6月30日(金曜) 深夜
この蒸し暑いなか、ヤケになっておでんを作ってみたら意外にいけた。
おでんって、煮抜き(ゆでたまご)が入るだけでグッと豪勢になりますな。原価は厚揚げのほうがずっと高いんだけど。
ちなみにおでんって、漢字で書くと「御田」なんだそうで(煮込み田楽の略)。どこまで平和なんだ。
−−−
勤務先でときどき、プレゼンの仕事を担当させられる。
ぼくは口下手なので、こういう仕事はあまり得意ではないのだが、上司はいつも無理難題を言ってくる。
「今日も顧客の何人かが寝ていたじゃないか!」
「クライアントを誰一人寝かせないプレゼンをするように!」
顧客が寝るということは、それだけリラックスできるプレゼンだという証左であるし、寝てくれているほうが自社のボロがでないのでいいと思うのだが、上司の命令には逆らえない。
そこでパワーポイントのスライドに音声を埋め込んで、クリックするたびに「ヒュー、ボーンッ!」と大音響が鳴るようにしてみたところ、ますます上司から叱られた。「恥をかかすなバカッ!」「大音響のなか寝ていた人だっていたぞ!」と。
寝かせなきゃいいのなら、パワーポイントなんかやめて(部屋が暗いから眠くなるのだ)、レジュメだけを配ることにしよう。そのうえで、小学校の授業みたいに顧客を順番に当てて、レジュメを音読させるのだ。自分がいつ当てられるか分からない緊張感があれば、きっと誰も寝やしないだろう。
それとも聴衆用のイスを全て撤去して、全員ロデオマシーンに乗ってもらおうか。
6月29日(木曜) 深夜
アウトドア雑誌を立ち読みしていたら、ものすごく豪勢なキャンピングカーが紹介されていた。
車内にはキッチンはもちろん、冷蔵庫にベッド、そして居間まで完備しているんだとか。
たしかに快適そうだが、しょせんは車である。どうしても空間がせまくなるし、防音性にも問題がある。連泊するなら洗濯機だってないと困る。
快適なアウトドアライフを極めるためには、さらなる工夫が必要だろう。
こうすることによって、ようやく本当に快適なキャンプ生活を楽しむことができるのだ。名づけて「ハウスキャンプ」。
お金が有り余ってるかたは是非。 …あ、ぼくがいま住んでる部屋もハウスキャンプ場だ!
6月28日(水曜) 深夜
とある尊敬する方が、「ニワトリが先か卵が先か」に関するブログを書いておられた。
結論は卵が先だというもので、理由は「生物の遺伝物質は生きている間には変わらないから」とのこと。
それはまァいいのだが、続くコメント欄にさまざまな反論が寄せられていた。「私はニワトリが先だと思う。人々がニワトリと命名したのは卵を見たときではなく、親鳥を見たときだろうから」「いや、名前がついた時点でその卵までさかのぼってもいいのではないか?」等々、終わりの見えないエンドレスな議論。
ほんとに文字通り「「ニワトリが先か卵が先か」みたいな議論だなと、見ていて嬉しくなりました。正にこれのことやがなっ!!
