12月30日(火曜) 深夜
飲んだくれておりました。この4日間で1日分くらいの記憶しかない。
ちなみに週末は、大阪の友人宅にてゴージャスな忘年会。
当然のように終電を逃した挙げ句、泊まらせてもらったのはいいが、翌朝、調子に乗って迎え酒をあおっていたら再び正体不明になって、そのまま深夜まで昏睡。またもや終電を逃して泊まらせてもらうという、三十代半ばの社会人とはとうてい思えない莫迦っぷりを発揮してきたのでありました。いやはや家主のWさん、ほんとにご迷惑おかけしました。この場を借りてお詫び&感謝申し上げます。
で、2日目の朝に大阪を発って京都駅に戻ったところで、なぜか父親とバッタリ鉢合わせして。事情を説明すると、「おまえは一人暮らししても朝帰り癖が抜けんなァ」と呆れられた。普通の朝帰りではなく2日目にの朝帰りだけれど、心配されてもナンなので、とくに補足説明はせずそのまま別れる。
せっかくなので、忘年会の写真でも何枚か。
みんなで作った肴たち。小品がたくさん並ぶとそれだけで楽しくてなってくる。ちなみに手前の小皿はハムスターの煮込みです。ウソです。
東京帰りの知人が作ってくれたもんじゃ焼き。「ゲロのことは絶対に考えまい!」と意識しすぎた結果、ずっとゲロのことを考えてしまいました。
こちらはホタテ貝のバター焼き。「ホタテは半生くらいが旨いですよね!」ということで、半生で食べたらぬるくて今ひとつだったので、よーく火を通して食べたら、めっぽう旨かった。
家主のW氏が提供してくださったワイン。もらいものなので1万円以上はゆうにするだろうと言われつつ飲んでみたら、確かにスゴくまろやかで美味しくて、「確かに1万円以上の味がしますわ!」などと感激していたのだけれど、ネットで調べてみたら3千円くらいだったことが判明して気まずいひと時に。いやまァ、ぼくにとってはそれでも十分高級品なんですが。
12月26日(金曜) 深夜
職場の忘年会の幹事をしている。
自ら希望してやっているのだが、なぜかといえば、自分の好きな店を選べるからである。基準は「美味くて安くて静かな店」。もともとぼくは騒々しい店が大嫌いで、大きな声で喋らないと会話ができないような店で飲むと、それだけで疲労困憊してしまう。店が静かかどうかは死活問題なのだ。
ちなみに幹事といっても店を選ぶだけで、あとの連絡や会計は後輩に任せることになっている。酔っ払うと2万円を3人でワリカンする計算すらまったくできなくなってしまうのに、10名以上の会計をするなんて到底無理だからである。幹事はいわば飲み会における総理大臣みたいな存在であるから、連絡係や会計係といった内閣陣を任命するのは当然だろう。幹事はただ店を選ぶだけの話。
なお、開始時間に関しては、熟慮に熟慮を重ねた末、6時35分スタートということで予約しておいた。全員が定時で仕事を終えて店に直行すれば、ちょうどこの時刻になる。コース料理をこの時間に指定しておけば、ベストのタイミングで料理が運ばれてきて酒も進むという算段である。
飲み会が始まるまでの微妙な待ち時間がどうも苦手なんである。料理と酒を待っているあいだの5分10分は、どうしてもギクシャクした社交辞令になってしまう。で、お酒が運ばれてきた途端に、酔っ払ってもいないのに突然、なごんだ雰囲気に切り替わるという不自然さ。
だったら最初からスムーズな形でなごんだ雰囲気に流れ込みたいと考えて、「6時35分スタートなので厳守してください!」と皆に念押ししたところ、全員から怪訝な顔をされてしまった。「なんですか、この中途半端な時間は?」「名倉さんのことだから、また奇をてらってんじゃないの!?」「ったく、いつもよく分からんことするんだから」等々。
なにをしても裏目に出る人生というのは、きっと存在すると思います。6時35分開宴!
