 トイレと勘違いして浴室を開けた友人が「わっ! 汚ねー!」と声を上げた。入浴後の浴槽に湯を張ったまま数日間放置していたのだ。しまった、情けないところを見られてしまった。

 だが酔っていたぼくは、気がつけば口走っていたのだった。

 「だからそれはさァ、浴槽を保護するためなんだって!」

 半信半疑の眼差しを向ける友人に対して、ぼくはさらにウソを並べたてた。

 「プールは夏場も水を満たしてるでしょ? あれは塗装を保護するためなんだよ。空気は酸化を促進するからさ」

 真顔でここまで言うと向こうもさすがに信じたようで、「ふーん」と呟いたきりその話題は立ち消えとなったわけです。

 いったい何のためにそんなウソを!? と訝る向きもあるだろうが、もちろん目的はある。

 浴槽の湯を張ったまま放置する習慣を相手が真似して不潔になったら楽しいから。他人の不幸も塵と積もれば山となる。人生、普段からのこういう心がけが大切なんである。

 一円に笑うものは一円に泣く、という諺を常に大切にしております。

 

10月27日(月曜) 深夜

 錯視図形の一つに「ミュラー・リヤーの図」というのがある(下記参照)。

 平行している直線は上下とも同じ長さなのだが、両端に矢羽根をつけるとアラ不思議。その方向によって長さが全然違って見えるというわけである。有名な錯視なのでご存知のかたも多いことだろう。

 ぼくも初めて目にしたときはビックリしたものだったが、これだけすごい発見であるにもかかわらず、アイデアが日常生活に活用されているとはあまり思えない。せっかくなら、もっといろんなことに応用しなくては勿体ないのではあるまいか。

 そこで「実際よりも長く見えるほうがいいモノ」と考えてみたところ、真っ先に頭に浮かんだのが chinko である。

 世の殿方たちは現在に至るまで、chinko を大きく長くするために涙ぐましい努力を続けてきた。怪しげな飲み薬や吸引マシンの数々を見ればそれは明らかだろう。だがこれらは、経済的にも身体的にも負担を伴ううえ、効果のほうも不明瞭であった。

 このような chinko にこそ、ミュラー・リヤー錯視の恩恵が大きな福音となるにちがいない。

矢羽根のワンセットさえあれば、キミのマグナムはぐんと長く見えるんだ!! 
これさえあれば、怪しまれることなくモテモテBOYに大変身だ!!

 相手の女性が神経質だと、パンツを脱いだ途端に現れた矢羽根を見て、「何コレ?」と訝られる場合があるかもしれない。でも心配はご無用。「あ、なんか付いてる? べつに気にしなくていいよ」と優しくナビゲートすればOKである。

 あなたもワンセット3万円くらいでどうすか? いよいよウチも通販サイトになりそうな予感。

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 先週土曜の日記で書いた事柄(飲み会での話)について、当事者のかたから有り難すぎるコメントをいただきました。

 このページ2003/10/27)です。無断で一部引用させていただきます。

あとですね、N様がヂエームス君の名刺を見て、「いいお名前ですね」とさんざん絶賛なさったあと、あっさり読み方を間違えていらっしゃったのも、「またNさんったら嘘ばっかり」と思わせた理由の一つではないかと思います。はい。すみません。楽しかったです。ありがとうございました。

 読んでて顔から火が出そうになりました。泥酔していたので、名前をほめたこと、読み違えをしたこと等、一切記憶にないのです。こんな失礼な奴にはなにを言う資格もありますまい。

 読んでて自分でも噴き出してしまったことについては、反省してないと思われそうなので、ここに書くのはやめておきます。

 

10月26日(日曜) 深夜

 酢豚にパイナップルが入ってることへの拒否感をよく耳にする。

 ぼくは大学4回生の頃に酢豚のパイナップルを克服したので、こういう話を聞いても「まだまだケツが青いのう」と思うだけなのだが(我ながら寛容だ)、唯一の問題はサラダに入っているリンゴである。

 これだけは未だに馴染めない。果物(=デザート)を野菜(=おかず)と一緒にしようなどという発想そのものがケダモノ同然なのだ。ああおぞましい。リンゴ入りサラダは悪魔が考えた料理に違いない。奴らは毎日、こんな地獄の健康メニューを食べてやがるのか。

 …などと立腹している諸兄諸姉は多いことだろう。ぼく自身そうだったから気持ちはよく分かる。

 だが、大のオトナが悪魔の健康メニューごときに目くじら立ててるようではみっともない。おぞましさを感じてしまうのは仕方ないとしても、それをうまく受け入れ、折り合いをつけていくことこそが大切なんである。りんご入りサラダを目の前に出されても、何食わぬ顔してそれを平らげてこそ正しいオトナではあるまいか。

