2009年7月のプチ日記

7月30日(木曜) 深夜

 取引先のミスに業を煮やした同僚F君が、電話を切った後、ひとりで怒鳴っていた。

 「○○(取引先の名前)、しばいたろか、このボケッ!」

 これを見た上司が「社内でそんな汚い言葉を使わんとき!」とたしなめると、いじけたF君いわく

 「はいはい、○○様。お殴りさせていただきとう存じます、こちらの認知症患者様!」

 思わず笑ってしまったのだけど、F君きっと咄嗟にパクッたと思います。中島らも氏の例のヤツ、「うんこ召し上がれ」を。

 

7月29日(水曜) 深夜

 先日とあるフリーマーケットを冷やかしていたら、紳士用のモモヒキ(パッチ)が10本50円という破格で売りに出されていた。

 「新品のモモヒキです。10本50円! ただし若干の黄ばみと傷あり」

 しかしこれ、寒地でロックンロールなどしてらっしゃる人のための「ダメージ加工モモヒキ」として売ったら、もっと高値を付けられたんじゃないでしょうかねえ。ダメージジーンズを脱いだら、その下のモモヒキもダメージ! こりゃあキース・リチャーズも御用達ですな。

 ちなみに我が家のシーツも気がつけばダメージ加工になっていて、まことにロックぽい寝床です。Damn Me!!

−−−

 そして本日の居抜きです。

 「コンフェクショナリー・コトブキ」が、そのまま「茶だんご」になっている。このあまりのゾンザイさに、思わずうっとりしてしまいました。

 質実剛健、という言葉の底力を思い知らされます。

 

7月28日(火曜) 深夜

 そういや以前、泊まったビジネスホテルにて。

 フロントの係員に「このあたりで美味しい居酒屋とかないですか?」と訊いてみたら、こんな返事がかえってきた。

 「斜め向かいにある××っていう店、意外と美味しいですよ」

 意外と美味しいって、褒め言葉としてどうなんだろう。外観は不味そうだけど実は美味しいんですよ、という意味なのは分かるけれど、自分の店がこんな風に評されていることを知ったら、店主の心中はきっと複雑であるに違いない。「意外と美味しい」と「意外と不味い」、一体どっちが嬉しいのか?

 たとえば、「あいつ意外と顔デカいんだぜ」と言われるほうがいいか、それとも「アイツ意外と顔ちいさいんだぜ」と言われるほうがいいか? あるいは、「アイツ意外と髪の毛薄いんだぜ」と言われるほうがいいか、それとも「あいつ意外と髪の毛あるんだぜ」と言われるほうがいいか?

 しばらく考えてみた結果、「どっちでもいいから言われたい」という結論に達しました。なんだかセンチメンタルな日記ですみません。 

−−−

 そして本日のスパム。

 書き出しからしてよく分からないが、赤線部分には思わず「?」となってしまった。そろそろ自分の時間を作ろうかと思ってご連絡!? だったらメールなんて出してる場合じゃなくて、自宅で裁縫したりゴロゴロしたりすべきだろう。

 それとも当方の時間は、あなたの時間ってことでおますのかいなっ!? …と、スパムに本気で立腹するのが最近の数少ない楽しみです。ほい。

 

7月27日(月曜) 夜

 先週新世界で食べた串カツが美味しかったので、今週末は自宅にてセルフ串カツ。

気分はもう串カツ屋のおっさん 揚げたてを並べてるだけで楽しい

 串カツ屋ではたいていの串が1本100円で、当初は「安くて旨い!」と喜んでいたのだけれど、よく考えてみたら自分で作えばもっと安いんではないか? いったいどのくらいの値段で作れるんだろう。

 …というセコさ満点の思いつきで作ってみた結果、

 合計すると44串で1,354円、1串あたりおよそ30円の計算になる。

 これを店で出したら4,400円の売り上げであるから、利益は約3,000円。作るのに仕込みから1時間かかったとしても、時給3,000円ということになる。おお、けっこういい仕事ではないか。

 …なんてことをとめどもなく考えながら、串カツが揚がった端からつまみ食いしつつ、喉に流し込む冷えたビールの旨いことといったら! 1串30円で食べ放題! 缶ビール(発泡酒だけど)一本150円で飲み放題!! 焼酎もフルボトル800円でキープ済!!

