2005年3月のプチ日記

3月31日(木曜) 夜

 突然ながら、故・祖父はウールソックスを愛用していたことを思い出した。

 祖父の命日には今後、墓前で「ウールソックス」と唱えることに決定。

−−−

 通勤のために朝の市内を歩いていると、ゲロ掃除の光景によく出くわす。

 百貨店の従業員が自店前の汚物を掃除しているのだ。

 その際、特殊な砂(?)をまいて、拭き取りやすくされているわけですが。 

 本日は砂の量が尋常ではなかった。

 どうやったら、こんな広範囲にゲロを吐けるんだろう。

 いずれにしても「誰が何のために?」という疑問はぬぐえない。

 ちなみにぼくは、道端でゲロを吐くのは美意識に反するので、少量ずつ痰を吐くフリをして吐いてます。大型ゴミを小さく割って、普通ゴミとして出すようなものである。

 こういう「小技」をキメてるときって、ちょっと楽しい。職人芸をこなしてる自分に陶酔する感覚というか。痰を吐くようにゲロを小出し。

 

3月30日(水曜) 深夜

 数日前の深夜、近所のモスバーガーの店頭ボードがおかしなことになっていた。

 野菜の産地が、「熊」の文字以外すべて消し去られていたのだ。おそらく酔っ払いあたりが冗談半分に消し去ったのだろう。

 熊、熊、熊、熊。 まるで熊が野菜を獲ってきたようで、ちょっと楽しいなあとほくそ笑んでいたわけですが。

 昨日、数日ぶりにボードを見てみたら。

 最下段(ピーマン)の「熊」の字は、そのまま再利用されていたのでした。この2文字だけ字体が明らかに違ってる。

 でも、なんか気持ちは分かるなあと感じた一件でありました。熊って画数が多くてめんどくさいし。

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 ところで、トマトの小島さんだけがクビになってるのがちょっと気になるところです。

 いったい何があったんでしょうかねえ。

 

3月29日(火曜) 深夜

 パクチーが大の苦手である。

 別名「香草」とも呼ばれるハーブで、これが好きな人によれば「一度食べたらクセになるよ」とのこと。

 だがぼくは、一度食べてみたらたらゲニョリとなった。うわ、くっせー!! まるでカメムシの味である(…と表現すると「カメムシ食ったことあるのかよ!」と言われるのだが、断じてそうではない)。なにが香草だ。これは「臭草」と呼ぶにふさわしいんではないか。

 ここで頭に浮かぶのは、アイスランドとグリーンランドの地名にまつわるエピソードだ。

 ご存知のかたも多いかと思うが、いずれも9世紀にバイキングによって発見された島である。

 前者(アイスランド)は温泉が豊富で緑も多く、季節には花が咲き乱れる恵まれた土地。この島を見つけたバイキングは、土地を自分たちで独り占めしたいと考え、事実とは逆の地名、誰も寄りつこうとしないような「アイスランド」と命名した。

 いっぽう後者(グリーンランド)は、島の大半が氷に閉ざされた厳しい土地。この島を見つけたバイキングは、知らない人々が土地を買ってくれることを目論んで、これまた事実とは逆の地名、魅力的な名前「グリーンランド」と命名した。

 こう考えると、「香草」もきっとグリーンランドのようなものだったと思うのだ。パクチーを発見した先住民のやりとりを想像してみる。

 「うげっ! お、おい。ちょっと、この草食ってみろよ」
 「ん…。おえーっ!! くっせー!!」
 「だろー。これだけは食いたくないよな」
 「うんうん。こんなの、他の連中に食わせときゃいいんだよ。オレたちはハンバーグとか食ってさ」
 「そうだ。これ、香草って名付けて、美味しいものだと思わせようや」
 「いいねそれ。そうしよう」
 「じゃあついでに、豆汁を固めたのは美味いから、豆腐って名付けて誰も食わないようにしよう」

 …すみません。単なる悔し紛れです。

 珍味を美味しいと思えないのって、なんでこんなに悔しいんだろう。

 

3月28日(月曜) 夜

 毎日30通くらいのスパムメールが届く。

 でもメールならまとめて削除すればいいだけなので、実はそれほど迷惑でもない。中には愉快なスパムもあるので、けっこう楽しかったりもする。

 ただ、これが実際の郵便物だったらどうだろう。

 差出人不明の小包が毎日じゃんじゃん届けられたとしたら。一日に30個も「故障したテレビ」が送られてきたとしたら。

 一週間も経てば、200個余りの故障したテレビが我が家に山積することになる。きっと「人生終わったな」と思うんではなかろうか。

 ぼくもテレビが壊れたら、回収費の節約のためにも誰かの家に郵送しようか。小学校の同級生の実家とかに、別の同級生の名前をかたって。

 「小学校時代の同級生から何十年ぶりに郵便が届いたと思ったら、中身は壊れたテレビだった」

 相手はあまりのワケの分からなさに憤死してしまうかもしれませんな。

 …あ、ホントにやるつもりはありませんよ。念のため。

 

