8月31日(火曜) 深夜
オリンピックの男子マラソンで、トップを入っていた選手が妨害されたニュース。
動機はよく分からないけれど、結局のところまァ、「悪役でもいいから目立ちたい」という気持ちだったのではないか。意味不明のことを喋ってるという話も聞くが、なにを喋ってるかにかかわらず、いずれにしても「ちょっとおかしい人」であることに違いはない。
本当に純粋に妨害したいのなら、選手が通り過ぎる瞬間、こっそり一酸化炭素なんかをスプレーすればすむ話だろう。
ただ、どうせ悪役になるなら、トップを走る選手ではなく、最後尾にいる選手を妨害すればよかったのにと思う。ただでさえベベタコで精神的に参っているところに、妨害をくわえてさらに追い打ちをかける。こういう「弱いものイジメ」こそが真の悪役である。強い選手の邪魔をするなんて、考えようによっちゃあ正義みたいじゃないか。
最後尾を走ってるのに妨害されて、わけが分からずポカーンとする選手。個人的にはこういうのを見てみたかった。
そしてけっきょく最下位に終わったその選手、スポーツマンシップのメダルをもらって一言述べるのだ。
「妨害がなかったら上位にランクインできていたかもしれない。でもその確証はない」
ぼくの人生にもなにか妨害が入ったらいいのにな…とふと思った一件であります。
…こういうセコい輩はミュンヒハウゼン症候群にでもなっとけ、ですね。己の血管にウンコでも注射して悲劇の難病患者を演じるか。
「この病気がなかったら夢をかなえられていたかもしれない。でもその確証はない」 パチパチパチ!!(盛大な拍手)
−−−
ところで、妨害が外的要因だと同情されるのに、内的要因だと相手にされないのはどうしてだろう。
「ぼくに美貌と才能さえあったら、プロのモデルになっていたかもしれないのに」 …はァ!?
本人のせいじゃないのは同じなんだけどなあ。
元からダメなヤツは分相応に暮らしてろ、ということのようです。はい。
これがイヤだからみんな、外部のせいにしたがるのかもしれませんな。「この病気さえなかったら…」
病気がなかったらアンタ、もっと救いようがなくなってるかもよ。
8月30日(月曜) 深夜
あと一日で子どもたちの夏休みも終わりか。ざまあみろ。
ところで夏休みといえば、課題工作がつきものだった。ぼくが小学生の頃に作ったモノを思い出してみると…
3つめの「貯金箱」は、硬貨が分類されるという点で一見すごそうだが、なんてことはない。1円、5円、10円、50円、100円という5種類の穴がそれぞれ別の箱につながっていて、貯金するときに正しく入れるという仕組み。そりゃあ正しく分類されて当たり前である(ちなみに500円玉はあまり縁がなかったので省略した)。
でも完成すると嬉しいので、ぼくはなけなしの小遣いを貯金しまくった。十円玉しか持っていないときは親に頼んで5円と1円に両替してもらい、分類して貯金するのである。おお、どんどん貯まっていくぞ!(そういえばとっておきの千円札もすべて小銭に替えてもらった)。
でも夏休みも終盤になると、貯金する小銭が底をついた。というか、小遣いがまったく手元にないので駄菓子すら買えない。貯金箱というより、ただ単に小遣いを箱に入れていただけの話だから、当然といえばその通りである。
そしてある日、ついに駄菓子の誘惑に負けて貯金箱を壊したのでした。で、100円玉、50円玉、10円玉それぞれ数枚ずつ適当にサイフに入れて。そのまま駄菓子屋に直行して、うまい棒やらよっちゃんイカやらうまいメンやら5円があるよやらキャベツ太郎やら買い込んで。
おかげで先生に提出した貯金箱は、底がセロハンテープ貼りになってしまった。「何回でも使えるように」ってことにしたような気がする。
小学生は「前衛」に限りなく近い場所にいるのかもしれません。
8月29日(日曜) 深夜
見知らぬ携帯番号から電話がかかってきた。
誰だと思って出てみたら、中年女性(40〜50歳くらい)の声でいきなり話しかけられたのでした。
「あ、あのう、マダムキラーさんでしょうか…」
わっ、なんだなんだ!?
一瞬いたずら電話かと思ったが、それにしては声が真剣なのにオドオドしている。なんだか意を決して、勇気をふりしぼって連絡してきたような声色だった。おまけに相手の名が「マダムキラー」。これはきっと何かあるぞ!!
…と咄嗟に感じたぼくは、自分がマダムキラーかどうかには言及しないまま、通話引きのばし作戦に転じることにした。
ぼく:「ええと、私の電話番号はどちらでお知りになりましたか?」
相手:「ホー○トークの募集欄を見て……」
ぼく:「そうですか。ところでマダムキラーというと…」
相手:「55歳のかたですよね? 違うんですか?」
ぼく:「いや、えーと。どういったご用件で?」
相手:「…で、ですから、あのう…夫婦交際の件で」
ぼく:「へ!? あ、いやなんでもないです! すみません。ええとですね…」
相手:「あ、ま、まちがって電話してしまったみたいです。申し訳ございませんでした。失礼します!」(ガチャ)
こちらの初歩的なミスで異状を悟られてしまったが、多少の情報は得られた。「ホー○トーク」と「夫婦交際」がキーワードか。
気になってネットで検索してみたら、一発で分かった。スワッピング専門誌の募集コーナーだった。
スワッピングなんてポルノ小説の中だけの話だと思っていたが、実際には、日々どこかで行われているコトなのだろう。それも中高年の熟年夫婦たちの間で。夫婦生活のマンネリには不全間を募らせつつも、浮気する勇気もなくて…という人なんて、考えてみれば腐るほどいるような気もする。
電話の主は、気が弱くて薄幸そうな女性だった。消え入りそうな声で「マダムキラーさんでしょうか…」と言われたのが、今でも頭にこびりついて離れない。こういてどんどん、余計なものが頭にこびりついていく。
そして複雑な気分になるのが、ぼくの携帯番号がマダムキラーさんとよく似ているということ。マダムキラーて。
8月28日(土曜) 夜
休みなので昼寝してたら夢をみた。
鼻をほじってたら長さ5センチくらいの巨大な鼻毛が抜け、それが週刊誌に取り上げられて有名になるというストーリー。
なんだこの夢は。有名になりたいという潜在欲求のあらわれか?