 そこで紹介したいのが、ぼくが小学生当時から行っていた秘策」である。

  1. 野菜とリンゴの渾沌状態になっているサラダが運ばれてくる。
  2. まずは野菜だけを食べ尽くす。
  3. 残ったリンゴを口に運び、表面のドレッシングを慎重に舐めとる(ここまではおかず)。
  4. するとなんということでしょう、リンゴがデザートに豹変しているのです!
  5. 液体が除去されデザートとなったリンゴを悠々と楽しむ。悪魔の一品が「サラダ」と「デザート」という二品に。

 すっかり嬉しくなって友達数人に電話して報告したところ、全員から「そんなのオレもやってたよ」と言われてしまいました。死ね。

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 さて、ちょっと遅れましたがプチ狂気コーナー更新いたしました。他人のちょっとした狂気っていいものですね。

 中には「偶然が重なったエピソード」を投稿してくださったかたもおられましたが、面白くてもコーナーの趣旨と違うので掲載は見送らせていただきました。すみません。こういう貴重な偶然体験は『マグノリア』みたいな映画製作とかに昇華なさるのがいいんじゃないかと思います。

 個人的には人生、全く偶然に遭遇しないほうがすごいと思ってるんですが。

 あと、ぼくのことに言及した投稿も不掲載とさせてもらってます。身勝手ですがご了承ください(コメントは自由です)。

 

10月25日(土曜) 夜

 昨夜は素晴らしい方々によるイベントを観るために大阪まで行ってました。

 本当に楽しいひと時だったんですが、どういう内容だったかはここに書くことができません。もし書いてしまったら、誰かに追われてひどい目(再起不能になる等)に遭いそうだから。もしそうならなくても、迫害妄想にとりつかれるのは確実なのです。

 非常に残念ですが仕方ない。

 ちなみにイベントの後、出演者の方々との飲み会に出席させてもらった。

 それはとても嬉しかったのだが、ぼくが出演者の方を褒めると決まって嫌がられるのでひしゃげた。「やめてくださいよもう!」とか「とりあえずなんでも褒めるんでしょ!」とか、それはもう地獄のような嫌がりかたをなさるんである。ぼくは素直に言ってるのにどうしてなのだ!?

 …と訝っていたのだが、いま思うと理由は単純なことだったのだろう。自分の芸が森脇健児とかに絶賛されたときの気分というか。そりゃあ嫌がられるはずだ。

 ぼくが褒めていいのは自分だけなのだ。よおし最高だぞオレ! 素敵だねオレ! センスあるぜオレ!

 ああいつの日か、他人を褒めれる人間になりたい。自分以外を褒めれる人間になりたい。なりたいよう。

 ぼくの現実検討識は被害的な認知によってかろうじて支えられております。

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 さて、毎週金曜日に更新しているプチ狂気コーナーですが。

 昨夜ほとんど寝てなくてしんどいので、更新は明日にさせてください。すみません。

 

10月23日(木曜) 深夜

 同僚Sさんはウンコするとき、トイレに本か雑誌を持って入らないと気がすまないそうだ。

 だからどんなに切羽詰まっていても、トイレに駆け込む前には必ず書籍を手に取ってしまうんだと。結果的に10秒くらいでブツが出てしまい、文章など数文字しか読めないことも多々あるらしいが、それでも本は手に取ってしまう。

 トイレで本を読む習慣のないぼくには理解に苦しむが、ここまでくるとほとんど強迫症状なのではないか。

 …と当人に提言したところ、思わぬ反撃が返ってきた。

 「でも名倉さんだって、歯をみがくときになると何か用事してしまうって言ってたじゃないですか!」

 ぐっ。確かにその通りである。

 ぼくは歯をみがき始めると急に時間がもったいなくなり、洗面台を掃除したり洗濯物を取り込んだりしてしまうのだ。一度などは勢いあまって冷蔵庫の整理を始めてしまい、気がつけば歯ブラシを口に突っ込んだまま両手で残飯整理にいそしんでいたことさえある。

 それまでは布団の上でゴロゴロしてたくせに。「いったい何やってんだオレは!?」と愕然とする一瞬である。

 ただ、言い訳させてもらうなら、これにはちゃんと理由がある。

 ゴロゴロしてるときは「ゴロゴロするぞー!」という心意気で場に臨んでいるからまだ大丈夫なのだが、歯みがきタイムには心の準備がないだけに、空白の時間を持て余してしまう。するとどうなるかというと、「人生の意味」やら「将来への不安」やらといったよからぬ雑念が頭に渦巻いてクタクタになってしまう。

 これを避けるために、無意識のうちに何かの用事に打ち込んでいるように思うのだ。

 ぼくがトイレで本を読まずに済んでいるのはきっと、排便中はウンコに全神経を集中させているからなのだろう。だから余計なことは考えないし、何かの用事をしてしまうこともない。ウンコの神様は我にご加護をくださっていたのだ!

