2009年2月のプチ日記

2月28日(土曜) 深夜

 久しぶりに気まずいひとときを経験した。 

 本日の夕刻、後輩のYさん(女性)と二人で京阪電車に乗って、職場から帰宅していたときのこと。

 とくに話すようなこともないのだけれど、後輩と二人きりなのでこちらが気を使って、これからどうやって仕事の幅を広げていったらいいかだの、最近どんな映画が面白かっただのと、心底どうでもいい話をさも興味深げに話しておったわけです。Yさんのほうもきっと、ぼくと同じ心境だったことだろう。

 こんなありがちな気まずい会話をこなしつつ、電車が桃山御陵前駅に停まったそのとき、Yさんの表情が突然明るくなった。えっ、なんだなんだ? 今さっきまで喋っていた「今日は昨日よりも暖かくなったね」という話がメチャクチャ楽しかったのか!?

 その直後、事情がすべて判明した。停車した桃山御陵前駅のプラットホームに偶然、Yさんの友人(これまた女性)がたたずんでいて、それに気づいたYさんが咄嗟に目線を送ったところ、相手も気づいてこちらに駆け寄ってきたのだ。

 Yさんの友人とぼくとは全く面識がないのだけれど、ここでは彼女のことを仮にXさんとする。

 そして電車の中には、YさんとXさんぼくの3人。

 Y:「わー、Xちゃん! よう気づいてくれたねー!」
 X:「Yちゃんこそ、よく分かったねー! 久しぶりー!!」
 Y:「今日はどうしてたん??」
 X:「ちょっと買い物に行ってて、その帰り。Yちゃんは?」
 Y:「仕事帰りやねん。…あ、この人は職場の先輩の名倉さん」
 ぼく:「あ、どうも初めまして」
 X:「…あ、こちらこそ初めまして」
 Y:「Xちゃん、学生時代からの友人なんですー」

 最小限のあいさつを交わした後はもちろん、ぼくのことなどそっちのけで、YさんとXさんは二人の会話に没頭である。先ほどまでとは打って変わって、どんなモノを買っただとか、○○ちゃんは今どうしてるんだろうとか、今度また一緒にお茶しようねだとか、楽しげな談話に花が開く。

 ぼくとて一介のオトナであるから、ここで旧友同士の会話に嫉妬するなどというハシタナイことはしない。自分の鞄から文庫本を取り出し、静かに読みふけることにしたのだった。

 しかし問題はその後である。数分経って電車が東福寺駅に到着したとき、後輩Yさんが「じゃあまたねー!」と言い残して一人で下車したのだ。車内に残されたのは、お互い何の面識もないXさんとぼくの二人っきり。うわー、どうするよ!?

 自分もここで下車しようかと一瞬本気で考えたのだけれど、駅には先に降りたYさんがいる。見知らぬ人とのツーショットに耐えかねて下車した先輩だと思われるのも情けない話なので、ここは覚悟を決め、眼前のXさんと無難な会話をたしなむことにしたのだった。

 ぼく:「どうも…。ええっと、Yさんとはお友だち同士なんですか?」
 X:「は、はい。そうなんです。学生時代からの友人で」
 ぼく:「……」
 X:「……」
 ぼく:「あー、なんていうか、学生時代から友だちっていいですよね」
 X:「そうですねー。うーん、いい…のかな?」
 ぼく:「いやー、うん、いいですよ」
 X:「そうですよね、いいですよね!」
 ぼく:「えーと、Yさんって、どんな人なんですか?」
 X:「そうですね…。ええ、すっごく可愛いとこのある子ですよ」
 ぼく:「へぇー」
 X:「……」
 ぼく:「あ、どんなとこが可愛いとかって…あります?」
 X:「いや、とくにないですけど…。そう、天然なところとか」
 ぼく:「天然かァ。いいですよねー」
 X:「そうですよねー」
 ぼく:「……」
 X:「……」
 ぼく:「ええっと、今日は買い物に行ってらしたんですか?」
 X:「ええ、はい」
 ぼく:「なんか買われました?」
 X:「ええ、洋服とか…」
 ぼく:「洋服ですか。いいですねー」
 X:「あ、はい…」
 ぼく:「洋服とか買うの、お好きなんですか?」
 X:「いや、そう…ですね。好きというか、まあ、好きです」
 ぼく:「へー、いいですよねえ」

 ああああっ! これは莫迦の会話だァ!!! 

