2004年10月のプチ日記

10月31日(日曜) 夜

 イクラがけっこう好きだ。

 美味しいものがたくさんあれば、むさぼるようにガンガン食べたいものである。でもイクラは、ガンガン食べると卵の膜が破れないまま飲み込んでしまうので、ちっとも美味しくない。かといって、一粒一粒チマチマつぶしながら食べていても、いまひとつ気分がでない。

 ひょっとすると、こういう焦れる感じが好きなのかもしれません。

−−−

 そして、近所でみかけたマンションの壁。

 汚れやひび割れを目立たないようにペイントしてるのだろう。だけど色が微妙に(というか大幅に)ちがっているせいで、余計に目立ってしまっている始末。

 工事担当者の間にはおそらく、次のようなやりとりがあったのではないか。

「やっぱり色がちょっと違うような気がするんだけど」
「そうかい? ホワイトって聞いてたからこの塗料にしたんだべ」
「まあ、ホワイトには違いないけどさァ」
「おまいさん、性格が神経質なんだって」
「そうかもしれん」

 ぼくも仕事でのミスを隠そうと小細工して、余計にバレてしまうことがたまにある。そういう意味ではシンパシーを抱く物件と言えるんですが。

 

10月30日(土曜) 深夜

 昨夜は鉤屋さんのイベントを見にいってたので更新できませんでした。

 いやー、笑わせていただきました。ついつい酒が進みすぎて、上映中5回もトイレに行く羽目になって周囲の人々に怪訝がられてましたけれど。

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 ところで、ウチの社員食堂には月に一度、バイキングの日がある(業者側によるサービスデー)。

 普段の「日替わり定食」はショボ目な社員食堂も、この日だけはズラッと並んだ何種類もの料理から自由に盛りつけることができる。下の日記で「立食形式はキライだ」と述べたが、バイキングなら大歓迎である。自分のテーブルに持ち帰ってじっくり食べられる、というのがたまらない魅力なのだ。

 「あなたの前世はライオンです」なんてな占いがよくあるが、ぼくの前世はおそらく「エサを巣に持ち運んで食べる習性の動物」だったに違いない。この種の動物にとって、立食パーティーは地獄であり、バイキングは天国であることは自明であろう。

 …と、このように非常に魅力的だったバイキングなのだが、最近になって雲行きが怪しくなってきた。業者の親会社の景気が悪いせいか、月を追うごとにバイキングの内容が貧相になってきているんである。

 当初は10種類以上の惣菜に加えてデザートもいくつか用意されていたのが、5種類くらいの惣菜だけになり、デザートが消え…。そして今月はとうとう、「惣菜2種類+小鉢1種類」というバイキングになっていた。

 ちょっと待て。これって、いつもの日替わり定食と同じではないのか? というか、日替わり定食を自分で盛りつけているだけだろう。これはサービスではなくセルフサービスである。月に一度のセルフサービスデー! わあーい全然嬉しくないぞ!!

 他の社員たちはバイキングというだけで少々興奮気味だけど、みんな何かだまされてると思います。

 

10月28日(木曜) 深夜

 仕事がらみの懇親会がたまに開かれる。

 タダ飯にありつけるのは大変助かるのだが(経費はスポンサー持ち)、問題は、それがたいてい立食形式だということ。

 立食形式が個人的にものすごく苦手なのだ。どれくらい苦手かというと、「やくみつるの漫画を読みながら器械体操をしろと言われる」くらいに苦手である。比喩を用いたらますます分からなくなったような気もするが、とにかく心底から苦手なんでありまして。

 まず、基本ポジションが定まっていないのが甚だ心もとない。座席がないから「自分の場所」というものがない。先天性ハミゴ体質のぼくなどは、この時点で既に居場所がなくなっている。

 これが居酒屋なんかだったら、最終的には有無を言わさず居場所が決まる。ぼくの隣席に位置してしまった人はクダラナイ話ばかり聞かされて気の毒な限りだが、それでも余程でなければ逃げられることはない。今日は運が悪かったと割り切って、それなりに話を合わせてくれるのが通例である。

 だが立食の場合、なんとなくできている輪の中に自分から飛び込んでいかねばならない。ということは、だ。同じクダラナイ話をしたとしても、周囲から「そんなコト喋るために 、わざわざウチらの輪に入ってきたのかよ?」と醒めた視線を浴びせられかねない。するともう、なにひとつ話せなくなってしまう。

 さらに立食形式だと、飲食物は基本的に自分で取りに行くことになる。そのために輪を離れると、戻ってきた頃には、その輪はもう閉じてしまっている。閉じている輪に入っていくというのは、ぼくのように自己評価が低い者にとっては想像を絶する苦痛である。

 この基本的安全感のなさが、ぼくをグイグイ締めつけるのだ。オレがコブラだとすれば立食はマングース。オレがアリマキだとすれば立食はテントウムシ。立食はもはや、マングースとテントウムシを合併統合したような、恐怖の存在だと断言したい。

 そして、心の中で「すみませんすみません」と連呼しながら、輪に入るとも入らないともつかない中途半端な位置にたたずみ続ける。これが精一杯の見栄というか自己防衛というか。とにかくもう、ギリギリのところで踏ん張るハメになるんである。 ああ、もういやだ!!

 おまけに立食形式は、濃い話を拒むという試練をも我に与えたもう。「立ち話じゃあナンだから」とか「じゃあじっくり腰をすえて」とかいう表現があるとおり、立ったままの体勢ではどうも宙ぶらりんで、いまひとつ本気の会話ができないのだ。

 だってそうだろう。立食で濃い話などできるものか。

 どれもこれも全然ダメだ。

 やはり立食には相応の話題がある。それはたとえば、最近すっかり寒くなったことであるとか、会社の景気はぼちぼちであることだとか、そういった事柄こそがふさわしいのではあるまいか。なにが嬉しゅうて、こんな無難なトークを展開せんととあかんねん!? いてこまっそワレ! ちゃあすぞ! ちゃあさせてもらいまひょやないけっ!!