 もしそうでなかったら排便中に冷蔵庫掃除を始めていたかもしれない。想像するだけで恐ろしい。

 

10月22日(水曜) 夜

 ようやく風邪が治りました。これでまた不規則な生活ができるのかと思うとたまらなく嬉しい。

 とりあえずタバコ吸って酒飲みながら夜更かしすることに決定。

 がんばって風邪と闘った自分へのごほうびである。

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 同僚たちと喋っていたら案の定、うまい棒の話になった。

 …などとぼくが書くと誤解されるかもしれないが、あの「うまい棒」ではなく、リアルな「うまい棒」のことである。…ますます誤解を生みそうだけど、ようするに10円で売ってるお菓子のことだ(余計なこと書くんじゃなかったか)。

 それはさておき。話題は自然と、「今いちばん売れてるうまい棒は何味か?」についての議論となったわけです。

 「やっぱりチーズ味でしょ」
 「いや、めんたい味だって。チーズ味のってカールみたいで好きじゃないなァ」
 「えーっ! コーンポタージュに決まってるじゃない!」
 「うーん、タコヤキ味だと思うけどなァ」

 しばらくして気がついたのだが、ぼくらは誰一人として、何が一番売れてるかの事実を知らないのだった。なのにこの妙な自信は一体なんなのだ!?

 各人とも、自分が一番好きなうまい棒が一番の売れ筋だと頭から思い込んでいたのだった。己の味覚に対する揺るぎなき確信。

 味覚っていってもうまい棒なんだけどさ。

 

10月21日(火曜) 夜

 そういや仮病で休むといえば。

 学生時代、友人と遊ぶ予定が急に入ったために飲食店のバイトをさぼったことがある。理由はもちろん仮病である。

 ただ、すこぶる元気なのに仮病を使うのはどうも気が引ける。気が引けていては、「来てくれなきゃどうしようもないんだよ…」などと泣きつかれたとき心が揺らいでしまうかもしれない。そこで一計を案じ、ぼくに代わって友人に電話してもらったのだった。

 「あのー、名倉の兄ですけど。うちの名倉、実は熱を出して寝込んでまして。で、今日はお休みしたいとのことです」
 「ちょっと起きれない状態なので、代わりに電話してほしいと頼まれまして」

 その時はうまくいったとほくそえんでいたのだが、翌日になって気がついた。あまりにも不自然なんである。

 おまけに面接時に持参した履歴書には、ぼくの兄弟は妹しかいないことが明記してあったのでした。ああ、どでかいことやらかしてもうたがな!! …と青ざめるも後の祭り。

 ちなみにその後、一ヶ月ほどしてバイトはやめました。 今ふりかえると罪悪感は全然ありませんが。

−−−

 ついでに告白すると、「交通事故で死んだ友人の葬式があるから」というウソでバイトをさぼったこともあった。

 ただし言い訳すると、その半月ほど前、実際に高校時代の友人が交通事故で他界していたんである。それで咄嗟に思いついたウソが「友人の葬式」だったという次第でありまして。

 って、全然言い訳になってませんか。すいません。

 天国にいる荒城くん、あのときは本当にありがとう!! …いつかバチが当たると自分でも思います。やっほい。

 

10月20日(月曜) 夜

 風邪でしんどいのに出社してました。

 こういうときに仕事を休めない自分にいろんな限界を感じる昨今。

 それはさておき、風邪という病は仕事を休む理由としての実力に欠けるように思う。朝起きて職場に電話を入れ、上司に取り次いでもらった末に述べる口実としてどうも弱すぎるのだ。

「はい、○○課の××(上司)ですが」
「おはようございます。名倉です。実は今日、ちょっと休ませていただきたいんですけど…」
「えっ、どうしたんだね!?」
「実は…風邪でしんどくって…」

 この「たいしたことない感」は一体なんだ。まるで仮病でサボッてるみたいではないか。

 今までの人生を振り返ってみても、本当に仮病で仕事をサボるときの口実は決して「風邪」ではなかった。「風邪」という口実があまりにも仮病っぽいものだから、無意識のうちに別の理由を口にしていたのだろう。それは例えば「急に高熱が出て」であったり「すごい腹痛で起きれなくて」だったりしたわけだが、少なくとも「風邪でしんどくて」ではなかった気がする。

 仮病にすら軽んじられる「風邪」という病。このような病に冒された者に残された唯一の道は、這うようにして職場に出向き、これ見よがしに咳をして洟をかみして、「みんなからの同情」というささやかな楽しみを味わうのみである。

 でもこう考えると、仮病の口実に風邪を用いるのは逆に新鮮で有効かもしれない。いかにも仮病っぽくて誰も使わなかったからこそ、かえって信憑性が出てくるかもしれない。電話口で「もう風邪でどうじようもないんでずぅ。ズビズバッ…」などと上手に演れば、これはこれで結構いけそうではないか。

 よっしゃ、これやがな! 