 …ここまで内容のない会話をしたのも久しぶりで、なんだか新鮮な経験をさせていただきました。というかXさん、本当にすみません。

 

2月27日(金曜) 深夜

 予言や占いは結構当たるといわれる。考えてみると確かに、そうなのかもしれない。

 一番初歩的なテクニックとしては、そうなるに決まっている事柄をもっともらしく指摘すること。たとえば風邪で体調を崩している人に、「南側に赤いものを置いて安静にしていれば、あと数日で快方に向かいます」とやる。おそらく9割以上の確率で当たるはずである。

 予言や占いが持つプラセボ効果(自己暗示)も使えるだろう。もっともらしい顔をした占い師から、「あなたは明日、身体が軽く感じられるはずです」なんていわれたら、たいていの人がその通りになるのは想像に易い。

 我々の誰もが持っている精神交互作用のメカニズムを用いる方法もある。

 たとえば、「決してクジラのことを考えてはいけません! クジラのことを考えたら不幸が訪れます!!」とぶった上で、「しかしあなたの運勢からすると、きっと考えてしまうでしょう。クジラのことを…」とやる。考えるなと言われたら、気になって気になって始終考えてしまうのが人の常である。

 この方法を発展させると、忌まわしい予言を回避しようとすればするほど、その予言どおりになってしまうというテクニックも使うことができる。

 たとえば、「このままだとアナタ、みんなから嫌われて陰口たたかれるわよ!」と指摘する。すると言われた当人は、心のどこかで気になっているものだから、他人のちょっとした兆候(目を合わせない等)にも敵意を感じるようになる。その敵意は本人の言動にも現れるだろうから、おのずと人間関係がギクシャクし始めて、気がつけば本当にみんなから敬遠されるようになるという次第。

 大きなメディアを利用できるなら、もっと簡単な予言だって可能である。

 たとえば人気番組で、「もうじき災いが起こって、ミネラルウォーターが手に入らなくなるでしょう」と予言する。そうなると、国民の多くがミネラルウォーターを買いだめしようとするから、生産が追いつかなくなって商品を入手しにくくなる。すると「やっぱり災いが起こるんだ!」とのパニックから買い占め騒動へと発展し、本当に商品が手に入らなくなるのは、これまでの歴史が物語っている通り。

 予言や占いは、言われた当人のほうが意識しないまま「実現者」になってしまうことがあるからこそ、「結構当たる」のではないか。

 検診で「ガンの疑いがあるから精密検査しましょう」と言われて、心配のあまり免疫力が低下して、本当にガンが発生してしまうというような。予言や占いは当たらないのではなく、 ときとして当たってしまうから こそ、(それがたとえポジティブなものであっても)気をつけないといけないのだなァと思う昨今。

 そして、この日記を読んだ皆様。このままだと明日、何らかの身体の不調を感じてしまうと予想されますが、当「ブックス」コーナーのアフィリエイトから最低2冊の本を購入することによって、むしろ身体の快調を感じられるようになるでしょう。きっと当たりますよ!!

 

2月26日(木曜) 深夜

 ゴミの日が大好きである。

 軒先にずらりと並ぶゴミ袋たちの姿は、見ているだけでなんだか楽しい。京都市では有料の指定ゴミ袋が義務付けられているから、その大きさやくくり方といった個性が一層際立ってくるんである。

 ゴミ袋を見れば、その家主の性格や生活事情までもが見えてくる気がする。名付けて「ゴミ占い」。

 そこで今回は、ゴミの日のゴミ袋たちを観察してみたレポートです。

◆マンションの玄関口にて。 住人違えばゴミも異なる、まさに三者三様です。とりあえず、どんどん見ていきましょう。
 
◆こういうのがゴミ袋界の模範生。 中サイズの袋に、ほどよい詰め具合。平均的な暮らし向きで、ほどよく律儀な性格の家主と推察されます。
 
◆これは明らかに詰めすぎ。ルール違反スレスレです。暮らし向きが芳しくないか、さもなければ相当ケチな性格の家主と思われます。
 
◆逆にこれは余裕ありすぎ。家主は相当の富豪でしょうか。きっと悪いことして、あぶく銭を稼いでやがるんだ! 畜生!!
◆くくり方自体は平均的だけれど、道路の真ん中に置き過ぎ。 家主の性格は、とくに目立たないけれど実は自己中心的という印象です。
 
◆二重梱包のゼイタク仕様。きっと中身が見えるのを嫌っておられるのでしょう。性格判定は自己隠蔽タイプ! 中身はエロ本の山か!?
◆仲睦まじく肩を寄せ合う夫婦ゴミ袋。こういうのを出す家はきっと、夫婦円満に違いありません。くくり方も暖かいものに感じられてきます。
 
