6月29日(金曜) 夜
月末なので、今月のごはんでも。
「豚肉の生姜焼き・平安時代風」 健康のためサニーレタスも。 |
「たらこスパゲティ・縄文時代風」 サニーレタスが大量に残ってるので。 |
「ニンニク炒め・牛肉添え」 サニーレタスはまだ減らず。 |
「スーパーつゆだく牛丼」 出汁が多すぎてスープ牛丼に。 |
「豚の角煮・原子力風」 ゆで卵はやはり一個がいいですね。 |
「超カンタンのり弁」 レンジごはんに生卵+のりで完成! |
「オムライス・江戸幕府風」 ケチャップ文字を描きかけてやめる。 |
「ナスとキノコのカレー」 悲しいほど美味い。カレーに罪なし。 |
「高菜とベーコンと塩の炒飯」 最後にゴマ油も垂らしてます。 |
「ミンチカツ・ウインナー添え」 ミートホープ事件で食いたくなった。 |
「麻婆なす・ハリスンフォード風」 ミートホープ・ブームはまだ続く。 |
ミートホープ事件以来、なんかミンチが無性に食いたくなって、ミンチカツとか麻婆なすとか作って食べております。
ところでミートホープって、和訳すると「肉の望み」ってとこでしょうか。まァやらしい!!
6月27日(水曜) 夜
本日の「おねがい!」。
宇宙服のようなヘルメット&マント姿という風体から察するに、どうやら異星からやって来た正義の味方といったところだろうか。
ただ、言っているのは「ごみを捨てないでください」。こんなことを言うために、わざわざ異星からやって来たのか。まるで不条理劇のようなワケの分からなさが空恐ろしい。
そもそもどうして、異星人にこんなこと言われなくちゃならないのだ? 余計なお世話である。
もしかすると彼は異星人ではなく、単なる地球人なのかもしれない。…が、常識ある普通の人はヘルメット&マント姿で人前に現れたりしない。服装倒錯者に突然こんなこと言われても、我々はただ戸惑うのみである。
彼がタイムマシンでやって来た未来人だというならまだ話は分かるけれど(我々もきっと数十年前の人類に同じことを言うだろうから)、そんなもん未来の技術でなんとかしろと言いたい。
6月26日(火曜) 夜
牛肉コロッケに豚肉が入っていたことが判って、マスコミあげての大騒ぎとなっておりますが(日本は平和だ!)。
学生時代を通じて飲食業界でバイトしていた経験からいうと、こんな偽装はいくらでも横行していた。自家製ミートソースといっては、大量に仕入れた業務用ミートソース(材料を見たら鶏肉も入っていた)を平気な顔して使っていたし、手作りコロッケもこれに同じ(最後に店で揚げていたという点では手作りである)。
消費期限の過ぎたものを使うのも、文字通り日常茶飯事。
ちなみに某イタリア料理屋でバイトしていたときは、「茹で上げパスタ」が店の謳い文句だったが、これも真っ赤なウソ。客が注文してから茹でていたら時間がかかるというので、実際には開店前に大量のパスタを茹でておいて、客に出す前にちょっとだけ火を加えて出していた。
大量に茹でたパスタが余ったら、当たり前のように翌日のメニューに使っていた。おまけに、茹でてあるパスタを蒸し風呂のような暑さの調理場に放置しているものだから、二日目ともなると酸っぱい異臭が漂ってくることが度々あった。こんなときは、もう一度湯通ししたら臭いが消えるというので、客に出す直前に再び茹でて出したりしていた。
「茹で上げパスタ」の看板に偽りはなかったのだ。
腐ったパスタを茹で上げていたのだけれど、これが人気メニューだったのだから笑うしかない。
−−−
こんな実情を目の当たりにしていたから、牛肉が豚肉だったと聞いても、なにをどう驚けばいいのか正直よく分からない。