こんなことで有名になどなりたくない。
−−−
知人(同年代のファッションに疎い男性)と話をしていた。
そこでなぜか女性用のブランドの話題になり、彼はこんなことを言ってきたのでした。
「4℃っていうブランドあるじゃん。ええとヨンドシー? フォードシーっていうの? あれなんだけどさァ」
…ええと、なんて読むのかぼくも知りませんが。フォードシーはたぶん違うと思います。ドって日本語だろ。
セッシヨンドでいいんでしょうか。
8月27日(金曜) 深夜
勤務先で社員対象の講義を担当することになってしまった。
ウチの部署が専門とするノウハウを他部署の人間にも知ってもらい、日常業務に生かしてもらおうというのが狙いであるらしい。ぼくは部署内での地位が一番低いので、こういう面倒なことはだいたい担当させられるのだ。
さらに悪いことに、今回の講義はビデオ録画され、次年度からの新人研修に用いられのだという。うわー。
ここでの問題は、ぼくがドモリだということ。ただでさえ言葉につまりがちなのに、講義とかビデオ録画とかなると緊張が募り、ますますドモってしまうのだ。
…で、案の定、豪快にドモってしまったワケでありまして。
「えー。ここで先ほどのパ、パ、パ、パ、パーセンテージをですね〜」
「重要なのは、しょ、しょ、しょ、処理を行う際に〜」
こんなものが新人研修でビデオ放映されるのだ。入社初日から障害者ビデオで研修を受ける新人たち。「え、こういう会社だったっけ?」「ひょっとしてオレたち騙された!?」なんてって。…この際だからもうヤケクソだ。ざまあみろ!!
社会の厳しさを新入社員に叩き込むという意味では、かなり優れたビデオになったと自負しております。
8月26日(木曜) 夜
オリンピックで銀メダルを獲って歓喜する選手、を見たい見たいと思いつつ。
金メダルと銅メダルは試合に勝って獲得するけれど、銀メダルは決勝戦に負けて手に入る。
「激闘のすえ惜敗して、思わずガッツポーズ。銀メダル獲得の喜び!!」
金メダルが一番エライけれど、銀メダルだって堂々の2位である。銅メダルよりもエライ。なのに負けた瞬間に手に入る銀メダル。選手としても、喜ぶべきなのか悲しむべきなのかよく分からないというのが正直な心中ではあるまいか。
このへんのおかしな感じがなんとも好きだ。おかしな感じなのはぼくのほうですか。
−−−
ところで、昨日の日記で書いた「みせちく」ですが。
アメリカでは実際に売られてますよメールを何通かいただいております。
あちらでは乳首を透かすのがオシャレという風潮が一部にあり、そのために「かっこよく尖った偽乳首」が売られているんだとか。「セックス・アンド・ザ・シティ」というドラマにも偽乳首をつけて逆ナンパする女性が登場してるそうで。
検索してみたら、実際に偽乳首を販売してるサイトも発見。すごいですねえ。
これさえあれば、文字通り「ビーチク・ルーザー」で「ニップレス」になってしまったあの奈美悦子さんだって、意外といろいろ大丈夫かもしれません。ぼくも買ってつけてみようかと思案中。
というか。ぼくの考えることなど、だいたいすでに誰かが考えてるんだという、当たり前の事実を再確認しております。
8月25日(水曜) 深夜
「見せパン」というパンツがあるらしい。
ミニスカートのときなど穿く、見せるためのパンツである。
きっと自作のイラストや水墨画なんかがパンツに描いてあるんだろう。で、これを見た人から「ウチの会社で描いてください!」てな連絡がくるのを待つというような。
…って、そんなワケないですね。おそらくは上からもう一枚穿くとか、生地が分厚いとか、そういうことだとなのだろう。
でもこれって普通のパンツとどう違うのか?
普通のパンツだって、そのままじゃあ中の「具」までは見えない。こんな違い、言われなきゃ分からない。わざわざ言う人もいないだろうから、実質上おなじことである。それともやはり、「本物のパンツじゃない」というメンタリティの問題か。これだったら見られても恥ずかしくないト。
だったら「見せちく」というのはどうだろう。見せるための乳首。
ミニスカートや見せパンも、実際のところ「注目されるため」という目的もあるんじゃないかと思う。こう考えると、Tシャツに浮かび上がる乳首だって、注目を集める点では勝るとも劣らずに違いない。
ただ、本物の乳首を浮かび上がらせるのは恥ずかしい。
そこでレーズン状のものをブラジャーの頂部にくっつけて、その上からTシャツを着るわけである。これなら殿方たちの視線を集めること間違いなしだし、それでいて本物の乳首ではないから恥ずかしくないはずだ。どうですか?
