2009年12月のプチ日記

12月30日(水曜) 深夜

 銀杏を焼いて酒の肴にしたりと、休日らしさを満喫しております。

 …と、ツイッターぽく。やってみたいけど面倒なので、けっきょくHTMLで更新。

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 休日もスーパーだけは日課のように3ヶ所をめぐっている。

 週に6日は足を運んでいるから、1週間でのべ18店のスーパーに通っていることになる。ちなみに同僚や友人に訊いてみても、せいぜい週に2〜3回という回答ばかりで、あまりの少なさに愕然とするばかりである。そんなことで人生楽しいのかい? と言いたくなるが、きっと人生幸せだから、スーパーなんぞに日参しなくても精神的に不安定にならないのだろう。

 まァそんなわけで、3ヶ所のスーパー巡りを日々欠かさず励行しているのだが、ずっと通っていると自ずと、各店の特徴が見えてくる。

 真ん中のF店は取り得が乏しく、目当てはパンの特売日とゴマだけである。パンの特売日といっても月に数回しかないし、ゴマを買うのも月に一度程度なので、毎日フラッと入っているものの、実際に買い物するのは月に二回程度である。

 「毎日、特売コーナーをぐるっと一周してはそのまま店を出て行く。ときどきゴマを買う」

 こんな客であるぼくは、店員から名物的存在になっているのかもしれないなとたまに思う昨今。どうか自意識過剰であってほしい。

 

12月29日(火曜) 夜

 仕事納めで休みに入って以来、毎日のように忘年会状態で更新できませんでした。

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 昨日やってきた友人たちは、新居祝いにこんなワインをプレゼントしてくれた。

 一瞬何かと思ったけれど、ボトルにネームを入れて贈答するというサービスがあるらしく。中身のワインのほうも相応に高級で、合計8千円くらいかけてオーダーしてくれたとのことで、まったく嬉しい限りであります(ちなみに友人は「ナグラって呼び捨てですみません」と謝罪していたけれど、「NAGURA−SAN」なんていうボトルも妙なので、これでいいと思いますよ)。

 で、忘年会も佳境に入った頃、このナグラワインが開封されてみんなで飲んだわけなのだが、ぼくなどはこのワインと知らずに飲んで、「うーん、このワインあかんわ。やっぱり千円少々は出さんと美味しくないね」などと失礼千万なことを言っていたらしいからお恥ずかしい。

 普段千円くらいのワインしか飲まないから、いきなり8千円のワインなんか飲むと違和感があるんです。はい。

 

12月25日(金曜) 深夜

 駅の改札を出たところで、見覚えのある後姿を見つけた。

 近づいてみると、どうやら職場の後輩女性のMさんっぽい。でも、周囲は暗がりでよく分からないし、下手に声をかけて他人の空似だったら恥ずかしい。うーん、どうなんだろう。

 …と思ってしばらく凝視していたら、突然こっちを向いた相手から「ヒャッ!」と目をひんむいて驚かれ、直後、「…ああっ、名倉さんじゃないですか!」と再び驚かれて。

 「男の人が暗がりからジッとこっちを見てたもんだから、てっきりヘン…、いや、びっくりしちゃって」

 ヘン…って、ちょっとちょっと。それ、変態か変質者のどっちか言おうとしたでしょ? で、あわてて言葉を飲み込んだでしょ?? もしかしたら変死体と言おうとしていたのかもしれないけれど、それはそれでショックなので可能性ゼロとして。

 でも変態か変質者だったら、変態のほうがまだいいかな。仲間多そうだし。

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 毎週ひっそり更新している「貧乏レシピ」ですが、読者の方からのご指摘で、お恥ずかしいことが発覚しました。

 まったく同じ写真とメニューで、二度書いてます(下記リンク参照)。

 「元祖ポテトサラダ」

 「基本のポテトサラダ」

 元の写真は同じだけれど、トリミングが微妙に違っていたり、あとキャプションの文章も似てるけど違う。自分でも意識しないまま、同じネタでレシピを書いてしまったという、前代未聞のポカミスです。でも、同一人物が書いているだけあって、文面は似ています。

 材料費なども微妙に違ってるし、つくづくイイカゲンなことよと我がことながら痛感します。すみません。

 

12月24日(木曜) 深夜

 そういや記憶力なんかも、すぐれているほうがいいというのがコンセンサスになっておりますが。

 記憶媒体に刻まれたデジタル情報は半永久的に消えることなく、この世の中に残り続ける。こう考えると我々の頼りない記憶よりもずっと頼もしく思えるけれど、まったく劣化しないまま残ることが、逆に非人間的だなァと思うことも多い。