◆なぜか横向き。ちょっと斜に構えたヒネクレ者でしょうか。そのくせ小サイズでこまめにゴミ出ししてるのが微笑ましい。
◆ひとりでポツンと孤独タイプ。担任の先生から心配されるタイプでありましょう。…って、気がつけばゴミ袋本人の性格占いになってますな。
 
◆一軒家なのに、こんな種々のゴミ袋。一家4人がそれぞれ家庭内別居の状態なのか。ああ、心配じゃ心配じゃ。

  …というか、ゴミ袋を撮るか撮らないかのほうが、性格占いになるような気がしてきました。

  当然のことながら、ゴミ袋を撮る人は「非常に心美しい」タイプです。

 

2月25日(水曜) 深夜

 世の中、「幸せ」を追い求める人は多い。

 しかしながら「幸せ」というのは厄介なもので、追い求めれば追い求めるほど、幸せでない自分を意識して不幸になる。当たり前である。幸せを追い求めている時点で、いまの自分が本当の幸せをつかんでいない証左なのだから。

 こう考えるとむしろ、「不幸せ」を追い求めたほうがいいのかもしれない。不幸せを追い求めている時点で、いまの自分がそれよりも幸せな状態にあることを意味するわけで、結果として現状が「幸せ」ということになる。

 では、どうすれば不幸せを得ることができるのか?

 たとえば付き合い始めたカップル。こういう輩は本人たちも幸せそうだし、きっと一層幸せな将来像を夢描いていることだろう。しかし、だからこそ不幸せへの鍛錬を怠ってはならない。実際に取り返しのつかない事態になる前に、不幸への前売りチケットを手に入れておくべきなのだ。

 そこで提案したいのは次のような具体的手法である(ここでは仮に、A君とBさんというカップルの女性側に立って考えてみたい)。

  1. あなたは彼女のBさん。
    いつものようにデートしているとき、彼氏に「たまにはA君のほうからドライブとか誘ってほしいな」と甘えてみる。
    そして次の週末、A君があなたをドライブに誘ってきたら、猛然とキレる。
    「A君のほうから誘ってほしいって言ったのに、ドライブなんて! どうせ私がドライブとか誘ってほしいって言ったからでしょ!!」
    ちなみにここでドライブ以外のデートに誘われていたら、もちろん猛然とキレる。
    「自分からドライブに誘ってほしいって私が言ってたことはどうでもいいの!?」
     
  2. あなたは彼女のBさん。
    彼氏と買い物に行って、赤いワンピースと青いワンピースのどちらを買おうかと迷ったときに訊いてみる。
    「ねえA君、ワンピースだけど、赤いのと青いのと、どっちが似合うと思う?」
    赤が似合うと言われたら「私、青は似合わないんだ…」と落胆し、青が似合うと言われたら「私、赤は似合わないんだ…」と落胆する。
    もし「どっちも似合うよ」と言われたら、「どっちか選んでほしいと思って訊いたのに、どうでもいいんだ…」と落胆する。
     
  3. あなたは彼女のBさん。
    ちょっといいレストランでA君と夕食をたべている最中、ワインをスプーンですくって飲み続けてみる。
    ここで彼氏が笑ったら、「私の無知を嘲笑するのね…」となじる。
    ここで彼氏が注意したら、「私の冗談も分かってくれないのね…」となじる。
    ここで彼氏が無視したら、「私のことなんてどうでもいいのね…」なじる。

 こういう風なことを続けていたら、きっと本当に不幸になれると思いますので、是非ともお試しいただければ幸いです。

 追い求めたものは必ず手に入れる(それが不幸であろうとも)。これこそが本当の幸せではないでしょうか。

 

2月23日(月曜) 深夜

 五条河原町の東南側一帯に、「五條楽園」と呼ばれる京都の裏エリアが広がっている。

 その妖しげな名称から察せられるとおり、早い話が風俗街である。ただ、京都随一の遊郭として発展してきた歴史を持っているだけに、一般の風俗街とはかなり異なる顔を持っている。

 たとえばその街並みも、色とりどりのネオンなんかとは無縁である。代わりにいかにも由緒ありそうな旧家が軒を連ね、その店名には必ず「お茶屋」という文字が冠されている。土地柄を知らない観光客が通りがかったら、文字通り「お抹茶なんかを出す店」だと勘違いされるに違いない佇まい。

 そのうえ、京都はソープランドの営業が禁止されているから、表向きには「売春行為」が一切できないことになっているにもかかわらず、なぜか五條楽園の「お茶屋」だけは、挿入を伴う性行為が認められているのだという。そして楽園の中心地には、全国屈指の指定暴力団が大きな基地をかまえている。