12月25日(木曜) 深夜
そうか、学生時代こうやって覚えればよかったのか。
我らの森フォトン先生は近年、本当にフォトンのような感じになっておられますが。
−−−
後輩のI君が飲み会の席で言っていた。
「ボクは先輩のおっしゃることには、内心どうかと思っていても従うことにしてます。そのくらいの社会的スキルはありますから」
こんなことを公言してしまったら、今後I君が何を言っても、内心どうかと思ってるように受け取られるに違いない。これって社会的スキルとしてどうなんだろう? 本当に社会的スキルのある人は、内心とは裏腹に、「ボクは先輩であっても、言いたいことは全て言います!」と公言するんではないか。
ちなみにぼくは、なにも公言することなく、「上司に言っても大丈夫そうな範囲内でたまに反論する」という至極当たり前のストラテジーを採用しております。たいていのことは言葉よりも態度でもって表現するほうがいい、というのが社会に出て学んだ数少ない教訓のひとつです。
12月24日(水曜) 深夜
物覚えが悪くなったのか、ウロおぼえの言葉が多くなってきた。
どこかで見聞きしたものの、ちゃんとした意味を失念したまま口してとんだ大恥をかく。これではいけないと思うも、そのつど自分で調べるのが面倒で、ついつい誰かにたずねてしまう。これがいけない。
本日も昼休みに社員食堂で雑談していたとき、ふと「ニューカマー」という言葉が頭に浮かんだ。しかしながらサッパリ意味が思い出せず、かといってストレートに訊くのも悔しかったので、「新しい生き方みたいなやつでしたっけ? ロハスみたいな」と余計なことを口走って墓穴を掘ってしまい。
そのあと女性社員たちがエステの話をし始めたとき、今度はふと「ポルチオ」という言葉が頭に浮かんだ。さりとて当然ながらサッパリ意味が思い出せず、今度は同じ過ちを繰りかえすまいと謙虚を決め込んで、「そういやポルチオってなんでしたっけ?」と素直にたずねてみたら、一同からポカーンとされて。
その場の誰もが意味を知らなかったようだった。
…のだが、しばらく後、気になってネットで調べてみて青ざめた。ポルチオって、子宮頸部の性感帯を指す言葉だったのだ。うわー。ってことはこれ、「Gスポットってなんだったっけ?」みたいな質問を公言していたに等しいわけじゃあないか! ひょっとして、みんな知ってたけど言えなかっただけ!?
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というけれど、必ずしもそういうわけではないようです。ポルチオ、ポルチオ…。
12月23日(火曜) 深夜
本日の「よりどり」。
よりどり4玉98円! と言われても、どれも同じうどんではないか。この中から「よりどり」選び取るには、かなりの根気と観察眼が要求されるだろう。一見同じようにしか見えない麺のかすかな違いを見極め、これぞという至極のうどんを4玉選ばなければならないのだ。
そういやスーパーで買い物してるおばさんって、パック入りの卵を買うときなんかもえらく念入りに見比べたうえで選び取っているけれど、。あれはいったい卵の何を見てるんでしょうかねえ。
微妙な大きさの違いをパッと判断してるとしたら、無駄にすごい才能ですな。もはやサヴァン症候群の域だ。
12月22日(月曜) 深夜
観たい映画があったので映画館のサイトを見ていたら、割引クーポンの画面にたどりついた。
200円の割引は大きい。ただ、自宅のプリンタが現在故障していて、プリントアウトすることができない。さてどうしたものか…。
しばらく思いあぐねた末、この画面をデジカメで撮影して、それを持参することにした。この画面をデジカメで表示させて提示すればいいんではないか。
というわけで、割引クーポンの画像をデジカメに収めて映画館に出向いてきたわけですが。
ぼく:あのう、ネットでクーポン券のサイト見たんですけど。
係員:はい、ご提示いただけますでしょうか?
ぼく:それが…実はプリンタが故障しておりまして、デジカメに撮ってきたんですけど。ええと、これです。
係員:申し訳ありませんが、紙に印刷されたものでないとクーポンにはならないんです。
ぼく:そこをなんとか…。このモニターをですね、分厚い紙という扱いにしていただくわけにはいかないですかねえ?
