2008年3月のプチ日記

3月31日(月曜) 深夜

 桜の開花とともに飲んだくれていたため、しばらく更新が途絶えてしまいました。

 真っ昼間から街中で飲んでいても怪しくないこの時期は大好きです。

−−−

 二日酔いの薬を買うためドラッグストアに行ったら、こんな商品が。

 あまりにもそのままな名称に思わず赤面しそうになるが、考えてみるとこういった精力剤はどれも殿方向きのものばかりである。男女平等が叫ばれる今の世のなか、女性用のものも同じようになければ片手落ちではないか。

 ただ、その際のネーミングが難しそうだ。殿方の場合「ビンビン」といった威勢のいい形容詞がたくさんあるけれど、ご婦人の場合は「じっとり」「ぐしょぐしょ」といった具合で、いまひとつ勢いに欠けるきらいがある。インパクトあるグッとくる言葉は何かないものか。

 …と考えた結果、唯一思いついたのがコレ。

 しかしコレ、ご婦人が店で手に取るのはちょっと無理かもしれませんな。

 

3月27日(木曜) 深夜

 昨今の「エコ」風潮に関しては、人並みには眉につばをつけているつもりだったはずが。

 ちょっと気温が暖かくなってくると、「地球温暖化」問題が脳裏をかすめ、このまま灼熱地獄になったらどうしようなどとテキトーな心配をしていたりする。で、その翌日に再び寒くなったりすると、温暖化の懸念などすっかり霧消しているどころか、少々温暖化したっていいんじゃないかとか考えていたりする。

 初春なんだから、暖かくなったり寒くなったりするのは当たり前である。

−−−

 当然ながらペットボトル問題にもほとんど無頓着だった。

 というかペットボトル茶は高いから、自分で沸かした緑茶を冷やしてペットボトルに入れて使いまわしていた。数週間使って底に茶カスがたまってきたら、新しいペットボトル茶(もしくはミネラルウォーター)を「おろし」て、その空ボトルをまた利用する。茶カスがたまった老朽ペットボトルは、面倒なのでそのまま一般ゴミに混ぜて捨てる…というサイクルである。

我が家の冷蔵庫

 で、我ながらエコとは無縁なアウトロー生活であることよ、エコなんてクソ喰らえだ! と、パンク精神を自負しておったわけでありますが。

 最近になって興味本位でエコ関係の著書を何冊か読んでいるうちに、ペットボトルのリサイクルには全く意味がないどころか、かえってエネルギーの無駄だという指摘をしばしば見かけるようになった。なんとなれば、

  …えっ!? ということは、ぼくは極めてエコなペットボトルライフを送っていたということなのか。

−−−

 そういや小学生の頃、『ドラえもん』にも似たような話があったのを思い出す。

 「無駄遣いをやめてリサイクルすると節約した分のお金がもらえる」という道具を与えられたのび太が、鼻水をかんだティッシュを乾かして再利用したら報酬を得られたのに味をしめて、鼻水が出ていないときも無理に鼻をかんではリサイクルし始めた結果、かえって無駄遣いする結果になって罰金をとられる、みたいなエピソードだったか。

 リサイクルという「善行」をするためにペットボトルを買っている人がいるとしたら、正にこれと同じことかもしませんね。それが悪いこととも思いませんが。

 

3月26日(水曜) 深夜

 「振動することによって発電する装置」というのがテレビで紹介されていた。

 こいつを床に敷きつめておけば、その上を人が歩いたり跳ねたりするたびに発電される。道路の下に設置しておけば、その上をクルマが通るたびに発電される。よって、エコにつながるんだよというわけである。

 こういう発明を見聞きするたびに思い浮かぶのが、(何年も前のプチ日記にも書いた気がするが)我々の本能行為によって発電できたらいいのにということ。セックスのとき腰に装置をセットすればどんどん発電できるし、オナニーのとき腕に装着すれば文字通り「自家発電」だ。

