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個人的に好きで好きでたまらない本たちを紹介しています(随時、増やしていく予定)。 商品タイトルのリンク先はアマゾンのアフィリエイトになっていて、ここから買っていただくとアマゾンから定価の3%程度のお駄賃がもらえる仕組みとなっております(クリックすると新しいウインドウが開きます)。 厚かましくてすみません。 傑作揃いですので、興味を持ってくださった著書があれば、よければ読んでみてください。
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商品タイトル |
五つ星評価 |
プチ書評 | ||||||||
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表題作『いやしい鳥』は、厚顔無礼で下劣でどうしようもない男子学生が飲み会の席で酔いつぶれ、運び込まれた非常勤講師の家の中でゲロを吐いた挙げ句、鳥になってしまうというお話。 一見すると荒唐無稽なストーリー展開だが、これが実に妙なリアリティを持って心に迫ってくる。 鳥になってしまった唾棄すべき学生を目の前にして、この怪物をどうすべきか葛藤し続ける非常勤講師。こんな講師宅に異状を感じ取り、ワイドショー的な好奇心だけでしつこく詮索しはじめる隣家の主婦。最後になって現れる、非常勤講師の女友達。…「いやしい鳥」を取り巻くこれらの登場人物の心中が、自由自在な表現力でもって小気味よく描写されていく。 そうして読み進むうち、どの人物の自我状態にも自己投影している自分に気づいて愕然とするのだ。どの人物も、自分の中にある一部分ではないか! 「人の心を一言で表現するなら、それはグロテスクだ」という春日武彦の指摘を思い出す。そして、人の心のグロテスクさをここまで描き分け、書き砕くことのできる著者の洞察力と表現力に驚かされるばかりである。 次に収録されている『溶けない』は、目の前にいる母親は外見こそずっと同一人物だけれど、実は以前から中身がすり替わっていて、他人がなりすましているに違いないという確信を抱くに至った女の子のお話。 精神病理学でいうところの「カプグラ症候群」を地でいくストーリーであるが、読んでいると幼少時の「あの」感覚がよみがえってきて、気がつけば当時の未分化な思考世界にトリップするような、なんともいえず懐かしい心地よさに浸ることができた。 大人の論理的世界においては、自己と他者は自我境界によって明確に隔てられているから、母親も決して「溶けない」。けれども自我境界が曖昧な幼少時代においては、母親は自分と地続きで、そこから自分が涵養されるような「溶ける」存在だったのだなあと。 自我境界を明確化していく作業は、大人になるために必要な発達段階だけれど、その過程で乗り越えたつもりである寂寥とノスタルジーは心のどこかにずっと漂い続けていて、だからこそこの作品は懐かしい心地よさを我々に与えてくれるのではないだろうか。 続く短編『胡蝶蘭』は、近づいてきた猫を血まみれにして切断したのではないかとの疑惑を持たれる不気味な胡蝶蘭の花と、ひょんなことから同棲する道を選んだ女性のお話。詳しくは書かないけれど、これも意表をつくストーリーの中に、愛とグロテスクが美しく描かれた傑作である。
ふだん意識化されない人の心のさまざまな側面をこれだけ描くことのできる著者・藤野氏はきっと、自分自身の内面に対して類稀なるオープンネス(開かれた眼)を持っておられるのだろう。つくづく恐ろしい人が出てきたものである。 |
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氏の文章にはいつも感嘆させられる。平易で読みやすい文章でありながら、その切り口の鮮やかなことといったら。まさに「毒にも薬にもなる」文章の典型例と言えるかもしれない。 たとえば次のような一文。
赤ちゃんが自立していないのは、母親がひとりいなくなるだけで、たちまちその生存が危うくなるから。自立している人ほど、配偶者や恋人、友人、仕事上のパートナー、顧客…といった、さまざまなカテゴリの他者に「支え」られているというわけである。そして、誰もいなくても生きていける人は、自立でもなんでもなく、ただ「孤立」している に過ぎないと氏は喝破する。 こう考えると、依存症だって同じようなところがある。特定のモノ(人、酒、ダイエット、仕事、趣味などなど)だけに頼らざるを得ないと「依存」になるけれど、それらの多くにちょっとずつ依拠しているのは依存とは言わない。依存そのものが悪いわけではなく、むしろ依存対象が乏しいことが依存症ではないか。
…と、こんな風な目からウロコが落ちる切り口が満載されている内田樹のコラム集。必読です。 |