係員:やはりモニターと紙とは違うものですので。申し訳ございません。
ぼく:紙と一口に言っても昨今、化学素材のものもありますし、自ら発光するものもありますし、モニターとの差異はないとも思うんですが…。
係員:でも…これ、デジカメですよね?
ぼく:デジカメという風に捉えるとそうですけど、既成概念ではなく、こういう新たな「紙」媒体という風に捉えると……。
係員:申し訳ございませんが、こちらでは対応いたしかねますので。なんでしたら上の者を呼んでまいりましょうか?
ぼく:あ、いえ、いいですいいです! 定価でいいです! クレーム付けたいとかじゃなくて、その、素朴な考えとして言ってみただけですんで。
係員:かしこまりました。お一人様1,800円となります。
皆様の中にも今後、同じことを考えて玉砕される方がいらっしゃるかもしれないと思い、書かせていただいた次第です。映画のクーポン券はデジカメに撮って持参しても受け付けてもらえませんよ! いくら冷静に弁論しても通じませんよ!! って、こんなダサいこと、誰もなさいませんですかっ!?
12月19日(金曜) 夜
近所のスーパーで晩ご飯の食材を買っていたら突然、男同士の怒鳴り声が耳をつんざいた。
「おいオマエ、謝れやっ!」
「はァ? なんやねんオッサン」
一瞬にして凍てつく周囲の雰囲気。うわ、なんだなんだ? チンピラ同士の小競り合いか!? とっさに振り向いてみると、いかにも柄の悪そうな男が二人、文字通り「メンチを切りあって」いた。いったい何が起こったんだ??
…こうして買い物客のほぼ全員が遠巻きに見守るなか、続くやりとりでトラブルの全貌が判明したのだった。
「人のカラダにコレぶつけといて、すいませんの一言もないんか!?」
「コレって、ただのネギやろうが。ネギがかすったくらいで、ごちゃごちゃ言うなやオッサン!」
「なんやとオラ。…痛い目ェに遭いたいんか兄ちゃん?」
「おまえこそ、因縁つけとるだけちゃうんか!? ふざけんな」
「兄ちゃん、礼儀っちゅうもんを知らんようやな。…おい、表出ろやっ!」
「はァ? どうかしてるでオッサン!? なんでオレが表出んとあかんねん!」
「なんやとォ!!」<相手の胸ぐらをつかみかかる>
ここで店員が駆け寄って、「あのう、お客様。なんとかお取り引きいただけないでしょうか…」と仲裁に入り、おかげで無事、なんとなくケンカ別れとなったわけでありますが(ただし、お互い猛烈にメンチ切りながら)。
いい歳した大人が長ネギひとつで一発触発、あれはいったい何だったのだろう。近頃のスーパーはワンダーランドですな。
12月18日(木曜) 深夜
忘年会シーズンで連日の飲み会。
今日の飲み会で初めて酒席をご一緒したAさんは、最初っからウーロン茶ばかり注文しておられた。お酒は飲まないんですか? と訊かれるとAさん、「そうなんです。私、お酒ダメなんです」とのこと。
それでも半ば強引に注がれたビールを飲み干したAさん、それを機に焼酎ロックやらウイスキー水割りやらを次々と注文しはじめたのだった。あれ? お酒飲めないんじゃなかったでしたっけ!?
そして1時間後。気がつけばAさんはすっかり正体不明となっていて、「みんなバカなんですよ」「死ねばいいんですよ」などと一人でつぶやき始めたのでした。
Aさんは確かに、「お酒がダメ」な人だった。ぼくも気持ちは痛いほどよく分かる。
−−−
ちなみに、本日の飲み会に来ていたBさんは相槌の名手だった。
なにを言われても「なるほど、そうですかー」。決して人の話を否定しない。
酔っ払って「ぼくなんかもう、人間のクズみたいなもんですよ」と言ったときも、場が静まり返るなか、Bさんだけは「なるほど、そうですかー」と答えてくださいました。無条件の肯定というのは人の心を癒してくれるものです。
やっぱりそうだったんだ、人間のクズだったんだ、自分は間違ってなかったんだと、猛烈な自己肯定感に襲われております。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「たばこの火種」。 たばこの味というのは微妙なもので、どんな火種で火をつけるかによって大きく味が変わってくる、みたいな他愛のないことを書いております。結論としては、たき火の炭でつけたたばこが一番美味しい!