 食事するときもアゴに発電装置を付けるのがエコ精神、こういった装置を付けることなくモノを喰らうなど環境配慮の微塵もない鬼畜のごとき存在である。

 …なんていう世の中になったら世知辛いことよのう、と暗澹たる気分になっておったわけですありますが。

 考えてみれば、この手の発電装置で生み出せる電力など微々たるものだ。たとえばセックス発電にしても、その行為に要される諸々の周辺行動(シャワーを浴びる、エアコンをかける、バイブレーターを使う、疲れて食事するなどなど)のほうが、よぽど世の電力を消費するに違いない。せめてバイブレーターの分くらいは発電してほしいものだが、そうなったらバイブを使っている間 中ずっと激しく腰を振り続けなくてはならないことになる。もはや何がなんだか分からない。

 おまけに、発電装置を作るためにも多くの電力が費やされることだろうし。

 真のエコとはセックス発電ではなく、なるべくセックスしないこと、そして子孫を増やさないこと。

 牛肉を食べないこと、マグロを食べないこと、オナニーしないこと、ドライブしないこと、散歩しないこと、洋服を買わないこと、テレビを見ないこと、タバコを吸わないこと、スポーツをしないこと、医者にかからないこと、家を建てないこと、喋らないこと、 仕事しないこと、長生きしないこと、ブログとかしないこと……。

 エコなことは無限にあるね!!

 そろそろ「ホームレス育成キャンペーン」を実施する世相になっているのかもしれません。我が国の目標値3千万人とか。

 

3月25日(火曜) 深夜

 職場につくと毎朝、まずコーヒーを飲むのが習慣である。

 もともとコーヒーはあまり好きでもなかった。ただ、あまりにしつこい眠気のせいでまったく仕事の能率があがらないことに業を煮やし、少しでも目を醒まそうと考えて飲み始めてみたところ、能率があがらないのはそのままに、コーヒーを飲んでからでないと仕事にとりかかれない体質になってしまった。

 ちなみに、職場にはレギュラーコーヒーとインスタントコーヒーの2種類が常備されている。そのいずれかを自分で淹れるシステム(おおげさ!)になっており、毎朝優雅にレギュラーをたしなむ女性社員たちを尻目に、ぼくはいつも決まってインスタントである。

 もちろんレギュラーコーヒーのほうが香り高くて美味しいのだが、朝っぱらからコーヒーメーカーをセットするなど面倒で仕方がない。かといって女性社員たちが淹れたレギュラーコーヒーをこっそり失敬し続けていたら、きっと悪評がたって手痛いしっぺ返しを受けるに違いない。…とまァ、そういった紆余曲折を経た結果、現在にいたるまでインスタント一辺倒となっているのだ。

 おまけにぼくは相当の猫舌なので、熱湯を注いだそのままでは口をつけられない。なので、ちょっと濃い目にこしらえたコーヒーに水を加えてから飲むというのが一貫したスタイルとなっている。こんな飲みかたをするのはウチの職場ではぼくだけである。

 ただ、ときどき思わぬ「おこぼれ」にありつけるときがある。女性社員氏たちが淹れたレギュラーコーヒーがちょっとだけ余ったとき、時折お声をかけてもらえるのだ。

 「名倉さん、ちょっとだけコーヒー余っちゃったんですけど要らないですか?」

 こういうときは「要りまくりです」と静かに答えて、ありがたく頂戴する。たとえわずかな量であってもインスタントコーヒーに垂らすことによって、グッと香りが引き立つのだ。インスタントでありながら、まるでレギュラーかのような香りを漂わせる こだわりの一杯。こういう日は仕事もはかどる(気がする)。

 …というわけで今朝も、インスタントコーヒーにおこぼれのレギュラーコーヒー少々と水とを加えて調合していたところ、先日入ってきたばかりの派遣社員(女性)がこちらを凝視見つめながら訊ねてきた。それもレギュラーコーヒーをなみなみとカップに携えながら。

 「…それって一体なに作ってらっしゃるんですか!?」

 ぼくは「コーヒーですよ」とだけ答えて、スマートに立ち去りました。これが正社員の風格というものであります。

 