 …いやまァ、「懇親」ってモノを何か勘違いしているのは自分でも分かっているんですが。そういうスキルが欠如してるのを棚において、負け犬が鼻水垂らしながらチューチュー吠えているだけなのも分かってるつもりなんですが。

 ぼくがロックバンドを組んでいたなら、"立食 is fear, 懇親 is hell.  It's a dark fire"てな曲を切々と歌い上げたい。骸骨オブジェの目から火花とか散らして。

 

10月27日(水曜) 深夜

 今シーズン初めて電気ストーブをつけた。

 ほこりが焦げてくさいだろうなァと思ってつけたら、案の定くさかったので大いに満足。

−−−

 話は変わるが、仕事中くしゃみをした同僚が垂れた鼻水に困っていた。どうやらティッシュを持っていない様子。

 そこでぼくは手持ちのポケットティッシュを差し出したのだが、相手の反応が妙にしんきくさい。取るか取るまいか迷っているような素振りなのだ。さてはティッシュごときに遠慮しているのか? そんなの遠慮なく使ってくれたらいいのに。

 で、じれったくなって「気にせず使ってくれていいよ!」と声をかけたところ、恐ろしい答えが返ってきたのでした。

 「あの…、何か付いてるんだけど」

 見れば一番上のティッシュに、黄土色のかたまりがこびり付いていた。…あっ、そうだった! 昨日、目ヤニをとるためにティッシュを押し当てたものの、まだ使えると思って再び袋に入れ直していたのだった。うわー。

 目ヤニの付いたティッシュを前にして、お互い重くのしかかる沈黙。

 教訓: 一度うしなった信頼は決して取り戻せない。

−−−

 ティッシュといえば以前も似たようなことがあった。

 数年前、ウチで飲み会をしていたとき、参加者の一人(女性)が突然シクシク泣き始めたのだった。なにかと思って話を聞いてみれば、最近、彼氏にひどい振られかたをされたとのこと。

 で、咄嗟にボックスティッシュの箱を差し出したのだが、そこには「日記のネタ」がいくつか殴り書きしてあったのだった(寝る前などにネタを思いつくと枕元のティッシュ箱に書きとめていた)。

 シクシク泣いている女性の眼前に差し出される、「リコピンってかわいい」とか「カントン包茎闘病記」とか書かれたボックスティッシュ。

 当時は「やってもうた」感に圧倒されて、日記の題材にするという発想さえ浮かばなかった一件です。

 …ええとMさん、まだ怒ってますか? あまりにマヌケなティッシュ箱を前に、泣くに泣けなくなってしまったあのときのことを。

 最終的な教訓: とにかくティッシュには気をつけろ。

 

10月26日(火曜) 深夜

 まな板をキッチンハイターで漂白。「このにおい、嫌いじゃないな」といつも思う。

 それで思い出したのが、小学校当時の担任K先生である。

 ウチの小学校は反戦教育がさかんだったこともあって、「道徳」の授業は戦争の悲惨さを学ぶという内容が多かった。で、ナチスから南京大虐殺、原爆投下…とお決まりの定番イベントが続くわけだが、K先生の授業は一味ちがっていた。

 ナチスの虐殺や化学兵器、あるいは原爆なんかの話になると、先生の目の色が俄然輝きはじめ、それはもう非常に密度の濃い講義が展開されたのだった。兵器のメカニズムから化学成分、そしてその症状、治療法にいたるまで。

 たとえば今でも強烈に覚えているのは、「ホスゲン」についてのK先生の説明だ。細かいことは忘れたが、とにかくホスゲンはドイツ軍が用いた恐ろしい毒ガスで、人間の肺から吸入されると肺胞がダメになってそのまま窒息死してしまうのだト。そして、陸上でじわじわ窒息するのは恐ろしく悲惨な光景なのだト。で、治療には空気圧を高くして、ステロイドを投与するといいのだト。

 アウシュビッツでの虐殺についても、それはもう詳しい解説がおこなわれた。用いられたのは「チクロンB」という殺虫剤で、青酸ガスが発生することで人間は死に至るのだト。それは青酸ガスを吸い込むと、人間は血中の酸素を利用できなくなってしまうからであるト。治療には人工呼吸と解毒薬が有効なのだト。

 原爆に関しても、広島型(リトルボーイ)と長崎型(ファットマン)とでは物質が異なること(前者がウランで後者がプルトニウム)、その破壊力は長崎型のほうが大きいこと等々…。これ以上は割愛するけれど、それはもうマニヤックな授業が展開したのでありました。

 いま思えばK先生は軍事マニヤだったのではないか。軍事マニヤの反戦教育。

 でもその授業は当時のぼくにとって妖しく魅力的で、待ち遠しくて仕方なかったのを思い出す。「先生自身が好きでたまらないこと」+「毒物という背徳性」が相まって、ゾクゾクするような好奇心が沸き起こってきたのだった。当時、「図工」とともに唯一、好きな教科だったかもしれない。

 現在の小学校にK先生のような授業をする人はいるんだろうか。教育要綱のことはよく知らないが、こういう先生がいてもいいんじゃないかと個人的には思う。小学生が「ホスゲンの作用と治療法」を知ったからといって何に役立つわけでもないだろうけど、それを言えば歴史や美術だって同じこと。

 ちなみにぼくは当時、K先生の影響もあってトリカブトを栽培しはじめた。でもべつに、とりたてて害はなかった(と思う)。

 もちろん戦争だって反対だ。 変にヒステリックな反戦教育には煙たさを感じていた一方、ホスゲンによる人体症状を情熱的に淡々と説くK先生の授業には、「これを実際にやったらおしまいだ」と思わせるような、妙な説得力があった。