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ちなみにこの問題、ぼくも個人的には「卵が先」だと思っているんですが。
たとえばこんな話がある。
現在の科学技術を使えば、ニワトリとウズラのキメラ(合いの子)を誕生させることができるらしい。受精後3〜4日目のニワトリとウズラの卵を操作して、発生途上の胚を一部入れ替えると、「ウズラの黒い羽根を持つニワトリ」なんかが孵化してくるという按配である。
ではこの場合、キメラが先か卵が先か? いうまでもなく卵が先である。親鳥はいずれもキメラではないし、卵から生まれる前からキメラなのだから。
この法則にしたがえば、「ニワトリが先か卵が先か」の結論も、「卵が先」ということになる。
生まれる前には命名できないという意見に対しては、シニフィエ&シニフィアンは時間的に連続しているからこそ、言語における「記号」の共通了解が成り立つというより他ない。生まれる前のニワトリは 「ニワトリの原形」だと考えるのが言語のアイデンティティではなかろうか。
ただし、「キメラが先かキメラの卵が先か」という命題であれば、答えは当然ながら「キメラが先」になる。キメラの卵は、キメラからしか生まれ得ないからである(キメラに生殖能力があればの話だけど。実際はきっとこうはならない)。
そして、こういう検証のすえ生まれるのは、「結論が出ない議論をたとえる比喩が無くなってしまったじゃないか!」という当たり前の意見だろう。「卵が先」という結論がコンセンサスになってしまったら、我々は表現を変えるしかない。
「ニワトリが先か卵が先か? それとも、ニワトリが先かニワトリの卵が先か?」
…こんな長ったらしい比喩だけはごめんである。科学は人類を便利にするとも限りませんな。
6月27日(火曜) 夜
ノンフィクション絵画。
…というのをふと思いついたけれど、よく考えたらものすごく当たり前ですな。
−−−
そして本日のポリスです。
デパ地下のデリをしばらくウロウロしておられました。
メシを買いに来ているのか巡回しているのか、しばらく観察してみたものの全然分からず。
こちらも意地になってずーっと見ていたら、10分ほど後、突然「鶏の唐揚げ」を手に取って立ち去られたのでありました。
なあんだメシか。
6月26日(月曜) 夜
奈良の医師宅が長男によって放火され、母子が殺害された事件。
ニュースでやっていれば見ている程度でしかないのだが、なんとなく思うところがあるので書いてみる。
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報道によれば、外科医である父親から同じく医者になることを期待されていた長男は、小学生のころから父親によるスパルタ式教育を受けていたという。「集中勉強室」なる部屋に閉じ込められて、勉強ができないと殴られることもあったんだとか。
で、有名進学校に進んだものの、いくらがんばっても父親の要求する成績に届かず、そのことが事件のきっかけのひとつではないかと推測されているわけでありますが。
こういう「英才教育」みたいなのの歪みを見聞きするたびに、なんだかなァ…とやりきれない気持ちになってくる。
父親はどうやら有名どころの医者らしいから、「勉強をこなす能力」(IQとほぼ同義)に関しては相当高い人物だったのだろう。それはまァいい。が、その先の「子どもにも自分と同じ道を強要した」行為は、かなり問題だと思うのだ。
養老孟司もどこかで書いていた気がするけれど、ぼくが大学で心理学を専攻していたとき、IQは正規分布することをまず学んだ。つまり、ほとんどの人が標準域のIQレベルに位置するということである。
IQは高いほど知能が高いとされ、100が平均、70〜130が一応「正常」とされる。これより低くても高くても「異常」に分類され、人口比でいえば異常値をとる者は全人口の5%しかいない。よくも悪くも「外れ値」である。
ということは、IQがずば抜けて高い親から生まれた子どもは、ほぼ間違いなく親よりも低いIQになる。両親ともIQが高ければ、子どもも平均よりは高いIQになる確率が高いけれど、親より高いIQになる確率は非常に低い。これが正規分布の考え方である。
…こう書くと意外に思われるかもしれないが、ホクロの数や身長、運動神経といった形質であれば、上述のことが経験的に実感できるのではないかと思う。IQの場合、環境要因の寄与も大きいから話は多少複雑になるけれど、おおざっぱに考えれば同じと言っていいだろう。
たとえばホクロの数が妙に多くて100個くらいある親がいるとしよう。この親から生まれる子どもも、平均よりはホクロが多くなる可能性が高いが、それでも親より多い300個とかにはならない気がする。おそらく平均よりも少し多い30個あたりに落ち着く可能性が高いのではないか。
あるいは日本人で身長190cmという親がいたとしよう。これは日本人としては「外れ値」的な長身であり、その子どもも長身にはなるだろうが、190cm超の巨人になる可能性は低く、せいぜい180cm前後に落ち着くのではないか。
はたまた、長嶋茂雄やイチローのようにずば抜けた野球センスを持つ親がいたとしよう。その子どもは、平均よりは野球がうまくなる可能性が高いが、親を超えるスーパースターになるかといえば、そうでないことは事実が物語っているのではないか。