 たとえばネットの情報なんかがその典型だろう。

 ぼくがこの「ホームページ」を立ち上げたのが11年くらい前で、当初は本名フルネームをそのまま載せていたのだけれど、就職やナンやで本名を出すのが憚られるようになり、9年前にすべてペンネームに置き換えた。ところが9年経った今でも、本名で検索すると当時の情報がたちどころにヒットしてしまう。

 ホームページくらいならまだいいが、犯罪をおかして本名がババーンと公表されてしまった人などは、それこそ可哀想である。なにしろ、何年経っても本名を入力するだけで、過去の犯罪が白日の下にさらされてしまうのだ。ここに「人の噂も七十五日」という寛容さはみじんもなく、デジタル情報としてひたすら無機質に存在し続ける。

 そういやずいぶんと前、某病院の男性医師が女子更衣室に忍び込んで逮捕された事件について、当該の新聞記事をこの日記に引用してアレコレ書いたこところ、数週間後にその男性医師本人から、「お願いですから新聞記事の中の本名部分は削除していただけないでしょうか…」という旨のメールが届いたことがあった。

 新聞引用をネットに掲載するのは許容されていることだけれど、ネットに書くということは、そのままデジタル情報として半永久的に残り続けることを意味するのだった。このことに気づいて、男性医師の本名は慌てて削除したものの、なんとなく後味の悪さが残ったのを今でも憶えている。

 さらには、知人の知人が少し前にウィニーがらみで個人情報が流出して大問題になったことがあり、その当人の名前もいまだに検索エンジンで一発ヒットしてしまう。ほんとうに可哀想だと心から思う。

 人々の生活に密着しつつある検索エンジンにおいては、より人間的なインターフェイスとして「忘却力」を導入し、一般市民の人名などは時とともにおぼろげになっていくようなアルゴリズムを組んでいただきたいものだよなあ、などと思う昨今。メリークリスマス!☆

 

12月23日(水曜) 夜

 同じ値段だったら、たくさん入っているほうがいい。

 当たり前の話である。同じ値段で買うんだったら、お菓子でも野菜でもなんでも、たくさん入っているほうがいい。どうしていいかといえば、たくさん入っているほうが得をするから。いよいよもって当たり前である。

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 …と、ここで日記を終えて前衛的な感じにしようかとも思ったけれど、これだけだとあまりにもあんまりなので続きを書くことにします。

 このようにまァ、ゴミ以外のたいていのものは、たくさん入っているほうがいい。酒やタバコについても、同じ値段ならアルコールやニコチンがたくさん入っているほうを選んでしまい、そのぶん健康を害している気もするのでちょっと複雑なのだが、やはりたくさん入っているほうがいい。

 そんなわけで今まで、多いことはいいことだと信じて疑わず、5つ買ったらおまけでもうひとつ付いてくるという風な特典も大好きだった。ところが先日、こんな価値観が逆転するかのような話を聞いた。

 ある彼氏が彼女に「誕生日には君の年齢の数だけ花を贈るよ」と言って、それを実行した。すなわち彼氏は、花屋でバラを27本買って誕生日当日に彼女宅へ配送する手続きをとったのだが、誕生日当日、花が届いた彼女から「どういうつもりよっ!?」激怒された。おかしいと思って花屋に問い合わせてみたところ、花屋いわく「たくさんお買い上げいただいたんで、おまけで3本ほど多く入れさせてもらったんですが…」。

 ずいぶん前に外国で実際に起こったエピソードらしいけれど、多いのがいいことだとは全然限らないんですねえ。

 

12月21日(月曜) 深夜

 そういや先日の忘年会(の一次会)では、幹事さんの企画でゲームみたいなのが行われた。

 まずは参加者全員(15名程度)に100円玉が配られ、みんな席についてくださいとのアナウンス。いったい何が始まるんだろう? きっと手品かな? などと話していたら、こんどは隣席の人同士がじゃんけんをして、勝者が敗者から100円玉をもらうようにとの指示が。

 で、勝者はさらに勝者同士でじゃんけんをして、最終的に勝ち抜いた一人が全額の1,500円程度をもらえるというわけだったのだが、参加者の多くが最後まで手品だと勘違いしていて、最終勝者の手に渡った1,500円がいつ消えるんだろうと、そればかり気にしていたのが可笑しかった。

 なにしろ、10分おきくらいに「さっきの1,500円見せてくださいよ〜」と誰かが尋ねているんである。それでも一向に消えも隠れもしないお金に業を煮やしたのか、しまいには「最後の最後に財布ごと消えるんじゃない?」というムチャな説まで流布しはじめる始末。

 もし財布ごと消えたら、それは単なる窃盗である。

 

12月20日(日曜) 深夜

 我が家での忘年会はなんとか無事終了。

 気がつけば自室のベッドで普通に目覚め、リビングにいた同僚たちの姿は一人残らず消えていたのだけれど、ちゃんと玄関のカギがかかっていたところを見ると、帰るみんなをちゃんと見送ってから寝たらしい。よかったよかった。