 以来、好きな教科は? と訊かれたら迷わず「道徳」と答えている。なにか間違ってる気もするが、これでいいんだという気もする。

 

10月25日(月曜) 深夜

 会社帰りに四条河原町を通ったら、キャンペーンの試供品が大量に配られていた。

 「ロリエの新製品でーす。よければ是非お試しくださーい!」

 もちろんぼくには渡してくれなかったが、周囲の若いご婦人たちは皆、ひとつずつ試供品をもらっていた。

 そして気がつけば、「ナプキンを手にした女性で四条河原町一帯が埋め尽くされる」という、普通では考えられない状況になっていたのでした。うわっ、ここは今の日本ですか!? それとも天国が降ってこなすったのですか!? (こういうのが天国なのかどうか、冷静に考えると全然自信がない)

 …と茫然としていたら。

 キャンペーン嬢のほうに駆け寄ってきたオバチャン、「アンタら、何配ってはんの!? 一個ちょうだいな」。「ええとこちら、ロリエの新製品になりますが…」「ああ…ソレかいな。でもひとつもろとくわ。娘が使うさかいに!」「は、はい。どうぞ…」「ありがとさん!」

 久しぶりにエライモンを見てしまった。そして、こんな「戦利品」をもらう娘さんがちょっとかわいそうだと思った。

 「はいコレ! アンタのために恥ずかしい思いしてもろてきたんやでっ!」 「お母さん……」

 

10月24日(日曜) 深夜

 同じ歳の同僚と雑談していたら、未来についての話題になった。

同僚:「オレたちが中学生くらいの頃って、携帯電話なんて考えられなかったよなァ」
ぼく:「確かにねえ」
同僚:「ケータイから銀行振り込みとかチケット予約とかできるなんて想像もできなかった」
ぼく:「当時の近未来SF映画なんて、浮遊自動車が走ってるのに電話にはくるくるコード付いてたし」

 そして会話は、パソコンの今後を占う方向へと展開していった。

同僚:「パソコンなんかも20年後には想像を絶することになってるかもな」
ぼく:「うんうん、そんな気がする。たとえばどんなコトになってると思う?」
同僚:「とりあえず、DVDドライブの速度とか千倍速くらいになってんじゃない?」

 …あのう、それだけですか20年後のパソコンは。同僚のあまりにも貧困な想像力に思わず絶句。

 ぼくもめったなことは言えないけれど、「DVDドライブが千倍速」はないだろう。いやまァ、確かにそうなってるかもしれない。でも、たとえば西暦2030年の世界を描いたSF映画があったとして、その中に「千倍速のDVDドライブ」が登場したらどうだろう。

 「浮遊自動車が飛び交う2030年の日本社会。パソコンが大写しになり、“千倍速DVDドライブ”のテロップが流れる」

 このがっかり感はどうだ。

 彼がSF作品を書いたら大変なことになりそうな予感。1万テラバイトのハードディスク、時速1万Kmのバイク、1万ワットの電子レンジ。

 時代の進歩は、多くなることだけではないと思います。

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 さて本日、某ポータルサイトに書いた小ネタ記事、「京都の負の遺産『モヒカン山』に登ってみる」がアップされてます。

 観光ガイドには決して載らない、京都の名スポット「モヒカン山」を登ってきたレポートです。こういう場所を広く紹介できて一人で満足しております。連載を担当していてヨカッタと心から思うひととき。  

 よろしければ、ご覧いただければ幸いです。

 

10月23日(土曜) 夜

 昨夜は飲み会があったので更新できず。

 ところでさっき、地元TV局の料理番組をなんとなく見ていたわけですが。

 「砂糖を煮詰めてソースを作る」という段になって、こんなやりとりに。

司会男性:「なるほど。こうやってカラメルのように仕上げるんですね」
料理講師:「ええ。というかカラメルですね」

 これだけでも天然痴呆なコントっぽい感じだけれど、さらにカラメルソースを食材に塗っていく場面で、

司会男性:「ははァ…。こうやってカラメルをからめる…、あ、ええと、カラメルを付けていくわけですね!」
料理講師:「え、どうかなさいましたか?」

 予想外のダジャレになっていることに気づいて、すっかり動転して墓穴を掘ってしまった司会者。

 彼にはきっと、笑いの神様ではなく、駄目の神様が光臨したのでしょう。南無阿弥。

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 さて先日、Go smoking に書かせてもらっているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「 タバコはどこまで吸うべきか?」。タバコを根元まで吸いすぎだと知人から指摘されて悔しかったので、ほんとうに根元まで吸いすぎなのか、だとしたらそれはどうしてなのか、てなことを一人で考えてみた次第でありまして。

  よろしければ読んでくださると嬉しいです。

 

10月21日(木曜) 夜

 新しいデジカメを購入しました。ソニーのF88。三万九千円なり。

 帰宅してさっそく電源を入れてみたら、液晶画面がけっこう派手にドット落ちしていた。

 パソコンの大型液晶で1ドットくらい落ちる程度ならまだしも、デジカメの小さな液晶でドット落ちされると目立って仕方がない。ぼくのように細かいことばかり気になるチマチマ族にとっては、なおさらである。ああ、どうするよ。

 しかし、マニュアルを見るとこんなことが書いてあった。

 要するに「液晶のドットが落ちているのは故障ではないゆえ、安心して使うがよい!」ってコトである。そんなァー。安心して使えるくらい金玉がデカけりゃ、そもそもこんなこと気にしないし、気づきもしないだろう。こちらこそ「殿、ご乱心を!」とでも言いたいところだ。