…でも、本当にこんなのが流行したら、アメリカ人女性はピンポン球くらいデカい擬似乳首をつけてしまうかもしれませんな。
いま想像して、ちょっともよおしてしまいました。吐き気を。
8月24日(火曜) 夜
職場で書類の整理に追われてました。
実はもうじき、会社に外部機関からの監査が入るのだ。税金だとかのややこしい事がくわしくチェックされる。
で、監査が入っても大丈夫なように社内書類を整えておったのであります。別にあくどいことをやってるわけじゃないけど、日常業務のままだとどうしても記載の不備なんかが出てくる。そこを変に怪しまれてはマズいというので、監査用に新たな書類を作ったりしていたという次第。
ただ問題は、ほとんど同じような書類が2つできてしまうということ。たとえば「○○会計収支表」という冊子が、日常業務用と監査対策用の2冊できてしまうのだ。このままでは混乱して、監査当日、日常業務用の冊子を提出してしまうかもしれない。これはマズい、なんとかしなければ!
そこでぼくは得意の頓知を働かせて、監査対策用の書類の全ページに「監査用」と印刷されるようファイルを設定しておいたんですが。
たまたまこれを見た上司から大目玉をくらった。「おまえはバカかっ!」
しばらく考えてようやくわかった。
なにしろ監査員が書類をチェックしてみたら、全ページに「監査用」と書かれているのだ。これはもはや怪しむ怪しまないのレベルではない。
正直な社員ってことで、上層部からの評価が上がっていればいいのだが。
8月23日(月曜) 夜
中学生のころ、同じクラスに中村さんという女子生徒がいた。
中村さんは勉強はよくできるけれど、独り言が異様に多いという特徴をもっていた。なのでぼくら男子学生は、中村さんのことを「必殺独り言マン」というあだ名で呼んでいた。なぜ女子なのに「〜マン」なのか分からないが、そこはしょせん中学生である(エロい意味ではなかったので念のため。彼女の名誉のためにも)。
休憩時間なんかに中村さんが独りでブツブツつぶやいてると、ぼくらはすかさず「さすが必殺独り言マン!」とはやしたてた。すると中村さんは、ブツブツつぶやきながら、ぼくらのほうをキッとにらみ返してくるのだった。
期末試験がせまってくると、ぼくらはいつも中村さんに頼み込んだ。「なあ必殺独り言マン、数学のノート貸してえやー」。すると中村さんは、いつものようにブツブツつぶやきならも、渋々ぼくらにノートを貸してくれるのだった。
中学を卒業すると中村さんとの音信は途絶えた。彼女のことを思い出すこともほとんどないまま年月が過ぎた。
そして先日、知人から偶然耳にしたのだった。「中学のとき、必殺独り言マンおったやろ? あいつ今、医者になってるんやて!」
くわしく聞いてみると、彼女はその後医科大学に進学したんだと。で、現在は京都府下の病院で内科医として勤務しているのだと。
そうだったんだ必殺独り言マン。どこかの病院の内科で白衣着て診察してるんだ!
彼女は当時から得意だった学業を、医師という職業に結実させたんである。そこには能力のみならず、強い意志と地道な努力があったことだろう。ぼくのように能力もないくせに努力もしなかったボンクラからすると、本当に頭の下がる思いである。ああ、すごいよ必殺独り言マン! 尊敬するよ!!
ただ、同時にふと思う。
もしぼくが偶然、彼女が勤める病院を偶然受診してしまったとしたら。そして、担当医が中村さんになってしまったとしたら。白衣姿で診察する彼女を見たぼくが開口一番に叫ぶのは、きっと「あっ、必殺独り言マン!」の一言ではなかろうか。それは決して「中村先生!」なんかではないはずだ。
そしてぼくは、当時のようにお願いするのだろう。「必殺独り言マン、お腹が痛いの治してえやー」
彼女は今もブツクサ独りでつぶやきながら、診察室で聴診器を当てているんだろうか…。 ノスタルジーまでもがポンチャックな。
8月22日(日曜) 夜
オリンピックを見てると、いろんなことを思い出して暗くなる。
そういや中学時代、バスケットボールで自殺点をキメそうになったんだった。
−−−
さて本日は、大阪・天下茶屋で見かけた看板です。
「やめろ、ひったくり。社会への反発を弱者に向けるな。彼女にふられるぞ」
そりゃまァ、彼女にふられたらイヤだろうけれど。ひったくり犯への抑止力としてはどうなんだろう。
それともなんですか、ハンドバッグを奪おうとした瞬間に考えるんだろうか。「…でも彼女にふられたらイヤだからやめとこう!」
だったらなんでもアリである。
というか、ふられる彼女がいないひったくり犯はどうなるよ。この看板こそ、強者の理論ですよまったく。
…ええと、ぼくがこのへんの問題に過敏すぎるんでしょうか。
8月21日(土曜) 午後
ヨン様のことをぺー様と言うちょいギャグ、みんなそろそろやめないか。
−−−
先日みかけた看板です。
なんでこんな立体構造になってるんだ!?