3月27日(日曜) 深夜

 またもや大酒をくらってしまった週末。

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 以前、ウメッシュのCMに次のようなのがあった。

 (冷蔵庫にずらっとウメッシュが並んでいるのを見て)「こうなってると安心する!」

 当時はこれを見て、「酒が並んでると安心するなんて、まるでアル中じゃないか」と軽蔑していたわけですが。

 今の自分はといえば、冷蔵庫に酒が並んでいると心配で仕方がない。いったん飲み始めたが最後、ぜんぶ飲んでしまって前後不覚になるんじゃないかと不安でたまらないのだ。(だから酒は当日飲む分しか買わないようにしている)

 したがって、冷蔵庫が空っぽだと「こうなってると安心する!」。どちらかというと、ぼくのほうがマズいような気がしてきました。

 ああ、冷蔵庫にずらっとウメッシュが並んでいても大丈夫な人間になりたい。

 

3月25日(金曜) 深夜

 本日のスパムです。

 ああ、詩だ。

「圧力の靴下が消し止める」

「普通の靴下が特にコンピューターは提げる花の靴下」

「友達ここ一の知らせ」

 いいなあ、「圧力の靴下が消し止める」。「圧力」「消し止める」という言葉から受けるピシっとした整合性と、間にはさまれた「靴下」の牧歌的な響きとのすてきな照応。こんなタイトルの小説を書店で見かけたら、著者が誰であれ手にとってしまいそうである。

赤川次郎・著 『圧力の靴下が消し止める』 (講談社ノベルス)

 …人生いろんなことがあるけれど、圧力の靴下に消し止められるのだけは御免こうむりたいものであることよ。

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 ちなみに上記スパム、冒頭の「本社は専ら各種を生産する」って一節も確かな手ごたえがありますな。

 「弊社は専ら、多岐にわたる製品製造を行っております」

 こういうのがあるから、スパムフィルターをかける勇気が出ないんであります。

 

3月24日(木曜) 深夜

 勤務中、せまりくる便意をこらえつつトイレに急いでいたら、顔見知りの客に声をかけられ。

 おまけにこんなときに限って大事な長話。

 自分の表情がだんだん「ものすごい笑顔」になっていくのが手に取るように分かって楽しゅうございました。

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 職場でジュース(紙パック)を飲んでいたところ。

 同僚が「それ美味そうだなー」と言うので、気前よく飲ませてやったら、飲み終わったあとストローを手で拭いて返してきたので驚いた。

 いやまァ、自分が口をつけたストローだけに、清めてから返そうとしてくれたのだろう。その気持ちは分かるんだけれども。

 手で拭いて返されても気持ちは複雑である。その手って、トイレでちんこ握ったり、鼻くそほじったりしてるんではないか!? だったら口をつけただけのほうがキレイだと思うのはぼくだけだろうか。

 それとも彼は、口をつけたモノは何でも「手で拭いて」清めているんだろうか。

 ぼくは寛容であるから別に気にしないけれども、インドなんかでは気をつけたほうがいいと思いますよ。

 インド人から一口もらったアイスクリームを左手で拭いてしまったりしたら……。下手すりゃ国際問題にもなりかねません。

 

3月23日(水曜) 深夜

 先日ダイソーで見かけたゴミ袋。

 ゴミ袋というのはやはり、「ゴミのため」以外にもいろいろあるんだろうか。

 ちなみにぼくは、この袋に冬物のコートを入れて保管しております。言ってみれば「自分のため」のゴミ袋である。

 ああ、どうせ小生は人間のゴミですよ。

 ますます気が滅入るから、いちいち「ゴミのための」なんて書いてくれるな。

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 現在、プチ日記過去ログの一部がメンテナンスのため見れなくなってます。

 今週中くらいには復旧させる予定なので、どうぞよろしくお願いします。

 

3月22日(火曜) 夜

 会社帰りの歩道の一画で連日、「通行者カウント」が行われている。

 カウンターを握った調査員がカチッカチッと通行者をカウントする、例のやつである。

 当初は「何かのマーケティング・リサーチかな」程度にしか思わず、さほど気にも留めていなかったのだが、何度か前を通っているうちに気になることが出てきた。ぼくが前を通ってもカウントされていないのだ。前後の通行者はちゃんとカウントしてるにもかからわず。

 女性だけを数えているのかと思ってチェックしてみたが違う(ぼくの前を歩くオッサンはカウントされていた)。高齢者だけを数えているのかと思ってチェックしてみたが違う(ぼくの前を歩く大学生風の男はカウントされていた)。うわー、いったい何なんだよ!?

 以来、調査員の前を通る度にいろいろ試しておるわけでありますが。

 しかし、いずれもカウントされなかった。ああ、一体ぼくに何が欠けているというのだ!?