 これがOKなら、何だってアリではないか。

 このマニュアルが癪に障ったので、ダメもとで店に苦情を言いにいったら、すんなり新しい製品と交換してくれました。なんだそりゃ。

 まァ、結果よければすべてよし、ではあるんですが。どうも釈然としない気持ちは募るばかり。

 

10月20日(水曜) 深夜

 先日の日記でとりあげたリンゴ行脚トラック。何人かの方から「私も見ました!」メールをいただいております。

 北海道、滋賀、大阪、広島。ホントに全国を巡っていたのか。リンゴだけ満載して。

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 話は変わるが、毎朝いつも、決まった特急電車で通勤している。

 そこそこ混んでいるので、当然のことながら座席の取り合いになる。3回に1回くらい座れるくらいの確率だろうか。

 ただ、特急といっても何駅かに停車する。途中で降りる客がいると、うまくいけば自分がそこに座ることができる。そして面白いのは、乗客がいつもほぼ同じメンツだということ。

 つまり、誰がどこで下車するか、乗客の多くがお互いに把握しているんである。するとどうなるかというと、早く下車する客の前方は人気「立ち席」スポットになる。次に自分が座れる確率が高くなるから。

 ちなみにぼくは比較的前半の駅で降りるので、いったん席に着くと、みんなが眼前に群がってくる。

 「モテるってこういう感覚なのかなァ…」と想像して、ひそかな興奮を楽しんでおります。なにか間違ってますか。

 

10月19日(火曜) 深夜

 いま使っているデジカメがいよいよダメになってきたので買い換えることにした。

 というわけで、「電池の持ちがよくて起動時間が早くて勝手に電源が入らなさそう」な新製品を以前から物色していた。何度か電器屋にも通い、ようやく「これにしよう!」と思える機種に出会うことができた。

 そして本日。店に行ってみたら、ぼくが買おうと思っていた機種だけが特別価格で妙に安くなっていたのでした。非常に複雑な気分。いや、もちろん嬉しいんだけど…。ぼくがいいと思う商品は、どうしてすぐに特別割引されるのか。

 悔しいので機種は書きません。こうなったら意地でも買ってやる。

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 さて、他所様のイベント告知になりますが。

 10月29日(金)の夜7時から、有限会社鉤屋(会報誌に人生相談コラムを書かせてもらってます)の京都イベント『映像温泉芸社 in 京都』が行われます。

 今回は映像イベントが中心で、素晴らしく莫迦な映像作品たちが上映されるみたいです。バカ映画が好きな方々にはたまらないイベントだと思います(以前のイベントを見たとき「これやがなっ!」と思った)。もちろん今回ぼくも観にいきます。おまけに四条河原町という、京都在住の身としては最高の立地!

 鉤屋会員でない一般参加も大歓迎とのことなので、近辺の皆様、よければ是非ご覧になってはいかがでしょうか。これで二千円は安いです。ちなみにドリンク(お酒)もあります。

 あと、ひょっとするとイベント終了後に打ち上げなどあって、社長のそねさんや映像作家さんたちとお話できてしまうかもしれませんよ!

 詳しくはリンク先の案内ページをご覧くださいませ(予約制なのでご注意ください)。

※追伸:上記イベントについては、「当日の内容をネット上などに公開しない」という条件でご参加ください。社長さんともどもお願いです。

 

10月18日(月曜) 深夜

 本日、四条河原町の路上で見かけたトラックであります(夜に撮ったので見づらくてすみません)。

 あふれんばかりの不味そうなリンゴの山。荷台には「りんご りんご りんご りんご」と耳無し芳一のように。そして垂れ幕には「りんごにさわるな」の脅し文句。こうやって全国をリンゴ行脚しているんだろうか。

 そういや子どものころ、りんご病という、まことに平和な病気があったけれど。

 このトラックの人も、リンゴへの偏執狂という意味で「りんご病」である。こんな病気にだけはなりたくない。恐ろしい。

 恐ろしいけれど、りんごであるだけに張り合いがでない。

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 ところでこのトラック、夏場はこのまま自家用車として使われているんでしょうか。りんごりんごペイントされたまま。

 今夜はりんごにうなされそうです。

 

10月17日(日曜) 深夜

 仕事があるのにサイクリングで半日つぶしてしまい、バタバタしております。

 1時間弱で到着する予定だった目的地なのに、迷子になって3時間弱も自転車こぎ続けたというのがコトの次第。

 秋晴れのなか気分よく走っていたら、気がつけばとんでもないところに来てしまっていたのだ(上賀茂に行こうと思ったら八瀬のほうに行っていた)。で、こりゃマズいと思って、道ゆく人に「上賀茂ってどちらになりますか?」と道を尋ねたら失笑されたのでした。

 …などと書いても京都の人以外にはよく分からないかもしれないが、これが自動車だったらこんな感じになるだろうか。

 房総半島の通行人に「さいたま市はどちらになりますか?」なんて尋ねる感覚。よく分かりませんが、おそらくチョットやばいんじゃないでしょうか。

 つくづく自分の方向音痴がうらめしい。

 

10月16日(土曜) 夜

 ホームページを作るのって、ほんとにお金のかからない趣味だなァと思う昨今。

−−−

 それはさておき、路上で見かけたトラックの背面であります。

 なんのためにローマ字にしてるんでしょうか。こんなの、外国人が読んだってワケが分からないだろう。

 どうせなら"KINKI JIDOHANBAIKI SAABISU"にしたらどうかと思います。

 そういや、出版社「サイエンス社」の書籍の裏表紙もこんなのである。

 当たり前のように"saiensu"と書かれても。ますます「科学」から遠ざかってるように感じるのはぼくだけか。

 この調子だと、世の中を探せば、"Eikaiwa Sukuru"なんて表記された英会話スクールだってあるかもしれません。

 