よければご覧いただけると嬉しいです。
12月16日(火曜) 深夜
あれは高校1年生の夏休みだったと思うが、美術の授業で「水彩画で風景画を描いてくること」という課題が出た。
そのとき同級生のM君は、大胆な行動に出た。プロの画家をしている伯父さんに「代筆」してもらったのだ。もちろん、あまり上手すぎたらバレるから、あたかも素人が描いたかのように仕上げてもらったとのこと。
そうして提出されたM君の絵は、案の定というべきか相当な出来映えだった。美術の先生も「この色使いのセンスはすごいよ!」と絶賛していた。京都府高校生展みたいなのに選ばれて出展されたらしいから、さすがプロ画家というか、プロ画家なのに素人レベルまで描き落とせなかったというか。
ただ、問題はその後だった。
夏休みを過ぎてからも、美術の授業では新たな風景画を描く課題が続いた。しかしながら、華麗なる夏休みデビューを果たした鬼才M君の画才は、飛ぶ鳥を落とす勢い急落してしまう。当たり前である、本人が描いているんだから。
先生も「いったいどうしたんや!?」と首をかしげはじめた二学期の半ば、またもやM君の鬼才が「復活」し始めた。事情を知っているぼくは、ああそういうことねと納得したのだけれど、そんなことは露知らぬ先生は有頂天だった。「すごい、前よりも一層よくなってるよ!」「これも次に出品しよう!!」。
後からM君本人に聞いた話だけれど、先生から「最近スランプじゃないの?」と言われた旨を画家の伯父さんに相談したところ、「じゃあ少しずつ上達するような感じで描いてやる」ということになったんだとか。かたや先生のほうは、自分の指導のおかげで上達してるんだとすっかり勘違いして。
そして高校2年生の課題も「順調」に経過していったある日、M君は先生から言われたのだという。
「M君。美大…本気で考えてみるか? 」
その後M君は、某大学の経済学部に進学したと聞いております。ポクポク。
12月15日(月曜) 深夜
本日の貼り紙。
糞する犬のお通り、固くお断り。ここを通ってもいいのは腸閉塞になった犬だけのようです。
…この手の掲示って、「ここで犬に糞をさせないでください」とか「犬の糞は飼い主が始末してください」とかがスタンダードだけれど、時折こういう変化球タイプを目にする。ある種の人たちは、みんなと同じというのがどうしても嫌で、個性を出したくなるのかもしれませんな。
だからこそいろんなバリエーションがあって楽しいわけだけれど、個性派はたいてい失敗してるのがまた可笑しい。
12月13日(土曜) 深夜
ケータイに同僚さんからの電話が鳴ったので出たら、画面にバッテリー切れの警告が表示されていた。
経験上この表示が出ると2分くらいで電源が切れてしまう。しかし勤務時間外に同僚からの電話、ひょっとしたら緊急の重要連絡かもしれない。話の途中でバッテリーが切れたりしたら、それこそ取り返しのつかない事態を招く可能性だってある。
…と瞬時に判断したぼくは、最小限の時間で最大限の情報を得るべく、電話に出るなりアクションを起こしたのだった。
相手:「もしもし、あ、名倉さんですか??」
ぼく:「そうです。Sさんですよね?」
相手:「はい、Sです。どうもお疲れさまです」
ぼく:「Sさん、今からぼくが言うことをよく聞いてください!」
相手:「ええっ、ど、どうしたんですか!?」
ぼく:「ぼくのケータイ、バッテリー切れ寸前で、あと1分少々しか通話できないんです!」
相手:「あ、あー、そうなんですか」
ぼく:「ですから、今から必要用件だけを、箇条書きにして述べてください!!」