 「安さ」も美味しさの一つなのだなァと改めて再確認しております。

 …って、単に自宅で飲んでるだけの話ですが。なにがフルボトル、キープ済だ。

 

7月24日(金曜) 深夜

 ボールペンの替え芯(1本70円)を買うため高島屋に。

 無事に所定の替え芯を購入したところ、店員から「高島屋カードはお持ちですか?」と訊かれ、そういや高島屋の有料カード(年会費二千円)を意味なく持っていたことを思い出して提示したら8%分のポイントをつけてもらえた。四捨五入で6円分の儲けである。

 で、ちょうど全館セール中だったので他の階もぶらぶら見て回ってみたところ、ブランド品のバスタオルがセールで安かったのでこちらも購入。788円という半端な値段ながら、ずっしりと分厚いタオル地が肌に心地よく、ああこれでハイクラス生活の仲間入り(但し風呂上り限定)かとウキウキしておったわけですが。

 帰宅して改めてタオルを見てみたら、「スポーツタオル」と書かれていた。ええっ、こんなに大きなタオルがバスタオルでなくてスポーツタオル!?

 そういや以前にも同じようなことがあった気がする。なんかの安キャンペーンを利用してちょっといいビジネスホテルに泊まったとき、バスタオルだと思って身体を拭いたのが実はフェイスタオルで、バスローブだと思って大切に残しておいたやつがバスタオルだったのだ。

 我が家のバスタオルは世の中のフェイスタオル。なんだか、「我が家はアコム 隣家はセコム」みたいな話だなァと、改めて肩を落とした本日。

 

7月23日(木曜) 深夜

 ぼくの母親は何でもかんでも家に溜め込む性格で、この日記でも幾度かネタにしてきた。

 しかし先日、自分の住居を掃除していて愕然とした。気がつけばぼく自身も、同じようなことになっていたのだ。

 未開封のものだけで、サラダ油6本、オリーブオイル2本、ごま油2本、みりん2本、本つゆ5本。あと写真には載せていないけれど、2Lのミネラルウォーター8本、とんかつソース4本、マヨネーズ3本、ケチャップ4本などなどがキッチンの収納にみっしり鎮座している体たらく。もちろんこれ以外に、調理のとき使っているボトルも並んでいる。

 ワンルームマンション住まいの独身男性の備蓄として、これは果たして妥当な量なのかどうか? 自分ではよく分からないが、おそらく多すぎる気がする。一家四人で暮らしていた実家時代の母ですらサラダ油6本も備蓄していなかったし、どちらかというとこれは小規模レストランの備蓄量である。

 一体どうしてこんなことになっているのか胸に手をあてて考えてみたところ、スーパーで特売されているときに毎回買っていたことに思い至った。

 このような事態が繰りかえされた結果、ピーク時には計9本のサラダ油が台所に並ぶハメになっていたのだった。サラダ油が9本に達していることに気づいたときは、さすがに買いだめしすぎだと反省し、購入を控えて今日の7本にまで減らすことができたのだが、ここ数週間は本つゆの特売日が多く、衝動買いを重ねるうち5本にまでなっていたという次第。

 いやでも、もし大震災とかが起こったときのことを考えたら…などと現状を合理化しようとしている自分が心の片隅にいるのだが、そもそも震災時にはガスも止まるだろうし、かといってサラダ油をそのままゴクゴク飲むなんて御免である。

 今後はもう少しきちんと棚卸しなければならぬと思い直した本日でした。というか、一人暮らしのくせに棚卸とか言ってる時点で間違ってるんでしょうか。

 

7月22日(水曜) 深夜

 皆既日食の話題で持ちきりの一日。

 こちら京都でも太陽の8割以上が隠れるというので、午前11時前からデジカメ片手に、こっそり職場を抜け出して見物してきました。

 ただ、あいにくの曇天で、太陽の形が今ひとつはっきりしない。それでも意地になって撮った写真がこれ(撮影時マイナス1.5で露出補正…というのが自分なりにベストを尽くした結果です)。