10月15日(金曜) 深夜

 ハードロックが好きでギターをやってるF君という知人がいる。

 バンドのライブを間近に控えたF君は、そのために自宅でギターの練習を重ねている日々だという。いいことである。

 ただしF君、「ロックへの愛情」は人一倍強いものの、それに輪をかけて「面倒臭がり」な性質も人一倍強い。ギターを練習するときはいつも、布団に寝転がった姿勢で弾いているらしいのだ。布団の上でマルムスティーンばりの高速ギター。その姿を想像するとかなりマヌケではある。

 でもまァ、演奏の腕さえ上達すればいいんじゃないの? …と、ぼくフォローしたら、F君からこんな答えが返ってきた。

 「いや、それがねえ…。寝た姿勢だとカンペキに弾けるんだけど、立ち上がるとフレットの感覚が微妙に違ってどうもダメなんだよ」

 気がつけば彼は、寝転がった姿勢専門のギタリストになっていたのだった。

 このままいくと、F君はライブステージでも寝転がったままプレイすることになるだろう。そういやハードロックのギタリストは、ギターソロの部分にさしかかると感極まってステージ上を転がり回って演奏しているが、彼の場合はライブの最初から最後まで「寝たまま」である。考えようによっては、ロック魂を究極まで追求しているとも言える。

 ライブが始まってスポットライトが飛び交い、スモークがたかれ、ボーカルが飛び跳ねながらシャウトする。観客の湧くような拍手、そして総勢オールスタンディング! なのにギターを轟音でかき鳴らすF君だけはずっと寝たまんま。ああ、これぞ真のロックだよ、ロック!!

 ♪ギュイイイイーンッ!! オーイエーッ、ノーフューチャーッ!!

 そりゃずっと寝てりゃあ、未来もあらしまへんわ。

−−−

 全員寝たままで演奏するロックバンドとかって、前衛気どりのめんどくさい学生バンドなんかが既にやってそうですね。

 でもF君の"Laying position"はポーズではなく本気である。こういうのと一緒にされちゃあ困ります(誰が困るのか分かりませんが) 。

 いいぜF君!!

 

10月14日(木曜) 深夜

 さっき風呂に入ってたら、新しいパンツを用意し忘れていて、全裸で部屋を右往左往。

 それでふと思い出した。

−−−

 小学5年生のとき、家族で旅行にでかけたことがある(たしか能登半島だったか)。

 で、夕食のあと、父と二人でホテルの大浴場に行った。大浴場でいつまでも泳ぎ回っているぼくに愛想を尽かした父は、「先に部屋に帰ってるからな」と言い残して浴室を出ていった。

 しばらく水泳を楽しんでから浴室を出たぼくは、そこで茫然とした。更衣室に置いていた荷物がすべて消えていたのだ。父の荷物の隣に置いていたはずなのに。

 どうやら父が勘違いして、傍らにあったぼくの荷物まで一緒に持って帰ってしまったようなのだった。…ということは、バスタオルもパンツも全部ないってことじゃないか。ああ、どうやって部屋まで帰ればいいんだよ!? フルチンで走るしかないじゃねえか!!

 小学5年生といえば、すでに陰毛も生え始めている頃である。全裸で廊下を走るなんて、今で言えば「ありえへん」ことだったけれど、背に腹は変えられない。ぼくは自分に言い聞かせた。「小学生やから、まだ子どもや、子ども!」(陰毛生えてるけど)。 気合一発、廊下に飛び出した。

 そしてフルチンのままロビーを駆け抜け、客室フロアにたどり着いたところで気がついたのだった。「自室の番号を覚えてないよー!」

 やむを得ずそのままフロントに直行し、従業員に尋ねた。子どもながらにキ○ガイとは思われたくなかったので、精いっぱいの真顔で、覚えたての敬語を駆使して。

 「あ、あのう、今日から予約とってる名倉と言いますけど、部屋番号忘れちゃって…。何号室だったでしょうか?」 

 陰毛生えたてのフルチン姿で。ロビーの客から一斉に視線を浴びながら。

 そんな小学生に対して、「えー、お客様のお部屋番号はですね〜」とあくまで冷静に対応してくれる従業員。なんだかたまらなく悔しくて、こみあげてくる涙をおさえられなかったのを思い出す。気がつけばフルチン姿のままポロポロ落涙している自分。陰毛生えかけ状態で。

 ぼくが涙に対して冷淡なのは、こういうところにも原因があるのかもしれません。

 

10月13日(水曜) 深夜

 同い年の同僚(未婚女性)が、彼氏もいるくせにこんなことを言っていた。

 「子どもはすぐにでも欲しいんだけど、いつか白馬に乗った王子様が現れるっていう幻想がいまだにあって」
 「だから結婚とか今は考えられないんだよねー」

 妥協こそが人間的成熟と信じているぼくとしては信じられない話だが、なかにはこういう人もいるのだろう。理想を追求するのも、それはそれでいいのかもしれない。

 しかし、「白馬に乗った王子様」を希求しながら「子どもはすぐにでも欲しい」。これってどうなんだろう。

 ということは、だ。白馬に乗った王子様が現れたら、すぐさま子作りへと突入するわけですか。

王子: (パッカパッカパッカ…)白馬に乗って登場。「私が王子様だ!」
女性: 「ああ、はじめまして王子様。ずっとお待ちしていましたわ!」
王子: 「よし、さっそく始めようか」 ビリビリビリッ!(女性のパンストを破る音)
女性: 「ああ、王子様!」
王子: 「ふふふ、濡れそぼった蜜壷に小生のモノを…。グッ、どやっ!!」
女性: 「ああ、この瞬間(とき)をどれだけ待ち望んだことか!」
王子: スコスコスコッ。ピュッ。
女性: 「子どもの名前、どうしようか?」

 理想はある程度低いほうがいいかもしれないなァ、と思います。

 

