3月30日(水曜) 深夜
なんか近頃、仕事から帰宅したら。
夕食こしらえるのがそれなりに楽しいから、それなりに時間かけておかず作って、食べてしてたらもう夜で、テレビ風呂寝るになっている。本読んだり映画観たり音楽聴いたり全く無し! 我ながら文化レベルの低い生活だなあとふと思う。
書を捨てよ、家でご飯をこしらえよう! …これがいいのかどうなのかよく分からないけれど。
ひとつだけ言えるのは、もしぼくが専業主婦(主夫?)だったら、料理などちっともしてないだろうこと。世の中、しなくていいことほど楽しいものはありません。
3月28日(月曜) 深夜
四条大宮の界隈をほっつき歩いてきました。
餃子の王将、本店(1号店)。…とは言っても、お味は他店と驚くほど変わらないので、迷うことなくスルーしました。天下一品の本店は、他店よりダントツで旨かったんですけどねえ。
四条大宮のおいしいモンと言えば、やはりここ! 粉モンがことごとく安くて美味しい「壷味」さん。ここのネギ焼きは、あり得ないくらい大量のネギが入ります。そして一枚一枚とても丁寧に作らはるので、出来上がるまでに最低20分は掛かります。
ネギ焼き600円なり(傍らのセブンスターと比べると、その大きさがお分かりいただけましょうか)。完食したらお腹ポンポンで動けなくなりました。おまけに瓶ビール400円、焼酎も350円という安さがまた泣かせます。
3月25日(金曜) 深夜
同僚のAさんが突然、訊いてきたのでした。
「シカイのシって、シホウのシ、でしたっけ?」
シカイと言われても、パッと思いつくだけでも視界、歯科医、司会、死海……。そしてシホウのほうも、四方、至宝、司法……。どちらも同音異義語がありすぎて、てんで分かりません!! こういう質問をする人は、やっぱり自己中心的な思考の持ち主と言わざるを得ません。
追伸:よくよく聞いてみたところ、Aさんが言いたかったのは、「司会のシって、司法のシ、でしったっけ?」だったそうです。ぷっしゅー。
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錦通りの焼き牡蠣のお店にて。
あまり好きでなくても、食べる権利はあると思います。
そして本日の家ごはん。鶏の炊き込みご飯、豚肉とか小芋とかごぼうとか人参とかネギとかおあげとかこんにゃくとかの粕汁、きんぴらレンコン、トマト、いんげんのゴマ和え。
毎日食べるには、こういう感じがちょうどいい。
3月22日(火曜) 深夜
大阪は堺のあたりをほっつき歩いてきました。
まずは京橋にて腹ごしらえ。自転車の前カゴを鳥の巣として開放しているわけではなく、「鳥の巣」という飲み屋の自転車です。
堺にあるシマノのサイクルセンターにて。小学生の頃あこがれだった「あの自転車」が展示されていたので思わず乗ってしまったの一枚。ウインカーが最高にイカすし、変速機もクルマのオートマみたいなやつでカッコイイ!!