したがって、「外れ値」的に能力が高い親は、間違っても「我が子も同じように〜」などと考えないほうがいい。自分よりも平均に近づくと思っていて丁度いいんである。
そして奈良の長男の親も、このあたりの事情をもう少し斟酌してあげればよかったのに、と思うのだ。
もちろん長男の彼は優秀な人材だったろうし、医者になる能力はあったのかもしれないけれど、少なくとも周囲がそれを規定したり無理強いしたりするのはなにか違うんじゃないかと(芽は自分から出るからいいのであって、無理につまみ出そうとしても折れてしまう だけである)。
逆にいえば、あまり能力が高くない親は、我が子に少々の期待をしてもいいかもしれない。自分よりも高い能力を発揮する可能性のほうが高いのだから、子育ての喜びも大きかろうというものだ。
もしも将来、ぼくに子どもができたなら、自分よりはいろいろマシな子どもになるかも…と考えると素直に嬉しい。
−−−
ちなみにぼくの父親も医者なのだが、このあたりの事情はなんとなく察していた節がある。
子どもの頃からそれなりに教育熱心だった父ではあったが、小学生の時点ですでに言い渡されていた。
「おまえは医学部は無理そうやから…。そうや、農学部がええと思うっ! これからはバイオの時代やから、品種改良した種を作るのや!!」
「新しい種はいいぞー! 冷害に強い稲とか、ものすごい美味しい枝豆とか開発するんや。成功したらかなり儲かるとちがうかなァ」
いつの間にか「将来は農学部に入って品種改良の種を作る仕事に就く」ことになっていたわけで、いま思えばこれはこれで滅茶苦茶な話である。が、医者になることを息子に期待するような愚行をしでかさなかった点においては、父親の賢明さに感謝したいと思う。
もちろんその後、農学部に入るわけでもなく品種改良の種を作っているわけでもない。人生そんなもんである。
6月25日(日曜) 深夜
昨夜も三条・カフェオパールにて酔いつぶれてました。
カウンターで飲んでいたのだが、たまたま隣にすわっていた男性がぼくのことを知ってくれていた。どうやら大学院の後輩らしく、研究室のパソコンの「お気に入り」にプチ日記が入っているので読んでいたとのこと。
ひょんな奇遇に酔いがヒートアップしてしまった小生、後輩相手に「これも何かの縁やから、君の運勢を占いしてあげます」とか言って。
で、思いつきでやったのが「任意占い」。
どういうのかといえばこれ、「相手の名前の画数を任意の数字に置き換え、さらにその数字を任意の一数字に変換して、その数から任意の解釈を導き出す」という、いささかアバンギャルドな占いである。
せっかくなのでいい占い結果をと思い、「死にかけるけど結婚するよ」と申し上げておきました。
6月23日(金曜) 夜
野暮用で実家に帰っておりました。
我が実家には、母親の手による「注意書き」がいたるところに鎮座している。
水道の傍ら:「終了後は水道を止めること!!」
終了後ときますか。
居間の床:「乗らない様に。床が抜けかけているので」
床が抜けかけている家というのもどうかとは思うが、それはまァ仕方ない。築34年ともなればガタもくるだろう。
でも家族しかいないんだから、「床が抜けかけてるので」なんていちいち書かなくてもいいと思います。
それとも来客用だろうか。床が抜けかけてるので。
−−−
実家から帰り際、母が缶ビールを2本持たせてくれた。
こういうのは素直に嬉しいのでよろこんでいたら、「これも持って帰るか?」と大きな包み紙を手渡された。
中身を見てみたら、ドライペット(タンス用の乾燥剤)が3つ入っていた。
「ウチにもあるからいらんわ」とご辞退申し上げました。
6月22日(木曜) 深夜
本日の彫像です。
いやまァ、マイホームなんだから、何を置いたって家主の自由なんでありますが。
前を通るたびに、「やってしまいましたですな」と心の中で声をかけてしまいます。
先日、念のため触ってみたらプラスチックの空洞でした。中に赤ちゃんの白骨死体とか入ってたらびっくりするね。
6月21日(水曜) 深夜
本日のサッカーグッズ。
このレトルトカレーのなにがどう「サッカー日本代表チーム」なのか、スポーツに疎いぼくには今ひとつ分からないのだけれど。
何事もレトルトカレーになった時点でダメになってしまうのではないか。
感覚としては「レトルトカレーと同じ土俵にまで堕ちた」ような印象なんですが、それを言えば、巷にあふれている「○○記念缶ビール」だって同じことですね。商品に貴賎なし、こういう先入観こそ排除すべきなのかもしれない。
「まだまだチャンスはある」ブラジル戦を間近に控えた現在、さらなるW杯グッズの登場が望まれるところである。
…というか、昔はこういうパターンの日記ばかり書いていたなァと、自分で懐かしくなってしまいました。ダメですなこりゃ。
6月20日(火曜) 夜
携帯のメールボタンとアドレス帳ボタンをよく押し間違える。
上下に並んでいるうえ、どちらのマークも文書っぽいものだから、無意識のうちに指が動いてしまうのだ。
ちなみにメールを読む操作は「メールボタン→決定→決定」なのだが、さっき、この操作をアドレス帳ボタンでやってしまった。その結果、アドレス帳の最初に入っている人に電話をかける形になってしまい。
うわ、しまった! Aさんに電話かけちゃった!!