びっくりしてシャッターを切ったのだが、写真を見ていたら理由が分かった。もともと配線ボックスか何かがあって、その上に塗装しただけなのだろう。なんと横着な看板だ。シンパシーは感じるけれど、もう少し考えて作ったらどうなのか。
でも、横着してるおかげで妙に周囲の目をひいているのも事実。くー、こりゃあ一本とられました。
以前職場で、手抜きしまくりの企画書(余白だらけ)を上司に提出したら、逆に目にとまってちゃんと読まれたことを思い出した。
横着って実は強いのかもしれません。
8月19日(木曜) 深夜
どうせみんな同じこと考えてるだろうし、今さらこんなこと言うのもなァと思って書きませんでしたが。
「芸能人節約バトル」の1ヶ月1万円生活。やらせ云々はいいとしても、貧乏性なぼくとしては、倹約するために出歩いたり料理作ったりしてるのがどうしても気になる。動くとエネルギーを使うから、余計におなかが空いてしまう。「山で遭難したら無駄に動くな」と言われるとおりである。
結果、テレビに写される映像は「各人ひたすら寝てる」。
…学生時代、生活費に困窮した友人が「動くと腹がへるからなるべく寝て過ごしてる」と言ってたもので。はい。
−−−
たまにはオリンピックの話題でも。
昨日、男子水泳の北島選手が金メダルを獲得しましたですね。で、その直後のインタビューが、
記者:「いやァ、本当に強かったですねー」
北島:「そうですねー。…ハイ!」
記者:「……」
北島:「……」
スポーツ選手がインタビューの冒頭に「そうですねー」と前置きするのは周知の事実ですが、今回は美学さえ感じました。
記者の質問もちょっとどうかとは思いますが。いったいどんな答えを期待しているのか。
「ぜんぜん強くないですよ」なんてな謙遜が返ってきたらビックリですな。
8月18日(水曜) 深夜
近所のスーパーで買い物していたら突然、隣にいた女児(幼稚園くらい?)が泣きはじめた。
「うわーん! これ買ってえぇぇ!!」
なにかと思えば、女児の手には「パックのちりめんじゃこ」が握りしめられていたのでした。なんとアダルトなチョイス。
ただ、さらに気になったのはその後の展開だ。
女児:「これ欲しいぃー!!」
母親:「ダメよ。早く戻しなさい!」
女児:「やだー! ママ買ってー!!」
母親:「ダメったらダメ! 何度言わせるのっ!」
女児:「うわああーん! うわああーん!」
母親:「いくら泣いたって買わないわよ。あさって特売なんだから!」
女児:「うっ、うっ、おえっ…」(嗚咽に変わりはじめる)
ちりめんじゃこを買ってもらえないばかりに嗚咽する女の子。ちょっとだけ涙が出そうになりました。
−−−
某ポータルサイトで書かせてもらった、「身近な細菌を培養してみる」というコネタ記事が本日アップされております。
身のまわりの「ばい菌が多そうなモノ」を、寒天培地で培養してみたレポートです。
・洗ってない手
・ハンドソープで洗った手
・鴨川の水
・鼻の中
・浴室の排水溝の赤カビ
・ヨーグルト&納豆
・しめじ
これらを寒天培地で一週間、培養してみました。結果、いくつかはエラいことになってしまいました。
よろしければご覧いただけると嬉しいです(上のリンクは新しいウインドウが開きます)。
8月17日(火曜) 夜
古本屋で『夫婦生活』という雑誌(昭和30年発行)を見つけたので購入。
その中に「産制問答」なるコーナーがあり、下記のような質問が寄せられていた。
表紙
梅干相談
梅干避妊法ですか。いったいどんな風に「使用」したのか気になって仕方がない。
いずれにしても挿入したのは違いなさそうだが、ペースト状にすると入らなさそうだから、やはり種付きのまま押し込んだのか。だとしたら、ミート棒で押し込まれた種はどうなったんだろう? どんどん中に種がたまってしまうんじゃなかろうか。
ちなみに回答を読み進むと、「梅干の代わりに、酢を3倍に薄めたもの、あるいは15%の食塩水をスポンジに浸せばもっと効果的でしょう」とのこと。いやー、勉強になりますねえ。勉強になるようになりたいですねえ。
女性のみなさん。諸姉は梅干か酢、もしくは食塩水でOKらしいですよ! そして男性諸兄、梅干はちゃんとサイフに入れたかい??
今後、スーパーで梅干を買ってる女性を見るたびに、「なるほど…」と陰ながら興奮してしまいそうで困ったものです。
8月16日(月曜) 深夜
先日の四国旅行では新幹線の自由席に乗ったわけですが。
お盆ということもあってか随分と混んでいて、立ってる人が客室にまでなだれ込んでくるありさま。
そんな中、ぼくはなんとか座れたのだが、その後が大変だった。隣の窓側席に座っていた男(40歳くらいのサラリーマン風オヤジ)がしょっちゅうトイレに立つんである。「ちょっとトイレに…。すみません!」。そのたびに弁当やら缶ビールやらを載せてるミニテーブルを片付けて、男が通れるようにしなくちゃならない。ああ、これで四度目ですよ!!