 で、コンパクトカメラじゃあこれが限界かと思いつつも、悪あがきでズーム撮影してみた写真がこれ(せっかくなのでアップ画像にて)。

 

 …なんというか、あまりの「ありがたみのなさ」に我ながらクラクラしてくるのを禁じ得ません。なんか見覚えがあると思ったら、これ、三日月ではないか。こんなもんを何週間も前から楽しみにしていたのか我々は。

 でもまァ、ちゃんとした映像はテレビでガンガン放映されてるので、素人が撮った写真はこんなのですよということでひとつ。

 

7月21日(火曜) 深夜

 勤め先のホームページの更新作業をなぜか担当させられている。

 といっても、サイト自体は外注のWeb業者が作ったもので、テキストを更新する程度はこちらでちまちまとやっているものの、大がかりな更新はすべて業者任せである。そもそもホームページの更新作業なんぞは、本来なら事務の仕事だと思うのだが、誰も更新方法が分からないという理不尽な理由で、全く関係ないぼくが担当させられているという次第。

 こんな調子であるから、本格的な更新まで任せられたらいくら時間があっても足りないし、そもそもスタイルシートすらロクにいじれないぼくなどにできることは限られているので、あらかじめ「テキストしか更新できません!」と公言しているのだけれど、それでも業者から納品された更新ファイルのアップロードは全てやらなければいけない。

 そんなこんなでサイト改修が集中して、それなりに手間を取られていた昨今、大きな問題が発生したのだった。業者が納品してきた更新ファイルをアップロードした直後、社内の各部署から苦情が殺到したんである。

 「更新をお願いしたはずなのに半年前の情報に逆戻りしているじゃないか!」
 「いろんなところに迷惑がかかるから早急に対応してくれ!!」

 いったい何事かと思って調べてみたら、業者から送られてきたファイルが先祖がえりして、全て半年くらい前の情報にすり替わっていた。ええー、いったいどういうこと? なんでこんな事態が起こるわけ!?

 あわてて業者に状況を連絡したところ、「当方の納品ミスでした。ちゃんとしたファイルを再送付しますので、こちらをアップロードしてください」との返信が届いて、結果的には事なきを得たのだけれど。

 こんなワケの分からないミスがどうして生じたのか気になって、原因究明を業者に依頼したところ、次のような返答がかえってきたのでした。

 「原因を調査したところ、古い更新ファイルをお送りしたことが原因と判明しました」

 …困ったときには莫迦になる。これって意外と正しい処世術なのかもしれませんな、ポクポク!! 

 ま、ぼくも知らず知らずのうちに、しょっちゅう使っているのかもしれませんが。

 

7月20日(月曜) 深夜

 連休ということで昨日は、大阪・新世界にて真っ昼間から飲み呆けてました。

■我が心のホームタウン、新世界。この世で最もカップ酒が似合う街でしょう。足を一歩踏み入れた瞬間、昼間から飲み呆ける非生産的な気分に火がつくぜ!!
 
■ちょうどいい感じの串カツ屋にぶらっと入る。ビール生中が1杯250円というのも嬉しい。こういう「あんまり頑張ってない、どうということのない店」が一番落ち着きます。
■串カツは10本おまかせで千円。その中には「たこ焼きの串カツ」も入っていて、やっぱり大阪やねえと思わず納得させられる。粉モンをパン粉で揚げるという発想には敵いません。生中×2、ハイボール×2、角瓶ロック×2。
 
■ソースの二度漬けはタブー中のタブー。この禁を犯した者は、調理場の裏に連れて行かれ、運転免許証のコピーをとられるという噂です(今ぼくが考えついた噂なので広めてください)。
■串カツについてくるキャベツって、どうして妙にうまいんだろう。キャベツが違うのか、それとも場所が違うからか。こうなったら、持参したマイキャベツを店で食べて味比べしてみるしかない。
 