で、なんだか救急救命チームみたいで我ながらかっこいいなァと悦に入りつつ(って、単なる電池切れですが)、相手の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと必死になってケータイを耳に当てがっていたところ。
相手:「ええーっ、か、箇条書きですか?? 箇条書きって、ええっと、どうすればいいんですか!?」
ぼく:「だから、ポイントだけを最小限の言葉で列挙してくださいってことです! 早く言ってください!!」
相手:「あー、は、はい、最小限ですねっ!! ええっと、えーと、最小限、最小限……ええっと、な、何から言えばいいですかっ!?」
ぼく:「そんなの、ぼくに分かるわけがないでしょ! もう、何でもいいから早く言って!!」
相手:「わあー、ええええっと、その、箇条書きですよね!? 列挙すればいいんですよね!?」
ぼく:「そうですそうです! ああ、もう切れちゃいますよ! 早く早く!!」
相手:「ああー、じゃあまず、Mさんから聞いた話なんですけど、こ」
<プツッ>
けっきょく「Mさんから聞いた話で、こ」という情報しか得られないまま、ケータイの電池は切れてしまったのでした。
ちなみにさっき帰宅して、同僚に改めて電話して確認したところ、用件は次のようなものだった。
「隣部署のMさんが今度、ウチの部署と共同で忘年会しようって言ってるんですけど、その人数で店とっておいてもいいですか?」
こんなこと、ぼくが「必要用件だけを箇条書きにして述べて!」とか言ってなかったら、30秒もあれば……。
いやー、人って焦ると、ふだんなら30秒でできることに2分以上かかってしまうものなんですね。
12月11日(木曜) 深夜
いい感じに酔っ払って自転車をこいでいるときなんかに、鼻歌をうたっている自分に気づくことがある。
といっても音楽に疎いものだから、それはビックリするくらい古い曲とか、ワケが分からない曲だったりする。
ちなみに先日うたっていたのは「♪ジャスコで万引き〜」という、小学生のころに流行った替え歌だった。当時ジャスコのCMソングとしてTV放映されていて、その歌詞をネガティブに替えたものが学校で流行していたのだ。
気になってネットで検索してみたところ、いやー、たくさんヒットしますねえ!(たとえばこちらのサイトなどに詳しい経緯が紹介されてます)
元の歌詞は「♪ジャスコで会いましょ〜 素敵な笑顔に〜 ジャスコで会いましょ〜 ジャスコでね〜 」だったようだ。それがぼくらの学校では、次のような歌詞として流行していた(ぼくが酔っ払ったときにうたっているのも、もっぱらこれ)。
「♪ジャスコで万引き〜 花久(はなきゅう)で強盗〜 ちゃりんこパクッて〜 人殺し〜」
花久(はなきゅう)というのは、通っていた小学校の隣にあった小さな文房具店である。ちゃりんこはもちろん、自転車のこと。で、万引き、強盗、窃盗と罪を重ねたあげく、人殺しまでしでかすのだから物騒な話である。
しかし替え歌の文面、よく考えるとテンで意味が分からない。文房具店で強盗したうえに、自転車を盗んで人殺しするなんて、どういうことなのか!?
…と勘付いた貴殿はするどい! そうなのだ。小学生当時のぼくらは何の疑問も抱かずにこの替え歌をうたっていたのだけれど、そこにはひとつの陰謀が隠されていたのだった。
そして、ここからが本日の日記の本題である。
「♪ジャスコで万引き〜」が流行しはじめた当初、替え歌はもっと違う歌詞だった。記憶がおぼろげなのだが、さらにどこかで食い逃げして逮捕されるという風な内容だったように思う。それがどうして、ちゃりんこパクッて人殺しなんていう歌詞に変貌したのか!?