10月12日(火曜) 深夜

 少し前に出産した同僚の女子社員が育児雑誌を読んでいた。見れば『ひよこクラブ』である。

 訊いてみたところ、『○○クラブ』という雑誌( or 書籍)は赤ちゃんの成長にともなってシリーズ化されているらしい。

『プレたまクラブ』:これから妊娠する予定の女性へ。
『たまごクラブ』:妊娠中のお母さんへ。
『ひよこクラブ』:出産したばかりのお母さんへ。
『こっこクラブ』:少し大きくなった子どもを持つお母さんへ。

 いろんな育児雑誌があると思っていたら、こういうことでしたか。今後は一層広い読者をターゲットにするべく、さらなる雑誌の刊行が期待されるところである。

『にわとりクラブ』:少年少女の子どもをもつお母さんへ。
『軍鶏(シャモ)クラブ』:我が子が反抗期に入ったお母さんへ。
『やきとりクラブ』:我が子を家事で失ったお母さんへ。
『とりがらクラブ』:我が子への葬儀特集。

 ちなみにぼくも、幼少のころに妹を一人亡くしております。当時『とりがらクラブ』が発売されていたら、ぼくの母も買っていたかもしれません。

 いち早い刊行を祈りつつ。

 

10月11日(月曜) 深夜

 たまにテレビを見ると「芸能人に別の名前をつける」という一人遊びばかりやってしまう。

 気分は悪徳マネージャーである。たとえば、加藤あいが出演している番組。気がつけば妄想の世界へと自らをいざなっている。

 加藤:「おはようございます!」
 オレ:「おはよう加藤クン。ところでキミの新しい芸名が決まったよ」
 加藤:「えーっ、名前を変えるんですか!?」
 オレ:「うん、いろいろ考えたんだけど」
 加藤:「私、どんな名前になるんですか??」
 オレ:「まァ当初は、加島愛子とか藤本愛美とか、無難なのにしようと思ってたんだけどね」
 加藤:「……」

 気まずい沈黙が重くのしかかる(一人でテレビ見てるだけなんですが)。

 しかし、妄想は容赦なく続くのであった。


 オレ:「そろそろ冒険も必要だと思うのね。やっぱ」
 加藤:「はァ…」
 オレ:「で、決めました。キミ、明日から“タンク乳汁(ちちじる)”になるから」
 加藤:「ええっ! 私、嫌です!!」
 オレ:「そんなワガママが業界で通じると思っとるのかねっ!」
 加藤:「だって私、胸だってぜんぜん大きくないですし…」
 オレ:「あのさあ、胸がどうこうって問題じゃないんだよね」

 そしてバラエティ番組に出演した彼女。自己紹介のトークタイムになって。

 「タ…タンク  …ですゥ」
 「ごめん、よく聞き取れなかった」
 「タンクちちじるですゥ」
 「はーい、今日のゲストはタンク乳汁さんでーす!!」


 よく分からない日記ですみません。ええっと、加藤あいさんには何の恨みもないですので念のため。

 病を憎んで人を憎まず、ということでひとつよろしくお願いいたします。

−−−

 ただ、こういうことばかりしてると、週刊誌なんかで加藤あいの顔写真を見るたびに。

 「あー、タンク乳汁さんか…」となってしまうのが難儀なところであります。

 

10月10日(日曜) 夜

 後輩のSさんが財テクに凝っている。

 決して多くはないはずの貯金をちょっとでも増やそうとして、いろいろ調べているようなのだった。

 「この銀行の○○定期にしようかしら」
 「××積み立てのほうが長期的にはいいかなァ」
 「REITファンドは高金利だけどリスクがあるし…」

 そんなSさんのカバンの中には、財テク関係の書籍や雑誌が何冊もつまっていた。合計したら1万円分くらいになるんではないか。

 ええと今のご時勢、1万円の利子を得るのがどれだけ大変かは、あなた自身が一番よく知っているはずですが…。

 まァ、こうやってアレコレ考えてるのが楽しそうだから、それはそれでいいんでしょう。はい。

−−−

 さて本日、某ポータルサイトに書いた小ネタ記事、「時価6000万円の純金トイレ」がアップされております。

 香川県は宇多津に展示されているという、時価6000万円の純金製便器を見に行ってきたレポートです。バブル時代の遺産って、どれもこれも最高に芳ばしくてたまらない魅力がありますな。見に行って本当によかった。

 ちなみに純金は投機の対象にもなるようで。戦争が起こるたびに価値が上がる便器、と考えることもできます。

 よろしければ、ご覧いただければ幸いです。

 

10月8日(金曜) 夜

 明日は臨時の土曜出勤が入っているので、金曜なのにあんまり飲まず。

 出勤日が多いほうが健康でいられるような気がしてくる。でも休日の大ファンです。

−−−

 ヨーロッパを旅行してきた同僚Fさんが言っていた。

 「外国人って、ティッシュペーパーを異様に大切にするんだよ」

 現地の列車で隣席になった人がジュースをこぼして困っていたので、Fさんが持っていたティッシュを差し出したら、相手はたいそう感激してジュースを拭いたうえ、使い終わったティッシュを丁寧に折りたたんでハンドバッグに仕舞いこんだ。

 そしてしばらく後、その外国人(というか現地人なのだが)は、さっきのティッシュを取り出して鼻をかみ始めたのだという。Fさんが慌ててもう一枚ティッシュを差し出すと、そのティッシュも鼻をかんだあと、丁寧に折りたたんでハンドバッグに仕舞いこまれたのだという。

 Fさんは「ヨーロッパではティッシュは貴重品なのかな」とコメントしていたけれど、言われてみるとぼくも似たようなところがある。鼻をかみ終わったティッシュをそのまま捨てるのがどうも勿体ない気がするんである。なんとかして、もう一度くらい使えないものかと考えてしまう。