■やまと屋1号店にて。酒2合頼むと1合おまけで付いてくる(ビールも同じで2杯頼むと1杯おまけで付いてくる)。…こんな悪魔のささやきに2回も応えてしまって、日本酒(冷)×6合。
■すっかり酔っ払って、上機嫌にて夕刻の新世界を徘徊。ああ、生きているってスバラシイ! 新世界と飲み屋があれば、とりあえずはいいじゃないか! とポジティブすぎるシンキング。 ■勢いで入った妙な飲み屋(兼イベントスペース)。カルメンがどうのこうの、みたいなパフォーマンスをしておられたけれど、酔っ払いにはよく理解できず。缶チューハイ×2。

さらに帰宅してから、ウイスキー350mlを炭酸割りでやっつけてから昏睡。いやー、よく飲んだ海の日でした。

総括:生中×2、ハイボール×2、角瓶ロック×2、日本酒×6合、缶チューハイ×2、ウイスキー350m。…ミスター・アルコールマンですな。

 

7月17日(金曜) 深夜

 ロマンを感じる言葉のひとつに「生きた化石」がある。

 はるか昔に絶滅し、その姿は化石でしか残っていないと考えられていたにもかかわらず、現在でも生息していることが判明した種の数々。古生代や中生代の時代から、ずっとその姿を変えることなく、現在まで生命を受け継いでいる種の数々。ああ、まるで地球の生命史をこの眼で見ているようではないか!

 …といっても、恥ずかしながらシーラカンスくらいしか知らなくて、これではダメだと思い立って調べてみたところ。

 「生きた化石」と呼ばれる生命は数多くあって、その中にはゴキブリも含まれているとのこと。とくにゴキブリは、恐竜が現れる以前の古生代から存在しており、キング・オブ・生きた化石とでも言うべき重鎮的存在でいらっしゃるようなのだ。

 生きた化石の代表はゴキブリだったのか。

 いやまァ、古生代からほとんど姿を変えることなく、今にいたるまで生き延びるどころか大繁殖している事実は、元々の「設計」がそれだけ優れていたということなのだろう。ゴキブリよりも人類のほうが早く滅亡するという説にも説得力があるはずである。

 ただ、頭ではこのように分かってはいても、そうかー、生きた化石はゴキブリかァ。あー、地球の生命史なんて見たくもないわ! と失望してしまった本日。

 ゴキブリに悩んでおらえる皆さまにおかれましては、生きた化石を家に住まわせている優雅な暮らしとお考えになるのがいいと思います。 とりわけ若い殿方におかれましては、「オレんち、生きた化石飼ってんだけど見に来ない?」とかうまいこと言って、子孫繁栄に勤しんでいただければ幸いです。

 …こんなゴキブリの便利な口実と本来のスゴい繁殖力にあやかって、我が国の少子化対策委員のマスコットキャラを「ゴキブリくん」にすればいいのに、とか言ったら怒られますかねえ。

−−−

 ちなみに、トップページにコンテンツなんぞを置きつつ手動でFTP更新している本サイトなどは、さしずめウェブ界の「生きた化石」なんでしょうな。

 ゴキブリサイトとして今後もやっていく所存であります。

 

7月16日(木曜) 深夜

 仕事帰りに、ぶらっと祇園祭を冷やかしてきました。

即席売店があちらこちら、雨後のタケノコのように出現します。ビールなんてそこのタベルトで定価販売なのに…と毎年思ってしまう情けなさ。
 
山鉾にリアルな蟷螂(かまきり)が鎮座しているのが好きで、毎年これだけは見てしまう「蟷螂(とうろう)山」。いいものは何度見てもいい。
 
蟷螂山のアトラクション。かまきりが口からクジを出してくださるというありがたさ。ありがたすぎて、ぼくはやったことがありません。
 
どこの店もビールの店頭販売をしているというのに、ルイヴィトンだけはそしらぬ顔。ルイヴィトンも発泡酒の店頭販売をすればいいのに。

 余談ながら(というか、この日記に書いてることなど全て余談ですが)、四条烏丸ですれちがったカップルの男性が、「ほんま、人多いなっ!」と忌々しそうにつぶやいていたのが妙に印象的でした。