その経緯を知ったのは小学校を卒業する間近になってからだった。悪友のH君が「今やから言うけど…」と、すべてを教えてくれたのだ。
いま考えても相当な知能犯である。
当時ものの見事にしてやられていたのも悔しいけれど、それが現在に至るまで記憶に残って、ついつい鼻歌になってしまうのがますます悔しい。そして、三十歳過ぎた酔っ払ったオッサンが自転車に乗りながらこんな歌をうたっていたら、そのうち本当に逮捕されそうで恐ろしいのだ。
オリジナルの替え歌が二十余年の年月を経て、ついに現実となる。これは本物の莫迦ではないか。
12月10日(水曜) 深夜
本日のソフトクリーム。
店頭に出ていたので、なにかと思って近づいてみたら、こんなことになってました。定食、だし巻、カレー、焼酎……。それでもちゃんと「ソフトアイス」の表記もあって、ますますよく分かりません。
もともとソフトクリーム屋だったのが、定食とかだし巻きとか売り出したら結構売れて、おまけに焼酎も人気になって、こんなことになったんでしょうか。
まだ余白があるようなので、もうじきしたら、寿司とかブイヤベースとかも追加されるかもしれませんですな。ソフトアイスと寿司とブイヤベースの専門店!
12月9日(火曜) 深夜
近頃のデジカメは記憶媒体の容量がグンと大きくなった。
ぼくが初めてデジカメを買ったとき(8年前)、デジカメの容量といえば16MBか32MBのいずれかだった。
高画質で撮ると20枚くらいしか入らないから、画質をとるか枚数をとるかでいつも悩まされた。やむにやまれず、被写体によって画質の設定を変更するなんてことも茶飯事だった。友だちと旅行に出かけたとき、看板やら張り紙やらは高画質で撮っているくせに、友人を撮るときはすべて低画質にしていることがバレてひんしゅくを買ったことも、今となっては懐かしい思い出である。
それが次第に128MB、256MBと増えていき、2台目のデジカメに買い換えたとき(4年前)には当時のスタンダードだった512MBのメモリを購入した。それからも容量の増加はとどまることなく、去年買ったデジカメには1GBのメモリを付けた。それが現在では、16GB以上の製品までずらりと店頭に並んでいる。
こうして見ると「技術の進歩ってすごいなァ」と感心するものの、正直いうと、1GBのメモリにしてから逆に不便を感じるようになった。512MBメモリを使っていた頃が、なんやかんやで最も快適だった気がするんである。
512MBメモリだと200枚くらい撮影したら満タンになるから、否が応でもそこで画像を整理せざるを得ない。日付とタイトルを付けたフォルダにデータを移動して、最終的にはDVDに焼いていくわけだ。200枚程度であれば、ひとつのフォルダに入れてもなんとか整理できる。
しかしこれが1GBメモリとなると、撮影枚数は400枚くらいにまで跳ね上がる。こうなると、もはやひとつのフォルダで管理するのは難しい。200枚に達した時点で小まめに整理すればいいのだけれど、まだメモリに残量があるとついサボってしまうのが人情というものである。
おまけに、1GBもあると思うと本当にどうでもいい写真までバンバン撮ってしまうから、そのせいで大切な写真がデータの海に埋もれてしまうことにもなる。このように考え合わせると、デジカメの記憶容量は512MBが一番よかったように思えてならない。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」というのは、従来の日常生活では誰もが実感として持っていた印象だろう。本棚を増やすとそのぶん本が増えて収拾がつかなくなるとか、食べ放題・飲み放題に行くと気分が悪くなるまで飲食してしまうとか、大きな旅行カバンを買うとそのぶん荷物が多くなってタイヘンだとか……。それがデジタルデータになった途端、多ければ多いほどいいという風な、先祖がえりとでも言うべきおかしな認識になっているんではないだろうか。
同じ値段だとつい容量の大きなメモリを買ってしまいがちだけれど、こういう時代だからこそ、「目的に合ったサイズの旅行カバンを買う」のと同じように、「目的に合ったサイズの小容量メモリを買う」気概が必要とされているんではないかなァと、ふと思った本日なのでありました。ぼくにとって1GBメモリは、デジタル・トランクケースみたいなことになっている次第で。