 悔しいので、きっと変質者っぽい人をカウントしてるのだと考えることにしよう。
 …それともひょっとして、変質者っぽくない人をカウントしてるんでしょうか。

 ちなみに、飼い主につながれた犬はカウントされてませんでした。おお同志!!

 

3月21日(月曜) 夜

 本日のトイレットペーパーです。

 トイレットペーパーの商品名に「ビクトリー」。なかなか大きく出たものである。おまけにイラストは凱旋門。

 フランスに持参して、現地人に見せてやりたいものですな。

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 ところで最近、知人から「引っ越しました」連絡の手紙が届いた。

お近くにお越しの際は是非、我が家にお立ち寄りいただければ幸いです。

 ただ、だからといって実際に立ち寄ると大ヒンシュクを買うので注意が必要である。…というのが世の共通認識だろうと思う。

 「是非」なんて書いておきながら「本当に来られても困るからね」というのは、日本語としていかがなものだろう。

 いやまァ、当初は「近くにお越しの際は、よければ我が家にもお立ち寄りください」といった文面が世間の常だったのかもしれない。だが、その表面性が次第にコンセンサスとなり、これでは礼を逸するというので、「是非〜」と書き加える風習が自然発生的に一般化したのではあるまいか。

 ただ、こういう表現の宿命として、内容がどんどんエスカレートせざるを得ない。現に「是非〜」という文面も、すでに社交辞令と化している。

 となると、礼を正すには今後、さらに濃厚な引っ越し案内をしたためねばなるまい。

「お近くにお越しの際は、是が非でも我が家にお立ち寄りいただけますよう、切にお願い申し上げます」

「お近くにお越しの際でなくとも、必ずや我が家に立ち寄っていただけるものと固く信じております」

「引っ越しました。我が家にお立ち寄りにならなければ、法的な手段を講じさせていただく場合がありますのでご注意ください」

 …でも本音は「ホントに来られても困る」。日本人はいろいろめんどくさいからいい。

 

3月20日(日曜) 夜

 飲み会続きで呑み呆けておりました。すみません。

 で、昨日はそろそろ春物のシャツがほしいなァと思ってショップを巡ってたんですが、自分のイメージどおりの商品がどうも見当たらずイライラした。どうしてこの配色なワケ? この色だったら紺色と組み合わせたほうがいいだろう!? くー、まったくショップのくせにカラーセンス悪いなァ!!

 ひとしきり立腹したのち、雑貨を買うためにダイソーに行ってみたら、正に自分のイメージどおりの配色のランチョンマットが売ってありました。

 今後はおとなしく、自分ではもっさいと思う洋服を買うことにします。

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 ええと本日、某ポータルサイトに連載しているコネタ記事がアップされております。

 今回のタイトルは「小型車で作ったリムジンやトラック〜ヘンテコ改造車大集合」。前回のコネタで取材した整備士学校 にて、小型車マーチを大改造してリムジンやトラックを作ってしまうというスゴ技を取材してきたレポートです。

 よろしければ、ご覧いただければ幸いです。

 クタクタになってるので、簡単ながらこの辺にて失礼いたします。

 

3月17日(木曜) 夜

 ぼくは野球にかなり疎いんでありますが。

 とりわけよく分からないのが選手の「背番号」だ。年功序列だったりポジション順だったりなら分かるのだが、どう見てもそうではない。一桁の選手がいるかと思えば、突然80番台が現れたりして、何かの法則に基づいているとはとても思えない。

 あれは好きな数字を自由につけていいんだよ、と耳にしたこともあるが、そんなイイカゲンなことでいいのかと納得がいかないのが正直なところである。たまに野球中継など見ていると、「なにか隠された法則があるんだろうか…」とアレコレ考えてクタクタに疲労困憊してしまう。

 そこでぼくなりに、背番号の法則を勝手に決めてしまった。彼らの背番号は「一ヶ月間のオナニーの回数」を示しているのだ。こう考えると、背中に大きく「15」とか「28」とか書いてあるのも納得がいく。野球の試合だけではつまらないから、付加情報を開示しながらプレイしているわけである。

 東京ドームでホームランを放った巨人・高橋選手の背中には燦然と輝く「15」の文字。なるほど、月に15回ですか。まァ平均といったところか。

 かと思えば、清原選手は背番号「5」。月に5回のオナニー。やはり寄る年には勝てないのか、それともモテるからオナニーに回す余力がないのか。

 …という風に試合を鑑賞するようになって以来、野球中継を少し楽しめるようになってきた昨今であります。

 ちなみに、ニュースで大写しになったイチロー選手の背番号は「51」でした。さすがイチロー、格の違いをまざまざと見せつけられる思いである。

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 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「 アイデアとタバコ 」。文章を書いてるときなどにネタが浮かばないとき、タバコを吸うとアイデアが出てくるとよく言われますが、まァそのような事柄について、実体験を交えながら書いております。

 よろしければ読んでいただけば幸いです。

 

3月16日(水曜) 深夜

 ベタな会話をうまくこなせない。

 本日も職場でたべものの話題になったとき、先輩が突然発言した。

 「ところで、最初にナマコ食べた人って勇気あるよねえー」

 うわ来たっ!! ど、どうするよ!? 瞬時にしてこわばる身体。ドクドクと波打つ鼓動。

 しかし小生とて社会人4年目の猛者、これしきの試練は軽く切り返せねばなるまい。よ、よっしゃ、がんばるぞ!!