あわてて通話を切ったのだが、着信はモロに残っているはずである。しばらくしたら案の定、相手から電話がかかってきた。
「名倉さん…ですよね。お久しぶりです、Aです。さっき電話くれました!?」
Aさんといえば4年ほど前、一度だけ東京で会ったことのある「知人の友人」(30代男性)である。数時間酒席を共にしただけの関係なので、当然ながら電話で喋ることなど何ひとつない。が、咄嗟の事態にすっかり動揺していたこともあり、ついつい普通の会話をおっぱじめてしまった。
ぼく:「い、いやー、お久しぶりっす! Aさん、元気にしたはります?」
相手:「え、ええ。まあなんとかやってますけど」
ぼく:「じゃあ、とくにお変わりなく?」
相手:「そうですねえー。名倉さんのほうは?」
ぼく:「こちらもまあ、なんとかやってます」
相手:「そうですか…」
ぼく:「……」
相手:「…ところで急にどうしたんすか!?」
ぼく:「ええと、その。とくにどうってワケじゃないんですけど」
相手:「……」
ぼく:「どうしてはるかなあっていう、なんていうか、確認みたいな?」
相手:「はァ…」
ぼく:「で、でもお元気そうでよかったです。また何かあったら連絡しますんで」
相手:「……」
<通話終了>
電話を切ったあと、とても悲しい気分になった。この世から早く消えてほしい人がまた増えたから。
同じ過ちを繰り返さないよう、アドレス帳の最初にくる「ああああ」という名前で自分の携帯番号を登録しておきました。
6月19日(月曜) 夜
汗をかくとアトピーの調子が悪くなるから困る。
ただ、子どもの頃はもっとひどかった。関節やら首やらのいたるところに湿疹ができて、そこから滲んだ血で洋服がくっつく。で、洋服をはがすときにまたベリッ! となって悪化するありさまだった。
当時はまだアトピーが比較的珍しい病気だったので、医療もまだ進んでいなかったのかもしれない。皮膚科にいっても、とにかくステロイドをそのまま塗りなさいと言われるだけで、塗れば副作用で皮膚がゴワゴワになり、やめればアトピーがリバウンドするという悪循環。
こんな状況に対して、当初は心配してくれていた母親も、次第にいらだちをぶつけ始めた。治療を受けても一向に治らないアトピーの原因を、「ぼくができていないこと」に求めるようになってきたんである。
「大根を食べないからよっ!」
「ゴボウを残すのもよくないと思うわ!」
「学校から帰ってゴロゴロしてるのが悪いのよっ!」
「ちゃんと勉強しないからアトピーなんかになるのよ!!」
いま考えればメチャクチャな論法であるが、当時の母は真顔で言っていたのだから世話はない。
なにしろ、「原因不明の病気」が語源と言われるアトピー性皮膚炎である。原因究明のために種々のアレルゲンテストが行われ、免疫系を抑制する薬が副作用とのせめぎ合いのなか研究され続けているのが現状だというのに。
これで母の説が正しかったら、医学界・薬学界はズッコケて再起不能に陥るんではないか。
「アトピー性皮膚炎の原因は大根を食べないことであった」
いやまァ、アトピーは今のところ、免疫系のバランスが崩れることによる自己免疫疾患である、というコトまでは分かっているようなので、どう転んでも大根が原因とは考えられないのだけれど。
もちろん、無理やり大根を食べさせられたり勉強させられたりしても、アトピーは治るどころかますます悪化したのだけれど。
当時、母親のおかげで一つだけ増悪因子が分かったのだった。それは言うまでもなく「母親」である。
6月18日(日曜) 深夜
週末は飲んだくれてて更新できませんでした。
素敵な裏京都スポット・東九条(犬の肉も売られてます)を散策したのち、カフェ・オパールになだれこんで。
京都の縮図たる東九条
あやうく犬の肉を買いそうになったけれど我慢しました。
クイズ:犬をあたためるとできる食べものはなーんだ? (こたえは日記のおわりにあるよ!)