豚肉やら血糊やらが混入されていても、十年以上気づかれないまま人気商品としての地位を保っていたのだから、消費者の舌がいかにイイカゲンなものかがよく分かる(そもそもミンチは牛肉100%よりも、合い挽きのほうがコクがあって美味しいというのが個人的な意見)。
10年以上気づかれなかった偽装コロッケが、なぜ今ごろ突然発覚したのか? その背景のほうがずっと気になります。
6月25日(月曜) 夜
同僚の女性Aさんは太っていることをすごく気にしている。
市販のダイエット食品やプログラムなどいろいろ試しているらしいが、体重は一向に減らないのだという。
見かねた上司が「だったらジムに通ってみたら?」とアドバイスしたところ、Aさんいわく、
「こんなぜい肉だらけの身体でジムなんて、恥ずかしくて絶対行けません!」
もう少しダイエットできたらジムにも通えるというのが彼女の言い分なのだが、それができないからジムを薦められているんである。これではまるで、「歯が痛すぎて歯医者に行く気力も出ない」と言ってるのと同じではないか。
この見栄っ張りなエネルギーを少しでもダイエットに回せたら、きっと減量にも成功すると思うんですがねえ。
−−−
でもまァ、Aさんの気持ちも分からないではない。
ぼく自身、学生時代に友人から「おまえの髪型ダサいから美容院とか行ってみたら?」と指摘されたとき、「こんな髪型で美容院なんて恥ずかしくてよう行かんわ!」「もうちょっとマシな髪型になっ たら行く!」と言い張ったことがあるからだ。
じゃあ一体どこで髪型をマシにするんだよ!? と言われて、ようやく自分の発言の莫迦さに気づいたわけでありますが。
どんな人にも実は、なけなしの見栄や意地があったりするものです。
6月24日(日曜) 深夜
不老不死の研究を紹介するテレビ番組を見た。
現在の科学技術ではとうてい無理な絵空事のようだけれど、こういうのを見聞きするたびに月並みながらいつも思う。
ほんとに不老不死の技術が完成したらどうなるんだろう?
とにかく人が老化せず無限の寿命を持つわけである。一部の人たちだけが不老不死というのは差別になるから、全員がその権利を享受しなければならない。…ということは人類の全員が、おおよそ30歳くらいのまま永遠に生き続けることになる。
そもそも我々の身体は、ひとつひとつが生命をもつ小さな細胞が数多く集まることで成り立っている。個々の細胞がどんどん新しく生まれては死んで…というのを繰り返しているからこそ、人間としての生命が存続しているわけだ。一部の細胞だけが不老不死になって増え始める現象は「悪性新生物」(=ガン)と呼ばれ、我々を死に至らしめる。
もしも人類が不老不死を手に入れたとしたら、それは「地球上の生命全体」にとってのガン細胞となることに他ならない。もしも我々の体細胞が一斉に「永遠に生きたい!」といって勝手に増殖し始めたら、めちゃくちゃなことになって身体が破裂してしまう ことは想像に易い。
「不老不死の願い」というのも実は、自分(&自分にとって大切な人)だけがそうなってほしいという願望なのだろう。しかしながら、自分にとって大切な人にはまた、その人にとって大切な別の人が存在するから、不老不死になってほしい人は天文学的な数になってしまう。結局はみんなが不老不死になるしかないんである。その結果がどうなるかは上述のとおり。
「人は死ぬからいい」 深沢七郎の名言ですな。死を恨むなら、生命なんていう面倒くさいものを生み出した地球の偶然を恨むより他ない。
6月22日(金曜) 深夜
自宅で爪を切ると、向かいのビルに音がこだまして返ってくる。
思えば小学生の頃、はじめて登った山でこだまを聞いたときは、ちょっと感動したものだった。