いや、それはまだいい。それより参ったのは、男が座席になにも置かずトイレに行ってしまうこと。おかげで「空き席」のようになってしまい、そのたびに周囲の乗客が「この席、お連れさまですか?」「座っていいですか?」などと尋ねてくるのだ。ちっともお連れさまじゃあないけど、ここで違う客が座ってしまうと、男が帰ってきたときにぼくのせいになってしまい非常に気まずい。
それで当初は、いちいちバカ正直に説明を繰り返していた。
「この席、お連れさまですか?」
「いえ、違いますけど。なんかトイレに立ったみたいですよ」
「でも荷物ないですよね。座っちゃいけないんでしょうか?」
「どうでしょう…。たぶん、もうじき帰ってくると思うんですけど」
「そうですかあ」
でもだんだん面倒になってきて、しまいには「連れがいるんです」と答えていた。すると相手は、面倒な説明なしに納得してくれる。ようし、この手でいくぞ!!
しばらくして男がトイレから帰ってきた。周囲の客はみな、ぼくと男を「連れ」だと思っている。が、ぼくはジーンズにTシャツ姿なのに、男はスーツにネクタイ姿の40代オヤジ。おまけに一言も口をきかず黙ったまま。いったいどういう関係なんだ!? てなもんだろう。
そして無言のまま、ぼくだけ途中の駅で下車しました。ただただポカーンとする周囲の乗客。
8月15日(日曜) 深夜
お盆休みを利用して四国旅行に出かけておりました。
帰路では岡山駅にて特急から新幹線に乗り換えたのだが、新幹線の車内で青ざめた。デジカメを特急に置き忘れてきたのだ。ああー! 機材も惜しいけれど、各地を取材してまわった写真もすべてパァになってしまうのか。
すっかり意気消沈しながらも、いちおうJR岡山駅に電話して車内を調べてもらったところ、幸いにも落し物としてちゃんと届けられていた。よかったー!
この嬉しさったらもう。思わず小躍りしたいほどですよ。デジカメを置き忘れてなかったらけっして味わえなかった喜び。ああ、デジカメ置き忘れて本当によかった!
ただ、デジカメが着払いでウチに届くのは明後日以降になるとのこと。実は明日、用事があってどうしてもデジカメが必要なのだ。どうしよう、どうしよう。
…というわけで、大阪在住の友人宅に電話してデジカメを借りに行ったのでした。携帯電話からの通話なので、話はなるべく簡潔にと心がけて。
「あの、四国旅行の帰りなんだけどさ。いまからデジカメ借りに行っても大丈夫? ちょうど通るからと思って」
「はァ? おまえこそ大丈夫か!?」
前衛は生活のふとしたところに潜んでいます。
−−−
今日は疲れてるので、このへんにて失礼します。
追伸: 讃岐うどん屋で「暖かいうどんに生卵をかけたやつい」が食べたくて「おんたま」を注文したら、温泉卵入りの冷やうどんが出てきて茫然と。
8月12日(木曜) 夜
重症の病人が集中治療を受けている様子は、しばしば「スパゲティ症候群」と呼ばれる。
人工呼吸器や薬物点滴をはじめ、導尿、栄養剤注入、各種モニターなど多数のチューブが身体につながれているさまがスパゲティに似ているから、というのが語源である。
しかし日本人たるもの、なぜスパゲティなんていう舶来品で患者を形容しなくてはいけないのか。いまこそ西洋コンプレックスから脱却し、我が国独自の呼称を採用すべきではあるまいか。人間の尊厳にかかわる問題であるだけに、通称にももっと繊細な配慮が求められるのは当然といえるだろう。
チューブ状のものなら我が国にもたくさんある。たとえばヤキソバはどうだ。
ただ、これだと色合いが茶色すぎるという批判があるかもしれない。また、麺の太さにも問題がある。ぼくもガンに侵された祖父を見舞いにいったことがあるが、つながれていたチューブはもっと太いものだったと記憶している。
でもどうかご安心あれ。こういった細やかな要請にも、我が国の麺業界は十分に対応できるのだ。
先日の原発事故で重体になった方々も現在、集中治療室で「うどん症候群」になっておられるのかもしれません。
−−−
さて、 Go smoking に書かせてもらっているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「マイルドセブン→セブンスター」。常用のタバコを、マイルドセブンからセブンスターに変えた理由についていろいろ書いてみました。いやあ、やっぱりセブンスターですよ。いろいろあって。
よろしければ、ご一読くださると嬉しいです。
−−−
明日から少し外出するので、プチ日記も2〜3日間、お盆休みをいただく予定です。
数日間更新されなくても、「やっと死んだか」などとぬか喜びなさらぬよう、よろしくお願いいたします。
8月11日(水曜) 深夜
昨日の日記に書いた「FUCKグッズ」について、たくさんの方々からご指摘をいただきました。
"French Connection UK"というブランドがあり、ここのグッズには"FCUK"と頭文字がプリントされているとのこと(FUCKのアナグラムを狙っている)。で、街で見かけた帽子やTシャツも、このブランドの"FCUK"というプリントを見間違えたのではないかと。
こんなブランドがあったとは露知らず。時代にとり残されるってのはこういう感覚なんだなァとしみじみ。
ただ今回、FUCK帽子の男性についてはとっさに写真に収めていた。さっき画像を確認してみたら、やっぱり"FUCK"と書かれていたのでありまして。
…ん、FCUKかな? やっぱりFUCKだ!
もしかすると、"FCUK"ブランドのパッチもんなのかもしれませんが。一回転してFUCKに戻る。
ぼくも60歳くらいになったら、FUCK帽子姿で日々を過ごしたいと思います。「葬式の写真にはこれを使うように」と遺言に記したい。
※Tシャツの女性については、いま思うと"FCUK"だった可能性が高いです。いまどきのオシャレな女性で「芳ばしさ」が感じられませんでしたし。
8月10日(火曜) 深夜
今朝、駅に向かう途中、"FUCK"とプリントされた帽子をかぶった男性に出くわした。
そして会社帰り、今度は"FUCK"とプリントされたTシャツを着た女性に出くわした。これって流行ってるんですか!?