 それでも後半の記憶がおぼろげなので心配になり、後輩に電話して自分の行動を尋ねてみたところ、「ぜんぜん大丈夫でしたよ。普通に眠そうにしてらっしゃったんで、僕らは深夜3時頃に失礼しましたけど」との返答。よかったよかった。

 ただ、憶えていることのひとつに、ぼくの乳房が男にしては意外に大きいという話題になぜかなって、興味を示す面々に「さわってもいいですよ」と申し上げた結果、男女数人がかわるがわるぼくの乳房をさわりにきたというのがある。いったい何やってんだと今になっては思うけれど、こういうことがあったところで「ぜんぜん大丈夫でしたよ」になってしまうのが少々複雑な心境である。

 ちなみに我が家まではタクシーで移動したのだけれど、その車中で運転手から「みなさん飴どうですか?」とすすめられたとき、咄嗟に「もしかしてぼくら、口臭いですか?」と尋ねてしまったのも恥ずかしいエピソードのひとつであります。かわいそうに運転手さん、「い、いえ、そんなつもりじゃ…」と恐縮至極で。

 被害妄想によって相手を追いつめる。うまく使えばこれ、日常生活にも応用可能かもしれまへんですな。

 

12月18日(金曜) 深夜

 明日は職場の忘年会。

 二次会以降は同僚たちが我が家になだれこんで飲むことに決まってしまったので、整理整頓や清掃に励んでいた。自分ん家というのは過ごし慣れているだけに、第三者から見たらどうかと思うようなものが平気で棚においてあるのを見落としたりするから、細心の注意が必要なのだ。

 隠すべきものは隠し、見せるべきものは見せて。隠すべきものはここには書けないけれど(笑)、見せるほうでいえば、たとえばDVDの棚にはキューブリック作品などを前面に並べて、「こういうの観てるんだけどね」とさりげなくアピールする作戦である。…というか同僚もこの日記の存在を知ってるから、この時点でバレてしまってるかもしれないが、まァどうせ読んでないでしょう。

 こうやってひとしきり掃除したのち、もう大丈夫だろうと一息ついていたら、リビングにこんなキーホルダーを発見。

 ずいぶんと前に、今はなき三重の国際秘宝館で入手した、おしりとちんこのキーホルダーである。引っ越すときに捨てようかとも思ったのだけど、なんとなく愛着があって捨てきれず、ポケットに忍ばせて新居に連れてきて、そんままリビングに置いていたのだった。こういうのが当たり前の光景になっていて見逃されるから、自分ん家というのはつくづく恐ろしい。

 で、キーホルダーを机の引き出しにしまいつつ、ふと思ったのでした。忘年会の二次会でで酔っ払って、このキーホルダーを女子社員の前に差し出し、「ヒッヒッヒ、これ何やと思う? 言うてみんしゃい!」みたいなことになったら最悪だなあ、こんなセクハラだけはしないよう注意しなくちゃなあと。

 ただ、酔っ払うと、こうやって意識していることからどんどんやってしまうんですな。…いや、絶対しません、キーホルダーセクハラ。

 

12月16日(水曜) 深夜

 先日、新しい湯たんぽを買った。

 エコじゃエコじゃと世の風潮に便調して、たかが湯たんぽ使ってるだけで「いいこと」してるかのような満足感に浸ることができるのだから、こんなチャンスは見逃すべきじゃあない。おまけに、たまたま行った家電量販店で湯たんぽがワゴンセールされていて(Lサイズが400円!)、思わず衝動買いしてしまったという次第。

 実は昨年、初めて湯たんぽを買ってみたものの、ケチッて500ml容量の小さいやつを購入した結果(ちなみにこれも400円)、布団に入れてもちっとも暖かくならず、ああ安物買いの銭失いとはこのことかと落胆した挙句、たまたま家に遊びにきた来客に進呈したという一件があったのだった。

 そして今回入手したのはLサイズ。3リットルもの容量があるから頼もしい。

 …と昨日までは上機嫌で過ごしていたわけですが。

 いざ実際に使おうとして唖然とした。3リットルものお湯を沸かすとなると、それだけでタイヘンなんである。普通の雪平鍋じゃあ3リットルも沸かせないし、ルクルーゼなんかの大鍋で沸かせば、注入するのに一苦労するのは目に見えている。

 そもそもエコとか言ってるけど、これだけ大量のお湯を沸かせば、結構なガスを消費すること請け合いだろう。少しのお湯しか入れなければ済むという話でもなく、水蒸気が水に戻る体積収縮で湯たんぽがひしゃげてしまうらしいし、どのみち3リットルのお湯を沸かすしかないんである。