精一杯大きな声で「ヤッホー!」と叫ぶと、数秒後、小さな声で「ヤッホー」と返ってくる。「うんこー!」とか「しっこー!」とか叫んでも、同じく小さな声で返ってくる。小学生ながらに、やっぱり自然はすごいなァと畏敬の念を抱いていたわけでありますが。
自宅で爪を切っただけで返ってくるこだま。あのときの感動はなんだったのかとちょっと思う。
−−−
そういや「夜に爪を切ったら親の死に目に会えない」と言われる。
これがどうしてなのか、子どもの頃は全く分からなかったのだが、高校生の頃に読んだ成人雑誌にこんなことが書いてあった。
「夜に爪を切ると女性のデリケートゾーンを傷つけやすいから、そうしないように、親の死に目に会えないという教訓にしている」
なるほど! とすっかり納得して以来、夜に爪を切ってはいけない理由が話題になるたびに、このような説明を繰り返していた。
…のだが、さっき気になってネットで調べてみたところ、
いくら探しても、こんな説しかヒットしない。女性のデリケートゾーンうんぬんなんて、これっぽっちも出てこないのだ。
生きていると、恥の数だけは多くなります。
−−−
さて昨日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「ザ・ライトベトナム(後編)」。ベトナム旅行記の第3弾で、今回はメコンデルタのジャングルを舟で散策してきたレポートです。
なお今回のレポートには、3年ほど前のデイリーポータルZの記事「ベトナム のテーマパークが大変だ」に出演しておられる、チュンさんというベトナム人ガイドが登場しています。人の経年変化ってそれだけでなんとなく楽しい。
よろしければご覧いただけると嬉しいです。
6月20日(水曜) 夜
職場で別の部署からこんなFAXが流されてきた。
文面は「落し物(指輪) ××部△△まで」とだけ。真ん中には、指輪を白黒コピーしたものと思しき影がひとつ。
指輪だから、そりゃあ丸い影になる。この影を見て、「ワタシの指輪だ!」と分かる人などいるんだろうか。
わざわざ手間をかけて指輪のコピー画像をとるくらいなら、書面で「シルバーの○○号の指輪。イニシャルには××と刻まれてます」といった情報を書くほうが、よほど分かりやすいんじゃないか。
ぼくも職場でサイフを拾ったら、コピーを取って真っ黒の四角い画像だけFAXすることにしよう。
6月19日(火曜) 深夜
動機の分からない犯罪は人々を不安に陥れるといわれる。
猟奇的な事件が起こったとき、うさん臭い「自称専門家」たちがテレビ局に引っ張りだこになるのも、事件の動機をなんとか納得したい人々によって視聴率が引き上げられるからなのだろう。
それはさておき、だったらこんな犯罪はどうだ。
「ベランダの物干し竿にかけてあるハンガーが毎日1本ずつ盗まれていく」
一人暮らしの女性の下着が盗まれたとかなら、気持ちは悪いだろうけれど、動機の理解できる犯行だから納得がいく。しかし、ハンガーである。それも毎日1本ずつ。
当然、最初のうちは家主も盗まれていることに気づかない。「なんか近頃、ハンガーが足りなくなりがちねえ」くらいの意識だろう。しかし、当初は20本以上あったはずのハンガーが10本を下回った頃から、さすがに異状に気づき始める。「おかしい! 何本あるか数えとこう…9本っと!」
そして翌日、帰宅して数えてみると8本に減っていたのだった。
…いやァ、恐ろしいですねえ。怖いですねえ。いったい誰がなんのために!?
−−−
こんな犯罪を思いついたのも、実は我が家のベランダのハンガーが減り続けていたのでありまして。
どういうことだ? さては盗みか!? しかし誰が何のために??