−−−
さて、本日の猫よけです。
この気迫は猫に伝わるのだろうか
執拗なまでにみっしり置かれたペットボトル。
当初は数本程度だったと思われるが、おそらく効果がなかったのだろう。で、さらにどんどん増やし続けたところ、次第に「完全癖」が出てしまったのではないか。「寸分の隙なく囲んだら猫とて入れないだろう」なんてって自分に言い聞かせたりして。
でも猫はペットボトルくらい、ひょいと飛び越えてしまうと思います。
偏執的な気迫がちょっと恐いので、人は来なくなりそうですが。
−−−
こたえ: ポシンタン (ホットドッグではないよ!)
6月15日(木曜) 深夜
少ないながら夏のボーナスが出たので嬉しい。
そういや、夏のボーナスが出たら買おうと思っていたモノがあったのだけど、何を買うつもりだったのか忘れてしまった。
うーん、なんだったのだろう。というか、本当に欲しかったのかどうか疑問ではあります。
−−−
そういやここのところ、物欲があまりないのでつまらない。
豚の背骨肉とか買ってたらそれなりに満足してしまい、世の新製品への興味までいたらないのだ。
だいいち、今の暮らしで、したいことはだいたいできてしまう。
もう、ぜんぜん困らない。これ以上なにをやれというのか。
…などと書くと、「いまの暮らしに感謝しよう」みたいな宗教っぽく思われそうでイヤなのだが、そうではなくて。上記のことをこなすだけでも大変なのに、これ以上なにをさせるつもりじゃい! という怒りに近いかもしれない。誰から言われてるわけでもないんですが。
困る困らないの次元で言えば、台所と寝床さえあればいいわけですが。
ぼくのような人間が増えると、世のなか不景気になるんだろうなと思います。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「 ザ・ミドルコリア(後編)」、韓国旅行の最終編です。ソウル市内を主観的に網羅したレポートとなっております。
よろしければご覧いただければ幸いです。
6月14日(水曜) 深夜
ベランダで洗濯物を取り込んでいたら、「ちんぽ切り」がいたのでビックリした。
茶褐色で体長1.5cセンチ程度、しっぽにハサミ状のものを持っている例の虫である。
あわてて、「ちんぽ切りじゃあない。ハサミムシだよ、ハサミムシ…」と自分に言い聞かせて。
−−−
そういや小学生の頃のエピソードを思い出す。
子どもの頃から疑問だったのだ。決して自慢するわけじゃないけれど、「ちんぽ切り」の直径数ミリのハサミでは、我が陰茎は切断できやしないだろうと。
で、当時の友人だったK君に疑問をぶつけてみたところ、次のような答えが返ってきた。
「ちんぽ切りにはタタリがあって、殺すとちんぽが切られてしまうんや。ほら、ミミズに小便かけたらちんぽが腫れるって言うやろ?」
さすがに「オレのだったら切れるよ」とも言えなかったのかもしれないが、他の友人に尋ねても同じ答えだったので、どうやらこれがコンセンサスになっているようだった。
ただ、当時から迷信の類をあまり信じなかったぼくは、クラスメートたちに提案してみた。
「ほんまにちんぽが切られるかどうか試してみようや。みんなでちんぽ切りを殺すんや」
しかし誰も提案に乗ってこない。なんだよ、この腰抜けめが。