 いざとなると緊張してトチりそうなので、今のうちに十分練習しておこう。 ううー、ズビズバッ、もうダメですゥ、ガクッ…。

 

10月19日(日曜) 夜

 風邪をこじらせて寝込んでおります。

 みんなに「よく風邪ひくよねえ」と言われるが、確かに月に一度くらいの割合でひいている気がする。一度ひくと3〜4日は続くから、人生の1割以上は風邪で過ごしていることになる。

 おまけに風邪をひくのは週末が多い。こうなるともはや、人生の大半を風邪でつぶしているといっても過言ではない。ああ、もったいない。

 ただ、風邪が治ったときには、病気に打ち勝った充実感があるのも事実。心地よくフラフラする病みあがり感の中、一抹のガッツポーズを握りしめている自分がいるんである。

 こう考えるとぼくの人生は、風邪のおかげでむしろ充実しているのかもしれない。どうせ週末ゴロゴロしてるのだったら、ウイルスと闘っているほうがまだ「何かやってる」ことになる。いわばスポーツの一種、真の意味での格闘技だろうか。

 「名倉さんって週末どうやって過ごしてんの?」などと職場で訊かれることがあるが、これからは胸を張って答えようと思う。

 「シェイプアップも兼ねて相棒と汗を流すことが多いっすねー。ときには血が出ることもありますけど」

 

10月17日(金曜) 夜

 本日の牛乳です。

 生乳100%なのはいいのだが、「酪農家の顔が見える生乳」を使用というのが逆になんとなく気持ち悪い。いやまァ、「生産者が特定できる牛乳」という意味なのだろうけど、連想されるイメージは「牛乳の中にうっすら浮かぶ酪農家の顔」。

 さしずめ心霊牛乳である。

 こう見ると、「120℃2秒間殺菌」の文字も霊除けのように思えてきますな。加熱処理で消滅するとはショボい心霊だけど。

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 さて、金曜日なのでプチ狂気コーナー更新しました。

 皆さまの空想力(というか妄想力)には感服しきりです。ひょっとするとぼくは、どちらかというとマトモな人間なのでしょうか。

 引き続き、愉快な狂気をお待ちしています。

 

10月16日(木曜) 夜

 読者のかたから「ここ数日パンツのことばかり書いてますね」とのご指摘をいただいた。

 読み返してみると確かにその通りである。自分でも薄々気づいてはいたのだが、まあバレないだろうと思っていたのが甘かった。事実をあまり客観的に指摘されるとさすがに落ち込む。ああ、オレは「パンツのことばかり書いてる人」なのか。

 今ぼくが連続強盗殺人事件とか起こしたら、次のような報道をされてしまうんだろうか。

「連続強盗殺人の容疑で逮捕された名倉容疑者はどんな人物なのか? …本日、新たな事実が分かりました。容疑者は前日まで、Web上の日記で主にパンツのことを書いていた模様です」

「そうですか…。パンツのことを書いていたト。えー、具体的にはどういった内容なのでしょうか?」

「要約しますと、盗撮の捜査員になりたい旨、スカートめくりに対する拘泥、さらにはパンツ見たさに虫の一種になりたい旨などが記されています」

「名倉容疑者の人物像を探るひとつの手がかりとなりそうですね」

「なお犯行前夜、彼のサイトにはこのような画像がアップされていました(マンナンライフ広告のアップ)」

「あー、こりゃあ中がよく見えませんねえ」

「そうです。このことと犯行との関連性については犯罪心理学者チームが解析を急いでいるところです」

 イヤだイヤだ。こんな報道を流されるのだけは御免である。凶悪犯罪抑止力としてのパンツ日記。犯罪予備群の再犯を防ぐには、パンツに関する日記を公開させるのがいいかもしれない。

 そして気がつけば、今日もパンツのことを書いている。 あうー。

 

10月15日(水曜) 深夜

 自宅パソコンのハードディスクを整理していたら、こんな画像ファイルが出てきた。

 マンナンライフ「蒟蒻畑」の広告であります(クリックすると別ウインドウで大きな画像が出ます。オリジナルURLはこちら)。

 少し前に読者の方から「こんなのありますよ!」と教えていただき、「うわーいいなァ!」とローカルに保存したのを覚えている。こうして改めて見ても、当時の興奮がまざまざとよみがえってくる。イイネイイネ!! 

 ただ惜しむらくは、肝心の部分が陰になって今ひとつ判然としないこと。アングルはチリバツなのに、これじゃあ生殺しじゃないですか!! 