 ちなみに湯たんぽを持っている同僚に容量を尋ねてみたら、たいてい800ccとか1リットルとかのサイズで、3リットルのを買ったといったらみんなから笑われた。畜生。

 そんなわけで、今回買った湯たんぽを使おうとすると、それこそ一大決心が必要で、「今日という今日は使うぞ!」という決心をしないと到底使う気になれないのでありました。特別な日にのみつかう湯たんぽ。もはや自分へのごほうびというか贅沢品というか、ある種の嗜好品である。

 しかし、こんなジャンボサイズの3リットル湯たんぽ、一体どんな人が使うんでしょうねえ。よっぽどの富豪が愛用してるんでしょうか。

 そもそもワゴンセールになってた時点で気づくべきでした。みんなデカすぎて買わなかったんだ。

 

12月15日(火曜) 深夜

 ご近所にある伏見桃山城に足を運んできました。

◆京阪丹波橋駅にて下車。昼間っから寝そべるホームレスの紳士が、昨今の不景気を象徴しておりますな。
 
◆電信柱に貼ってあった求人広告。こんなに漠然とした条件で、果たしていい相方が見つかるもんなんでしょうかねえ。
 
◆うららかな秋の日差しのなか、伏見桃山城の天守閣に到着。いやー、秀吉がここに暮らした時代がしのばれます。
 
◆といいつつ伏見桃山城は鉄筋コンクリ建てのエレベータ付き。おまけに歴史上、こんな城は実在しなかったそうで。
 
◆天守閣jからは伏見界隈が一望できます。ちなみにこの天守閣、伏見桃山キャッスルランドという遊園地のアトラクションの一部なのでした。
 
◆城下にはパターゴルフもあり、カエルの肛門にボールを入れるという大層アバンギャルドな仕様となっています。
 
◆釣り堀もあって、皆さん思い思いに金魚なんぞを釣っておられますが、どうみてもプールの流用なのが涙を誘います。
 
◆そしてババーン! 今年11月の伏見桃山城です。どうでしょうか。…って、えっ!?

 もしかすると既にお気づきかもしれませんが、最後の写真以外は2001年5月に撮影したものです(いつ行ったのかについては言及していないので、少なくともウソは書いていないということでひとつ)。

 伏見桃山キャッスルランドは2003年1月をもって既に閉鎖していて、当初は天守閣も取り壊される予定だったものの、住民の反対運動でなぜか残されることになったという曰くつきの素敵名勝でして。…というような事情は京都の人のにしか分からないかもしれませんが、そもそも12月にどうしてみんな半袖シャツ姿なのか? という疑問を抱かれた貴殿はスルドイ!!

 それにしてもデジカメで撮った写真って、年月が経っても劣化しないものだから、こうやって載せるとまるで今のことみたいになるので変な感じですね。

 

12月14日(月曜) 深夜

 久しぶりに最近の料理でも。(貧乏レシピと重複しているものもありますが、ご了承ください)。

◆にらまんバーグ
にらがタップリ入った中華風ハンバーグです。中華風ハンブルグ、言わばチュジニア風京都みたいなもんです。
 
◆チンゲンサイのひき肉かけ
当時、ひき肉ブームが自分の中に到来しておりました。ひき肉の半額って、ビックリするくらい安い。
◆悲しい目をした商人風野菜炒め
娼婦風パスタとか有名ですが、世界中探せばこんな名前の料理もあるんじゃないでしょうか。
◆もけもけ頭の老人風チェリスト
小松菜とシイタケと豚肉をオイスターソースで炒めてみました。もけもけ頭で精力つけましょう!!
◆子持ちカレイの残酷煮
料理はだいたい残酷です。哀れカレイさん、こんな猟奇殺人みたいな姿になってしまって…。涙
 
◆肉じゃがポインポイーン
やけくそな命名ですが、ごく普通の肉じゃがです。船場吉兆もこういう名前のメニュー出せばよかったのに。
 
◆麻婆豆腐にんじん入り
余ってる食材があると、つい入れてしまうのが自作料理のダサくなりがちなところです。
 
◆万願寺のタイタンの妖女
こんな小説があったら読みたいものです。というかこれ、半分FUZEI写真入ってて小っ恥ずかしい。
◆洋風お好み焼き
なぜ洋風かというと、青のりを切らしていて、かわりに乾燥パセリを振っているから。すぐ洋風になります。
 
◆茎入りクリームシチュー
ブロッコリーの茎の部分をクリームシチューに入れるのが滅法好きです。ブロッコリーの茎に恋する小生。
 
◆ガーリック&アンチョビの
オリーブオイルでにんにくとアンチョビを炒めたのをかけてます。料理と器がちっともマッチしてません。
 
◆こんな感じですわ
これは麻婆茄子ですが、だいたいこんな感じです。ご飯の位置が反対ですが、このほうが食べやすいのや!
 