 こういう御仁はきっと、プールに行っても、「どんだけ水、張っとんねんっ!」と憤慨なさるんでしょうな。

 

7月15日(水曜) 深夜

 こちら京都は祇園祭の真っ只中ですが、それはさておき。

 ダイソーで見かけた段ボールです。

 「ガーデニング」が「ガーデニソグ」になっているくらいはまァ愛嬌としても、「スポンジ」は目を覆うばかりの惨状で「スポソヅ」。

 中国とか韓国とかの人が書く日本語って、どうしてこんな風になるんだろう。手書きで真似して変になるならまだ分かるけれど、こういった活字でも百発百中でおかしくなるのが不思議である。

 こうなったら、多少なりとも腕に覚えのある絵描きなんかに文字を「模写」させるしかないかもしれませんな。さもないと、「スーザン・ソンタグ」は「スーザソ・ンソタグ」に、「イソジン」は「インヅソ」になってしまいます。

 あ、だったら鏡の原理で、評論書くときは「スーザソ・ンソタグ」のペンネームで、うがい薬発売するときは「インヅソ」の商品名でやればいいのか。日本に逆輸入されたあかつきには、晴れて一流の感じにて。

 

7月14日(火曜) 深夜

 鎖骨のほうはレントゲンでは変化がないものの、台所で包丁を使ったりするぶんには全く不都合がないくらいになってきた。

 いままで不自由だったものが自由になるというのは嬉しいもので、帰宅して料理を作れるのが楽しくて仕方がない。

居酒屋風にちょこまか作ってみたり 茄子の炒め煮&万願寺のタイタン etc.

 調子がいいときは、好きなものを好きなだけ作って食べて、それだけで結構なストレス解消になる。でもケガなどで不自由な身になると、こういう素朴なストレス発散さえも封じられてしまうから、ますますストレスがたまる。ストレスがたまると、いよいよ何をする気も失せてしまう。

 「ストレス解消法を持っておくことが大切です」とかってよく言われるけれど、それができるのは元気なときの話であって、いざ不調に陥ると途端に何もできなくなってしまうような気もしたり。

 ストレスのないときにだけ可能なストレス解消法。…って、髪の毛フサフサの人にだけ効く育毛法みたいなもんですやんけ! ちょっとちょっと!!

 

7月13日(月曜) 深夜

 骨折の手術から4週間目の診察に行ってきた。

 2週間に一度レントゲンを撮って、経過に問題がないか確認しているわけだが、今回も医師いわく、「とくに変わりないから大丈夫ですよ」。たしかにレントゲンを見ても、前回からの変化はちっとも感じられない。

 さすがに医者もがっかりしているぼくの雰囲気を察したのか、骨折部分を指さしながら「まァ強いて言えば、このあたりに白いモヤがかかってきてるように見るような、見えないような…。ひょっとしたら骨ができてきてるのかもしれませんね」と付け加えてくれたわけですが。

 医者が指さしたところを凝視してみるも、なにがなんだかよく分からず。正に「気休め」である。

 でも痛みのほうは少しずつマシになってきていて、このことを話すと、医者は「それはよかったです」と前置きしてから、「ただし、まだ骨は折れてる状態ですから、重いものを持つのはまだダメですよ」と。

ぼく:「重いものはダメってことですけど、1キロくらいの物なら大丈夫ですか?」
医者:「アハハ、それくらいなら問題ないですよ」
ぼく:「じゃあ、どのくらいの重さになるとダメなんですかねえ」
医者:「うーん、そうですねえ…。ま、常識で考えて、たとえば米俵みたなものを持ち上げるのはダメですよね」
ぼく:「米俵みたいなもの、ですか」
医者:「ええ、そういうものを持つのは控えてください」