なんだか、おっさんの説教みたいな日記になってしまい申し訳ありません。
12月8日(月曜) 深夜
唐突ながら、京都の隠れた名店シリーズ第一回です。今後も続くかどうかは皆目分かりません。
…というわけで今回は、四条大宮を上がったところにある「壷味」を紹介します(正確には大宮通錦小路下る東側)。
いい感じの赤提灯が目印の「壷味」、定員5名。ビニールシートが垂らされているものの、店外にソファが並ぶカフェ・スタイルとなっています。
中に入ると常連さんが無言でモシャモシャ飲食しておられました。「ウチは旨いさかい、料理出すとみんな無言になるねん」とはご主人の弁。 名物「ねぎ焼き」を注文。ネギの下には牛スジの甘辛煮がたくさん封じ込まれてます。で、たいそう気前のいいネギの量だなァと思っていたら…。
さらにドバッと追加されたネギ。スーパーとかで売ってるネギ2〜3束分はゆうにある。これでお値段600円(中サイズ)だからすごい。 「ねぎ焼き」の完成。どうでしょうか、このボリューム。おまけにお味も最高。こりゃもう、ビール何杯あっても足りません! とりあえず生中3杯。
これまた名物「○○焼き」(まるまるやき)。牛スジ煮込みとキャベツ、卵がたっぷり入って、お値段250円。素晴らしすぎます。 ちなみに、焼きそばのボリュームもご覧のとおり。麺は普通ですが、具の多いこと多いこと。「これくらいのほうが旨いでっしゃろ」とご主人。
もはやビックリしませんが、お好み焼きのサイズもこんな感じです。こんなのが600円前後から食べられるのだから、たまりません。 満席のところに常連さんが来店。小心者のぼくが「どうしよう自分のせいで…」と凍りついていたら常連さん、「えらい繁盛しとんなァ」「店の中で飲ませもらうで」と。いいなあ、こういう寛容さ。
仲良し老夫婦で切り盛りしておられるこのお店。ホワイトボードに書き足していくという明瞭会計も魅力のひとつです。ところで、上のほうに書いてある「峯」「峰「」「赤嶺」は何なんでしょうか。
トイレには、こんな張り紙が堂々と貼られてました。
茶目っ気あるご主人の素朴なユーモアが最高です。
ぶらっと入った店が素晴らしいと、生きているのも悪くないなと柄にもなく思います。
12月5日(金曜) 深夜
芥子と芥子って同じ漢字だったんですねえ。
…と書いても当たり前の話なんですが。ええと、「芥子(からし)」と「芥子(けし)」です。
−−−
見栄っ張りなので、知らないことでも知っている風を装うことが多い。
こういうとき便利なのが、「やっぱりそうなんやね」という言い回しである。
たとえば居酒屋なんかで、知らない銘柄の日本酒が出てきたとする。ここで店員に「これってどこのお酒でしたっけ?」と訊くのはやむを得ないのだが、便利なのはその後である。「こちら新潟の地酒になります」「ああ、やっぱり新潟なんやね」。あたかも確認しただけ、という風情を醸し出すわけである。
勢いあまって誤ったことを口走ってしまったときでも、この言い回しさせ使えばうまくフォローできる。たとえば「このお酒って兵庫でしたっけ?」と知ったかぶりをこいて、店員から「いえ、宮城のお酒です」と訂正された場合であれば、「ああ、やっぱり兵庫じゃなくて宮城なんやね」とかわすわけである。
この調子で常日頃から「知ったかぶり」を欠かさぬよう精進しているのだけれど、先日はいささか失敗してしまった。仕事がらみの話なので詳しくは書けないけれど、ある新製品を持ってきた取引先との会話にて、
ぼく:「これって、どのモデルでしたっけ?」
先方:「第4期モデルのBになっております」
ぼく:「あー、やっぱり第4期モデルのBなんやね。パッと見て、そうだと思った」
先方:「第4期モデルはいずれもまだ公開されておりませんで、今回お持ちするのが初めてとなります」
ぼく:「あ、ああ、やっぱり今回が初めてなんやね。うん、うん、やっぱり!」
先方:「……」
知ったかぶりの道は意外と険しい。だからこそぼくは挑戦し続けるのだ。
12月4日(木曜) 深夜
ここ最近、空いている看板広告が急に多くなっている気がする。