3月24日(月曜) 夜

 ここ三日間の写真日記でも。

3月22日(土)
いつもどおり四条通を歩いていたら、クルマがこんな風になっていて少々びっくり。おいおい、対向車線の車道だぜ!? どうしてこうなるのか。
クルマの持ち主はきっと、車体を歩道の柵に当てたらどうなるのかを確かめたくて、実験せずにおれかったのでしょう。

 

3月23日(日)
うらぶれた商店街をブラついていたときに見つけた張り紙。せっかくの達筆なのに、どうしてこういう書き方になるのか!?
計画性に欠ける店主さんの性格が垣間見られますな。書き直さずに区切り線一本で済ませてるところも素敵です。

 

3月24日(月)
シーチキンマイルドって「ビスケット・クッキーの定番」だったのか!?
「今日のおやつはビスケットよー」と言われて駆けつけた先にシーチキンマイルドが置かれていたら、いったいどんな気分になるだろう?
ちなみに、この棚の裏に置かれていたインスタントコーヒーも「ビスケット・クッキーの定番」でした。世の中の大抵の物はビスケットかクッキーのようです。もちろん、クルマもビスケットかクッキーです。

 

 先週末ぼくがやったことといえば、上記の写真3枚を撮ったことと、焼酎をたくさん飲んだことだけです。

 

3月21日(金曜) 深夜

 たまには子どもの頃の「宝物」の話でもしようじゃないか。

 あれはたしか小学二年生の頃だったろうか。近所の工事現場を探検していたら、「握りこぶし大の骨」を発見した。

 これはきっと恐竜の骨にちがいない! と踏んだぼくは、さっそく家に持ち帰って勉強机の裏に隠した。オトナになったら博物館に売りさばいて、億万長者になるという算段 だった(子どもの自分が売ったら親の財産になってしまうかもしれないという、当時なりの懸念があった)。

 で、その日を境に、学校から帰宅するなり骨の隠し場所に直行しては、「将来はこれでスーパーカーと新幹線を買うんや…」とほくそ笑む蜜月の日々が始まって。毎日こっそり骨を撫で回しては、大好きなスーパーカーと新幹線に囲まれた未来の生活を想像してワクワク 、ワクワクしていたわけでありますが。

 数週間経ったある日、大切な大切な骨が忽然とその姿を消した。いつもの場所に骨がない! いくら探しても見つからへん!!

 いったい何が起こったのか眼前の事実を飲み込めないまま、真っ青になって両親のもとへ飛んでいった。

 「ボ、ボクの骨どこいったか知らん!?」
 「はァ? なに言うとるんや」
 「ほら! ボクの机の裏にあった恐竜の骨やんか!」
 「あー、あれかいな。なんか汚いモンが落ちてたさかい捨てたけど…要るもんやったんか?」
 「ボ、ボ、ボクの一億万円を返せえーっ!!」

 思わず号泣して親から本気で心配された一件である。

 今でも時折、あれはいったい何の骨だったのだろうと思い出す。ひょっとして殺された人の背骨だったのかもしれませんな。

−−−

 さて昨日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「忍者気分でたばこを吸う」。 滋賀県は甲賀市にある、「甲賀の里忍術村」へと足を運んできたレポートです。ショボいものには人並み以上の免疫を持っていると密かに自負しているぼくにとっても、想像以上のショボさでありました。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

3月19日(水曜) 深夜

 誰とでもフランクに喋れる人がうらやまして仕方がない。

 たとえ初対面の相手であっても、ざっくばらんな雑談を流れるようにこなし、気がつけば半ばタメ口になっている。それどころか、「○○ちゃん」なんてな愛称を勝手に使いはじめて、当初は戸惑っていた相手の懐にスルリと入りこんでいるというような。

 ぼくなどは、こういう「フランクさ」とは正に対極の位置にある堅苦しい人間で、むしろ「ギコチナさ」にかけては相当な自負を持っているクチである。京都で屈指…とまでは言わないが、たとえば今住んでいる京都市でギコチナイ人トップ三千人を選ぶとなれば、きっと入選できる自信がある(これがすごいのかすごくないのか皆目分からないけれど)。

 いやまァ、自分にフランクさが欠如していることは十分自覚しているから、それに対する罪償いのような気持ちで、どんな人に対してもなるべくフランクに話そうという努力だけは人一倍心がけているつもりである。