◆イワシの煮付け
あのディカプリオの大好物としても知られるイワシの煮付け。…すみません、ただのウソです。

 
◆おでんせんでお!
念のために申し添えると、いちおう回文です。おでんせんでお! おでんがイヤなときに使ってみてください。
 
◆しいたけさけたいし!
これも回文です。恥を忍んで。しいたけがイヤなときは是非。シイタケ避けたいし! ものすご不自然!!
◆豚汁煮込みうどんピューブ風
中央のネギが恥毛っぽいですが、いくらかき分けても、出てくるのはうどんです。…えっ、恥毛っぽくない!?

 

12月13日(日曜) 夜

 今世紀の目標は「酔いつぶれずにお酒を飲むこと」に決めました。

 全然飲まないのも簡単だし、酔いつぶれるまで飲むのも簡単なのだけれど、ちょうどいい位に酔っ払うのが至難の業。

 ワイン1本飲んだところで止められるようになるのを目標に、まずは自宅で練習に励みたいと思います。

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 …なんてことを思ったのも、昨日の飲み会ですっかり酔いつぶれてしまったから。

 ちなみに飲み会というのは、以前からこっそり参加ししていたテキスト庵というサイトの創立10周年パーティーでありまして。 今までこういうイベント事に行っても「オフレポ」的なものをちゃんと書いたことがないんですが、今回は自戒をこめてレポートしておきます。

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 当日18時49分、大阪・梅田の DD House中にある「ビア・カンパニー」に到着(勘のいい皆さんは既にお察しかもしれませんが、ここがパーティー会場です)。本当は18時30分開始だったのだけれど、仕事の都合で20分ほど遅刻しての到着である。

 店に入ると、うやうやしく近づいてきた給仕が「お一人様ですか?」と尋ねてきたので、「そんなわけないやろボケ! テキスト庵10周年パーティーに決まってるやんけ! さっさと席に案内しくされ!!」という内容のことを、もっと丁寧な言葉遣いで伝えたら給仕から一言、「かしこまりました、案内させていただきます」。

 そのまま歩きはじめた給仕を見て、「さてはコイツ、オレを席に案内する気だな」とすぐに見抜いたぼくは、「いったいどこに案内するつもりだ?」といった疑問を差しはさむこともなく後をついていったのだが、そうしたらそのまま調理場に入っていったので、うわ、一体どうなっとるんや!? まさか調理場を貸し切ってのパーティーなのか?? …とすっかり取り乱してしまい、なりふりかまわず給仕の裾をつかんで「こ、ここですか!?」と声をかけたところ、給仕の輩あろうことか一瞬失笑のような表情を浮かべやがって。慌てて取り繕うかのように顔を戻したのち、「申し訳ございません。ただいま別の案内係の者を呼んでまいりますので、あちらでお待ちください」。これではまるで、こっちが阿呆である。 (いやまァ、本当に阿呆以外の何者でもないのだけれども)。

 数十秒後、別の案内係とやらがおいでなさり、いきなりの恥辱でワナワナ震えそうになるのをこらえながらパーティーの席に案内される。するとそこには、ぼく以外の参加者10名が全員勢ぞろいしていて、おまけに10人がけテーブルなものだから、最後に来たぼくは当然のことながら「お誕生日席」となり、たいそう落ち着かない佇まいにてパーティー開始となったのでした。

 ぼくのお隣にはテキスト庵創始者の【な】さんという欣幸で、お会いするまではご尊顔を存じ上げなかったものの、ポール・マッカートニみたいな顔立ちの方をなんとなく想像していて、でも実際にお会いした【な】さんは想像以上にハンサムで、ザブングル加藤をググッと格好よくしたような誰もがうらやむ素敵な殿方だった。【な】さんご自身、ザブングル加藤のことは相当意識されてい たようで、「はじめてテレビで見たときは自分が出てるのかと思ってびっくりした」と、その心中を熱く語っておられました。

 ちなみに店のほうは飲み放題で4,500円。これは飲まねば、店がつぶれるくらい飲まねば! と俄然張りきったのが「うんのつき」で、最初はビールでお茶をにごしていたものの、いやビールは安い! ワインのほうが高そうだ! という馬鹿みたいな理由からワインをどんどんどんどん注文。その間、ローストビーフやら海鮮サラダやらタマネギの丸揚げやらの美味しそうな料理がいろいろ出ていたはずなのだが、ワインを飲むのに専念しすぎて、結局ほとんど箸をつけないままお開きとなってしまいました。このほうがよっぽど損しとるわ! というのは後になって思うことで、そのときは「これで店も大損じゃ」とすこぶる機嫌よく飲み続けていたのだから世話なしです。