 「ほ、ほ、ほんとに、ものすごく勇気がありますね!! ナ、ナマコを最初に食べるのはものすごく勇気がいりますよね!!」

 玉砕。

 まるで日本語勉強中のガイジンである。ああ、どうしていつもこうなるのか。

 …とガックシきていたら、隣の同僚、

 「アハハ! 確かにナマコなんて、知らなきゃとても食えないですもんねー」

 きっー、悔しい!! どうしてこんな風にサラッと返せるのか!?

 これから日々、研鑽に励む所存であります。部屋で一人でボイストレーニングしようと決意しております。

 「アハハ! 確かにナマコなんて、知らなきゃとても食えないですもんねー」
 「アハハ! 確かにナマコなんて、知らなきゃとても食えないですもんねー」
 「アハハ! 確かにナマコなんて、知らなきゃとても食えないですもんねー」

 

3月15日(火曜) 深夜

 ツタヤで『プルガサリ〜伝説の大怪獣』(北朝鮮の怪獣映画)を見つけた。懐かしい。

 邦画でいうと『ゴジラ』や『大魔神』のような本格特撮モノであるが、北朝鮮だけになかなか芳ばしい出来映えだと評判になった作品である。

 ところでこの『プルガサリ』、ぼくは公開当時『プルサガリ』と勘違いしていた。

 プル下がり。引っぱれば下がる「伝説の大怪獣」。…このポンヤカ加減はどうだろう。

 ためしにフォトショップでレタッチしてみたら、あまりにも違和感がないので驚きました。さすが北朝鮮!!

 引っぱると下がる怪獣なら、ぼくも一匹ほしいです。

 

3月14日(月曜) 夜

 読者のかたが送ってくださった本日の写真。

 きましたきました! 「エッチ液」でやんすかっ!? それも合計16リットル!! 

 ああもう小生、これを見ただけで、股間のマグマは噴出寸前、土石流の警報サイレンが鳴りやまぬ非常事態におちいっております。

 16リットル全てぶちまけられたい! …いや、それはもったいないから飲み干したい! …いや違う。むしろエッチ液でおぼれて死にたい!!

 …コホン。ええと、そういう商品じゃあないですね。頭を冷やして調べてみたところ、どうやらオフセット印刷などに用いる専用の添加液のことを、このように呼んでいるようです(要は印刷をスムーズに行うための湿し水)。

 それにしてもこのネーミング。100人中95人くらいは「エッチなおつゆ」を連想するんではないか。

 ひょっとすると、無垢な人が何の邪念も抱くことなく、この名称を提案したのかもしれない。

 課長:「エッチング用の専用添加液だけどネ。あれ、長ったらしいから、流通コードは『エッチ液』にしちゃいましょう」
部下1:「あ、あの課長…。それってどうなんでしょうねえ?」
部下2:「う、うん。私もちょっとどうかなって」
 課長:「ん、何かおかしいかね? 忌憚なき意見を聞きたいね」
部下1:「…いえ、なんでもないです」
 課長:「意見があるなら言いたまえ!! どこがおかしい!?」
部下2:「は、はい。私もエッチえ…、いや、それでいいと思います!!」

 で、周囲は恥ずかしくて誰一人指摘できないまま、現在に至っているのではあるまいか。

 それとも印刷業界では、「エッチ液が多すぎるよー!」なんてな会話が当然のように飛び交ってるんでしょうか。

 ボイスレコーダー持って印刷業界にチン入したいです。

 

3月13日(日曜) 深夜

 昨日の日記に書いた「数値インフレ」でふと思い出したこと。

 メールやチャットといった文字によるコミュニケーションは、ニュアンスを出すのがなかなか難しい。

 たとえばチャットしていて、相手がちょっとおもしろいエピソードを紹介してくれたとする。でも、ここで「アハハ」とか打って返しても、いまひとつ醒めた感じになってしまう。こういうときは、実際にはそうでなくとも、「ギャハハハハ! お腹いたいよー!!」くらいのレスポンスを瞬時に繰り出す必要があるのではないかと。

 ただ我々は、特定の表現が浸透すると、それに慣れてしまうものである。当初は「ギャハハハ!」と返されて満足していても、次第に物足りなくなってくる可能性が高い。「こいつ、本当はちっとも笑ってないんじゃないか?」と疑心暗鬼になってしまうことは想像に易い。