 といっても、どうしたって態度やしぐさといったノンバーバル面になにがしかの硬さが出てしまう。それを補うために、「こう見えて私、かなりフランクですからご安心くださいっ!」と一言添えることもある(ただし、この言葉はどうやら相手に不必要な緊張を強いるらしく、後に同行の者から「余計なこと言わないほうがいいですよ」とたしなめられることが多い)。

 ああ、フランクになりたい。フランクがそのまま歩いているような男だ、と陰でささやかれるような人物になりたい。 なんなら表でささやかれたっていい、むしろささやかれたいくらいだ! ああ、最低限の衣食住以外はすべて失ってもいいからフランクの権化になりたい! そうなれば、どんなに生きるのが楽チンになるだろう!!

 …ただ、こういう願望がことごとく裏目に出るのが酒の席である。

 酔っ払うと普段抑えているものがおかしな形で噴出するから、いきなりフランクを通り越して、一挙に「調子がよすぎて得体の知れない人」になってしまうのだ。初対面の相手に向かって、いきなり「アナタは怪獣で言えばメカゴジラやね。いや、むしろいい意味で」などと口走るものだから、呆気にとられるのも無理からぬ話だろう。

 そしてさらに気まずいのが、最初に酒の席で出会った人にシラフの状態で再会することになったときだ。数日前はいきなりメカゴジラ扱いしたくせに、すっかりかしこまってしまい、このままではダメだと焦って、「いや、ですから私、本当はフランクなんですよっ!!」などと鬼気迫る表情で口走れば口走るほど、場の空気は飛ぶ鳥を落とす勢いでおかしな雰囲気になっていくわけで。

 酒の席で軽佻にフランクを演じ切ってしまう危険性だけは、なんとしても孫の代まで伝えたいと心から思う昨今です。

 

3月17日(月曜) 夜

 本日の自転車。

 まさか「にしむらよしだ」という氏名じゃあないだろうから、おそらく、にしむら氏とよしだ氏が共同で使っているものと推察される。でも、両方の名前を書いている理由がよく分からない。とりあえずどちらかの名前だけ書いておけば済むんじゃないのか。

 そもそも自転車って、どうしてよく名前が書いてあるんだろう? 原付にもバイクにもクルマにも名前など書かれていないし、もし書いてあったらかなり恥ずかしいことになりそうである。盗難防止の意味があるのかもしれないが、盗難が問題になっているのはむしろ高級自動車のほうだ。

 だったら、ベンツとかセルシオとかの前後バンパーには必ず、自分の氏名と連絡先を書いておけばいい。書いてないクルマは、盗まれても文句言わない!

 

3月15日(土曜) 深夜

 ひとりで部屋で飲んでいて、さっきふと思い出したこと。

 小学生の頃のとある休日、当時はまだ珍しかったオレンジの果実を母親が買ってきた。一家四人分でちょうど4個。

 「いつもは高いオレンジやけど、今日はスーパーで特売やったんよ!」

 ただ、オレンジという見慣れない果実をどうやって食べればいいのか、我々家族の誰も分からなかった。「いよかんと同じく皮をむけばいい」という意見、「グレープフルーツと同じく半分に切ってスプーンですくって食べるべきだ」という意見、いろいろ出たのだがどれも決定打に欠けていた。

 そこで提案したのは父親だった。「オレンジといえば、やっぱりオレンジジュースやないか?」

 我々家族はみな、言われてみればその通りだと思った。さすが家長の言うことだと少しだけ尊敬した。

 「わー、フレッシュジュースやんかっ!!」

 …というわけで、半分に切ってジュースを搾り出してみたのだが、肝心の果汁がちっとも出てこない。特売品だから粗悪品だったのか、どのオレンジもカスカスで、いくら力をこめても果汁などほんの数滴しか落ちてこなかったのだった。

 それでも家長の提案したことである。引っ込みのつかなくなった父親は、今までに見たことのないくらい恐ろしい形相でオレンジを絞りはじめ、とうとうコップに5分の1ほどのジュースをためることに成功したのだった。