そこで仕方なく「じゃあオレがやるわ!」と啖呵を切り、その日の放課後、みんなの前でちんぽ切りを捕まえて踏み殺した。実はちょっと怖かったのだが、言い出した手前、引くに引けなくなってしまったというのが正直なところである。
もちろん、ちんぽは大丈夫だった。
翌日、ぼくは意気揚々とみんなに股間を触らせた。「ほら、切られてへんやろ?」。どさくさに紛れて女生徒にも触らせようとして、「ウチそんなん知らん!」と断られりしながら(まったく女性はしっかりしているな、と幼心なりに思ったものだ)。
ともかく、そのときぼくは、生まれて初めてみんなから尊敬された。ヒーローになった最初で最後の日。
あれから時がたつこと二十数年。いまや職場でも「小心者」の名を欲しいままにしているけれど、ときどき武勇伝を披露したくなる。
こう見えてもオレは、ちんぽ切りを殺した男なんだぜ! 昔はすごかったんだぜ! と。
6月12日(月曜) 深夜
サッカーのワールドカップ、負けましたですね。
まァ、我が国には「負けるが勝ち」という言葉がありますから。
そしてニュースはサッカーのことばかり。
日本が負けた瞬間のライブ映像だけど、こういうとき満面の笑みを浮かべてる人がいるから世の中いい。
−−−
明日出勤したらきっと、職場のおっさん達が批評を述べ合ってるんだろうなあ。
「ジーコジャパン、後半油断したね」
「そうそう! あそこでもっとディフェンスを固めるべきだったんだよ!!」
とかなんとか。誰だおまえは。
いやまァ、なにを言おうと個人の勝手なんですが。
一丸になるとみんな莫迦になりがちなので、なかには斜に構える人がいる位がちょうどいいような気がします。
6月11日(日曜) 深夜
「自分が読みたいと思う文章を書くのがいい」という考え方がある。
今回はこれにならって、本日ぼくが一番読みたいと思った日記を書きます。
…実は昨日、大阪・鶴橋のコリアンタウンで豚の背骨を入手できたので、本場韓国のカムジャタンを作ろうと思い立った次第でありまして。
で、ネットでいろんなレシピを読み漁っていたのだけれど、人によってやり方が色々で、どれがいいのかよく分からない。
そこで今回は、自分で作ってみた方法を逐一載せてみます。かなり旨かったので。
自分の店で豚をさばいている肉屋をたずねる。
右側が豚の背骨(100g25円で200円分購入)。右側は軟骨(100g50円で200円分購入)。
豚の背骨を鍋にあけてみる。
背骨を水に浸して3時間ほど血抜きする。
背骨と軟骨をひたすら煮込む。これでもかという程にアクが出ます。
途中でニンニクとショウガ、タカノツメを加える。5時間くらい弱火で煮る。水位が下がりすぎたら水を足しつつ。
さらにジャガイモ、玉ねぎ、豚バラに肉を加える…のだが、鍋が満杯でこれ以上入らないことに気付く。
近所のスーパーまで走って大きな鍋を購入。1900円なり。
大きな鍋にうつす。洗い物が増えるので少々憂うつ。
大きな鍋は便利だなァ、とハイテンションになりつつ、コチュジャンを投入。醤油とみりんも加える(これはぼくの好み)。そしてさらに2時間ほど煮る。
鶴橋で買ったキムチを最後に投入。本当はエゴマの葉を入れるのだが、日本で買うと高いわりにあまり美味しくないので、ここは妥協してキムチである。
しばらくしたら火を消して、温度を冷ます。煮物はいったん冷まさないと旨くなりません。
再び少しあたためて完成!!