…と怪訝に思っていたら本日、ようやく原因が分かった。洋服タンスのハンガーが足りないものだから、物干し用のハンガーを無意識のうちにこっちに取り込んでいたのだった。
「犯人は無意識の自分自身だった」
こう書くと、なんだかサイコサスペンスっぽくていいですな。
6月18日(月曜) 深夜
台所でガラスのコップを割ってしまった。
そういや子どもの頃、母親からこんなことを言われたことがある。
「ガラスの破片を踏んだらな、破片が血管を通って心臓に刺さって、アッという間に死んでしまうんやで!!」
いま考えたら、単なる脅かしか都市伝説の類だと思うのだが、当時はすっかり信じて震え上がっていた。こんなことですぐ死ぬんだったら、自殺志願者の皆さんなどは率先してガラスを踏みまくっていると思うのだが、そういう話はあまり聞いたことがない。
ただ、破片を踏んで足の裏をケガすると気が滅入ることは想像に易いので、掃除機を執拗にかけたうえで、スリッパ生活を送っている。
スリッパってこんなにも便利なものだったんだなァと、ため息が出そうなほどに感動してます。
ぼくが詩人だったら、スリッパの便利さをまず詠うね。
6月17日(日曜) 夜
今年になってから一番恥ずかしい思いをした。
本日、いつものように考えごとしながら四条河原町を歩いておったわけです。
ちなみに考えていた内容は「人類の進化について」。バクテリアから昆虫、そして類人猿と進化してきた軌跡を頭に浮かべていたところ、気がつけば芸人のおさる(モンキッキー)のことを考えていたのでした。確かに運動神経はいいよなァとか、どうして改名したんだろうとか、とりとめもなく。
…とそのとき、前を歩いていた女性の靴を思いっきり踏んづけてしまった。そこで咄嗟に口をついてでた言葉が「すんまそん!」。
見知らぬ相手への謝罪に「すんまそん!」。ああ、死にたいくらい恥ずかしい! このまま鴨川に身投げしたい!!
そんなわけで、今回だけはもうダメかもしれません。
−−−
ダメついでに、本日のメールです。
この4通が連続して届いたので思わず笑いそうになったんですが、「すんまそん」の一件を思い出すと、笑う気すら消えうせますわ。
6月15日(金曜) 夜
本日の猫よけ。
いかにも「フンしてね」という風体の坪庭(?)と、
その周りに結界のように置かれたペットボトル
水を入れたペットボトルが街のいたるところに置かれるようなった昨今、当の猫たちはとっくの昔から歯牙にもかけなくなっておりますが。
そうか! この手があったか!! ペットボトルが邪魔で、物理的に中に入りにくいのだ。
新たなステージへと進化をとげた「猫よけ2.0」。設置することによって、それ自体が猫の進入を妨げるという画期的なアイデア。
人類の叡智は全く計り知れないものでありますな。合掌。
6月14日(木曜) 深夜
天井部分に取っ手みたいなのが付いてるクルマを最近よく見かける。
で、これっていったい何のために付いてるんだろうねえ? と、クルマに疎い同僚たち数人で帰宅しながら喋っておったわけです。
「スノーボードとか挟むんじゃないの?」
「それにしては小さいでしょ。空気抵抗をよくするとか」
「とてもそんな風には見えないけどなァ…」
すると同僚の一人いわく、
「巨大怪獣とかが襲ってきたときに、ヒョイッて持ち上げられやすくするためじゃないかな」
冗談だとは重々承知してはいても、それだけはあり得ないなと断言したいと思います。怪獣に持ち上げられやすくすることに、なんのメリットがあるのか? そんなもん付けてユーザーが喜ぶとでもいうのか? というか、襲ってくる怪獣になんでそこまで親切にしなくちゃいけないのか!?