 米俵のようなもの、というのがどういう物なのか、これまたよく分からず途方に暮れております。

 あと、手術した傷跡の一部に皮膚感覚がないことも気になっていたので相談してみたところ、「そりゃまあ、皮膚を切ったわけですから、そういうことはあり得るでしょうね。治ることもあるし治らないこともあります。ま、心配ないですから、気にしになくていいですよ」という返答がかえってきて。

 「気にしなくていいですよ」って便利な言葉ですねえ。…と、いささかの皮肉を込めて思った本日。

 末期ガンの患者さんも、「余命3ヶ月くらいと思いますけど、気にしなくていいですよ」と言われたら、気にしなくていいのでしょう。万能薬のような言葉です。

 

7月10日(金曜) 深夜

 職場での昼休み。

 コーヒーを片手に、 youtube で昔懐かしいハードロックのPVを見ていたら、近くを通りがかった同僚からいきなり怒鳴られてしまった。

 「…ったく、どっちかにしろよな!」

 いったい何のことか皆目分からず、質問の意味をおそるおそる尋ねてみたところ、

 「だから、コーヒーか youtubeか、どっちかにしろって言ってんだよ!」

 えっ? コーヒーか youtube かどっちにしろ、ですか!? 

 これまでの人生、二者択一を迫られることは確かにあった。子どもの頃は、テレビを見ながらラジカセで音楽を流していたら「どっちかにしなさい!」と注意されたものだし、大人になってからでも、日本酒とウイスキーを同時に注文しようとしたら「どっちかにしとけば?」と言われたことがある。

 これらはいずれも、音源なりアルコールなりが重複していたからダメだったわけだが、今回はコーヒーと youtube である。これがいけないなら、BGMの流れる喫茶店でお茶してる客なんかも、「音楽聴くか紅茶飲むか、どっちかにしてください!」てなことになってしまう。

 こんなこと言われた客は、どうリアクションすればいいというのか。「音楽はほとんど聴いてないから大丈夫です!」なんて答えなきゃならないのか。

 あまりにも納得がいかなかったので、どういうつもりなのか同僚に問いただしてみたところ、ようやく事情が見えてきた。どうやら同僚は、コーヒーの臭いもハードロックも苦手だったようで、その両方を垂れ流されるのはかなわんから、せめてどっちかにしてくれ! ということなのだった。

 だったら初めからそう話してくれ、と思った本日の一件。いきなり核心部分だけ言われても、凡人にはテンで理解できません。 

 

7月9日(木曜) 深夜

 絵画にしろ音楽にしろ文学にしろ、客に媚びるのではなく、自分が一番興味を持てるものを追求するのが大切だとよく言われる。

 「作者が本当に興味を持っていることであれば、たとえ内容が理解し難いものであっても、その作品は自ずと面白くなる」

 ならば自分が本当に興味を持てることって何だろうと考えていた本日、職場の健康診断の結果が返ってきたのでした。おお、自分の身体のデータなら心から興味が持てるし、こりゃあ面白 くなるに違いない!

血液検査(生化学)の結果です。毎年、肝機能の数値はどうなってるんだろうと興味津々なんですが、γ−GTPは30前後と不甲斐ない体たらくにて。週末はこれ以上、酒飲めまへん! でもコレステロール値は基準値より高いので、勝手ながら不健康の仲間入りとさせていただきます。
 
ウチの職場は肺あっての商売なので、肺機能の検査も行います。…というのはウソで、これは骨折手術の際に行った検査。よく分からないけど、問題ないらしいです。それにしても、とくに異常のない他人の健康診断結果ほどツマラナイものはありませんですな。
 
同じく手術前に測定した心臓検査。ローマ字の略語だらけで、もはや何がなんだか分かりませんが、"normal ECG"とあるので、つまらない結果ということだけは素人目にも分かります。

 …というわけで、本日の「自分が一番興味を持てること」でした。申し訳ありません。

 そういえば手術前の血液検査で、35歳にしてようやく自分の血液型を知りました。O型(RH+)、ふーん。エイズ&性病も陰性、ふーん。

 