 サービスを提供する女性は、表向きには「お茶屋の芸子」という扱いであるから、近くにある歌舞練場で必ず、月に何度か三味線などの「芸」を稽古しなければならないらしい。あくまで本業はお茶屋の芸子であって、その流れで客との「親しい交流」が当局から黙認されている手前、お稽古ごとはたとえ形だけであっても欠かしてはいけないルールなんだとか。

 長らく京都に住んでいる身としては、以前から興味だけは津々だったのだけれど、あまりにもディープなその雰囲気に圧倒されて、どうしても足を踏み込む勇気がないままになっていた。決して恐い界隈ではないと耳にしていても、冷やかしでカメラ片手にぶらついていたら、どういうことになるか分からないような心細さがあったのだ(以前、滋賀県は雄琴のソープ街を興味本位で撮っていたら、コワモテのおじさんから「痛い目に遭いたいんか?」と凄まれて泣きそうになった経験もある)。

 しかし先日、ネットで事情を調べていたら、五條楽園は「最後に2の付く日は全面休業」ということを知った。毎月、2日と12日、22日は営業していないのだ。…ということは、22日ならダブルの2、絶対に大丈夫な安全日ではないか。休業日であれば、少々写真を撮ったりしても大丈夫だろう。

 てなわけで昨日、お茶屋が全面休業の日を狙って五條楽園をめぐってきたフォト・レポートです。

五条木屋町を数十メートル下がったあたりが、「五條楽園」入り口。東側には有名なお洒落カフェの「e-fish」があります。
 
入り口から1分も歩かぬうちに登場する「お茶屋」。ちょっとお茶でもどないですか=おなごとセックスしていかはりませんか。京都ですな。
どう見ても普通のお茶屋。この中で日々、秘め事が行われているのだと思うと感慨深い。タテマエを重んじる京都気質といえましょうか。
 
よく見ると、ちゃんと風俗営業の許可証が。風情ある佇まいと風俗営業、というギャップが却って、人間の奥知れぬ「業」を感じさせます。
あくまで本業は「お茶屋」という、徹底したタテマエが貫かれています。そういや売春は歴史上、最も古い商売のひとつだったか。
 
一見すると何の変哲もない住宅街に、「五条楽園」の看板。この看板がなかったら、風俗街だとは誰も思わないでしょう。
住宅とお茶屋が隣接していることも珍しくない。どういう形で共存しているんだろうと興味は尽きないけれど、取材する勇気はもちろんナシ。
 
これなんかもパッと見、寿司屋かなんかですよねえ。この中で、あんなことやこんなことが行われているのかと想像すると…。
歴史ある建物が多いだけに、こんな素敵なステンドグラスも。文化には貴賎などないことを改めてんだ感じさせられます。
 
かと思えば、モンドリアン風のモダンアートも。タイル張りというだけで、なんとなく艶かしいいかがわしさが醸し出される。
「お茶屋」という伝統的な響きと、「第二山本」という世俗的な名称との見事なコラボレーション。「ニュー古都」みたいなセンスというか。
 
楽園内の掲示板コーナーに張ってあった一枚。ひとつだけ描かれているゴミ袋が妙に可愛らしい。
 
歩き疲れたので、お茶屋さんと目と鼻の先にあるお洒落カフェ「e-fish」にてお茶をよばれました。ここは本当にお茶しかださないので、妙な期待をすると見事に裏切られます。
 
 

 …こういうことになると途端に、奥手の腰抜けになってしまう不甲斐なさ。なにとぞお許しください。

 

2月22日(日曜) 昼

 珍しい時間に更新。本日のコインパーキングです。

 「車専用通路です。バーの下をくぐらないで下さい」 …わざわざ赤文字で注意するほどのことなんだろうか。すぐ横に通るスペースがあるのに、あえてバーの下をくぐる人がいたら、きっと相当の変わり者である。

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 そして本日の国分太一師匠。

  自販機の上に付いていた、なんかのキャンペーン広告です。かっこいいですな。

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 休日の昼にこうやって短く更新してると、携帯電話から書き込んでるみたいで我ながらちょっとカッコイイかもと思ったんですが、もちろん自宅のデスクトップマシンからの更新です。

 携帯電話からの更新がカッコイイとか言ってる時点でまァ、可哀想な人だと思ってやってください。失礼いたします。

 

2月20日(金曜) 夜

 ちょっとでも気になるモノがあると、反射的に写真を撮ってしまう。

 無意識のうちにカバンの中のカメラに手が伸びて、シャッターボタンに触れている感覚だから、ほとんど脊髄反射のようなものと言えるかもしれない。この日記に紹介しているのはその氷山の一角であって、我が家のハードディスクには膨大な量の「ちょっとだけ気になったモノ」写真がに詰め込まれているという次第。あとから見てみると、「なんでこんなもん撮ったんだ?」と自分でも首を傾げたくなるものばかりである。