まったく、バカにも限度というものがある。
…というわけで、我々の結論は「単なる飾りだろう」に落ち着いたのでした。
困ったときはとりあえず「飾り」にしてしまうイイカゲンさ。そういや昔、飛行機の垂直尾翼も飾りだと勘違いしていたのを思い出した。
6月13日(水曜) 夜
入梅のニュースを聞くたびに思う。これまでに傘を何十本なくしただろう。
あまりにも頻繁になくすので、いい傘を買えば忘れないかと思って5千円位のを買ったこともある。すると今度は盗まれるんじゃないかと不安になってきて、盗む気を失せさせるようにとマジックペンで大きく名前を書いたのだが、盗まれるより前に、どこかに置き忘れてなくしてしまった。
あの傘はきっと、どこかで誰かに拾われて、「名倉っていうバカがいるんだな」と思われていたことだろう。ものすごく口惜しい。
以来、いつもカバンに入れられるようにと考えて、折り畳み傘しか買わなくなった。カバンに入れておけば忘れないだろうという算段である。
ただ、折り畳み傘は普段はいいのだが、雨に濡らしてしまうと扱いが厄介となる。そのままカバンに仕舞ったら一緒に入れている本がブヨブヨになってしまったりするし、かといって手で持ち歩いたら、普通の傘以上に忘れてしまいやすい。付属のケースに入れるというのが王道なのだろうが、水気を吸った傘は膨張するので、なかなか入らずイライラして精神衛生上よろしくない。
そこで最近では、もっぱらスーパーでもらうビニール袋を携行して、雨に濡れた折り畳み傘はここに入れたうえでカバンに仕舞うようにしている。これなら忘れることもないし、カバンの中に水気が染み出すこともないから、非常に快適なんである。
とうとう理想の収納法を見出したのだ!!
…と満足していた矢先の先日。
いつものように、雨に濡らした折り畳み傘をスーパーのビニール袋に入れて帰宅した。…のはいいのだが、そのこと自体を忘れて放置してしまい、気がついたのはそれから一週間以上が経ってからだった。おそるおそる袋を開けてみたら、なかで傘が「腐って」いた。
傘をも腐らせる男。すごいのかすごくないのかよく分からないが、仕方ないのでこれを当面のアイデンティティにしたいと思います。
6月12日(火曜) 夜
『ピンクパンサー』という傑作映画がある。
一作目は『ピンクの豹』との邦題がつけられているけれど、さらに邦訳すると「桃色の豹」となって間が抜けてしまう。「ショッキングピンク(ショッピン)」だって、「ショッキング桃色(ショッ桃)」とすると、なんだかおかしな感じになってしまう。
怪訝に思って、ためしに"pink"を英英辞典で引いてみると…
pink
Definition: 1. pale reddish color: a pale reddish color that, as a pigment, is formed by mixing red and white
(定義1:赤色と白色を混ぜ合わせて作られる薄い赤色、てな意味でしょうか)
どこにも「桃」なんて言葉は出てこない。どうりで邦訳するとおかしなことになるわけだ。
ちなみに「ピンク映画」は「桃色映画」でバッチリ合うけれど、これは和製英語だからバッチリ合って当たり前。英語圏ではポルノ映画のことは「ブルーフィルム」と呼ぶようだから、ピンクとブルー、まるで正反対である。
そういや今でこそ「灰色」と邦訳されている「グレー」も、ぼくの親くらいの世代は「ねずみ色」と言っていた気がする。
"grey"を英英辞典で引いてみると…
gray
Definition: 1. of color of ash: of the color of ash or lead
(定義1:灰色;灰もしくは鉛の色、てな意味でしょうか)
これは「灰色」で合っていたわけだ。だからこそ、「限りなく違法に近いグレーゾーン」なんていう言い回しは、「限りなく違法に近い灰色ゾーン」としてもあまり違和感がない。これが「限りなく違法に近いねずみ色ゾーン」だと一挙にコミカルになってしまう。