7月8日(水曜) 深夜

 職場の同僚たちが近々、ぼくの快気祝いをしてくれるという。

 飲み会に呼ばれるのは大好きなので、ひとつ返事で快諾しておいたのだけれど、よく考えたらまだ鎖骨にプレートが埋め込まれたばかりだし、ちゃんと骨がつながるかどうかもまだ分からない。うまくつながったとしても、半年〜一年後にはプレートを取り出す手術が待っている。

 こんな状態なのに快気祝いとかしてもらっていいんだろうか? …と心配になって、同僚に話してみたところ。

 同僚:「いえ、いいんです。もうお店も予約しておきましたから」
 ぼく:「えー、でもまだ完治したわけじゃないし。そんな気を使ってもらわなくても」
 同僚:「ホントいいんですって。それに今回の店、いちど行ってみたいねーってみんなで言ってたんです」
 ぼく:「あ、そうなんや…」
 同僚:「来月までには行こうって話してて。そしたら名倉さんが、ちょうどいいときに手術されて、無事終わったものだから」
 ぼく:「なるほど…。事情が分かりました」

 ちょうどいいときに手術を終えることができて本当によかった。

 ちなみに、この調子でいくと来年の3月前後に再手術となりそうなのだけれど、それについても同僚から頼もしい提案が。

 「ええ、そのときも快気祝いやりましょう! ちょうどバイトさんが卒業する時期だから、快気祝い&追い出し飲み会ってことで」

 お祝いというのはきっと、こういうものなのでしょう。

 

7月7日(火曜) 深夜

 近所のスーパーに笹&短冊が登場しているのを見て、ああ七夕だったかと気づいた本日。

 短冊のほとんどはチビッ子たちの手によるものだったが、思わず共感してしまうものが多くてびっくりした。まったく、最近のチビッ子ときたら…。

「けがしませんように」

 まったくの同感、諸手を挙げて賛同させていただきたい。骨折とかするとタイヘンなので、七夕には「ケガをしませんように」と書くのがいいと心から思います。それにしてもこのチビッ子は先見の明があるというか、既にケガしているんだろう(ケガしてないのに、こんなことを書く子どもがいたら逆に不気味です)。

「さかあがりができますように」

 またもや同感、諸手を挙げざるを得ないのが非常に悔しい。未だに鉄棒の逆上がりができないことが実はコンプレックスでして…。中学1年のとき、体育の授業で「逆上がりができない者は進級させない」と先生から言われ、けっきょく級友2人に手伝ってもらって合格した恥辱の思い出が、今もなお心から拭い去れません。

 一度きりの人生なんだから、ケガをせず、逆上がりができればそれでいいじゃないか。このように再確認した今年度の七夕でした。

 

7月6日(月曜) 深夜

 先週末、久しぶりに山に行きたいなァと思い立ったものの、鎖骨を折ってるので重いデイパックを背負えないことにふと気付いて。

 仕方ないので、ロープウェイで登れる蓬莱山に行ってきた。ロープウェイで山頂に着いてしまう山など、今までは軽蔑して行こうとも思わなかったが、こうして不自由な身になってみると、手のひらを返したように「文明の利器は便利じゃのう!」と迎合しているのだから、我ながら柔軟なことである。

 ちなみにこの蓬莱山、冬場はびわ湖バレイスキー場として運営されていて、夏場も登山客向けにリフトが動いている。ただ、リフトというのはスキーをするときには重宝するけれど、ハイキングにおいては全く不要というか、むしろ歩く楽しみを奪われる悪魔のような存在に成り下がってしまう。

 当然のことながらリフトは、閑古鳥が壮絶な鳴き声をあげている状況で。

 客がまったくない寂しさを紛らわそうとしてか、ぬいぐるみがポツリポツリと乗せられていた。こんな光景が面白くて、ついシャッターを切ってしまったものの、周囲の客から「ぬいぐるみの可愛さにほだされて写真を撮ってる奴」だと思われたら悔しいので、念のために「乾いた笑い」を演技で付け加えておきました。

 ケガをすると健康のありがたさを痛感するけれど、健康なときはそれが当たり前だからちっとも嬉しくないし、まァ、こうやってロープウェイで山に来て一般登山客を羨ましがりつつ、歩ける幸せに感謝しているくらいが一番幸せなんだ、そうに違いないと自分に言い聞かせている今日この頃。