 というわけで本日も、スーパーで見かけたポップを半ば無意識のうちに撮影していたところ。

 後ろを歩いていたカップルの会話が聞こえてきた。

 男:「なに撮ってたんやろなァ」
 女:「ライバルの同業者とかじゃないの?」
 男:「あ、きっとこれやで、これ!」
 女:「え、なに? 分かんないんだけど」
 男:「ほら、ここからこう見たら…チンゲって」
 女:「うわ、ほんとだ」
 男:「ほんまアホやなー」
 女:「こりゃアホだわ…」

 見知らぬ男女からアホ呼ばわりされても全然気にならなくなっている自分に、なんだか恐ろしいものを感じた本日でした。ああ、余も末じゃ。

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 さて昨日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「たばこ のメリット・デメリット」。たばこを吸うことの長所と短所について、無い知恵をふりしぼって考えてみたレポートです。決断に迷ったときに用いる「メリット・デメリット表」という手法を試しております。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

2月18日(水曜) 深夜

 日本語表記と英語表記が異なる大学を時折みかける。

 有名なところでは、「上智大学」が"Sophia University"である。これについては、上智=知恵(Sophia)という由来らしいからまァ分かるのだけれど、こちら関西では、「桃山学院大学」が"St.Andrew's University"になるというのがあって、これがよく分からない。

 大学の公式サイトにも明確な由来が載っていなかったことから察するに、あまり公にできない理由があるのかもしれない。

 そういや「近畿大学」は、"Kinki University"にすると外国人が"Kinky University"(変態大学)と聞き違えるというので、英語表記を変えようということになっているらしい。桃山学院 (Momoyama-Gakuin) も、どこかの外国ではとんでもない意味になってしまうんだろうか。スワヒリ語で「太陽に向かって排泄する」という意味になってしまうとか。

 まさかそんなワケはないだろうけれど、どうせならもう少し分かりやすい英語表記にすればいいのにと思ってしまう。

 桃山学院大学といえば、こちら関西ではもっぱら「ピン大」の愛称で親しまれている。「桃大」→「ピンク大学」→「ピン大」というわけである。だったらやはり、こは"Pink University"にするべきではないか。

 そんなのピンク映画なんかを連想するじゃないか! エロ大学じゃあないんだぞ!! …とお叱りを受けそうだけれど、ピンク映画なんていう言葉は和製英語なのだから(英語ではブルーフィルム)、英語表記としては問題ないと思うのだけれど。

 URLは「www.u-pink.ac.jp」あたりで、どやっ!!

 

2月16日(月曜) 深夜

 きちんと自己主張することが大切だと職場で言われている。

 自分を偽ったり抑え込んだりしていると風通しが悪くなってストレスがたまるし、ひいては仕事の能率にもよからぬ影響を与える。それに、たとえそれが場の雰囲気を悪くしないためであっても、本心を言わないというのは相手に対して不誠実である。だったら常日頃から、お互いに本音を言い合える人間関係を育んでいこうじゃないか! …とまァ、大雑把にいうとこういうわけである。

 ぼく自身はこのような社訓を誰よりも大切にして勤務している。職場で本音を出せることの大切さを身にしみて感じているからである。

 先日も上司が明らかに間違った資料を作成しているのを見つけた。で、このことを上司に直接指摘したかというと、そうではなく、後輩のB君を呼びつけて、ご自身が作成した資料にミスがあることを上司に伝えておくように命じておいた。

 考えみれば最悪な先輩であるが、自己主張を重んじるぼくとしては、「自分が上司にミスを指摘するのはイヤだから、後輩から言ってもらいたい」という本音を偽ったり抑え込んだりすることなく、そのまま述べるという誠実極まりない選択肢を選んだにすぎない。

 これからも一層、誠実な自己主張の研鑽に励んでいく所存であります。

 

2月14日(土曜) 深夜

 本日のバレンタイン。

 我が国ではいつから、牛の死体をハート型容器に詰めて、バレンタインデーに売るようになったんでしょうか。

 三島由紀夫さんなんかはきっと、天国でプンプン怒っておられますぞ!!