 一家四人で分け合ったから、ありつけたのは一人当たりコップに20分の1の量だった。それでも皆、口々に感想を述べ合っていた。

 「やっぱり…フレッシュジュースは違うのう!」
 「…うん、おいしい!!」

 幸福とは日常をどう切り取るかにかかっているのだ、という事実をなんとなく感じた幼少の日でした。

 

3月14日(金曜) 深夜

 「オレがやってることって、結局どれも女にモテたいからやと思う」と宣言してる知人がいる。

 彼いわく、趣味でやっているスノボも、聴いている音楽も、乗っているクルマも、ぜーんぶ女にモテたいからやっているんだと。

 ここまで潔いといっそ気持ちいいが、「モテたい」というのはこれ、極論すれば「性交渉に持ちこみたい」ということだろう。

 「スノボにハマッたきっかけって何?」
 「うーん、そうだなァ。やっぱ、陰茎を膣に挿入したいから…かな」

 「どうしてそんなにスピッツが好きなの?」
 「結局んとこ、陰茎を膣に挿入したいから、みたいな感じっていうか」

 こう聞くとなんだか人間のパン屑みたいな気もしてくるけれど、「性交渉に持ち込みたい」というのはこれ、換言すれば「子どもを作りたい」ということであり、昨今取りざたされている少子化問題にとっては大いなる朗報にほかならない。富国のため、お国のため。

 「スノボにハマッたきっかけって何?」
 「うーん、そうだなァ。やっぱ、日本の将来のため…かな」

 「どうしてそんなにスピッツが好きなの?」
 「結局んとこ、日本の将来のため、みたいな感じっていうか」

 いま思えば、彼はとても高邁な動機からスポーツや文化に親しんでいたのだなあと、改めて尊敬する昨今なのでした。

 

3月13日(木曜) 深夜

 今朝、通勤ラッシュで混み合うプラットホームで電車を待っていたら、傍らに十円玉がひとつ落ちているのに気がついた。

 一瞬拾おうかとも考えたけれど、周囲には電車待ちの人たちが列を組んで並んでいるし、おまけにたかが十円である。さすがに恥ずかしいので、知らないふりをしてそのまま電車を待つことにした。

 で、しばらくして電車がプラットホームに到着したそのとき。

 ぼくの前に並んでいた外国人男性が突然列を飛び出し、そのまま勢いよく上体を屈ませながら、傍らの十円玉を拾いあげて立ち去っていった。

 …のだが、あまりに激しくしゃがんだものだから彼、デイパックのサイドに入れていたペットボトル茶がこれまた勢いよく前方に転げ落ちて。おまけに、ちょうどそこに大勢の降車客がなだれ込んできたものだから、ペットボトルはみんなに蹴られてもみくちゃになって。

 必死で回収しようとする外国人氏の努力むなしく、未開封らしきペットボトルはコロコロッ! と線路の下めがけて一直線。

 当の彼はしばらく茫然と立ちつくした後、今度は"Shit!!"とか呟きながらイライラし始めて、とうとう十円玉を線路の中へ放り投げてしまった。十円を拾ったがために百円以上するペットボトル茶を失ってしまった恨みを、こういう形でぶつけるしかなかったのだろう。

 ただ、そうこうしているうちにも電車の扉は容赦なく閉まるわけで。電車にも乗り遅れて"Oh, Fuck!!"と地団太を踏む外国人氏を尻目に、ぼくらが乗った電車はガタンゴトンとゆっくり発車し始めたのでした。

 「十円玉ひとつのために、ペットボトル茶を失い、拾った十円をも失い、電車にまで乗れなくなって奈落の底へと落ちていく外国人」というのが妙に滑稽で、電車の中から思わず声を上げて笑ってしまった本日。いやー、いいもん見させてもらいました。

 

3月11日(火曜) 深夜

 携帯メールの予測変換には要注意である。

 先週、職場がらみの食事会があって、何人かとメールアドレスを交換した。それで先日、ごくごく社交辞令的なメール(コピー&ペースト)をみんなに送ったのだが、予測変換機能のせいで、ほんのちょっとだけ誤字が生じてしまったのだった。