背骨の肉をこそげ落とすチマチマさと、軟骨をバリバリ食べるワイルドさと、バラ肉をとろりと味わう濃厚さ。いろんな食感が楽しめる一品ですぞ。
6月9日(金曜) 深夜
そういや中学生の頃。
中途半端にロックかぶれしていたぼくは、授業中、机にチマチマと「英単語」を書き込む作業に没頭していた。早い話、洋楽のロックグループたちが発している言葉を見よう見まねで連ねていただけの話である。 "Fuckin' shit" とか "Kickin' ass" とかなんとか。
ボールペン等で普通に書いてもすぐ消えてしまうので、次第に加工技術が熟練してきた。
これで半永久的に消えなくなる。いま思えば、シャーペンで彫ったりコロッケの油を塗ったりのどこがロックなのかと思うが、当時はそれがとてつもなくロックなことなのだった。「中学という義務教育に対する反抗なんや!」なんてって。
遅刻もせずに毎日ちゃんと通学しながら、せっせと机に彫り物していたのだから世話はない。
ただ、そうして毎日書いていると、自分の中で「壁」にぶちあたった。なんといっても中学生、知っている「ロック語彙」が悲しいほどに乏しいものだから(Fuck, Shit, Asshole, Sex, Pussy, Dick, Piss の7つくらいだった)、書く内容がすぐにマンネリしてしまうんである。
クリエーターにはつきものの悩みかもしれないが、中学生なりに大いに悩んだ。「同じことばかり書いていてそれでいいのか?」と。
そして、今までにない組み合わせとして、ぼくは大きな文字で彫り込んだ。"Fuckin' is Fuckin"。…なんとなく意味深でカッコイイと思ったのだ。生身の女性に指一本ふれたこともなかったくせして。
ぼくが彫った"Fuckin' is Fuckin"机は今でも中学校で使われているんだろうか。
…なあんてことを回顧しつつ、ニラ饅頭をつまみながら焼酎を飲んでおるフライデーナイトであります。
ああ年をとってよかった、とつくづく思う。
6月8日(木曜) 深夜
本日の空想。
もしも言われるなら、どっちがいいだろう?
「コイツ、意外とモテるんですよ」
「コイツ、意外とモテないんですよ」
うーん、どっちもええなあ。ああ、どっちも言われたい!!
−−−
そして本日の盗撮。
デジカメを持っておらず、ケータイで撮ったのでブレブレですが(手ぶれ補正機能どうなってんだ)。
右側の女性、この写真では分かりにくいかもしれないけれど、「目が描いてあるメガネ」をかけておられたんである。
いったいどういう意図なのか皆目分からず、でも反射的にケータイに手が伸びていて。
で、シャッターを切ったら「♪カッシャー!」と馬鹿でかい音が鳴ってモロにばれ、じーっと睨まれてしまいました。
睨まれたといっても、メガネに描かれた目で、ですけれど。恐かった。
6月7日(水曜) 深夜
酔っ払っているときに、酔っ払ってる人の日記を読むと妙に嬉しいわよ。
そういや中学生の頃、カウパー氏腺液は「第一ちんぽ汁」と呼ばれていた。最初に出るから、というそのまんまなネーミングである。
ってことは、我々の生命は「第二ちんぽ汁」から誕生しているのか。
こう考えるとなんとも情けない気分になってきますな(なかには「私は親が避妊に失敗したときの子だから第一ちんぽ汁から生まれたんだ!」とおっしゃる向きもありましょうが、第一ちんぽ汁そのものには精子はいないらしいです。生命の神秘が起きるのはそこに第二ちんぽ汁が混入することが原因のようで)。
メインはあくまで精液なんだから、カウパーのほうは「第一〜」でなく、「アペリティフちんぽ汁」もしくは「プレリュードちんぽ汁」といった上品かつ控えめな名称にしたほうがいいように思うのだけれども。
こういう感傷を交えることなく、順番という科学的事実のみを冷徹に考慮した名称もまたいいのかもしれない。メインディッシュは第二ディッシュなり。
蛇足ながら、「第三ちんぽ汁」もじつは油断大敵である。第二ちんぽ汁が出たというので油断してそのままパンツを穿いてしまうと、そのあとちょろっと出てくる糊によって、蛇とパンツがくっついてしまうのだ。これをベリッとはがすときの激痛は古来、かのマサイ族の戦士たちにも恐れられていたという(もちろんウソですが)。