世界最速の145kmを達成したチャリ。前ギヤが恐ろしく大きくて、後ギヤが恐ろしく小さい。どれだけペダルが重いんだろうと想像しただけで、足が筋肉痛になりました。
高さ10m以上ある一輪車。ギネスに登録されたらしいんですが、こんなもんに乗った人は、すごいというよりAHOだと思います。
お次は堺刃物ミュージアムに。ずいぶんと大きくて立派な出刃包丁がずらりと並んでいます(大きさが分かりやすいよう、下部にセブンスターを置いてます)。
大出刃は本当に大きい(下部のセブンスターと比べてください)。あと、ここの職員さんに、包丁の研ぎ方をタダで教えてもらいました。ラッキー。
立ち呑み屋に対抗して「座り呑みや」。考えてみれば確かに、立って飲むよりも座って飲むほうが楽!! これは正に青天の霹靂、斬新かつ画期的なアイデアと言えましょう。アイデアを盗む他店が出てこないことを祈るばかりですが……。
3月18日(金曜) 深夜
ちょくちょく足を運んでいる近所のラーメン屋に、こんな貼り紙がしてあった。
「ラーメン1杯ご注文いただく度に、売り上げから100円の義援金を送ります」
ここのラーメンは並が500円なので、売り上げの2割を義援金にあてていることになる。いちラーメン店としてはなかなかの英断である(本当に寄付しているのかは分からないけれど、ここは善意を信じたい)。
ほとんど被害のなかったこちら関西でも、全体的になんとなく自粛ムードがただよっている。看板のライトを消したり、派手な売出しが控えられたり……。
でも、関東が大きな打撃を受けているからこそ、関西に住む我々は今まで通り、もしくは今までよりも少し活発な暮らしをしたほうがいい。これで関西の人々までもが「明日は我が身!」とか言って、貯金ばかりしてお金を消費しない守銭奴になってしまったら、日本の経済はますます窮地に追いつめられてしまうだろう。
ただ、その一方で、関東の人たちが辛い日々を送っているのに、自分たちだけ贅沢したり楽しんだりするのは確かに気がとがめるものである。
こう考えると、先に述べたラーメン屋の発想を、もっといろんな業界に広めていけばいいと思うのだ。
たとえば「協会公認10%義援の店」みたいな加盟証を作って、加盟店には売り上げの10%を義援金にあてることを宣言してもらう。こうすれば客としても、モノを買ったり楽しんだりにお金を使うことへの罪悪感が 、かなり緩和されるように思うんである(もちろん本当に募金していることを証明するために、お会計と同時に信頼できる義援先にネット振り込みする等の工夫が必要だろうけれど) 。
同じような居酒屋で、義援10%の店とそうでない店とがあったら、多くの人は前者に入るだろう。そうすれば店側としても、募金する分だけ客単価は薄利になるものの、客数が多くなるから結局は売り上げが伸びるかもしれない。そして客数が多くなれば、自ずと義援金も多くなる。
レストランも遊園地も、魚屋も八百屋も、キャバクラもソープランドも、どんどん義援10%の店に加盟すればいいのにと思う。 10%義援ソープランド、ソープ嬢としても自身の仕事に対して新たなやりがいを感じて、一層がんばれるかもしれない。
そして1年後、
「当市民会館は関西地域における特殊浴場からの義援金により再建いたしました」
こんなレリーフが会館の傍らに出現したらさすがにちょっとマズいだろうけれど、たいていの義援金は出所を問わず一緒にされるから大丈夫である。現にいまの義援金だって、善意ある暴力団員からの寄付なんかが入っているのかもしれないのだから。
「被災地義援も兼ねて、ロレックスの腕時計買ったろやないか!」
「被災地義援も兼ねて、高級ソープに行ったろやないか!」
…実際にこんな人たちが現れたとき、被災者の方々にどう映るのかと想像すると心中複雑ではある。不謹慎だとの謗りを受けるかもしれない し、ニヤケ面でこんなこと言ってる成金ジジイの顔を想像すると、ぼくだっていささか気分が悪くなってくる。
ただ、こういう極端な例もあっていい! くらいの、色んな意味での積極性と寛容さとが、もしかすると必要なんではないかとも思ったり。どうですやろか。
3月15日(火曜) 深夜
義援金を寄付するのって、大変な目に遭ってる人の報道をビール片手に見たりしてる罪悪感を少しでも払拭したいからでもあるよなァ、と我ながら。
けっきょく「自分が楽になりたいから」だとすれば、ことさらのように正義漢面したり、逆に照れたり隠したりする必要もないので、堂々と(ささやかながら)したいと思います。
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本日のご近所。いつもと何ひとつ変わりません。