 …なんてなコトを考えていた昨今。先日、久しぶりに知人とチャットしていたら、次のようなレスポンスが返ってきた。

「ギャハハハハ! 飲んでたビール、ディスプレイに噴いちゃったよー!!」

 おぬし気は確かか? と言いたくなるが、真偽のほどはさておき、「面白いと感じている」旨を伝えるメッセージもここまで来ているのは確かである。

 ここで心配になるのは、これから先、「ビールをディスプレイに噴いてしまった」以上のレスポンスをどうやって編み出していくかということ。

「ギャハハハー。…笑いすぎて呼吸困難に陥ってます!! 息ができないよぅー。ゼエゼエゼエ!!」
→息もできないのによくもタイピングできますな。

「ギャッハッハハハハッ!! ゴエッ、ウグッ、グエエエエッ!! 可笑しすぎてゲロ吐いちゃったあーーー」
→ウソだろそれ。

「ウハハハハハはgh卯有為あsdrgjkl;あぎl@:あじゃうぇq23zs!!! 笑いすぎてタイピングできない!!」
→けっきょくタイピングできてるじゃん。

「ギョハハッハハハッ!! ゴットーンッ!! 笑いすぎて身体が痙攣し、パソコン蹴っ飛ばしてマザーボードいかれちゃいました(泣)」
→ええと、あの、今ちゃんとつながってるのは…。

 ノンバーバルをバーバルでやろうとするコト自体、そもそも矛盾していることよと再確認しただけでありました。ぽいーん。

 

3月12日(土曜) 深夜

 土曜出勤でした。

 上司から突然、こんなことを言われた。

 「君は雑用を頼みやすいから、つい色々とお願いしちゃうんだけど…。それだけ色々できるってコトだから悪く思わないでね」

 そうですか、ぼくにも職業適性があったんですね!! 雑用。

 評価された嬉しさを糧に、今後もがんばって仕事していこうと思います。

−−−

 全然関係ないが、中国には誇大的な表現が多い。

 いずれも「そんなワケないだろ!」と言いたくなる形容であるが、中国の途方もなさの原点をこのあたりに垣間見る気もするし、現に昨今の中国の急成長はご周知のとおりである。ここはひとつ我々も、同様の表現を身近なところから用いてみるのもいいのではないだろうか。

 最後のは何がどうすごいのか今ひとつ分からないが、こういうのこそ得体の知れない「すごみ」を醸し出すような気がします。

 「オレさァ、持ってるブリーフ並べてみたら、20坪分あったんだよね…」

 でも、この数値インフレ時代。しまいに「Zカップ級巨乳女子校生!」とか現れるかもしれませんねえ。腰にぐるぐる巻きつけますか。

 

3月11日(金曜) 深夜

 小学生当時、授業中にクラスメートが尿や便を漏らす場面に何度か遭遇した。

 みんなが淡々と授業を受けていたら突然、椅子から湯気がたちのぼってきたり、こんもりとすえたニオイが漂いはじめたりするのだ。で、近くの生徒が律儀に手を挙げて、「先生っ、○○君が大変ですっ!!」なんてって大騒ぎになるというのがパターンだった。

 これもひとえに、授業中にトイレに行くのが恥ずかしいあまり、極限まで我慢してしまったのが原因である。

 「トイレに行くのが恥ずかしいから大便を漏らす」…いま考えると、豪快すぎて信じられないような話でありますが。

 小学生の頃といえば、授業中に突然ゲロを吐くやつもいた。それまで何ともなかった友人が急に「オウェッ、オッウェーッ!! ゴボゴボゴボッ!!」とゲロを机に吐き散らかして。教室は一瞬にして、「教科書もノートもゲロまみれ、前の席の生徒もゲロまみれ」という惨状に豹変していたのだった。

 そのあと一年間、充分にゲロが染み込んだ教科書を使い続けることが決定した○○君。

 で、クラス総出でゲロ掃除をすることになったはいいが、床のゲロに足を滑らせてお尻がゲロまみれになり、体操服のジャージに着替えるハメになった生徒がいたり。さらに、もらいゲロする生徒まで現れて、余計に収拾がつかない状況になってきたり。

 …こうして回想していると、酔っ払いって小学生みたいだなとつくづく思う。うんこの話はするし、ゲロは吐くし。

 でも、酔っ払いが飲み屋で吐いても、掃除するのは店員である。小学生のほうがまだエライ。小学生以下、大人以上。

 

3月10日(木曜) 夜

 電車の中で、久住昌之さんの著書『食い意地クン』(二見書房)読了。いやー、電車の友にピッタリのちょうどよさ。

 ところで、この本に「大根役者」という言葉の由来が紹介されていた。

 生魚と大根おろしを一緒にたべると「あたらない」ことから、その役者が出ると芝居が「あたらない」というので、大根役者というんだとか。

 でも、これって確かに、著者の久住さんも指摘するように「いい働きが悪いたとえになって」いる。大根がかわいそうだ。

 今からでも遅くはない。大根をどんどん良いたとえに用いていこうじゃないですか。

  …ううん、どれもこれも猛烈に冴えない感じがするのはどうしてだろう。本来の意味のハズなのに。

 これはきっと、いったん浸透したイメージというよりは、「大根」という名称のまぬけさ加減のせいだと思われます。大きい根っこ。

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 ところでAV男優なんかはどうなんだろう。

 ちんこが小さすぎて、ちっとも奥まで「当たらず」相手が満足しないのは。

 大根男優とは呼びたくないなァ、とつくづく思いますな。 あ、もうすぐ春だ。

 