どうせなら「MANGURI-GAESHI」とかプリントされたTシャツを着たらどうか。
−−−
そういやぼくも中学生時代、「FUCKデイパック」を持ち歩いていた。
当時ハードロックにかぶれていて、ロックなグッズを身に着けたくて仕方なかったのだ。が、中学生だけに全然金がない。そこでやむなく、手持ちのデイパック(親に買い与えられたアシックスのやつ)に自分で"FUCK"と刺繍して使っていたのだった。
ローマ字のアップリケ(FとUとCとK)を近所の洋裁店で買ってきて。母親の裁縫箱から針と糸を失敬して。小学校の家庭科で裁縫を教わったことに心から感謝したのを覚えている。ガキに余計なことを教えるとこうなる、という好例である。
それにしても「手縫いの"FUCK"アップリケ」、ほのぼのしてるのか殺伐してるのかまるで分かりません。おまけにアシックスのデイパック。
あのFUCKデイパック、今あればけっこうウケそうなのだが、高校生の頃、恥ずかしさのあまり処分してしまった。残念だ。
人生で一番ダサい時期、中学生。何をしでかすか分かったものではありません。って、ぼくだけですか。
8月9日(月曜) 夜
お祭りの屋台で食べるヤキソバがめっぽう好きだ。
だが、家で作るヤキソバはあまり美味くない。なぜだろうと考えてまず思い浮かぶのは「具」の量である。自分で調理すると健康面などつまらないことを心配して、ついつい野菜をたくさん入れてしまっていたのだ。麺とキャベツがほぼ同量。
そこで本日、思い切って、極力「具」を少なくしてヤキソバを作ってみたわけです。(麺は1.5人前)。
すると…うわっ、美味い! 屋台の味ですよこれ!!
大量の麺がコテコテのソースと絡まって、ねっとりと濃厚なハーモニーをかもし出す。申しわけ程度の肉と野菜は決して、麺の溶けるような食感をじゃましない。食べても食べてもソース味の麺、そして麺。ああ、オレはこういうヤキソバを食いたかったんだよお。お祭り気分だよお!!
おまけに原価、しめて170円。作ってよかったー。
…「具の少ないヤキソバ」を独りで作って食って大はしゃぎしている自分にふと気づいて、まァ今日はこのへんで勘弁しといたろか、なんてって独りでブツブツつぶやきながら、一日が終了しようとしております。
−−−
ちなみに上の写真、お皿は知人の結婚式の引出物にもらった上等なやつです。窯元がどうのというような。
大きい皿がこれしかないから毎日のように使っているという次第。
いやー、ウチって高級な食器しかないもんだからさァ。ヤキソバなんかも、どうしても上品になっちゃうんだよねー。
8月8日(日曜) 夜
本日、母の日かと思ったらどうやら違うようですね。
−−−
さて、皆様からいただいた「愉快なブランド物」を列挙してみます。
メールありがとうございました。
中には画像を添付してくださった方もいるんですが、企業サイトの画像だったりして不安なので、ここへの転載は控えさせてください。画像はぼく一人で楽しませてもらってます。すみません。
ちなみに「レノマのこたつ布団」は、愉快というよりブランドイメージそのままという気もいたしますが。
8月7日(土曜) 夜
目覚ましのために毎朝音楽が鳴るよう、コンポを設定している。
好きなアーティストのCDをその音楽にしたら「嫌悪条件付け」でその音楽がすっかり嫌いになってしまった、ということは以前の日記に書いたかと思う。眠いのに毎朝たたき起こされるわけだから、いくら好きな曲でも嫌いになるのは当たり前である。
だが最近、この「嫌いになった曲」に思わぬ効用があることに気がついた。寝つけない夜、この曲を流すとアッという間に眠れてしまうのだ。「もう起きなきゃいけない…」という罪悪感が、強力な催眠作用をもたらしているものと思われる。
以来、毎晩この曲を流して寝て、この曲で目覚めております。熱狂的なファンみたいで恥ずかしい。
−−−
さっき漬物を食べながら麦焼酎を飲んでたら、ふと思い出した。
ぼくの祖父(もう死んだけど)は妙に凝り性で、晩年までずっと自宅でタクアンを漬けていた。大根を10本ほど買ってきて、干しては大きな木樽にぬか漬けするんである。
そしてぼくらが祖父宅を訪ねると、いつも自家製タクアンをふるまってくれた。「そこらに売ってるモンとちごて美味いやろ?」と自慢しながら。
ただ気になったのは、そのとき祖父が、しょう油と味の素をドバーッと振りかけることだった。「こうすると一層おいしくなるんや!」と、これまた得意そうに自慢しながら。ちょっと待て。自家製のありがたさも、これでは霧消ではあるまいか。
でも実際、味の素を大量に振りかけた自家製タクアンは美味かった。そのままだと妙に塩辛くて酸っぱくて不味かったのだが、しょう油と味の素をかけると塩味と酸味がほどよく中和されて、けっこうイケる味になったのだ。
祖父の素朴さというか正直さがちょっとうらやましかったのを思い出した一件。ぼくもこういう老人になりたい。
※祖父の教訓: しょう油と味の素を大量にかければ、たいていのものは美味しくなる。
8月6日(金曜) 深夜
嫌いなテレビ番組を見て、イライラの極限に自分を追い込むのがけっこう好きだ。変態かもしれない。
で、さっきも某討論番組を見ていたら。
自称「なるべくがんばらず楽に生きる」「省エネ人生」主義の人が、他の参加者にえらい剣幕でつっかかっていた。「がんばることがいかにバカらしいか」
「自分の人生がいかに素晴らしいか」を他の人たちに納得させようとして、たいそう熱弁をふるっておられたのだ。
ほんとに省エネ人生な人は、自分の主張を誰かに理解させようなんて思わないんじゃないか? どんな反論をされたって、ヘラヘラした笑顔で「そうですよねー」なんて表面的な会話に終始するのが、ほんとの省エネ人生ではあるまいか。
まるで「大きい声だすなやっ!」なんて大声で怒鳴ってる人のようですがな。それとも「がんばってない自分」をみんなに認てほしいだけなのか。
ぽいーん、ぽいーん!! うへえ、酔うと説教くさくてイヤですな。
ちなみにぼくも、読者のかたから「淡々としてますねえ」なんてメールをたまにいただくが、毎日のように日記更新してるようなヤツが淡々としてるわけがありません。粘々ですよもう。粘々。自分で言うのもなんですがヘドロのような性格ですよ。そんないいもんじゃないか。すみませんヘドロ様。
なんてって必要以上に自己卑下するヤツが一番、卑屈なくせに顕示的で手に負えないですね。 We love us!!