というか、灰色なんて「ねずみ色」に限らずとも、「ゾウ色」であってもいいわけだ。「限りなく違法に近いゾウ色ゾーン」、ああなんて平和なんだ。
固有の色名(青、赤、黄、黒、白など)ではなく、「○○色」と表現しなくちゃいけない色名の翻訳はなにかと面倒くさそうだけど、だからこそ味わい深いのかもしれませんな。「color="#FEFDF3"」みたいな記号指定になってしまったら、確かに便利ではあるけれど、命名の労が感じられなくてつまらない。
蛇足ながら、この日記の背景色は「再生紙色」です。「濃いめの精液色」でも別に構いませんけれど。
6月11日(月曜) 夜
仕事の関係で、パワーポイントのプレゼンを見たり見せたりすることがある。
先方のプレゼンを見るときは、パワーポイントを起動する前にチラッと映るノートPCのデスクトップ画面を「凝視&速読」してしまう。あーこんな壁紙使ってんだとか、あーこんなアイコン置いてんだとか、あーこんなソフト入れてんだとか。ほんの数秒のあいだに。
他人の小さなプライバシーを垣間見る悦楽というのは、どうにも抗いがたいものがあるのだ。
だからぼくが他所でプレゼンするときは、デスクトップ画面をきれいに片付けてから場に臨んでいる。壁紙を無難そうなものに変更し、見られたくないアイコンをすべて片付ける。だからぼくのノートPCの「マイドキュメント」には、「プレゼンのときに避難させるデスクトップアイコン」というフォルダがある。
こんなところで見栄を張らなくてもいいと思われるかもしれないが、法律的にグレーゾーンな脱法ソフトなんかを見られるのは憚られるし、FTPソフトのアイコンがあったらブログではなくホームページをやっていることがバレそうだし、なによりデスクトップに「マインスイーパへのショートカット」があるのも恥ずかしすぎる。
だからプレゼンのときはいつも「ワードとエクセルとパワーポイントだけ」という極めてシンプルなデスクトップ画面にしている昨今なのですが。
本日、ノートPCを映写機につないでプレゼンした際、使うパワーポイントのファイルを「マイドキュメント」に入れたのを忘れたまま始めてしまい、大勢の目の前で「マイドキュメント」を開くハメになってしまったのでした。もちろん、「プレゼンのときに避難させるデスクトップアイコン」のフォルダもばっちり映写されてしまい。
場からの失笑を得られたことだけがまだしもの救いです。わ。
6月10日(日曜) 深夜
椅子を買い換えた。
宅配を頼んだら、業者がサービスで組み立てもやってくれるというので、遠慮なくお願いしたわけでありますが。
気がつけば休日の昼下がり、ワンルームマンションにてバイトの男子店員と二人っきり。この妙な気まずさがたまらない。
相手も沈黙の気まずさに耐えかねたのか、いろいろ話しかけてくるのだが、この店員がまたオタクな感じで、会話が今ひとつ噛みあわない。
店員:「ここ、インターネットマンションって書いてありましたよね。光ケーブルっすか?」
ぼく:「ええ、まァ…」
店員:「いいなあ。ボクんとこはADSLなんですけど、ネットゲームやってると通信速度が追いつかなくて」
ぼく:「へえ、そうなんですか」
店員:「ネットゲームって背景も動画になってたりキャラがリアルに動いたりするんで、データの量がすごいんですよ」
ぼく:「へー」
店員:「だからボクのマシンは2ギガ積んでるんです」
ぼく:「2ギガ?」
店員」「そう、2ギガ」
ぼく:「…ええっと、CPUのクロック数ですか?」
店員:「メモリですよ。ほんとはもっと積みたいんだけど、それやるとCPUが限界超えてダメになっちゃうから」
ぼく:「へー、2ギガもメモリ積んでらっしゃるんですか。うちは512メガですわ」
店員:「アハハ、それだとネットゲームやってらんないっすよ」
ぼく:「いやー、お恥ずかしいです」
店員:「ネットゲームはやらないんっすか?」