3月9日(水曜) 深夜

 社員食堂で日替わり定食をたべていたら、上司から指摘された。

 「前から思ってたんだけど、名倉さんって、ご飯とおかずの配置がヘンだよね」

 まったく自覚がなかったので、どういうことなのか詳しく訊いてみたところ。

 気になったので、今日の夕食を写真に収めてみたのが下の写真であります。

 確かにご飯が一番奥に位置しているが、これってヘンなことだったのか。

 でも、これにはちゃんと理由がある。

 真っ先に食べたかったのが「納豆おろし」と「豚おろししゃぶ」だから(なんとなく大根おろし気分だったのだ)、この二品を最も食べやすい手前に配置したまでの話である。逆にキムチなどは、たまにしか箸をつけないから一番奥にしりぞけている。

 至極理にかなった配置ではあるまいか。誰にも文句は言わせまい。オレが法律だ!!

 …と、食べ始めた当初はこのように思っていたわけでありますが。食べ進むにつれて問題点が明らかになってきた。

 手前の二品を真っ先に食べ終えて、皿が空になった後も、面倒なのでそのままの配置で食べ続けていることに気がついたんである。奥の三皿を食べるために、手前の二皿(空っぽ)を乗り越えて箸をつけている体たらく。

 今まで何となく、食事の後半は「漠然としたしんどさ」を感じていたのだが、原因はこれだったのか。

 気になって、過去に撮った夕食写真を探してみたら、案の定こんなことになってました。

 先月、デパ地下弁当を半額で買ったので嬉しくて撮ったものだが、やはりご飯が奥になっている。手前の春巻や煮豚を先に食いたかったんだろう。

 ぼくにはせいぜい丼物がお似合いのようです。

 

3月8日(火曜) 深夜

 姿を消した珍しいプリペイドカードには高値が付いているものが多いという。

 テレホンカードしかり、イオカードしかり。

 そういえば10年以上前、ラガールカード(阪急電車のプリペイド)に珍しいのが登場したことがある。

 なにも印刷されていない「全面まっしろ」のカードで、「好きな柄を自由に書き込むことができます!」とのふれこみだった。

 この「全面まっしろラガールカード」は、あっという間に店頭から姿を消したが、現在高値が付いているという話はとくに聞かない。

 珍しければ高値が付く、というものではないようです。

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 ちなみにぼくは中学生の頃、この「全面まっしろラガールカード」を親戚からもらって存在を知ったわけですが。

 せっかくなので何か書き込もうと思い、油性ペンで"AEROSMITH"と書いたことだけ覚えている。

 こんなカードを臆面もなく改札に通していたのかと思うと、改めて自分が不憫です。かわいそうな家んとこの子。

 

3月7日(月曜) 夜

 酢は健康回復にいいと言われる。

 ただ、酢そのものが栄養になるというよりは、酢が体内の老廃物排出をうながすのが良いのだと読んだことがある。

 つまりこういうことだ。

 酢は炭水化物が酸化(=腐敗)したものであり、人類にとっては、エネルギーとしての利用価値のない「不要なもの」である。だから子どもは本能的に酢をいやがるし、それよりも酸化する前の炭水化物を食べたがる。大人になっても酢がキライな人たちだって大勢いる。

 ただ、このような酢が体内に入ると、人間のからだは「不要なもの」を取り込んでしまったことを感じ取り、体中の老廃物をがんばって排出しようとする。その結果、だ液がたくさん出たりすると同時に、内分泌も活発になって全身がリフレッシュするというわけである。

 だから、歳をとるにつれて酢が好きになってくるのは理にかなっているし、疲れたときなどに酢をとるのもいいのだという。

 …という話を読んでふと思ったのが、「これって職場にも応用できるんじゃないか」ということ。

 社員たちの間に疲労の雰囲気が漂ってくると、「職場にカンフル剤を!」なんてな叱咤激励が飛び交うことがある。で、他部署から元気いっぱいの新入社員が回されてきたりするんだけれど、これってどうなのかねえと思っていたのだ。

 疲れているときにモーレツ野郎が闖入してきたら、ますますしんどくなるのは自明ではないかと。

 そこで「酢」の効果に注目してはどうだろうかと。

 疲れ切った職場へのカンフル剤として、ヨボヨボでやる気ゼロのヘタレ社員を投入するのである。こうすれば社員たちも、「うわ、オレたちよりヨボヨボな奴が入ってきたよ!」「こりゃあマズいんじゃないの!?」てなことになり、内部から自浄作用が働くんではないだろうか。

職場のカンフル剤〜ビネガー社員

 このような社員も一人や二人、職場に必要だと思う次第でありまして。

 ぼくも社内での生き残りに必死なのです。はい。 ますますヨボヨボになるぞーっ!!