【送りたかった文章】
先日の食事会では、いろいろとお話できてよかったです。また今度お会いできるのを楽しみにしています。

【送ってしまった文章】
先日の食事会では、いろいろとお話できてよかったです。また今夜お会いできるのを楽しみにしています。

 「今度」と入力するつもりが、予測変換の候補からうっかり「今夜」を選んだまま、気付かずみんなに送信してしまったのだ。

 「今度」と「今夜」では大違いである。ビジネスライクな感じで淡々と終わった食事会なのに、いきなり「今夜」誘われるんである。先方には男性も女性もいたけれど、いずれにしても心穏やかではなかったようで、送信した直後から続々と返事がかえってきた。

「こちらこそ食事会ではお世話になりました。…ところで今夜、なにかお約束しておりましたでしょうか??」
「今夜とのことですが、何か予定がございましたでしょうか? 失念しておりましたら誠に申し訳ありません」

 みんな距離をとろうと、携帯メールなのに妙に丁寧な口調である。さては唐突なナンパかと思われたか。顔から火が出そうである。

 もちろん、「誤字でした!」と即刻返信したのだが、ナンパに失敗してすぐに手を引いたと思われたらますます火が出そうです。

 

3月10日(月曜) 深夜

 なんだか急に暖かくなってきましたけれど。

 こういうときこそ極寒経験をしておきべくだと思いたった昨日、滋賀県・近江八幡の郊外にある「探検の殿堂」まで行ってきました。なんでもマイナス30℃の南極の寒さを体験できるコーナーがあるそうで。

のどかな田園風景のなか、周囲と全くマッチしない感じの現代建築が「探検の殿堂」だった。
 
冒険家・西堀榮三郎の名が冠されたミュージアム。
受付け嬢のおぼこ娘(たぶん)。入場料は南極体験込みで700円なり。
 
展示されている西堀さんの偉業の数々。これは氏が比良山でやっつけたイノシシ。
南極体験の時間になったら全員集合!で解説が始まる。…が、客はぼく一人で妙な雰囲気。
 
 南極体験ゾーンには防寒ジャケットが用意されており、「着てください」と命じられる。
中に入ると、いきなりマイナス30℃! 壁面もすべて氷!! …と思ったらイミテーションでした。
 
今回のメーンイベント、南極の氷とのご対面。ありがたや、ありがたや。
バナナで釘が打てるかな? の実験場。バナナを持ってきてなかったぼくは実験できず。
 
南極探索車の写真が展示され、傍らにはなぜか、レゴブロックで作った模型が鎮座。
 
外には25年後に開ける予定のタイムカプセルが。きっとカマボコとかが入ってるんでしょう。
 
 

 

3月7日(金曜) 深夜

 同僚の女性から言われた。

 「名倉さんが着てはるピーコート、かわいいですね。ほんとに男物ですか?」

 思わず鼻の下を伸ばしかけるが、べつにぼくのことを褒めてるわけではなく、コートをかわいいと言ってるだけである。なのでここは、「ありがとう。そんな風に言ってくれるのは君だけだよ」という意味の言葉をもう少し回りくどく返すにとどめたのだが、ただ、「ほんとに男物ですか?」という言葉 が少々気になった。

 ぼくは女物の服を着てるように思われているのか? どこかのマンションのベランダから盗んだとでも疑ってるのか!?

 で、とりあえず襟部分を示して、「ほら左前になってるでしょ。だから男物!」と主張したところ、相手からポカーンとされた。

 「えっ、男物って左側が前にくるんですか!?」
 「そう、男物は左前。あなたのコートは女物だろうから右側が前に来てるでしょ?」
 「わーそうなんだ。知らなかった!」
 「これって常識だと思うけど…知らなかった?」
 「だって男物の服なんて着たことないですし」

 年頃の娘なら彼氏宅に泊まったときパジャマを借りて、「うわーボタンが逆だ!」みたいな経験があるじゃろうに、まったくおぼこ娘なことよ。 ふふふ、わしのピーコートを着てみると申すか? ああお代官様、やめてください!! よいではないか、減るものでもあるまい……と、思わず悪徳お代官様のような気分にて、よこしまな妄想にふけってしまったのでありました。