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昨日の日記で募集させていただいた「愉快なブランド物」、4名の方から愉快グッズを紹介いただいております。楽しいなあ。ありがとうございます。
今週いっぱいお待ちしていますので、身辺に「このブランド物ってどうなんよ?」てなモノがありましたら、メールにて是非お願いいたします。
紹介くださったベンツの背広、見てみたいなァ(でもこれは偽物か)。
8月5日(木曜) 深夜
通勤途中の民家前で見かけた、本日のタオルです。
"Valentino Memory"。
いまさらパッチモノにケチをつける気はないけれど、久々に楽しい気分になったので、つい撮ってしまいました。いいなァ。ヴァレンチノの思い出。
本家のヴァレンチノ・ガラバーニさんはまだ存命のはず。当人がこのタオルを見たらどんな反応が返ってくるだろう。「このワシをこんなしょぼいタオルで追悼しようというのかっ!」なんてって激怒してくれたら一層楽しい。
ところでヴァレンチノ系の「一流ブランド」って、バスマットとか便座カバーとか節操なくライセンス生産してるような気がする。
でもこれってどうなんだろう。いくらなんでも、便座カバーにまで手を出しちゃまずいのではないか。便座カバーを作ってるメーカーのドレスなんて誰も着たくないだろう。それとも収益のためなら、ブランドイメージへの多少のダメージは目をつぶるのか。
そういやイブサンローランは、こういうライセンス製品のせいでだめになったブランドだったか。
【お知らせ】
愉快なブランド物(ヴァレンチノの枕カバーとか)がございましたら、メールにて教えていただけると嬉しいです。画像があればなお大歓迎! 数がまとまればここで紹介させていただきます。
8月4日(水曜) 深夜
いろいろ気分が滅入っているので、遺伝子の本を読んでおります。『やわらかな遺伝子』(紀伊国屋書店・刊)。
以下、読んでみて思ったことなど。
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男性は人差し指よりも中指のほうが長いが、女性では両指の長さがあまり変わらないらしい。
起源は出生時にまでさかのぼる。胎児が子宮内でテストステロン(男性ホルモン)をたくさん浴びれば浴びるほど、中指が長くなるというのだ(性器の成長も似たようなメカニズムらしいので、中指が長い人はチンコも長いのかもしれません)。
だから中指が異常に長い男性は、自閉症や免疫不全といった「男性的」な病気になる危険性が高く、逆に薬指が異常に短い男性は、不妊症など「反男性的」な病気になる危険性が高いという。
このような事実があれば、ぼくにも手相占いができそうである。相手が男性か女性かを、かなりの確率で言い当てることができることだろう。
さっそく街角で、男女占いなんてって商売を始めてみようか。虫眼鏡で手のひらを見て一言、「…あなたはおそらく男性でしょうね」。
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それはさておき、まだ続きます。
胎児期に浴びるテストステロンの量は母体のコンディション(体調やストレスなど)にも影響される。
指の長さなんかは「生まれ」(=遺伝)でほぼ決定されていそうだけれど、実は「育ち」(=環境)にも大きく左右されているのだ。子宮内でのコンディションは、遺伝子ではなく環境の要因に他ならない。
こう考えると、「氏か育ちか」「遺伝か環境か」という論争がほとほと馬鹿げたものに思えてきますな。遺伝子は自身がおかれた環境によって、その潜在能力をしなやかに変えていくんである。
ちなみに上述の本の原題は、"nature via nurture"(生まれは育ちを通じて)。ようするに、どっちも大切ですよと。
ゲノム解析とか追跡調査とかいった膨大なデータを蓄積して、こういう「あたり前」な結論に到達する。これぞ科学だ!