 おかげでフォトショップで開いて画像を明るくしてみたり、局部を拡大してみたりと、非常に情けないことをやってしまいましたよまったく。アドビの開発陣も、自分たちの製品がこんな用途に使われてると知ったらさぞかしガッカリするだろう。

 おまけにそれでも見えないし。しょせんは画像、やはり現物でなくちゃダメなのか。しかしこのアングル、どうすれば見れるんだろう。地を這う虫になればいいのか。 

 ああ、私はグレゴールザムザになりたい。

 

10月14日(火曜) 深夜

 同じ行為でも年齢によって意味が大きく変わってくる。

 その最たる例が「スカートめくり」ではないかと思う。

 小学生時代、スカートめくりは割と気軽に行われていた。高学年になると「直接めくる」ことはさすがになくなったが、それでも「下敷きを扇いでめくる」などの行為は横行していた。女子のほうも警戒してブルマーを着用していることが多く、それなりの均衡状態が男女間に生まれていたのだった。

 だが、同じ行為をオトナがやったらどうか。男性社員がみんなの前で女性社員のスカートをめくったりしたら、大騒ぎになるのは自明である。いくら下敷きで扇いだって同じことだろう。OLがあらかじめブルマーを着用しているとも考えにくい。

 思い返せば小学生時代は、こういう「将来的に価値が急騰する行為」のカタログだった。

 そしてこれらの行為が全て、「もうエッチ!」の一言で済んでいたのだった。正にセクハラ天国。

 ぼくの頭脳だけはそのままで、周りの全員が小学生の精神年齢になればいいのになァ、とたまに思う昨今であります(オレがのび太くんなら、こういう道具をドラえもんにお願いするところだよまったく)。

 …ぼくの精神年齢だけが小学生のままだという気もするんですが。世の中うまくいかない。うえーん、ドラえもーん!!

 

10月13日(月曜) 夜

 たまたま通りすがった女子トイレで見かけた貼り紙。

  「痴漢は犯罪です」。女性使用者に向けてのアナウンスとは考えにくいから、侵入を試みる男性に対する通告なのだろう。

 でもこんなこと、言われなくたってみんな分かってるんじゃないか。それとも中には、「だって触ってないじゃないですか!」「女子トイレに潜んで盗撮するだけなら大丈夫と思ってました」なんて輩がいたんだろうか。

 ちなみに広辞苑によれば、「痴漢」の第一義は「おろかな男」「ばかもの」とのことだそうで。仕事で部下がミスしたときなどは「この痴漢がっ!」と叱ってみるのもまた一興かもしれませんね。

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 ところで盗撮といえば、隠し撮り犯を捕まえるドキュメンタリー番組をよく見かけるわけですが。

  1. エスカレータに立っている女性のうしろ姿
  2. その背後にぴったりくっついた不審な男性
  3. 捜査員が彼のカバンを調べると仕込みビデオカメラが
  4. テープには下着のアップ画像が記録されていて
  5. 捜査員は被害者女性に確認「これアナタの下着ですよね?」「はいそうです…」
  6. 「よし逮捕!」

  「これアナタの下着ですよね?」と画像を見せられる女性はいったいどんな気持ちなのだろう。

 そしてぼくがいつも思うのは、どうにかして盗撮犯の捜査員になりたいということ。もしなれたあかつきには物凄い勢いでがんばる自信がある。そこらの捜査員とは逮捕にかける意気込みが違うんだよ!!

 もちろん痴漢撲滅のためであります。

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 さて、しばらくお休みしていたプチ狂気コーナー、こっそり復活しました。

 楽しく素敵な投稿をひっそりお待ちしております。

 

10月12日(日曜) 夜

 ちまたで言われ尽くされてるコトとは思いますが。

 「素人料理」と銘打った小料理屋をよく見かける。こんなことを堂々と売りにする神経は素直に感服する。きっと「人情あふれる」店であることをアピールしたいのだと思うが、だったら他のビジネスにも積極的に取り入れてはどうか。

 ちなみに「料理屋の経営は調理師免許がいる」というのは建前の話で、実際には店員の誰も免許を持ってない場合が巷にあふれている(いくつかの飲食店でバイトした経験より。調理師免許の名義貸しが横行していた)。だから「素人料理」というのは、本当にシャレになってないのもまた事実でありまして。

 メニューには「みそ汁かけごはん」とか「レンジで温めただけのソーセージ」とかが並んでいるんだろうか。

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 中学以来の友人T君(出版社勤務)が一冊の本を送ってきた。

 『ピントがボケる音』(安田謙一・著、国書刊行会・刊)。なんでも、自分が企画して世に出た初めての本だそうで。

  「タイニー・ティムからクレイジーケンバンドまで!」との帯コピーの通り、ポップスからハードロック、モンドミュージックまで、膨大な情報量の音楽コラムが収録されている傑作です。知らない間にこんなすごい本作られて悔しい。

 コラムの内容もすこぶる楽しい。

 たとえば「反重力バンド=ジョニー」(宙吊りで天地逆になって演奏するロックバンド)についてはこんな文章。

まず頭に浮かんだのは、「罰ゲームだ」。『ハングマン』で、「今までの悪事を償うため、公衆の面前で逆さ吊りになってロックを演奏するのだ」とか言われて稲川淳二がやらされるような。

 ほかにも、観客動員数が落ち続けるクイーンの名が情報誌にグイーンと誤植されたときの話や、「僕のまわりでは『皿の洗い方がなってない』と評判悪かった(宇多田ヒカルの)PVの『光』〜」なんて解説、かと思えば「ロックを馬鹿にする人はロックから馬鹿にされる」といった呟きなどなど、ぐーとくるところが多い本であります。