 おぼこ娘と見られたい向きは、このテクニック、よければ使ってみてくださいませ。

 

3月6日(木曜) 深夜

 今朝職場に出勤したら、隣の部署の上司が部下に説教していた。

 「君ねぇ、もっと自分からやる気出してがんばらなきゃダメだよ!」

 あまりにミもフタもなくて、聞いていて思わず笑いそうになってしまった。世の職場では、社員のやる気(=モチベーション)を高めるためにあの手この手の工夫を凝らしているといるというのに、その全てを一言ですませているところがすごい。

 「もっと自分からやる気を出せ」

 考えれば考えるほどすごい言葉である。まず、自分から自主的に出せと言いながら、そのように命令している時点で根本的に矛盾している。おまけに「やる気」というのは、そもそも努力で高めるような代物ではない(仕事内容だとか環境だとか本人の問題だとか、いろんな要因の総和で生じた結果なのだから)。

 それとも「やる気」というのは、歯を食いしばって努力すれば出てくるものなんだろうか。

 「やる気よ出てこい、湧いてこい! …おお、出てきたぞ! 湧いてきたぞ! 猛烈にモチベーションが高まってきたぜ!!」

 こんなだったら苦労はしない。

 自分の意思でコントロールできないことを努力でなんとかしろと命じるから、何だかおかしなことになる。恥ずかしがりな人に「もっと恥ずかしがらずに堂々としなさい!」と言うようなものというか、不眠で苦しんでいる人に「もっとスムーズに寝なさい!」と言うようなものというか。

 この手のコトは既に何度か書いているけれど(「オレのことを好きになれ!」と言うストーカーとか、「もっと自信を持たなきゃダメだよ!」と言う上司とか)、ミもフタもない台詞というのは、油断するとつい口走ってしまうものなんでしょうな。

 そして、こういうのは大概、説教したことと逆の結果になるという痛快さ。

−−−

 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「たばこ券のノスタルジー」。たばこ券というのが流通していた一昔前について、自分なりにいろいろと回顧しております;。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

3月5日(水曜) 夜

 実家に帰ると、決まってアトピーが悪化して、クシャミが止まらなくなる。

 おそらくはハウスダストが原因である。で、そのことを親に指摘すると、「ちゃんと掃除してるんやから、そんなはずがない!」という返答が返ってくる。

 ハウスダストが原因でないなら、残る可能性は心理的要因、つまり「親アレルギー」である。

 …というようなことを先日親に言ったら、本気でしょんぼりされました。

 いや、ハウスダストのせいだから! 家が汚いせいだから! とあわてて取り繕う(心優しいフォローのつもり)。

−−−

 本日の消毒液。

 「指先までなすりこむ」。用法的には間違っていないのだろうけど、「そうか、なすりこむのか…」と一瞬たじろいだ。

 ちなみにタケックスというのは、竹から採取した消毒成分を使っているからのようで。

 同社のサイトには、全自動消化システム「ケスジャン」というのもあって、ああ東京っぽい響きだこと。

 

3月4日(火曜) 深夜

 ビッグといえば、平日と週末の酒量の差である。

 平日は缶ビール2本と決めているから、それ以上増えようがない。夕飯も食べて風呂も入って、あとは寝るだけという状態に自らを持っていったうえで、チビチビと飲む。インターネットとか見ながら、ついでにタバコも吸いながら飲む。貧乏くさいけれどそれなりに楽しい。

 一方、週末はまず缶ビール2本を高速で流し込んだ後、おもむろに焼酎をロックで4杯ほどいく。喉の渇きをビールでうるおして快適なコンディションを確保したうえで、濃い焼酎をまとめて落としてお腹に灯をともす。

 ゆったりと暖かい酔いの「コア」が身体にともり始めたところで、さらに焼酎を重ね、コアを少しずつ育てていく。急ぎすぎるとしんどくなるし、のんびりしすぎると酔いがさめてしょうもなくなる。この微妙な調整がまた楽しい。コア育ての愉しみ、という感覚だろうか。