 先日も、生乾きのティッシュ(鼻かみ済み)でパソコンのディスプレイを拭いたら、残っていた鼻水がディスプレイにべっとり付着して大変なことになってしまいました。

 こびりついた鼻水をとるのに、ウェットティッシュを4枚使ってしまいましたよ。

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 さて昨日、Go smoking に書かせてもらっているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「百害あって一利あり」 ですタバコに関するコラムとしては非常にありがちなタイトル。ただ、前半はクソマジメに「タバコの利」について書いてるんですが、後半は案の定、なんだかよく分からない私的吐露になってしまいました。

  よろしければ読んでくださると嬉しいです。

 

10月7日(木曜) 夜

 今回は社会派風刺日記ですぞ。

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 アメリカ軍は冷戦以降も、宇宙兵器への取り組みを続けているらしい。

 「敵のミサイルを宇宙から撃ち落す」というかつてのSDI計画を筆頭に、「宇宙から地上を攻撃する」「他国の宇宙衛星を破壊する」といったプランまで開発されているんだとか。いやー、すごいですねえ。(ソースは Wired News)

 ただ、アメリカ軍がこんなことをすれば、他の国だって黙っていないだろう。「ワシもやるで!」「ウチかて負けへん!」と、宇宙兵器の開発・実用配備に拍車がかかることは想像に易い。このままいくと数百年後には、戦場の主舞台は宇宙になっているのではないか。

 するとどうなるだろう。

 戦場の位置は時代とともに高くなっている印象がある。この前のイラク攻撃でも、「制空権」をとったアメリカ側が勝ちとされた。敵の戦闘機がブンブン飛び回る光景を見たとき、国民たちは「ああ、負けたんだなァ」と実感したのかもしれない。

 それが今度は、宇宙での争いになるわけだ。宇宙衛星どうしのやり合いの末、勝敗が決まってしまうんである。

 で、たとえばアメリカ軍が勝利宣言をするのだ。「我が国は制宇宙権を確保した。もはや自在に貴国を攻撃できる。ただちに降伏せよ」。観念した敵国の首相は国民にアナウンスする。「残念ながら我が国は敗北した」「無駄な犠牲を避けるため降伏を決断した」。

 ただ問題は、宇宙でのやり合いなど一般市民には全然見えないということ。日常生活は何ひとつ変わらないまま、いきなり敗戦国になってしまうのだ。「アナタ、今日は卵の特売日よ!」「ああ分かったよ。クルマ出しゃあいいんだろ」なんて言ってたら突然、外国人が街に乗り込んできて。勝手に工事とかやり始めたりして。ああ、そういや俺たち、戦争に負けたんだったけ。

 こんな光景を目の当たりにした「敗戦国」の人は、「戦勝国」の人々に対してどういった行動に出るか。

 べつに爆弾を落とされたり銃弾を打ち込まれたりしたわけじゃないから、相手を殺そうとまでは思わないかもしれない。しかし、いきなり好き勝手なことをされたらすこぶる気が悪い。となると恐らく、癪に障って「長い棒でなぐる」といった事件が頻発するのではあるまいか。

 宇宙兵器の代償は、長い棒で殴打されることなのかもしれません。「トマホーク VS テロ」が突き進むとこうなるのか。ハイテクと個人との乖離、の行きつく末。

 …いやまァ、単なる個人的な妄想ですので。はい。莫迦が考える風刺などこんなものです。

 

10月6日(水曜) 深夜

 いまの今まで、かなり恥ずかしい「思い違い」をしていたことが発覚。

 デパート地下の惣菜コーナーに「ガンバルゾーのサラダ」という一品があって、たまに買っていたのだった。見たところ「豆サラダ」で、どうやらこの豆が「ガンバルゾー」という名称であるらしい。

 どうかと思うネーミングであるが、きっと品種改良で栄養価を高くしたスペシャル豆なんだろう、「食べると元気が出る」という意味でこういう名称がつけられたんだろうと推測していた。だから疲れがたまっているときや風邪気味なときなどに、滋養のためにと考えて買っていたのだった。ガンバルゾー。

 で、さっきふと、「ガンバルゾーにはどんな栄養が豊富なんだろう?」と思ってネットで検索してみたのだが、どういうわけか該当サイトがほとんどない。「スポーツにガンバルゾー!」みたいなスローガンばかりが引っかかってくるのだ。

 おかしいなーと思いながらも、それらしきサイトがようやく見つかったので読んでみたら、次のような内容だった。

 「いままで、ガルバンゾー(ヒヨコマメ)のことを、ガンバルゾーだと勘違いしてました」

 惣菜コーナーの一品を改めて確認してみたら、「ガンバルゾー」ではなく「ガルバンゾー」だった。ああー。どうかと思うネーミングだよ、とか小莫迦にしていたぼくのほうがずっと恥ずかしい勘違いをしていたのでありました。

 ちなみに、さらに調べてみたところ、和名がヒヨコマメで、スペイン語(原語)がガルバンゾー。そして英語では「チクピー」(chick-pea; ピーはグリンピースのピー)と呼ぶそうで。…チ、チクピーですかっ!!

 ちょっとだけ、がんばれそうな気がしてきた。ガンバルゾー!