ぼく:「あんまり知らないんですよ。インターネットリバーシはやったことありますけど」
店員:「ネットゲーム、面白いっすよ。ボクが今やってるのは月額千円からできるんだけど、ボクは三千円のプランにしてて」
ぼく:「へー、高級ですね」
店員:「●×△※■(聞き取り不能)ってゲーム知りません? 芸能人とかも結構参加してるんですよ」
ぼく:「知りませんわ…」
店員:「面白いから、よかったらやってみてくださいよ。とりあえずメモリ増設して」
ぼく:「ハ、ハハハ…。そうですね。考えてみます」
ただ、会話を自分の土俵に持ち込むこのテクニックには、見習うべきものがあるかもしれませんな。
−−−
椅子の組み立てが終わると、店員いわく「ちょっと座ってみてください」。
言われるがままに座ってみたら、「OKです!」と言われた。なにがOKだったのかよく分からないけど、OKなんだからまァいいか。
6月8日(金曜) 夜
先日アカン感じになった我が家の椅子ですが、いよいよだめになってきました。
平日なので店に買いに行くわけにもいかず、仕方なくこれに座って作業しております。
さっき背伸びしたら、そのまま床にズリ落ちて全身を強打しました。こんなすごい背伸びは初めてです。
−−−
こういうところに書くべき話題ではないのは重々承知しているけれど、書いてしまおう。
知人のX君は既婚であるにもかかわらず不倫をしている、。たまに一緒に酒を飲むと、そのことも自慢げに話してくれるのだが、先日はこんなことを言っていた。
「この前テレビで、どういうときに不倫がバレるかって放送をやっててさ」
「で、帰宅したとき靴下の跡がついてないのもヤバいって紹介されてて」
「だからオレ、コトが終わったら、靴下だけはすぐ穿くようにしてんだよ」
愛を確認しあった後、いきなり靴下だけ穿くというのはあまりにも不自然ではないか? 相手から不審がられたりしないのか?
このように尋ねたところ、X君いわく、「先手打って、冷え性ってことにしてる」。
皆さん、彼氏が急に冷え性になったときは、実は既婚者かもしれないので要注意ですぞ。
−−−
さて昨日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「ザ・ライトベトナム(中編)」。 少々時期が遅れてしまいましたが、ベトナム旅行記の第二弾。ベトナム戦争当時のゲリラ戦に使われたというクチトンネルを見学してきたレポートです。
よろしければご覧いただけると嬉しいです。
6月6日(水曜) 深夜
本日の計算機。
脳を鍛える計算ドリル電卓。
計算機といえば面倒な足し算や掛け算をやってくれるものだとばかり思っていたが、近頃のものはドリル方式になっていて、肝心な部分は人間が計算しなくてはならないんですな。
なにより大切なのは自分たちの身であるから、便利な道具に甘んじるのではなく、あえて鍛錬の道を選ぶべきなのだ。今後は健康ブームがさらに高じるだろうから、便利さではなく自己鍛錬をウリにした商品が売れるだろうことは想像に易い。
…いやまァ、上記の計算機はこういうことではなくて、計算機能のおまけとしてドリル機能もついてますよ、よければ暇つぶしにやってみてくださいね、くらいのコンセプトなんでしょうけれど。
DSとかPSPとか隆盛の昨今、電車の中なんかで電卓取り出してポチポチするのって、かなり恥ずかしそう。
6月5日(火曜) 深夜
私事で恐縮なのだが、自宅のパソコン机で使っていた椅子が突然、アカン感じになってしまった。
椅子を支える金具がグニャリと歪んで、座面が斜めに傾いてしまったのだ。下の写真を見ていただければ一目瞭然だろう。
アカン感じ 座ってもアカン感じ
どうしてこういうコトになるのか分からないが、原因はともかく、現実問題として非常に困る。パソコンを打っていたら、どんどんどんどん身体が傾いてズリ落ちてくるものだから、まるで仕事にならないのだ。
この椅子に座ると、とにかく「やる気」がキレイに吹き飛んでしまう。全ての職場にこの椅子を導入すれば、我が国の貿易摩擦も一挙に解決するだろう。