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 職場でブロッコリーの茹で時間が話題になった。

C氏:ブロッコリーって、いつも柔らかくなりすぎちゃって。茹で時間よく分からないんだよね。
S氏:みんな、何分くらい茹でてるん?
C氏:私は5分くらいかなァ…。いつも適当だけど。
ぼく:ええーっ、茹ですぎ、茹ですぎ!! 房の部分は1分半ですよっ!
K氏:はァー!? 名倉さんも茹ですぎ! そんなん30秒くらいで充分やって!!
S氏:そうかー、30秒が正解なんですねー。

 というわけで結局、正しい茹で時間は30秒ということに落ち着いてしまったのだけど、猛烈に納得がいかない。こういうのって、「一番最後に」「誰よりも自信を持って」発言した人が正解になってしまう気がするからである。ぜったい1分半なんだけどなあ(ちなみに茎の部分は2分半)。

 ま、こういうのって所詮は好みだから、何分でもいいんでしょうけれど。

 ちなみにウチの母親は、ブロッコリーは丸ごと茹でるものだと思い込んでいた。そんな母の背中を見て育ったぼくも、実家に住んでいた頃はてっきりそういうものだと思い込んでいて、ブロッコリーというのは茹でるのに大変な労力を要する野菜だというので敬遠していたのだけれど、小さい房に切り分けてから茹でればいいことを知ったときは、まさに青天の霹靂だったのを思い出す。

 あと、茹でたブロッコリーの茎をつまんで何度か振って、房の中にたまっている水分を飛ばすと、余計な水くささが消えて美味しくなります(何度か茹でているうちに気がついた)。これはちょっとした自慢ですが、おそらくインターネットには載っていない情報です。

 …あ、もうインターネットに載ってしまった。書いたとたんに自己撞着。

 「これはインターネットには載っていない情報です!」

 

2月13日(金曜) 深夜

 郵便受けに毎日、デリヘルのエロチラシが入っている。

 一人暮らしを始めた当初はその独特のデザインやキャッチフレーズ、あるいは無断使用されているAV女優の写真などが興味深くて、一枚一枚丁寧に拝見していたのだけれど、近年いい加減辟易してきて、毎日ゴミ箱に放り込むのが面倒で仕方なくなってきていた。

 しかし先日、ようやく気がついた。毎日捨てるから面倒なのであって、こんなもんそのままにしておけばいいんである。実際に放置してみても全然問題なし。数十枚くらいなら全然かさばらないし、これまで毎日捨てていたのが莫迦みたいだった。

 エロチラシはそのままにしておけ。…これが今年に入ってからの最大の発見です。

 ちなみに毎日何百通と届くスパムメールたちは、クリックひとつで削除されることに大きな自己効力感を得ているので、そのままにする気はありません。

 

2月12日(木曜) 深夜

 久しぶりにスキーをしてきました。滋賀県はびわ湖バレイにて。

うんこ色のウェアを着たスノーボーダーが、二人とも揃ってうんこ座りをしておられたのが可笑しくて、こっそり撮ってしまった写真。

 そういえば大学に入るまで、「ゴンドラ」を隠語の一種だと勘違いしていた。業界の人たちが灰皿をザラハイ、寿司をシースーと言うのと同じく、ちょっとカッコつけて「ドラゴン」をゴンドラと呼んでいるのだと思い込んでいたのだ。乗り物の形が竜っぽいからドラゴンという名称なのだろうと、自分で勝手に納得していた。

 隠語の類に対しては一定の距離をおきたい年頃だったから、それをそのまま言うのが気恥ずかしくて。

 「あの6人乗りのやつ、ゴンドラっていうか…ドラゴン? あれ絶対混んでるし、リフト乗り継いで山頂まで行こうや」

 こんな風なことを口にして以来、当時の友人たちから「莫迦」というレッテルを頂戴し続けることになりました。今思い出しても忸怩たる思いにかられる一件。

 よく考えてみたら、ゴンドラのどこがどう竜に似ているのかもさっぱり分かりません。

 

2月10日(火曜) 夜

 本日のバレンタイン。

 聖バレンタインデーには「そうだ、パンツを贈ろう」なのだそうです。

 そもそもバレンタインデーっていったい何だったんだろう? と本気で分からなくなってきたので、我らの広辞苑(第五版)で調べてみたところ。

バレンタインデー【St. Valentine's day】
(聖バレンタインは269年頃殉教死したローマの司祭) 2月14日。聖バレンタインの記念日。
この日に愛する人に(特に女性から男性に)贈り物をする。日本では1958年頃より流行。

 殉教したローマ司祭にまつわる記念日のようだけれど、チョコレートはともかくとしても、パンツを贈ろうとか断言してしまっていいんだろうか。せっかく殉教した聖バレンタインも、「ワシの記念日にパンツを贈るなっ!!」と天国で怒っておられるかもしれない。ぼくが聖バレンタインだったらたぶん怒る。