 今から続きを読みます。

 

10月10日(金曜) 夜

 会社帰りに見かけた古紙回収車。

 健康★一番。 ★一番紙料。

 どうして星マークなんでしょうねえ。どうして健康なんでしょうかねえ。

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 ところで、男女の別れの際、「友達同士に戻りたいの」というセリフがたまに使われる。

 ぼくも過去に言われた経験があるが、友達同士に戻ったためしなどないと言っていい。だったらもう少し表現を変えたほうがいいんではなかろうか。

 …でも、最後のセリフの関係もちょっと想像しにくいですな。

 いままで無料だったものを有料化するのが難しいのは、何事も同じってことでしょうか。

 

10月9日(木曜) 夜

 職場ではいつも、顧客を個人別にクリアファイルで管理している。

 長期にわたる契約の場合は同じファイルに書類を重ねていけばいいのだが、中には一回限りで契約が終了する場合も多々ある。こういう顧客まで冊子として残してるとキリがないから、主な情報だけパソコンに入れて、余ったクリアファイルは別の顧客のために再利用しているわけであります。

 ところで各ファイルは、顧客の名前(名字だけ)をプリントした紙片を表紙上部にはさんで管理している。するとどうなるかというと、一回限りで契約が終了した顧客の「名字紙片」がどんどん余ってくる。

 ぼくはこれがもったいなくて、どうも捨てられないんである。だって、今後もしかしたら、同じ名字の顧客が出現するかもしれないじゃないですか。

 そして気がつけば、ぼくの机の中は名字がプリントされた紙片であふれている。「斉藤」に「中村」、「藤田」、「大井」……。数えてみたら百枚近くにまでなっていた。

 ちょっとしたコレクションである。おまけに単なるコレクションではなく、実際に役立つというのがまた嬉しい。ふふふ、この調子で増えていけばいつしか、どんな名字の顧客が来ても即座にファイルを作ることができるのだ。時間にして約1分30秒の倹約!

 …と一人でほくそ笑んでいる毎日なのですが。

 今まで何年も勤務しているのに、この紙片ストックが日の目を見たのはたった一回だけ。どういうことなんだ!? 「斉藤」に「中村」、もっともっと全国にウジャウジャいるはずだろう? なのにどうして、山本や菅野なんて輩が来るんだよ!?

 おまけに先日などは、「尾根坂」という変わった名前の顧客が久しぶりに再訪してきたことがあったのだが、このときはストックの紙片がなかった。「尾根坂」なんて奴はさすがに今後現れないだろうと思って、ついつい捨ててしまっていたのだ。ああ、なにやってんだオレ。

 しかたない。このコレクションは、ぼくが別の部署に移ることになったら後輩にプレゼントすることにしよう。即刻処分されそうだが。

 

10月8日(水曜) 深夜

 強迫性障害についての本を読んでいる。おもしろい(ぼくも多少こういう気があるので)。

 強迫性障害というのは神経症の一種で、強迫行為のせいで日常生活が破綻してしまう人たちのことを指す。たとえば不潔恐怖の人だと、一日に何百回も消毒液で手洗いしないと気がすまないので、手の皮膚が全部ただれ落ちてもまだ洗おうとするんだとか。

 ほかにも次のような事例が紹介されていた。

 小心さもここまでくれば豪快であるが、本人にとっては壮絶な苦痛だから何らかの治療が必要となる。

 で、治療には薬物療法と心理療法が併用される場合が多く、後者の代表的なものに「暴露−反応妨害法」があるらしい。これはどういうのかと言うと、要するに「嫌なものに無理やり触れさせて慣れさせる」という荒療法である。

 たとえばトイレに対して不潔恐怖がある人には便器を直接さわらせる。もちろん本人は半狂乱になるが、それでも半強制的にさわり続けさせる。…というのを何度もを繰り返すうちに、だんだん慣れてくるというわけである(そういや以前、ダンゴムシが恐くて仕方ないという視聴者に大量のダンゴムシを頭から浴びせたら恐怖症が治ったというのを「探偵ナイトスクープ」で放映していた。これなども「暴露−反応妨害法」に相当するのだろう)。

 …とまァ、ずいぶんと長い前フリになってしまいましたが。

 ぼくが言いたかったのは、強迫性障害や恐怖症で受診すれば、いろいろ素敵な荒療法を受けることができそうだということ。

 そしてお待ちかねの「暴露−反応妨害法」である。ベッドに横たわるは若くてきれいな女医(もしくはナース)。そして治療ハードに進められ…。「さあ、さわって! さわるの!!」「次は陰茎を私のマンコに入れなさい! 勇気をだして!」「耐えるのよ! 耐えて! バイブにもチャレンジして!!」。ああ、小生の愚息はもう半狂乱でやんす! ぐ、ぐるじいー。まんじゅうこわいー。