 そんなこんなで、気がつけば「もう朝ですよ!」という声で揺り起こされ、うわわ、ここどこだ!? おまえは誰だ?? …と困惑しつつ周囲を見回してみると、カラオケ屋の一室で一人寝転がっていて、おまけに手にはマイクが握られていて、もちろん相手はカラオケ屋の店員だった。

 そういや終電逃して、仕方なく一人でカラオケ屋に入ったんだった。既にしこたま飲んでるのに、ウイスキーとウーロンハイというよく分からない注文をした挙句、一人でぴょんぴょん飛び跳ねながらゴダイゴの「モンキーマジック」を独唱していたような記憶が……。でも、一次会とモンキーマジック との間の記憶がまったくない。一次会が終わったら、すぐにモンキーマジック独唱してたような感覚なんである。

 で、今日になって、参加者のかたからいろいろと不安に陥るメッセージを頂いて、きっと皆さんに多大な迷惑をおかけしたんだろうなァと思うも、記憶がないだけに「自分の行動を推察して猛省する」という誠にまどろっこしい反省しかできず、ああこのままじゃあアカン人まっしぐらや…と思い、冒頭に書いたように「酔いつぶれずにお酒を飲むこと」を今世紀の課題にすることを心に決めたという次第。 いやはや、ご迷惑をおかけした(であろう)参加者の皆さま、本当に申し訳ありませんでした。

 ちなみに、どうでもいい上に尾篭な話ですが、パーティーから帰宅する途中で便意に襲われ、自宅の20m手前で「こいて」しまいました。幸いウサギ系のコロコロうんこだったから被害が少なかったものの、そういうわけで「うんのつき」だったということで。 パーティーは自宅前でうんここいて終了。

 せっかくなので、パーティーの最中に撮った写真を一枚。いやはや、自分の酒癖の悪さは棚において、たいへん楽しゅうございました。

 

12月11日(金曜) 深夜

 本日の菜っ葉です。

 字が小さくて読みづらいながら(本当は画像サイズの問題なのだけどこっそり責任転嫁してます)、京都府産「畑菜」である。

 油揚げと一緒に煮浸しにするとそこそこ美味しいので、小松菜が高いときには買うこともあるかなァ、くらいの存在なのだが、なにしろ「畑菜」である。菜っ葉なんて、どれもこれも畑に生えとるんちゃうんかいな!? と、これを見るたびに思ってしまう。

 鮮魚コーナーに「海魚」(うみうお)という名前の魚が堂々と並んでいたらどうか? くだものコーナーに「果樹園フルーツ」という名前のくだものが鎮座していたらどうか? はたまた、精肉コーナーに「陸獣(モモ肉)うす切り」なんていうパックがあったらどうか?

 まァそれを言えば、食パンなんかも、ええっ? ということになるんですが、ぼくの人生から重箱の隅ほじりを取ったら、なにも残りませんので…。

 

12月10日(木曜) 深夜

 本日のスマップです。

 正式名称は「スナップエンドウ」で、折るとパチンと音がする(=snap)から、というのが語源らしい。通称として「スナックエンドウ」とも言われいて、この店でも値札シールにはスナックエンドウと書かれている。それなのに棚のPOPには、デカデカと「スマップエンドウ」の文字が。

 このPOPを作った人もきっと、「スマップエンドウ」でないことは重々知っていたのではないか。これを書いたのはおそらく、スーパーの野菜売り場を長らく担当してきたベテランである。で、スナップエンドウとスマップエンドウは間違えやすいから十分気をつけなければ…と意識しすぎるあまり、ついついスマップとやってしまったのではあるまいか。

 言ってはいけないと意識しすぎて、つい言ってしまう。

 そういやぼくも、背が低いことを気にしている同僚の男性とスーパーで買い物をしたとき、「チビ」と言っちゃいけないと意識するあまり、普通サイズの大根が特売されているを見て、「これ全然チビじゃないですから買いましょう!」と言ってしまったことがありました。

 あっ。同僚の女性が先日、「このサンプルの塗装、ハゲてきましたね」とぼくに言ってきたのも、そういうことだったか。考えすぎでしょうか。

 

12月9日(水曜) 深夜

 学生時代、友人から借りたアダルトビデオに「誘惑のパンスト刑事(デカ)」みたいなタイトルのやつがあった。

 もう10年以上前のことなので記憶もおぼろげなのだが、「パンスト刑事」という言葉があったのは確かで(さっきネットで検索してみたけどエロ同人誌しか引っかからず残念)、これが妙に印象的に残っていて。

 パンスト刑事。

 学生だった当時は、一瞬なんの抵抗もなくそのエロチシズムを受け入れてしまったのだけれど、しばらく経って「えっ?」と思い直したのだった。そりゃあ刑事さんでも、女性ならパンストくらいはいているだろう。パンストをはいているだけで「パンスト〜」呼ばわりされては、世の女性たちはたまったもんじゃあない。