 

3月6日(日曜) 夜

 ずっと家にいた一日ながら、携帯電話で友人と長話をした。

 ただ、途中でうんこをしたくなったので困ってしまった。せっかく話が盛り上がっているのに、「ちょっとうんこ…」とはどうも言いにくい(べつに正直に申告しなくてもいいんだけど)。うんこのせいで話の腰を折るのも申し訳ない。

 そこで意を決して、喋りながらこっそり排便してみたら、相手には何も悟られなかった。音がしないようブツを軟着陸させ、ペーパーも静かに巻き取った甲斐があったというものだ。いやー、携帯って便利ですねえ。

 ただ、このまま携帯電話が進化して、テレビ電話が当たり前の時代になったら…と考えると不安になってくる。うんこをきばっているときの表情は、どうにもごまかし切れない気がするからである。

 それにしても、うんこきばってるときの表情。どうしてあんなに情けないんでしょうねえ。石原軍団の面々もイチロー選手も、うんこきばってるときは皆、「困ったような顔」になっているんでしょうな。

 関係ないけど、子どものころ、電話が鳴っている間もこっちの声が相手に聞こえてるんだと思って緊張していたことを、ふと思い出しました。

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 さて本日、某ポータルサイトに連載しているコネタ記事がアップされております。

 今回のタイトルは「大破した自動車を修復する」。 交通事故で大破した自動車をカンペキに修復してしまうプロフェッショナルたちを養成している、京都の整備士学校を取材してきたレポートです。

 鉄クズみたいになってしまった自動車がどんどん蘇っていく様子など収めてます。よろしければ、ご覧いただければ幸いです。

 

3月5日(土曜) 夜

 昨夜、テレビでやっていた映画をビデオに録画しておいた(時間の都合で観れなかったので)。

 そして本日、ビデオを再生してみたら、ラスト15分くらいで録画が途切れていた。思っていたよりも長時間の映画だったので、120分テープに収まり切らなかったのだ。

 映画がラスト15分で「おあずけ」になってしまうこの切なさ。ああ、この後ストーリーがどうなったのか気になって仕方ない!!

 で、居ても立ってもいられず、最後の15分を観るためだけにレンタルビデオ屋まで走ったわけでありますが。

 あろうことか、その映画に限ってビデオもDVDも両方レンタル中だった。畜生、昨日テレビでやってた映画をなんで借りるんだよっ!?

 でもそういや、テレビ放映された映画が翌日よく「貸し出し中」になっている気がする。前からその理由が謎だったんだけど。

 ひょっとして世の中には、ぼくみたいなたわけ者が大勢いらっしゃるんでしょうか。

 …このバカ者たちめ! キミらのせいで、ぼくは観たい映画が借りれないのだぞっ!!

 

3月4日(金曜) 夜

 不覚にも酔っ払っているので、同僚から聞いたうんこみたいな話を書きます。

 相手に好印象を与えるには、自己開示(自分をさらけ出す)のタイミングが大切なんだそうだ。

 「知り合った当初は自己開示を控えめにして、そのあと少しずつ自己開示していくのがいいんだって!」

 なんとなれば、最初から自己開示する人は、相手から「この人は誰にでもすぐ自分をさらけ出すのね」と思われてポイントダウンする。一方、いつまで経っても自己開示しない人は、相手から「この人は私には自分を出さないのね」と思われてポイントダウンする。

 だが、少しずつ自己開示すれば、相手から「この人は私だからこそ自分をさらけ出してくれるのね」と思われてポイントアップするんだと。

 そうですか。ふーん。

 個人的には、こんなコト計算して少しずつ自己開示してるような連中にだけは、関わり合いになりたくないと思います。

 …というか、こんな話を同僚から聞いたせいで。

 今後、ごく普通に親睦が深まっていく相手に対しても、妙に構えてしまって非常にギコチナイことになってしまいそうな予感。

 でも、ギコチナイ対人関係って味わい深いから、これはこれでいいか。

−−−

 ちなみにぼくは、いつまで経っても自己開示しない、誠にしんきくさい人間なんでありますが(泥酔したときは別として)。

 これはきっと、いままでの人生で自分が受け入れられなかった経験が積み重なっているという、「トラウマ!?」のせいだと思います。

 …と、いきなり唐突に自己開示。こんなヤツが一番信用できませんな。ポクポクポクポクポクポクッ!!