 でもよく考えたら、肛門にバイブを入れられなかったところで、生活に支障などきたしませんね。ぽいーん。

 

10月7日(火曜) 深夜

 数学の世界には、「なぜならば」を「∵」、「したがって(ゆえに)」を「∴」という記号で略す風習がある。

 ずいぶん野放図な略し方だが、少ない文字数で多くの情報量を伝達できる点では優れたアイデアである。「文章の無駄をそぎ落とした」名文で知られる小説なども、こうした数学界の手法をもっと積極的に取り入れるべきだったかもしれない。

 こうして見ると、たとえば三島由紀夫の代表作『金閣寺』にも改良の余地はたくさんある。以下、改良したうえでの抜粋。

この発見は、決して愛されないという確信の持っていた平安を、内側から崩してしまった。∵、そのとき、俺には不真面目な喜びが生まれていて、欲望により、その欲望の遂行によって、愛の不可能性を実証しようとしていたのだが、肉体がこれを裏切り、俺が精神でやろうとしていたことを、肉体が演じてしまったからだ。

運命というものに、われわれは突如としてぶつかるのではない。のちに死刑になるべき男は、日頃ゆく道筋の電柱や踏み切りにも、たえず刑架の幻をえがいて、その幻に親しんでいる筈だ。∴又私の体験には、積み重ねというものがなかった。

 いや、現状に甘んじているばかりではいけない。

 論文や論説の世界にも、「携帯式電話機(以下『携帯』と略す)」などとはじめに断っておけば独自の略字を用いてもいいというルールがある。だからボーイング社が「ボ社」、ポラロイド社が「ポ社」などと略されて情けないことになっているのだが、それはまァさておき。

 こういうときこそ「∵」や「∴」を用いて、効率のよい文章表現を心がけるべきではあるまいか。

 …と思って法令改正の一覧を調べてみたら、たとえばこんなのがあった。

「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」

 すごい文章であるが、これなどもあらかじめ断っておけば「∴」の一文字で済んでしまう。いいことである。

 また普段のメールでも、照れくさかったりして書くのがはばかられる文章は、あらかじめ略しておくといいだろう。ラブレターの場合なら、まず「貴女を心から愛しています(以下『∵』と略す)」と断ったうえで、思う存分書けばいいのだ。これなら照れくささも半減である。

これだけはどうか信じてください。∵、∵、∵、∵、∵!
最後にもう一度だけ言わせてください。∵…。

 いくら簡潔な文章でも、そもそも内容がダメだとどうしようもないですな。ポクポク。

 

10月6日(月曜) 深夜

 『○○の楽しみ』といった類のハウツー本を本屋でよく見かける。

 これはたとえば『盆栽の楽しみ』であったり『果実酒の楽しみ』だったりするわけだが、ジャンルが細分化されているだけに、万人に親しまれる著書とはとうてい思えない。売り上げ部数を伸ばすためには、テーマをもう少しポピュラーにしたほうがいいのではないか。

 そこで提案したい。『子作りの楽しみ』という本はどうだろう。

 子どもを作ることは、多くの人にとって大きな楽しみであると推察される。「子宝」という言葉もあるように子どもは親にとって宝のような存在であるらしいし、我が子の成長がなによりの生きがいという人は実際たくさん周りにいる。配偶者や恋人とのファックを楽しみにしている人も多いだろう。パートナーがいない場合でも、他人の子作りの様子をビデオ等で見るのが大好きという諸兄は無数にいそうである。

 子作りは多くの人にとって興味あるジャンルなのだ。となれば、子作りからその後までのハウツーを扱った本を出せば、多くの人が手にとってくれるのではないだろうか。

 人生経験の浅いぼくには具体的な内容を提示できないが、著書の目次はおおよそ次のような具合になるだろうか。

第一章: 子作りのための準備編
 1.相手を見つけるためには〜
   ・恋人を見つける場合
   ・お見合いをする場合
   ・金銭で解決する場合

 2.子作りへの導入
   ・二人だけに状況に持ち込む
   ・ムードを作る
   ・柔らかい敷物   

第二章: 子作りのための実践編
 1.前戯について
  ・脱衣させる方法(ブラジャーの外しかたやブリーフのずらしかた)
  ・潤滑状態もしくは屹立状態へとお互いを高めるための具体的方法
  ・補助アイテム(添え木やローションなど) 

 2.コイスツ(接合)の方法
  ・正しい入れかた、体位(ヘリコプターや大花火など)
  ・合意のない場合の子作り(ゴムに穴を開けておく等の具体策)
  ・ピストン運動に関する豆知識