 こうなったらいっそ、「聖バレンタインデーはゴミ分別回収の日」とかにしたほうがいいかもしれませんな。

 

2月9日(月曜) 深夜

 おおぜいの人が行き交う四条大橋のたもとでズボンを下ろして、丸出しになった自らの下半身をケータイで撮影しているおじさんに出くわした。

 もうすぐ春、ですな。

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 知人から指摘された。

 「名倉さんって、ひとしきりウンチクとか喋り終わったあと、『知らんけど』ってよく言い足すよね」

 自分ではあまり意識していなかったが、思い返してみると確かにちょくちょく言っている気がする。このような言い足しをするのはだいたい、ハッキリ知っているわけではないけれど、きっとそうだろうというような推論で喋るときである。

 たとえば、某お笑いタレントの本が売れているという話題のときに言うわけである。

 「でもああいうのって、文章はゴーストライターが書いてるんやで。知らんけど」

 ぼくとしては「いま話したことに論拠があるわけではないけどね」と言い添えるつもりで述べているのであり、これは、どんなことでも事実と推論を分けて主張すべきという科学的立場に基づく極めて善良な姿勢だと自負しているのだけれど、どうやら相手には責任逃れの一種のように受け取られてしまうらしい。

 「豚の角煮って肉を焼かんとそのまま煮たら、あんまり美味しくないで。知らんけど」
 「鼻毛って切りすぎたら、風邪ひきやすくなるんやで。知らんけど」
 「シルベスタ・スタローンって絶対、最近あんまりセックスしてへんで。知らんけど」

 確証のないことは安易に断言せず、「〜知らんけど」と付け加える。これこそが本当に真摯な発言なのだ。知らんけど。

 

2月6日(金曜) 深夜

 ウチの職場の支所はトイレが男女共用である。

 本日もそのせいで、おかしなことになってしまった。

 いつものように小用を足してトイレから出たのだが、しばらくして後輩の女子社員が同じトイレに入っていったところで、ふと不安になった。小用を足したあと、ちゃんと水を流しただろうか? 流した記憶がないから、ひょっとしたらそのまま出てきてしまったかもしれない。ってことは……。ああーっ!!

 トイレから出てきた女子社員の様子をさりげなく観察してみたところ、とりたてておかしな様子はなかったのでひとまず安心したのだけれど、よく考えたら「おしっこ流してませんでしたよ!」なんて言うわけがない。もしかして、流してなかったけど黙ってるだけなんだろうか……。

 で、矢も盾もたまらなくなって、婉曲にさりげなく尋ねてみたところ。

ぼく:「すみません、さっきトイレ行きましたよね?」
女子:「は、はい。行きましたけど?」
ぼく:「なんか、変なこととかなかったですか?」
女子:「変なこと…ですか??」
ぼく:「はい、なにかいつもと違ったこととか、おかしなこととか」
女子:「いえ、別になかったですけど」
ぼく:「本当ですか? なにか隠してません!?」
女子:「えっ? 本当になにも気づきませんでしたけど」
ぼく:「あ、じゃあいいんです。すみませんでした」
女子:「何かあったんですか?」
ぼく:「いや、何もないです。いいんです」
女子:「名倉さんこそ、何か隠してません??」
ぼく:「何もないですよ!! 何もなかったらそれでいいじゃないですかっ!」
女子:「……ど、どうしたんですか? いつも温厚な名倉さんなのに、おかしいですよ」
ぼく:「い、いや、本当になんでもないから。仕事に戻ります」

  薮蛇の恐ろしさを痛感した本日でした。職場はストレスの宝庫です。

 

2月5日(木曜) 深夜

 世界的な不況が深刻な問題になっているみたいですが。

 地球自体はなんにも変わってないのに、人類だけが「不景気で大変だ!」と大騒ぎしているのがなんとなく可笑しい。これって言ってみれば、せっかく盛り上がってた飲み会の席で、中心メンバーのひとりが「実は俺、肝臓ガンなんだ…」みたいな告白をして暗い雰囲気になり、一挙にみんなの酒が進まなくなってしまったようなものではないか。

 いやまァ、実際にはいろんな要因が絡み合ってるんだろうけれど、不況不況ってメディアが騒ぐから、ますます雰囲気が悪くなってるような気もしてくる昨今。飲み会の例えでいえば、「ちょっとみんな聞いて! ○○さん、実は肝臓ガンなんだって!! 」とか吹聴して雰囲気悪くする輩のようなものというか。