◆玄関先に「お猿のかご屋」の歌詞をディスプレイしているお宅があります。あまりに牧歌的すぎて、たいていのことがどうでもよくなってきます。
◆なんか知らないけど気に入っている風景。近所の美容院の勝手口にて。スリムでおしゃれな庇がまた素敵です。
そして夕食はトンカツ。
衣たっぷりのジャンクなのを食べたかったので、普通にパン粉まで付けてから、もう一度溶き卵にくぐらせて再びパン粉を付けるという、ダブルパン粉仕様にしたところ、ドーナツみたいなトンカツになってすっかり満足しました。
3月14日(月曜) 深夜
銀座といえば(広辞苑より)。
ぎんざ【銀座】
江戸幕府直轄の、銀貨の鋳造・発行所。初め伏見・駿府に設置したが、まもなく京都・江戸に移し、また大坂・長崎にも設置。1800年(寛政12)不正事件のため四座ともに廃止し、江戸1ヵ所のみ再興。銀貨の極印・包装は大黒常是家が世襲。69年(明治2)造幣局の設置とともに廃止。
ぎんざ【銀座】
東京都中央区の繁華街。京橋から新橋まで北東から南西に延びる街路を中心として高級店が並ぶ。駿府の銀座を1612年(慶長17)にここに移したためこの名が残った。地方都市でも繁華な街区を「…銀座」と土地の名を冠していう。
いまの東京・銀座の繁栄ぶりはここに記すまでもないくらいですが、そもそもの銀座は京都・伏見が発祥の地でありまして。
で、そのオリジナルの銀座が、いまぼくが住んでいる京都・伏見の地にあるのでした。これですわっ!
これが本家の銀座です(ホントの話)。東京の銀座なんぞ、おととい来やがれ! ショボさならこっちが不戦勝や!!
3月11日(金曜) 深夜
大地震と大津波で日本中がたいへんな事態になっているとのニュース。
そのときぼくは京都市内で仕事をしていて、仕事に没頭していたせいか、それともボーッとしていたせいか、午後二時台に「ちょっと揺れた」と言われる揺れにもまったく気付かず、ニュースを知ったのは夜になってからだった。
まったく普通の生活をすごしているさなかに突然、後ろから頭を殴られたように知らされる衝撃的なニュース。911テロ事件のときもそうだったし、友人が突然死したときもそうだったけれど、こういうのっていつもおかしな感覚に陥る。それまで普段と寸分たがわぬ暮らしをしていたのに、ニュースや訃報を聞いた瞬間、「現実」が大きく変わってしまう戸惑いというか。
東北地方に住んでいる知人が数人いて安否が心配だけれど、こんなたいへんなときにぼくなどが連絡したら迷惑だろうから自重しておきます。東北地方に住んでる知人のかた(しばらくご無沙汰しているかたも)、もしこの日記読んでたらメールでもくださると嬉しいです。
3月9日(水曜) 深夜
近所のスーパーの駐輪場に、白い粒がたくさん落ちていた。
融雪用の塩化カルシウムかと思ったが、それにしては粒が大きいし、そもそも最近雪など降っていない。おかしいと思ってよく見てみたら、お米が大量にばら撒かれていたのでした。
思わず、他人事ながら「ああ…」となった。
購入した5kgなり10kgなりの米袋を、途中で引っかけたか何かで破いてしまったのだろう。直後、お米はシャーッ! とこぼれ出し、一瞬茫然としてアウアウなってるうちに、駐輪場を白く覆っていく。ああ…、という当事者の心の空模様が見えてくるようである。 その瞬間は、斬られた己の動脈から噴出する血を放心しながら凝視するしかない武士のような心境だったのではなかろうか。
この様子だと、ばら撒かれたお米を精一杯すくいとって回収したものと思われる。それがどれだけ大変で、どれだけ惨めな作業かと思うと、とてもとても冷笑する気にはなれしまへんです な。
実はぼくも先日、台所の床にお米を1合ほどばら撒いてしまったんですが、回収作業をしていて本当にもうダメかと思ったもので。
3月8日(火曜) 深夜
そういえば親の誕生日に、家族でごはんを食べに行ったのでした。
「ひとの誕生日にエビの死骸を持ってくるとは、一体どういうつもりかね!!」と給仕を叱っておきました。給仕はアイアイサーみたいなことを言っておりましたが。
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そして、本日の絵馬。
神様はきっと、貴殿の大切な願いをかなえてくださるに違いありません。神様は博愛ですから。
3月7日(月曜) 深夜
週末は家で散らし寿司食べたり、オムライス作ったり。
◆ジャコとにんじんを混ぜこんだ酢飯に、錦糸玉子と焼き穴子、菜の花、甘酢しょうがのトッピング。これで日本酒2合飲みました。 ◆ちょっとだけ残っていたハッシュドビーフをご飯といっしょに炒めて、玉子で包んでオムライスに。ケチャップで「LOVE!」とか書いてみたいものですネ!!