ま、そんなこんなで。第二ちんぽ汁から生まれいずる者たちがボランティアしたりノーベル賞をとったりするのだから、世のなか割といい。
6月6日(火曜) 深夜
本日のアパート。
先日大阪に行った折に撮ったものだが、数年前も確か、同じように「空室あり」の看板が出ていた。
いやまァ、「最終処分セール」の貼り紙をずっと出し続けている店なんかはよく見かけるのだけれど。この大きな看板には、「空室あり」への揺るぎない自信が垣間見られる。おそらく、オールタイム「空室あり」なのだろう。
しかしよく見ると、「あり」の部分だけが黒文字である。
このアパートが満室になったあかつきには、「大隈アパート・空室なし」の看板が出るんだろうか。
嬉しそうでいいなと思う。
6月5日(月曜) 深夜
昨夜は真っ昼間から、大阪・新世界で「せんべろ」しておりました。
さすがは新世界、日本酒を2合注文するとサービスで1合ついてくるんである(右側の小さい徳利がサービス)。
ただ、どちらから呑めばいいのか考えはじめると、迷ってしまって決断がつかない。
が、ここでふと、立体の表面積と熱伝導率についての法則を思い出した。
立体物は体積が小さいほど温度が変化しやすい(体積に対する表面積率が高くなるから…だったような)。ということは、キュッと冷えた状態を楽しみたいのであれば、小さいほうから呑むべきであるし、逆にだんだんぬるくなる変化を楽しみたいのであれば、大きいほうから呑むべきだということになる。
うーん、どっちもいいなァ。
…と逡巡しているうちに、どちらもぬるくなってました。
−−−
しかしまァ、昼間からの酒は危険ですな。
翌日は仕事があるので、昼の一時くらいから呑めば次の日に残らないだろうと思っていたのだが、呑み始めるとどんどん加速してしまい。
気がつけば、夕方の時点で上述のサービスセット×2(ってことは6合)に加え、300mlの冷酒、ビール、焼酎という泥酔コース。
そして今朝は強烈な二日酔いで吐き気と戦いながらの出勤。朝食はソルマックのみ。
なんだか人生がんばってるような気になれるので、こういう週明けも実はやぶさかではない。
6月3日(土曜) 夜
本日のご近所です。
泥棒対策のためか、家の周りにぐるりと有刺鉄線が張りめぐらされているのだけれど。
こんなので侵入をあきらめる泥棒などいるんでしょうかねえ。「ああ…こら無理やわ!!」って。
でも自分ならこれでもあきらめそうな気がしてきた。
−−−
あまり関係ないが、少し前、ウチからすぐ近所の銀行に強盗が立てこもって全国ニュースになった。
で、いろんなテレビ局の中継が入って、リアルタイムで報道されておったわけですが。
そのときぼくは家にいて、たまたま会社の上司と電話していたので、冗談半分に提案してみたのだった。
「いま近所で強盗事件の中継やってますし、ウチの会社の広告とか持参してテレビに映れますよ」
「レポーターの背後で、○○のご用命は是非わが社に! とか書いた垂れ幕掲げるんです!」
そしたら上司から、「やるならライバル社の社名を入れた垂れ幕でやれ!」と叱られました。
よく考えたら、そりゃそうですな。イメージダウン広告。
6月1日(木曜) 深夜
スーパーで買い物していたら、鮮魚コーナーから大きな声が聞こえてきた。
「安いよ安いよー! 半額! 今日はタモリ入ってるよーっ!!」
タモリ入ってる?
客引きのためにタモリの物真似してるのか?? しかし、それにしては全然タモさんっぽくない。
いったい何ごとかと思って足を運んでみたら。
体のへんなとこの力が抜けました。
塩焼きにすると旨いらしいですよ。タモリの塩焼き。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「 ザ・ミドルコリア(中編)」、韓国旅行の第二弾です。
今回は、DMZ(非武装地帯)から北朝鮮の国境である板門店まで足を伸ばしてきたレポートです。写真撮影禁止のトンネルや、愉快な鳥などを紹介しております。
ディープでもなくライトでもない中途半端な旅行記ですが、よろしければご覧いただければ幸いです。