 3.コイスツを行わない子作り
  ・人工授精を受けるためには
  ・体外受精についてのイロハニホヘト
  ・里親になるという選択

第三章: 受精後の過ごしかた
 1.流産を防ぐために
  ・食事や運動について
  ・定期検診のすすめ
  ・精神面のケア

 2.分娩に際して〜
  ・信頼できる医療機関を
  ・自分だけでの出産
  ・ピンチに陥った場合の対処法

第四章: 出産その後と育児、進学など
 1.適切な授乳のために
   ・…以下略

 ええと、今回の文章はべつに「セックスと生殖の乖離」とかそういう風刺のつもりでは断じてないので、あしからずご了承いただけると幸いです。

 

10月5日(日曜) 深夜

 休日なのに研修会に参加してました。我ながらえらい。

 昼休みにはランチョンセミナーが開催された(参加者に弁当が配られ、昼食をつつきながら偉い先生の講演を聴くというもの)。

 それはいいのだが、ぼくの近くに座っていた参加者(若いOL風)が大変なことになっていた。…と書くと大げさだが、その人は弁当を食べ始めたとたん、割り箸を片方だけ床に落としてしまったのだ。ありゃー。

 割り箸は人数分しか用意されていないし、セミナーの途中なので退出して洗いにいくわけにもいかない。本人もこの事実にすぐ気づいたようで、落ちた箸を手にしたまましばらく呆然と固まっておられたわけですが。

 一体どうするんだろうと思って観察していたら、残り一本の箸を使って再び食べ始めたので驚いた。

 唐揚げはそのまま突き刺してパクッ、煮豆は一本の箸でかき寄せてズルズルッ。ごはんはかなり辛そうだったが、これも小さく切り分けてヒョイッ。要するに巨大な爪楊枝の要領である。わー、なかなか上手じゃないですか!

 でも。

 「黙々と一本箸で弁当を食べながら偉い先生のセミナーを聴いてるOL風女性」

 ふと周囲を見ると、みんな彼女のほうを見て笑いをかみ殺してました。この世もまだ捨てたもんじゃない。

 

10月4日(土曜) 夜

 街の民家に貼ってあったポスターです(画像デカくてすみません)。

 「困っています。車が当って家の中がガタガタになつています 皆様方 知恵を貸してください ご協力お願いします」 

 一体どういう意図でこんなものを作ったのか理解できず、一日中ずっと苦しんでおります。困ってるのはこっちだ。

−−−

 出張先や旅先で電車を利用することがある。

 そういうとき、見知らぬ駅のホームに降り立った後、とりあえず進行方向にしばらく歩いている自分に気づく。降車駅の階段がどの位置にあるかなど皆目知らないくせに、気がつけば歩いているんである。

 いくら歩いたところで、得するか損するかはそのときの運次第。なのに歩いてしまう。

 魚が流れと反対に泳いでしまうようなものか。魚人生。

 

10月2日(木曜) 夜

 昨日、至急提出しなければならない職場の書類を自宅に忘れてしまった。

 そこで忘れないようにと思い、その場で手の甲に「レポート!」とメモ書きしておいたわけですが。

 本日出勤したら同僚から指摘された。「手の甲のメモ書き、そのまま残ってますよ」。

 しまった! 昨日風呂に入ってないことがバレてしまった。

−−−

 そして本日見かけた標語です。

 仲間がいない人はどうなるんでしょうか。大丈夫じゃないからやはり死んだほうがいいでしょうか。というか本当にさみしい人は、仲間などいないからそうなんではないでしょうか。

 …いやまァ、確かにそうなんだけどさ。

 

10月1日(水曜) 深夜

 調理用のラップが突然なくなって慌てることが最近よくある。

 たとえばご飯を炊いたとき。いつも3合くらいまとめて炊いて、残りは一食分ずつラップして保存しているのだが、途中でラップがなくなると大変なことになる。長さ数センチのラップでご飯を包めるわけがない(実際やってみたことがあるから確かである)。

 やむなく1.5合ぶんくらいドバーッと喰い、残りは冷飯として翌日に回すはめになる。だが連日1.5合のご飯を喰うのはかなりつらいし、おまけに急速冷凍じゃない冷飯は味がグッと落ちる。たかがラップ切れのせいでこんな惨めな生活に陥ってしまう事実に、いっそう情けない気分が募ってくる。

 以前はラップがなくなることなどあまりなかったのに、最近よく悩まされるのはどういうことだろう。さては変な霊でも憑いてしまったのか。いちど御祓いしてもらったほうがいいんだろうか。

 …などと考えているうちに原因が分かった。何回かラップを買ううちに値段の相場が漠然と分かってきて、安く売られているときに購入するようになったのはいいのだが、そのくせロールの長さにいろんなバージョンがあることに今まで気付いていなかったのだ。

 だから結局、買うのは15mとか20mとかの短いラップばかりになる。「お、これは安い!」と喜んで買い求めていたのは、ただ単に「短いラップ」というだけなのだった。これじゃあすぐになくなるのも無理はない。そのせいでしょちゅう大変なことになっているようでは浅はかとしか言いようがない。

 というか、ぼくの人生における「大変なこと」はこの程度なのかと改めて実感しております。本当に大変なのだが。

 


   2003年9月のプチ日記 

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