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近所の市民会館で、保育園児の絵画展が開かれていたので、チョット冷やかしてみたんですが。
パンフレットを見て愕然としました。(個人情報なので苗字にいはモザイクかけてますが)名前が半分くらいしか読めません。
「昊雅」「夏鈴」「那瑞南」「渚早」「聖琉那」「右偉」「「楓佳」「椛音」「一花」「樹紋」…どれも読めない! というか、恥ずかしながらMS−IMEの手書き認識を何度か使いました。もみじって、漢字一文字で書くと「椛」だったんですねえ。
ぼくなどは子どもがいないし、そもそも結婚もしていないので、どうして揃いもそろってこんな難読な名前になるのか事情がよく分かってないんですが。昨今の少子化ブームの中、大切な我が子には「みんなと違う個性的な名前」をつけようと皆が考える結果、みんな揃いも揃って難読な名前になってしまってるんでしょうかねえ。
そして、聖琉那くん(ちゃん?)も歳をとります。40歳になっても80歳になっても聖琉那くん(ちゃん?)。
3月4日(金曜) 深夜
下の日記でひっそり募集していた、食べ物じゃないのに好きだったモノ。7名の方からメールを頂きました。
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A木さん
湿布の白いプルプルした部分を子供の頃(小学校3年生位のとき)食べてました。
プルプルとしててミルクプリンのようなヨーグルトのような食感が好きでした。ミント的なにおいで味はなかったという記憶です。お腹も壊してないと思います(お腹は丈夫な方)。
現在35歳、腰痛にもなり湿布をする機会が増えましたがまったく食べる気は起きません。
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Nヲさん
私の場合食べ物と言えば食べ物なんですが、魚の形のしょうゆケースから出てくる微量のしょうゆが好きでした。
まず、あのちゃちいプラスチックの蓋を外さずに口の部分を噛みます。噛みしめると滲み出す微量のしょうゆ。蓋のちゃちさ故の繊細な量感。おやつ感覚と言いますか、口寂しい時にガジガジ噛んでいましたね。
今はあの魚のしょうゆがなかなか手に入らないので食べることはあまりないのですが、手に入れば確実に吸います。
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匿名さん
頭を掻いた時に、ポロッと取れる角栓です。爪の間に挟まったそれを、嗅いでから頂きます。
カプセル状の外膜を前歯で潰すと、口のなかにオイリーな皮脂が弾けます。癖になります、はっきり言って。
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Sマタさん
食べ物じゃないのによく食べていたというか、飲み込みはしなかったんですけど、小学生の頃に好んで石を舐めてました。
多分小学何年生とかの雑誌の付録についていた「生き残り作戦」みたいな冊子にもし水がなくなったら石を舐めて唾液を出す、みたいなことが書かれていて水はじゅうぶんあるのに、ひとりで「今、私、生き残ってる」感を堪能していたんだと思います。
N.Iさん
不躾ながら、時候の挨拶等は抜きでかるーく。
鼻をすすった時に口の中に飛び込んでくる、中は固くて周りがとろっとした鼻くそ。ジュンサイみたいな食感が楽しくて、しばらく前歯でかじかじしたりしてますね。
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F田さん
私は小さい頃、ストレスがたまると消しゴムをかじって食べていました。といっても、体にわるそうなのでちょっとだけです。
たぶん石油からできてるんだろうな、ということは子供ながらに知っていたのですが、独特の食感と人工的なにおいが病みつきになっていたのだと思います。たくさん食べると死ぬかもしれない、という罪悪感がまたゾゾゾッときて、病みつきになっていた気もします。