読んでいて非常に痛快、オススメです。
8月3日(火曜) 深夜
洗濯機から取り出した洗い物に、靴下の片割れしか入っていなかったときにイライラはなんだ。
意地になって探してみたら、テレビの裏側にもう片方の洗ってない靴下が。靴下ひとつだけのために洗濯機を回したくなる一瞬であります。
ああ、パンツはやっぱりいいなあ。ひとつだけだし。
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先日行った居酒屋のトイレには、水の音のBGMがずっと大音量で流されていた。ジャーッ、ジャーッ。
「音姫」を設置しても一向に使ってもらえない現状に業を煮やしたものと思われる。たしかに頓知はきいているが、問題はジャーッという音が店全体にもれ続けている点。食事していても常にトイレに意識が向いてしかたないのだ。
ずっと音を流すんだったらトイレの個室を防音設計にすればいい。
…と一瞬思ったけれど、よく考えたら、防音設計にしたら音を流す必要なんかないですね。
やはりウンコやシッコにそこまでの投資はできないのか。いいと思うんだけどなあ、完全防音トイレ。独り言もつぶやき放題だし。
追記: 調べてみたら昭和60年の時点ですでに開発されてました。防音トイレ。
8月2日(月曜) 夜
音楽事情にまったく疎いぼくがこんなことを言うのもナンなのですが。
いまの日本には「心から訴えたいこと」があまりないから、いい曲を作るのが大変なのではないかと思う。
みんなが貧困にあえいでいれば、生活の苦しさを歌い上げるのが「魂のさけび」だったろう。政府に弾圧され虐げられていれば、自由を求めて歌い上げるのが「魂のさけび」だったろう。ちょうど差別と貧窮に苦しむ黒人たちがブルースを作り出したように。
しかし昨今、みんなそれなりに暮らせているし、世の中もまあまあ平和である。政府の弾圧といっても、せいぜい飲酒運転の罰金が高いとか、年金がもらえなくなったらどうするよとかいう程度。こんな状況では「魂のさけび」を探し出すのも一苦労だろう。
では今の日本に、こみあげる熱い思いを表現しようとする人々はいないのか?
こう考えて思い浮かぶのは、「メシはまだか!」と日々叫び続ける痴呆老人たちである。これなら我が国でも増え続けているではないか。
「母さん、メシはまだか?」
「あなた、さっき食べたばかりですよ」
「いや食っとらん! メシはまだかっ?」
「もう何度も言わせないでください」
「メ、メシはまだなのかっー! 早くしろバカモンっ!!」
まだ食べてないのに、周りからは食ったと言われてメシにありつけない。こんな不条理、今の世の中そうそうないだろう。
そして今こそ、この熱い思いのたけをマイクにぶつけるのだ!! 老人たちよ尺八をとれ! 小太鼓のバチを叩きのめすがよい!!
♪Oh, 母さん メシはまだか メシはまだか オゥオゥ メシはまだか メシはまだかと言っておるのだ〜
医学的には、メシを食いたくなるのは本来、血中糖濃度の低下によって脳の空腹中枢が働くからである。しかし痴呆老人の場合、直前にメシを食っている(=血中糖濃度は高い)にもかかわらず、「メシはまだか?」と執拗に問い続ける。ふつうに考えるとおかしな話なのだ。
これこそ、彼らの言葉が「本能のさけび」ではなく、「魂のさけび」である証左に他ならない。「メシはまだか」という叫びの裏にはソウルなメッセージが隠されていたのだ(といってもまァ、漠然とした不安とか、もっと自分に構ってほしいとかいうことだろうけど)。
ジ・アルツハイマーズのデビュー曲は『メシはまだか』でどやっ! ボーナストラックは『財布を盗るな!』で。
この夏いよいよ、熱いヤツらがやってくる……。
用事があって東京に行っておりました。
金曜日の夜は尊敬する人たちとの飲み会に同席させていただいたのだが、結論からいうとメチャクチャなことになってしまいました。
ここに書くのは憚られることばかりですが、書けることだけ書いてみます。
…なんのために東京に行ったんだろう。評判を落とすためだけに出向いたようなものであります。
その後も災難は続いたわけでありまして。
JR池袋駅にて、ひっ迫する尿意に堪えきれず駅トイレに駆け込んだ。で、ジーンズのチャックを下ろそうとしたら、内側のトランクスがかんでしまって1センチくらいしか下ろせない。せまりくる尿意。背後にはトイレ待ちの列。うわああー。
とにかくベルトと前ボタンを外してジーンズをずり下げようと試みたものの、細身のジーンズだったため半ケツになったのみ。いよいよ押し迫りる尿意。なんとか1センチの隙間から出せないものかと試みるも、こんなの出せるわけがない(太くて出せないのではなく、こんな上部までホースが届かない)。
そして終結のゴングが鳴り響いたのでありました。半ケツのまま大量に尿失禁。ジーンズの股間ぐっしょり濃くなって。後ろには行列の人、そして人。
ええと7月31日の午後。JR池袋駅で、「万能てぬぐい」と書かれた布を腰に巻いて歩いている男を見かけた人がいましたら、それは間違いなくぼくです。自分でも不憫なので、目撃したよメールなどはどうか勘弁してやってください。
これらもすべて、S氏ののろいでしょうか。よろしくお願いします。
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全然関係ないですが、ぼくが隔週でコラムを書かせてもらっている Go smoking に、新たな執筆者が増えました。
ナント、あの筒井康隆氏が!
筒井氏が昨今のタバコ事情について書いておられます。よろしければ是非、ご一読くださいませ。