 どれもこれも当たり前である。ものすごく当たり前である。

 そもそも、こんなことを言い出したらショーツだってブラジャーだってそうだ。たいていの女性は身に着けている普通のコトなのだけれど、ことさらのように強調すると、なんだかおかしなことになってしまう。

 ちなみにぼくなどは、この調子でいくと「肌シャツ男性社員」あたりになりそうですが、だから何なんだというお話でした。

 

12月8日(火曜) 深夜

 地味な気分を味わいたかったので、ちっとも繁盛していない中華料理屋に入ってみました。京都駅の北側にて。

 まるで家のような佇まい、親戚ん家に来たかのような感覚です。

 そして、さらに「いいなァ」と思ったのがコレ。

 店の本棚に置いてある書籍がすべて、料理メニューの末尾に掲載されているのでした。それも「スラムダンク 9〜31巻 バスケットボール (感動の三井入部からその後まで」といった具合に、ジャンルや解説まで入っているからタマラナイ。

 そういや中学生の頃、レンタル屋で借りたCDをテープに録音したやつを棚に並べて、レタリングで「ローリングストーンズ・コーナー」とか書いてたなァとふと思い出して、なんか違う気もするけれどなんか近いものがある気もして、ああ、この感じだよ! 懐かしいね!!

 などと心の中で独りごちつつ、とくにどうということのないラーメンをすすってきたのでありました。

 食べてみたら、自分が家で作るラーメンの味に似ていたのでびっくりしました。びっくりラーメン。って、もしかしてウェイパー…

 

12月7日(月曜) 深夜

 自転車を買い替えたいという同僚がいる。

 ぼくは割と自転車が好きなので、とくに頼まれてもいないのに相談に乗っていたわけですが。

 せっかく新しいのを買うんだったら快適な自転車ライフを楽しんでほしいと思い、「ギア付きのクロスバイクとかがいいと思いますよ」とアドバイスしたところ、返ってきた答えに全身の力が抜けてしまった。

 「いい自転車買ったって、どうせ盗まれたりするじゃないですか。だったら安いママチャリでいいかなって」

 どうせ盗まれたりする。こんなことを言い出したら、なにを買ったって盗まれたりすることになるだろう。

  …こういう論法って、突きつめると「どうせ死ぬんだから、どうだっていいや」みたいなことになってしまうと思うんですが、どうなんでしょうかねえ。むしろ永遠に死なないなら、無為な生活を過ごしていても惜しくないだろうけれど、どうせ死ぬからこそ、それまでのプロセスが大切になってくるというか。

 このような熱い気持ちからついついヒートアップしてしまい、「盗まれたりするからこそ、いいチャリを買うんですよ! 盗まれるまでの日々がそれで充実したなら、それはそれで意味があるじゃないですか!」等と説得してみたんですが、ただキョトンとされただけでした。

−−−

 ちなみにぼくの持論では、盗まれやすいチャリは「本当にどうでもいいママチャリ」か「本当に高級なプロ仕様のチャリ」かのいずれかです。

 どうでもいいママチャリは持ち主の愛着もないだろうし、盗んだところで盗難届けも出されないだろうという安心感から。プロ仕様のチャリは盗難届けが出されるリスクを犯してでも数十万円のブツが手に入るという誘惑から。

 それに対して、中途半端にいいチャリ(5万円〜10万円未満)は、盗めば確実に盗難届けが出されるだろうし、その割にはたいした金額じゃないしで、盗っ人たちも敬遠するんではないかと。

 ぼくが乗ってるのも6〜7万円のチャリですが、10年以上乗ってていまだに盗まれたことありません。

 あ、盗まれるまでの日々が充実とか云々でなく、この話を同僚にすればよかったのか!

 

12月4日(金曜) 深夜

 通勤の行き帰りに、毎日といっていいくらい遭遇する人がひとりいる。

 もちろん全く面識のない人である(30歳手前くらいの女性)。行きの通勤電車は毎日同じで、これはまァよくあることなのだが、さらに帰りの電車も同じになることが多く、おまけに立ち寄るスーパーまで同じものだから、一日に3回、4回とすれ違ってしまうのだ。

 引っ越して以来、このような日々がずっと続いていて、このままだとストーカーと勘違いされるんじゃないだろうかという不安が頭によぎり始めたという次第。

 そんなわけで最近は、駅のホームで相手の姿を見かけたら隣の車両のほうにサッと移動する、スーパーの野菜コーナーで相手の姿を見かけたら隣の乾物コーナーにサッと身を隠すという具合に気を使っていたんでありますが。

 よく考えたら、これっていよいよ本物のストーカーですな。どうしよう。

 