 こういうときこそ、知人の肝臓ガンなんてそっちのけで、内輪のエロ談義に盛り上がる不謹慎さが大切なのかもしませんな。

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 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回は「 きせる作りにかける思い」というタイトルで、江戸時代から「きせる」を作り続けておられる谷川清次郎商店のご主人にインタビューしてきたレポートを書いてみました。肝心のスリーサイズは聞きそびれましたが、きせるのことについてはいろいろ伺うことできて興味深うございました。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

2月4日(水曜) 深夜

 本日の本物。

 「本物、本物」と言えば言うほど、うさんくさくなるの法則。本当の本物は、本物なんて自分で言いません。

 ちなみにこの日記は、言うまでもなく本物の日記です。

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 スケールの小ささにかけては日頃から自負を持っておる我輩ですが。

 学生時代バイト先で一緒だった先輩Yさん(男性、当時27歳)のスモールスケールさにだけは、負けを観念したことがある。

 いつものようにバイトが終わったある日、珍しくYさんからお茶に誘われた。一体なんなのだろうと訝りながらも同行したところ、ドトールコーヒーみたいな店に連れて行かれた末、彼女と別れてつらい云々の愚痴話を延々と聞かされたのだった。

 そうして一杯のコーヒー(280円)だけで1時間近く愚痴話に付き合わされた末。

 Yさん:「じゃ、そろそろ出るか」
 ぼく:「あ、はい!」(これでやっと解放される! と静かな喜びを噛みしめつつ)
 Yさん:「ここの会計はオレが出すから」
 ぼく:「いやいや、そんなのいいですよ」
 Yさん:「たまにはエエ格好させてくれや」
 ぼく:「…え?」
 Yさん:「たまにはエエ格好させてくれや。な!」
 ぼく:「あー、ええっと、いや、自分のぶんは出しますから」
 Yさん:「そうか、悪いな……」

 Yさんにとっての「エエ格好」とは、後輩に280円のコーヒーをおごることだったのだ。それも1時間におよぶ失恋話と引き換えに。

 あのときぼくはYさんに「エエ格好」をさせてあげるべきだったのかもしれない、と思い出すたびにしんみりする一件です。

 

2月2日(月曜) 深夜

 京阪電車が好きである。

 どこが好きかと問われると返答に窮するのだけれど、一言でいうなら「ちょうどいいモッサリ感」になるだろうか。おけいはんシリーズを打ち出したり、駅名を「四条」から「祇園四条」に変えたりといろいろ健気にがんばっているのだけど、拭いきれないモッサリした雰囲気がどこかに残っていて微笑ましい。

 車両のほうも、次々とニューモデルを投入したり、機関車トーマスのペインティングを施したりと努力が見られるのだけれど、その結果いろんな色や形の車両が新旧混在して、ワケが分からなくなっているのも可愛らしい。ああ、大好きだよ京阪電車!!

 なかでも好きで好きでたまらないのが特急車両だ。これこそが京阪電車の誇るフラッグシップで、二階建て車両ありテレビカーありという、京阪電車が考える豪華絢爛の極みが尽くされている。

 そう、テレビカーというのがたまらないんである。 

燦然と輝く「テレビカー」のエンブレム 物々しく鎮座するテレビ様

携帯電話のワンセグ当たり前のこのご時勢に「テレビカー」、ノートパソコンやポータブルプレイヤーで映画すら見ることができるこのご時勢に「テレビカー」。それもちょっと自慢げに、車両の上に大きく「テレビカー」とエンブレムされているのがたまらない。

 京阪電車の名誉のために擁護するけれど、この特急車両はまだテレビがありがたかった頃に登場したモデルである。当時は外でテレビを見られることが大きな付加価値を持っていたし、実際、先端サービスを提供する特急として話題になっていたことはぼくの記憶にも残っている。

 ただ、あれから時が流れること数十年。「テレビ」はちっとも大したものではない存在に成り下がり、電車の中でテレビが見られることに歓喜する人はむしろ、いろんな意味でマイノリティとなってしまった。しかし今もなお、京阪電車のフラッグシップには「テレビカー」のエンブレムが輝き続けている。

 この「もっさり感」こそが私たちを魅了し、なんかしらんけど京阪電車に乗るとホッとするわ…という魔法の効果を醸し出しているものと愚考しております。

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 さっき調べてみたら、京阪電車は昭和29年から現在にいたるまで、車両にテレビを入れることにこだわり続けていることが分かって、ますます京阪電車が好きになりました。最高だぜ!!

 (参考URL:京阪電鉄車両資料館、テレビカーの歴史)
 http://www.keihan.co.jp/syaryo/tv/index.html

 


 

2009年1月のプチ日記 

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