京都の主要エリアである四条河原町界隈ですら、駅の看板の何割かが「募集中」になっている。京阪の祇園四条駅なんかも実際、ホームの端にいくと目に入る看板広告のすべてが「募集中」になっていたりする。
両方とも「広告募集」の広告 向かい側は亀の侘しいイラスト
広告業界のことはよく知らないけれど、きっと不景気のせいなのだろう。世間の雰囲気がしみったれていてモノが売れないと、いくら広告を出してもそれが売り上げにつながらない。売り上げが低調だと広告主のサイフも固くなるから、即効性のない広告なんかにお金を回さなくなる。
その結果、「広告募集」の広告ばかり増えることになるけれど、当然ながら看板広告のオーナーが一人勝ちしているわけではない。看板広告のオーナーというのは、広告量と景気とが反比例する数少ない業界なのだろう。
不景気になるとケバケバしい広告が減って街の光景が落ち着くから、個人的には大歓迎なのだけれど、TVなどのメディア広告はこれと逆なのでゲンナリする。お気づきのかたも多いかと思うが、景気の悪化に伴って、CMの量が急増している気がするんである。
企業が広告に回すお金を一斉にケチり始めた結果、CM一本あたりの広告料が急落し、そのぶんCMの数を多くしないと番組の制作費をまかなえなくなっているということらしい。看板広告は維持費がゼロに近いけれど、メディア広告は維持費=番組制作費であるだけに、こういった逆転現象が起きてしまう。
TVメディアに「広告募集中」のCMが流れ始めたら、いよいよ終わりなのかもしれませんですな。
−−−
さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。
今回のテーマは「過換気症候群」。 といっても、紙袋を口に当てる例のヤツではなく、寒くなってきたせいで部屋の換気が大変だという、のんびりしたお話です。タバコ吸ってるくせに、タバコのにおいが部屋にこもるのが嫌いなもので…。
よければご覧いただけると嬉しいです。
12月2日(火曜) 深夜
「カメラがフラッシュを焚いた瞬間の写真」を撮りたいと以前から思っていた。
いったいどんな風になるんだろう? さぞかし幻想的な素晴らしいショットになるんじゃないか?
そして先日、苦心のすえ「その写真」が撮れたわけですが。
あまりにも大したことのないその出来映えに、心底ガッカリしたまま本日に至っております。
レタッチソフト使ったら、こんなもん数秒で…。ゴホゴホッ、それだけは言ってくれるな自分!!
12月1日(月曜) 深夜
貯金箱で数年間ため続けた小銭を使おう!
このように思い立った本日。何百枚ともつかない小銭の山を「換金」してもらうべく、近所の銀行に出向いてきました。
とりあえず出してみた小銭たち。1円玉と10円玉が大半を占めているけれど、100円玉の姿もチラホラ。あと外国の貨幣も混じってます。
ビニール袋に小銭を入れて銀行に向かうも、あまりの重さに途中で手がつりそうになりました。ゆうに3kgくらいはあったと思います。 銀行の係員に用件を相談すると、普通に両替すると手数料がかかるとのこと。ATMで自分宛に入金すればタダですよ、と教えてもらう。
小銭の山を手にしたまま、さっそくATMに並ぶ。手数料のためと思えば、このくらいの待ちは大歓迎である。 しかし、いざ入金しようとすると、小銭スペースが小さすぎてちっとも入らない。それでもギリギリまで入れてみたところ…。
なんか変なコトになって、「しばらくお待ちください」「係員がまいります」の表示が。駆けつけた店員いわく、「1回に100枚しか入らないです」。 「これだけの量だと窓口で、ご自身の口座に入金されるのがいいですね。手数料もかかりません」とのことで、今度は窓口に並ぶ。
「換金」作業を望遠レンズで盗撮。いったんザルにあけて、玩具のお金や外国の貨幣などの不純物を取り除いておられるようです。 しばらくしたら「あ、機械が詰まった」「わー、なんか洋服のボタンが入ってるよー!」との声が。すみません、すみません!
10分ほど後、お金はこうやって無事に振り込まれました。合計9243円なり。思ってたよりも多かったので上機嫌にて。
そして「こちらは貨幣以外のモノになります」と。
見れば確かに、ボタンやら木の実の姿が……。
今回の教訓:貯金箱には外国の貨幣やボタンを入れても大丈夫です。ただし銀行員から露骨に嫌われます。