12月2日(水曜) 深夜

 数日前の日記に書いた「メラビアンの法則」についてですが。

 この法則に関する詳しい事情は、ちょっと前に、下記の『反社会学講座』(ちくま文庫)という本で知ったのでした。

 当該の箇所を抜粋してみると…

研修屋の講師のみなさんは、研修の冒頭で、この法則を得意げに解説してくれます。

「これは心理学者のメラビアン博士が発見した法則です。話し手と聞き手のコミュニケーションにおいて、話し手が聞き手に与える影響がどのような要素で形成されるかを測定したところ、
 見た目・身だしなみ・しぐさ・表情などが55%
 声の質(高低)・大きさ・テンポなどが38%
 話す言葉の内容が7%
 であることがわかりました。つまり、コミュニケーションにおいては、話の内容は7%しか伝わっていないのです。言葉だけのコミュニケーションがいかに難しいものであるか、それをこの法則が教えてくれます。ですから、面接や営業活動においては、ボディーランゲージや話し方などのマナーに気を配ることが、とても大切になってきます」

(中略)

 実際にメラビアン博士が行った実験とは、こういう(次のような)ものです。

 「たぶん(Maybe)」の一語を、さまざまな声質で録音し、それを被験者に聞かせてどのような印象を受けたかを調べる。また、さまざまな表情の顔写真を見せながら、「たぶん」の録音を聞かせる。これだけです。のちに、もう少し語彙のバリエーションを増やした追試を行い、その結果から例の55/85/7%の数字がはじき出されたのです。

 メラビアン博士が行ったのは、表情と声の実験だけでした。身振り手振りや身だしなみといった要素は研修屋が勝手にくっつけたのです。そもそも、この実験は、言葉の内容と表情(もしくは声質)が矛盾している場合、聞き手は言葉と表情のどちらに重きを置くだろうかということを検証するためのものでしかなかったのです。(以下略)

 この本は社会学や世論調査のデータに隠された「デタラメ」を小気味よく解説した良著で、書いてあることにも説得力がある(関係ないけれど表紙イラストは吉田戦車)。メラビアンの法則にしても、ああ、こういうことだったのかと素直に感心したものだった。

 ただ、研修屋は「言葉だけでは7%しか伝わらない」と吹聴するけれど、言葉だけでコミュニケーションの7%もの部分が伝わるとしたら、それはすごいことじゃあないだろうか。

 なにしろ、純粋な言葉の内容なんて、「たぶん(Maybe)」という3文字(ひらがなでも6バイト。英語なら5バイト)の情報にすぎないんである。それに対して、声の音声データや表情の静止画像データとなれば、少なくとも100キロバイトにはなるだろう。

 1キロバイトは約1000バイトだから、100キロバイト=10万バイト。「たぶん」という言語情報と、それを録音したもの(もしくは撮影したもの)との間には、200万倍以上の情報量の開きがあるわけだ。なのに、言葉だけで7%も伝わるとは、まさに天変地異である。

 言葉というのは、その「ひとこと」が個人の長期記憶や想像力からさまざまなイメージを喚起させるからこそ、効率のよいコミュニケーション手段となっているのだろう。

 たとえば同僚から「おまえキショいよ」と言われたら、キショい呼ばわりされていた他者の姿や、これまでにキショいと言われた経験、さらには今後の自分の社内ポジション等々、個人内に封じ込められていたものが瞬時にして頭に思い浮かぶ。だからこそ、せいぜい数キロバイトというわずかな言語情報によって、いろんな思いやら感情やらが喚起されるのではあるまいか。たいていの場合、言葉は単なるトリガーみたいなものというか。

 同じ言葉であっても、相手に与えるインパクトは、相手の想像力や人生経験によってまったく違ったものになる。

 こういった、当たり前だけれど大切な部分が抜け落ちてしまうのが、「○○の法則」みたいなやつの短所でもあり、長所でもあるんでしょうな。

 

12月1日(火曜) 深夜

 本日の原付です。

一番かっこいい斜め前から

無駄に威圧感のあるバックから

いよいよアレな斜め後ろから

 デコトラならぬデコ原。これって車体価格よりもデコレーションのほうがお金かかってるんじゃないだろうか。それこそママチャリにGPSナビゲーションやら食器洗い乾燥機やら載せてるようなもので。

 ただ、単なるデコ(飾り)にしてはあまりにも本格的すぎる。…と思って近づいてみるも、何なのか今ひとつ判然とせず。

 きっとどれも違うだろうことは分かってるんですが。真面目に考えてみると、ひょっとしてスピーカーとかでしょうかねえ。

 それにしても、この原付で海外のテロ多発地帯あたりを疾走したら、エライことになりそうですな。あまりにもベタ過ぎて、意外と怪しまれないかもしれませんが。


2009年11月のプチ日記 

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