先生や親にばれたら叱られると思って、かじった部分は紙のケースの部分にしまって隠していました。
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Iさん
食べていたというのとは違いますが、彫刻刀をなめるのが好きでした。ひんやりとした鉄の味が。
小学校の図工の授業で、手に入れてからよくなめていました。僕の彫刻刀だけ錆びていたので、みんなから怪しまれました。平らなやつがなめやすかったので好きでしたが、とんがってるやつをなめていて舌を切って血が出たこともあります(笑)
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…皆さん、湿布とか石とか文房具とか、いろいろ食べておられたんですねえ。いやー、興味深いというか、一安心です。
石といえば子どもの頃、チェルシー(バタースコッチ味)にソックリな小石を見つけたことがあるんですが。その石をチェルシーの包装紙に包んで妹にプレゼントしたら、「なめても味がせえへん〜」と言いつつ飲み込んでしまい、子どもながらにかなり焦った記憶があります。
焦っただけで、けっきょく見て見ないフリをした当時の自分に、いまの邪悪さの片鱗が垣間見れるような気もしますが。
3月2日(水曜) 深夜
菊菜(春菊)の茎の太い部分に入っている、白い芯みたいなとこが妙に好きで、いつも楽しみにポリポリ食べている昨今。
とくに美味しいわけでもないのに、なぜこんなに好きなんだろうと考えていたら、ふと思い出した。
小学生の頃、セイタカアワダチソウの茎に入っている、白い芯みたいなところが妙に好きで、親に隠れてよくこっそり食べていたのでした。とくに味はしないのだけれど、ちょっと粉っぽくて歯ごたえのある食感がいい感じで、ママゴトではそのままクッキーの代用品になっていたという特別扱い的な存在で。
そんな当時の思い出があるから、大人になってから(セイタカアワダチソウと同じ菊科である)菊菜の白い芯を食べたとき、無意識のうちに「なんか楽しい!」と思って、もっと食べたくなったのだろう。
まるで、泥のハンバーグを食べているうちに、本物のハンバーグも好きになったみたいな話で、我ながらちょっと恥ずかしいんですが。
セイタカアワダチソウの白い芯が好きな人が世界中で増えたら、花粉問題や食糧問題も多少は改善するかもしれませんですね。
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皆さんも、食べ物じゃないのに好きだったモノって、結構ありませんでしたか? それとも当方だけでしょうか(そういや、自分の手の爪の横にある硬い肉みたいな部分(噛んでも痛くない)も、ときどき無意識のうちにかじってることに気づきました)。
個人的に興味あるので、もしありましたら是非メールで教えてくださ ると嬉しいです(数が集まったらここに掲載させていただきます)。
3月1日(火曜) 深夜
酔っ払うと時折、一念発起してしまうことがある。
ここ数ヶ月くらいで言うと、
酔っ払ったときの行動力ほど恐ろしいものはありません。
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本日のダイエット夕食。
煮込みハンバーグの残りをベースに作ったハヤシライスです。牛肉とたまねぎをバターで炒めて赤ワインで煮詰めて。
付け合せにオムレツを作るか作るまいか迷ったんですが、「ここでオムレツを作らなかったら、夜に腹が減って夜食して、ますます太ってしまう危険性がある」という結論に達したので、大きなオムレツを作って食べました。
ちなみにハヤシライスのルーにもダイエタリーな工夫をしております。夜食を食べずにすませるために、バターとデミグラスソースと牛肉をたっぷりと。