 そしてある程度コアが大きくなってきたら、しばしの温存期が訪れる。焼酎ばかりだと微調整が難しいから、このあたりで赤ワインを登場させて、ボトル半分くらいを慎重に加えていく。ワインだと少しくらいペースオーバーになっても大事には至らないから心強い。念のため、赤ワインとともにチーズとピーナツくらいを胃に入れて様子を見る。

 ただし温存期はそう長く続かない。ある程度大きくなったコアは、もはや少しずつ膨張しなければ気がすまない「暴走機関車の卵」となっている。泳ぎ続けないと死んでしまう回遊魚のように、一定以上のアルコール供給がないとしょぼんでしまう。ここまでくれば、あとに待ち受けているのはビッグバンのみである。

 この頃にはアルコールの濃い薄いも判然としなくなっているから、当たり前のようにウイスキーのロックあたりに収斂していく。会話の内容も次第に、どうしようもないシモネタやよく分からない自慢話、あるいは足の爪垢の話題へと変遷していき、気がつけばウイスキーのボトルが半分くらい空になっていて…あたりでプッツリと記憶が途絶えて。

 そして翌朝、強烈な喉の渇きと頭痛で目が覚める。…というような他人様の日記を読んで安心したい昨今ですこと!

 

3月3日(月曜) 深夜

 マンションの隣室から時々、「ドーン!」という莫迦でかい轟音がするようになった。

 一回だけのときもあれば、「ドン、ドン、ドーンッ!」と何度か続くときもある。住人は20代後半と思しき男性である。

 当初はぼくのTVやオーディオの音量が大きいことへの抗議かと思って、なるべく音を立てない生活を心がけてみたのだが、こっちが音を鳴らしていないときでも同じように「ドーン!」とやられるところをみると、きっと抗議などではないのだろう。パソコンをカタカタ打ったりはしていたけれど、こんなことで「ドーン!」と抗議されてはたまったものではない。

 どうやら悪気はなさそうなのだが、それだけに隣室で何が行われているのか気になって仕方がない。音が轟くたびに、いったい何なのだろうと考えてしまう。

 想像力の乏しいぼくは、きっと上のいずれかだと踏んでいるのだが、これで音の正体が「新手のアクロバティック・オナニー」とかだったら気が抜けますわ。

 

3月1日(土曜) 夜

 人からよく「名倉さんって理屈っぽいね」と言われる。

 いきなりこんなことを指摘されれば、もちろん内心穏やかでないのだが、だったらどうなんだとも楯突きたくなる。

 理屈っぽいというと人聞きが悪いが、言い換えれば論理的だということである。このように考えてみると、確かにどんなことに対しても因果関係を想定しながら、帰納法的思考を怠らないよう心がけている。我ながら賢明極まりない人生である。

 たとえば一時期、少しだけスキーに凝っていたのだが、何度かゲレンデに運んだものの一向に上達しない。そこでぼくは、その原因が何であるかを日々考えあぐねた。入門書をひもとき、レッスンDVDを繰り返し鑑賞し、あとはひたすら思索にふけった。どんなときも論理的思考が何より大切なのである。

 このように理論武装を十分に行ったうえで次シーズンのゲレンデに臨んだのだが、スキーの腕前は上達するどころか昨年度よりも一層下手くそになっていた。一年間考えることに専念して、運動らしいことを全くしなかった結果、ますます体のバネが固くなって筋力も低下していたのだ。

 しかし、体を鍛えるなどという野蛮なことはしたくないので、以降ぼくは実際のスキーから身を引き、理論上のスキーに専念することに決めた。

 数年に一度、思い出したようにゲレンデに出向くこともあるが、これは「論理的思考のみでは実際のスキーは上達しない」という仮説を証明するためである。そして現在のところ、この仮説は毎回実証されている。最後に勝つのは論理的思考である。

 教訓:どんなときも常に思索を追求すべし。腹が減ったときも心臓発作を起こしたときも、まずはその原因を追求するため机に向かうのが論理的人間!

 


 

2008年2月のプチ日記 

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