 そういえば入院中、足を骨折して歩くのにも四苦八苦している同室の患者さんを見て、心の奥底で密かな同情と優越感を噛みしめている自分に気付いてゾッとしたのを思い出す。幸せの度合いって客観的状況よりも主観的状況に左右されるんだなあと、当たり前のことを改めて感じているベタな自分が…。

 とか何とか、ちょっと油断するとセルフ・マトリョーシカになってしまうのが我が恒例です。

 

7月3日(金曜) 深夜

 幼少の頃より何かにつけて控えめで、とりわけ運動神経に関しては、現在にいたるまで尋常ならざる慎ましさを発揮し続けているわけですが。

 高校に入学したのを機に、こんな自分と訣別しようと思い立って、バドミントン部に入ってみたことがある。スポーツの類がまったくダメだったぼくにとって、バスケットボールやサッカーはとても歯が立たなさそうだったけれど、バドミントンなら羽子板みたいなものだからどうにかなるかと思ったんである。

 それでも自分なりに勇気をふりしぼり、「ようし、これでいよいよ真人間の仲間入りやっ!」と意気込んで入部したのを、まるで昨日のことのように思い出す。

 しかし、羽子板みたいなものという認識は、まったくの見当違いだった。

 先輩の打ってくるスマッシュは目にも見えないくらいの速さで、思わず「よける」のが精一杯。おまけに、いくら先輩から教えられても、死に物狂いで練習しても、いつまで経っても「正しい素振り」が身に付かない。しまいには「おまえ、どうやったらそんな妙な素振りができるんだ!?」とキレられて、わずか3ヶ月でスピード退部に追い込まれてしまったのでした。

 …というわけで、3ヶ月のバドミントン部生活を通じてスマッシュどころか素振りすら会得できなかった体たらくながら、サーブなら9割がたは入れられるようになった。入部当初は半分くらいしか入らなかったことを思えば大きな進歩である。

 なので、未経験者とプレイするとちょうどいい試合になる。ぼくの高校時代を知らない友だちと遊ぶときは、クラブ経験のことは隠したまま「バドミントンやろう!」と言って試合をして、完璧なまでに互角の戦いができる自分に酔いしれております。

 バドミントン部での3ヶ月を通じて、未経験者として違和感のないレベルにまで上達したのかもしれません。入部して本当によかった!!

 

7月2日(木曜) 深夜

 書評や映画評って、自分の「浅さ」を隠そうとすればするほど、それが露呈してしまうから恥ずかしいなァと思う。

 たとえば、深みと含蓄を文面に醸し出したいとき、つい使っていまいがちな言葉がいくつかある。

 「深い作品である」
 「考えさせられる作品である」
 「示唆に富む作品である」
 「象徴的な作品である」

 こういう単語を連ねていると、自分ではそれなりの評論になっている気になってくるから恐ろしい。でも傍目には、何も知らないくせに理解力があるフリをしていることが、そのまま透けて見えているに違いない。だって、深いとか考えさせられるとか示唆に富むとか、なーんにも言ってないのと同じなのだから。 

 …そんなわけで、当サイトの書評ページも長らく放置状態になっているんですが、それはさておき。

 しばらく前に著者ご本人から著書をいただき、僭越ながら書評ページに掲載させていただいた『いやしい鳥』の藤野可織さんが、今度の芥川賞候補にノミネートされていることを知ってビックリした本日。いやー、すごい 。さすが!

 陰ながらご受賞を応援しています。どうやって応援したらいいのか分からないので、とりあえずは東京方面に向けて「気」を送るくらいのことしかできませんが、とにかく藤野さんの小説は、非常に深く示唆に富み、考えさせられる象徴的な作品ですから。

 あと、知人が偉くなると自分まで偉くなったような気になってくるのは、「世界三大もっさい」の一つにランクインするかもしれませんですな。自戒をこめて。


2009年6月のプチ日記 

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