 

3月3日(木曜) 深夜

 先日の「ためしてガッテン」にての一幕。

 「スーツにエプロン姿」ってどうなんでしょうねえ。スーツにネクタイ締めてフライパン。

 「裸にエプロン」といい勝負だ。

−−−

 久しぶりに携帯電話をチェックしたら、知人からのメールが数通たまっていた。

3/1/19:32 件名: ○○の予定について
3/1/22:48 件名: よければ返事ください
3/2/17:55 件名: 解決しました。忙しいところすみませんでした。

 ぼくからの返信が一向にないものだから、一旦は催促してみたものの。翌日になっても音沙汰ないので、よほど忙殺されているのだと思われたようだった。

 すみません。あまりにもメッセージが届かないので、週に数回しか携帯をチェックしないのです。

−−−

 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「 タバコの隠語について」。 ぼくがタバコを吸い始めた高校生当時、会話を教師に聞かれてもだいじょうぶなように、タバコの隠語をあれこれ試行錯誤していたエピソードについて書いております。最終的にたどりついたぼくらの隠語とは…。

 よろしければ読んでいただけば幸いです。一昨日の更新には、筒井康隆氏のコラムもアップされておりますよ!!

 

3月2日(水曜) 夜

 ぼくの家は親が厳しかったので、小学生のころ「少年ジャンプ」を読ませてもらえなかった。

 下品な漫画が載っているから、というのがその理由だった。そのくせ『アラレちゃん』のコミック単行本は全巻買ってくれたのが謎だけど、親としては、単行本は書籍だという認識だったのかもしれない。

 それはさておき、少年ジャンプ。

 ならばこっそり持ち帰って自室で読めばいいじゃないか、と思われるかもしれない。しかしそこは、親もぬかりなかった。家に帰るとまず、ランドセルから給食袋を取り出すのが親のルーチン作業となっていたのだ。妙なモノを持って帰っていないか、ここでチェックされるという按配である。

 当然ながら、ぼくのほうも抜け道をいろいろ考えてみた。たとえば、ランドセルがダメなら、シャツの下に隠して部屋に持ち込めないだろうかト。

 だが実際にやってみると、ジャンプは分厚いうえに大きいので、とてもじゃないが小学生の衣服ではカムフラージュできなかった。くそっー!!

 数ヵ月後ぼくは、シャツの下に隠して部屋に持ち込めるサイズの雑誌をこっそり読むようになっていた。ジャンプよりも小さいサイズの雑誌。それは「BOMB!」や「SUGAR」といった、エロ本と言っても差し支えのないグラビア雑誌だった。これなら持ち込めるぞ! と思ったんである。

 少年ジャンプを親に禁止されたが故の、ボムやシュガー。安易に禁止するのは考えものだ、ということです。

 

3月1日(火曜) 夜

 深刻な少子化に悩む奈良県が、地元での「出会い系メルマガ」を県みずから配信しはじめたニュース。

 少子化を食い止めようとするこのような政策は、「役所による結婚ボーナス」をはじめとして、今までにも色々と試みられいるようですが。

 政府や役所が子作りを推奨する時代というのも妙なものだなあと思う。いやまァ、戦前の「富国強兵」「産めよ増やせよ」政策にまでさかのぼれば、これも当たり前すぎる政策なのかもしれないけれど。

 そもそも若者は、「お上の言うこと」に反抗したがるものだ。そのうちパンクバンドなんかも主張しはじめるかもしれない。

 「みんな猛烈に避妊しようぜ! 中出しするくらいならスーサイド!」
 「ファックは計画的にするぜベイブ!!」

 "Sex Pistols"なんてな名称も、いつか「政府の太鼓持ちめ!」とバッシングされるようになったりして。

 いろいろ面倒な時代になってきたので楽しい。

−−−

 それにしても少子化問題。

 こんなの個々人の問題なんだから、別にいいんじゃないのと個人的には思うものの。

 文化や科学が急激に進展して、大量エネルギー消費社会に突入したのと時期を同じくする、急速な少子化傾向。これには避妊・中絶の技術向上もあるんだろうけど、それよりも、子作りに昔ほどの魅力が感じられなくなったことに原因がある と考えるのが自然だろう。

 地球上で誕生した単細胞生物からはじまり、おサルや原始人といった形で地味に過ごした末、我々人類の中に受け継がれている遺伝子の鎖。

 しかし当の遺伝子としても、現在のような「子作りよりも楽しいコトが身辺にあふれ返る時代」の到来は、予想外の環境変化だったのではあるまいか。「プログラムが想定しない環境下での生命活動」という事態に直面し、さまざまなバグ(よくも悪くも)が起こっているのが、人類にとっての現代社会であるような気がするのだけれど。

 本来、プログラムの中で最優先されるべき「自己保存」と「生殖・繁栄」が、自ら作り出したノイズ(種々の娯楽や擬似世界など)のおかげで、どんどん下位に押しやられているのではないだろうかと。

 でも、これが必ずしも悪いことだとは思わない。結果的に少子化が「人類という種の長生き」、しいては「地球で誕生した生命の長生き」につながるかもしれないのだから。

 こう考えると、少子化は個人主義というよりも、実は全体主義なのかもしれませんな。

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 …なんだか真剣に書いてしまって恥ずかしいが、莫迦のたわ言ということで、ひとつ大目にみてやってください。

 


およそ番目です。

   2005年 2月のプチ日記 

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