ブッシュ大統領も、この椅子に座って仕事すればいいのだ。
6月4日(月曜) 深夜
京阪四条駅の改札口で、柄の悪そうな若い男性2人が大きな声で喋っていた。
「うわ、俺の切符、料金足りへんやんけ!」
「アホやなおまえ」」
「乗り越し精算してくるわ」
「…おまえ根性無しか。改札くらい破ったれや!」
「それ、ヤバいやろ」
「ほんま根性無しやのう…。俺なんか5回くらいやってるっちゅうねん」
「ええー、そやかてヤバいんちゃうん?」
「これくらいでヤバいとか言うなや」
「…やっぱ、やめとくわ」
根性試しに悪事を働くという習慣は、ヤンキーなんかの間ではいまだに健在なのだろうが、これはどうなんだろう。道場破りならかっこいいが、改札破りである。こんなもん、いくらやったところで、数が多いほど情けないものではないのか。
改札破り5回の男。ぼくなら恥ずかしくてよう言いませんわ。
6月2日(土曜) 深夜
もうホント、いろんなスパムメールが毎日百通以上おいでなさるわけですが。
本日はこんな文面のやつが届いていた。
「私、レイプされるのが好きなんです。レイプしてくださるかた募集中!!」
ちょっと待ちたまえ。それはレイプじゃなくて和姦だよ、と注意しておきました。心の中で。
−−−
知人が先日、何年間か付き合っていた彼女と入籍した。
大々的な結婚式こそしなかったものの、こじんまりとした披露会を行って、現在は二人で新居に住んでいるらしい。
まったくうらやましい限りだが、知人いわく「同居しているけれど寝室は別」なんだそうで。ふーん。
聞いた話をこういうところに書くのは少々抵抗があるのだが、要するに「繁殖行動はどちらかが相手の寝室に出向いて」行っているわけである。
「家庭内離婚」とか「家庭内別居」とかは聞くけれど、彼らの場合は「家庭内通い婚」である。通うのにかかる時間は10秒程度だろうか。
ま、「家庭内重婚」なんていうケースもあるようですし、それぞれが好きなようにするのがいいんでしょう。
ちなみにぼくは、「非家庭内未婚」です。こう書くと、なんかいろいろあったみたいでちょっとかっこいいですな。
6月1日(金曜) 夜
昨日、珍しく酒をまったく飲まずよく寝たら、本日ものすごく調子がよかった。
まず寝起きの気分がいいし、身体もふわふわと軽く感じられる。へんなドリンク剤を飲むよりもずっと効果を感じられる。「飲まないドリンク剤」とでも言いたいくらいに、効果テキメンなんである。
酒がいかに身体の負担になっているかを物語る一件だが、ここで連想するのはスポーツ選手なんかの負荷トレーニングだ。
彼らは常日頃から四肢に鉄アレイをつけて生活したり、あえて酸素の薄い高所でランニングしたりする。これによって、いざ鉄アレイを外したり、酸素の濃い低所に戻ったりしたときに、今まで以上の力を発揮できるわけである。
毎晩のように飲酒を欠かさないぼくも、彼らと同じことではないか。常日頃から二日酔い気味のコンディションで仕事にいそしんでいるからこそ、ひとたび酒を抜いた翌日は、並ならぬ好調を発揮することができるのだ。
というわけで、今後も「負荷トレーニング」を欠かさぬよう心がけようと、決意を新たにした本日なのでした。
上達するのは飲むための言い訳のみ、か……。
−−−
ただ、「仕事をうまく続けるコツは6割くらいの力で流すこと」という持論は以前から不変でありまして。
で、いざ修羅場・土壇場・正念場に直面して法外な努力を要求されたときのみ、9割くらいの力を出す。上司から見た部下の努力なんて、しょせんは普段との差異なのだから、ベースラインを低めにしておいたほうがいいのは自明の理だろう。
それに、「6割を9割にする」のと「9割を12割にする」のとでは、同じ3割増しでも消耗度が全然違う。
…あ、この日記、上司にもバレてるんだった。
ええと小生は、常日頃から12割の力を出しております。ここぞというときは、15割の力でやっておりますので。