 

10月5日(火曜) 深夜

 過去に撮ったデジカメの画像を整理していた。

 大量の画像を一覧していると、「どうしてこんなモン撮ったんだろう?」と自分でも首を傾げたくなる写真が次から次に出てくる。そのときは何かを感じて撮ったのだと思うのだが、改めてみると皆目想い出せないのだ。

 しかし、自分では全くよく分からない写真であっても、第三者が見ればすごい傑作になるのかもしれない。

 ここで頭に浮かぶのはやはり、デジタルEOS のテレビCMである(喫茶店のマスター役に扮する渡辺貞夫さんが、常連客の作品を見て、ことごとく「ゴキゲンだねえ!」と評する例のやつ)。ぼくの写真も、渡辺マスターに見てもらえば同じコメントをいただけるんじゃないだろうか。

 

 

ぼく: 「マスター、これ撮ったんです!」


 

マスター: 「ゴキゲンだねえ!」
 

ぼく: 「そうですか!? …じゃあ、これも見てください!」


 

マスター: 「これまたゴキゲンだねえ!」

 

 

 最近、デジカメのシャッターを切ろうとする度に、「マスターにゴキゲンと評される」ことばかり考えてしまって。

 指の力がヘナヘナに抜けて、うまくシャッターを押せません。どうしたものでしょうか。

 

10月4日(月曜) 夜

 まだ風邪が治らず。熱でフラフラしながらも出社してきました。

 そして本日、社員食堂の日替わりランチは「カレーライス&カレイの乾物」だった。高熱のせいで幻覚を見たのかと一瞬思ったが、同僚も「なにコレ!?」「ひょっとしてギャグ?」とか騒いでたので、ああ自分はまだ大丈夫なんだと安心した。

 食堂の調理師が壊れてきたのか。壊れゆくものは美しい…てな「退廃の美学」、カレーライス&カレイの乾物。

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 昼食時、同僚が「このまえの飲み会だけどさァ。おまえ記憶ある?」と前置きしてから、話し始めたのでした。

 「あのときの名倉、後輩に『写メールでオレのヘソを撮るのや!』ってしつこくからんでて変だったぞ」

 もちろん記憶にないのだが、心配になって当の後輩に確認してみたら、本当にその通りだったので赤面した。おまけに後輩は、「これが証拠写真です」と言って、ぼくのヘソが写ってる携帯電話を見せてくれた。

 「なんでこんなモン撮るんだよー」とぼくが抗議すると、後輩いわく「名倉さんのあまりの気迫に、思わず撮っちゃいました…」。

 後輩の携帯には、汚くて情けないヘソがアップで写っていた。酒を控えるのもいいかな、とちょっと思った。

 

10月3日(日曜) 夜

 風邪が順調に悪化中。あまりに寒気がするので、部屋でセーターを着て過ごしております。

 京都でセーターを着てるのは現在、ひょっとしてぼくだけかもしれない。もうじき時代がオレに追いつく。

 あと、凍らしていたポカリスエット。まだ溶けきってないうちに飲んだら、たいそう濃くてびっくりした。中学校の遠足のとき以来、15年ぶりのびっくり。なんとか早く溶かそうと必死でシェイクするのもまた15年ぶりだ。

 で、必死で溶かしたのを飲んだら、あまりに薄くてガッカリ。分かっててもガッカリする。

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 …これだけだとあんまりなので、先週撮った写真をひとつ。

 銭湯なんかによく、人工芝というか人工苔というか、そういうようなマットが敷いてありましょう。

 で、人工モノよりも天然モノのほうが上質だ、みたいなこともよく言われる昨今でありますが。

 やっぱり天然モノは嫌かもなァ、と思ってシャッターを切った一枚です。

 ええと、すみません。熱でフラフラするのでこのへんにて失礼します。

 明日から月曜日か…。人生がいやになってきた。

 

10月2日(土曜) 深夜

 昨夜、風邪気味だったのをおして飲み会に出たら、案の定ボロボロに悪化してしまいました。

 ゲホゲホ、ジュルジュル、オエー。コツコツコツコツッ!(喉が痛くてタバコ吸えないのでイライラして箱を叩いてる音)

 それでも土曜の夜に全然飲まないのは悔しいので、250mlの「ちび缶ビール」を一本だけ買ってきて飲んでおります。

 ちび缶ビールをちびちび飲んでると、「ああオレ、病気だなァ」と実感する。…というかこれ、風邪じゃなくて別の病気ですか。

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 体調が悪いときに限って用事が入っているもので。

 今日はブックファースト京都店に自作POP(1億人のプチ狂気)を置かせてもらう約束をしていたのでした。先日、ここの副店長I氏と酒席を共にする機会があって、そのときに「ウチにPOP置きに来てくださいよ」「ええ、それは是非!」という話になったのだ。

 で、ゲホゲホ咳き込みながらPOPを作り、あと約束していた「手描きしおり」をチマチマ作って書店に向かったのでありました。

初めて作ったPOP 「手描きしおり」はこんなのです

 でも、こうして自作のPOPを置いてもらえるとちょっと嬉しい(宣伝文はあまりにも恥ずかしいので、あえて判読できないように撮ってます)。

 ちなみに、この店で『1億人のプチ狂気』を買ってくださったかたには、ぼくの「手描きしおり」がもれなく付いてきます(ただし15部限定)。あまりにもショボい特典に自分でも頭がクラクラしてきますが、どれも絵柄が違ってますので、世界に一つのオリジナルということでひとつ(恐ろしく当たり前の話!)。

 ブックファースト京都店にお立ち寄りの際は、よければ一瞥してやってください。さらに買ってやってくださると一層嬉しいです(サブカルチャーコーナーに置いてあります)。 ああ、きっと一ヶ月後も、「手描きしおり」が悲しく並んでいるんだろうなァ…。

 ※店舗の案内はこちら。別ウインドウが開きます。

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 プチ狂気コーナーのほうも本日、更新いたしました。今回も100個以上の投稿を掲載しております。ご投稿ありがとうございます。

 高層ビル群を見て妄想テトリスで遊んでしまう人、喫茶店のバイト経験が長いせいで気を抜くと左下が「トレイを持つポーズ」になってしまってる人、などなど盛りだくさんです。

 よければこちらも、ご覧いただけると嬉しいです。…なんか、風邪なのに妙にがんばってしまった一日。

 


 

  2004年 9月のプチ日記 

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