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著者が漫画家を志して会社を辞め、単身で東京に上京するまでが、軽妙なタッチの自虐で描かれた傑作だ。 お金がなくて切り詰めざるを得ない一人暮らし、なのに酒だけはどうしても飲んでしまう一人暮らし、さみしくて人恋しすぎてたまに人と会うとおかしなことになってしまう一人暮らし……こんな東京生活が随所にユーモアをちりばめながら描かれる。 言うまでもなく著者は、クスクス笑える名作4コマ漫画集「カラスヤサトシ」シリーズの作者である。だからこそ全編にわたって、淡々とした自虐から醸造される可笑しさに満ちているし、自分を突き放して描くスタンスも褪せることなく冴えている。 ただ、これらの「カラスヤ節」とも言うべき軽妙さが、物語の後半、実家の父に末期がんが見つかったあたりから突然ブレはじめる。漫画家を志しながら死の床にある父と向き合い続ける日々。ギャグ漫画と現実との間を引き裂くかのようにして、かつてなく生々しい筆致で描かれ る著者の心のうちとは……。 最後は不覚にも涙がこぼれてしまった。今まで淡々とした自虐に徹してきた著者のスタンスが崩れ落ちたとき、そこに顔をのぞかせる苦悩と葛藤と悲しみの大きさに、愕然と落涙してしまったような気がする。 笑いと悲哀のペーソスが詰まった、オススメの一冊です。きっと何度も読みかえす一冊。 |
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幼い頃から心の中でこっそり温め続けながらも、子供なりに「喋ったところで誰にも分かってもらえないだろう」と薄々勘付いて、こっそり心の中に封印してきた、おかしな思考の数々。 こんな妙に懐かしい、妄想癖とでも言うべき「モノの見方」が小気味よく言語化される。 たとえば…
いずれも科学的には、「幼少期の前操作的思考」だとか「認知におけるゲシュタルト崩壊」だとかで説明されてしまうのだろうけれど、ぼくらは日常に科学的説明ばかりを求めているわけじゃあない。 「懐かしいアノ感じ」を反芻・共有するには、科学なんかよりも、感覚的な文章表現のほうがはるかにしっくりくる。
感覚ばかりだと日常があいまいになるけれど、科学ばかりでも日常がつまらなくなる。両者のバランスをとるためにも、ときどきこういう本を読む
といいなァと思います。 |
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…こんな御仁にオススメなのが「ザ・殺人術」。どうすれば人を殺すことができるかについて、ひたすら大まじめに語られる一冊。 項目をいくつか挙げてみると、 ・素手による殺人術 実際に読んでみると分かるが、本著はそれほど危険なものではない。たとえば「手製原爆の製造法」をひもとくと、のっけから「野球ボール大のプルトニウム239を入手する」という具合。じゃあ作ってみよーっと! というわけにはとてもいかない。 それに、人を殺すような輩は、こんな本読まなくたって包丁で刺し殺すだろうから。 「知っても無駄なことの積み重ねが何かを生み出す醸造源になる」という見地からも、存在すべき一冊ということで。
ただし、友達や恋人を自宅に招待するときは、本棚から隠しておいたほうが賢明かもしれませんが。 |
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こういったポエムな感じの絵本を自分で買うことは普段ほとんどないのだが、頂いて読んでみると思いのほか良かったりする。 自分で選ぶ本は、どうしても理屈っぽいものばかりに偏重してしまう。そんな中、こうやってたまたま手にした絵本から、普段使わないチャンネルへの刺激が得られるのは実に心地よい。 ちなみにこの本は、生まれた命に「なまえ」を運ぶ、クークと呼ばれる使者たちの仕事っぷりを描いたもの。「なまえ」は単なる呼び名なのではなく、そこにはひとつひとつの生命の「かけがえのなさ」が込められている。…こんな、我々がつい忘れてしまいがちな、でも「あたりまえで大切なこと」が、美しい挿絵とともに描かれる。 暖かさに満ちた一冊ですので、お子さんや新婚さんへのプレゼントにもいいのではないでしょうか。
自分という存在の大切さ、かげがえのなさを見失いがちな現在、こういった絵本の登場はとくに意味のあることだと思います。「醒めた眼」は「暖かな眼」を併せ持っていてこそ、奥行きのあるものになる気がしますから。 |
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ウィットに富んだコラム、といえばこの人。…というくらいに自分の中で不動の地位を築いている土屋賢二。おもしろい著書はいくつもあるが、とりわけ好きなのがこの『われ笑う、ゆえにわれあり』だ。土屋本の原点ともいえるエスプリがギュッと詰まっている一冊。 たとえば、「わたしのプロフィール」というコラムでは… わたしは女子大で哲学を教えている。(中略)女子大だと言うとよく羨ましがられるが、実際には決してそんなによいものではない。理由は大きく分けて五つあるが、そのうち二つはさしさわりがあってここに書くことはできない。あと二つは思いだせず、残りの一つは今、鋭意究明しているところである。 わたしの人となりについて言えば、容貌と性格と知能にはかなり問題があるものの、しかしそれを除けば、これといって欠点はないと言い切れる。 常々当たり前と思っている事柄が、ちょっと枠組みをズラしてみるだけで全く違ったものになるという「視点の機知」が土屋氏の十八番である。
読んでいてなんだか小馬鹿にされているような気になってくることも多いが、それがまた心地よくてクセになるのです。 |
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この本について氏は、こんな書評を書いてくださったんであります(嬉しかったので一部引用)。
で、さっそく購入して読んでみたら、これが妙におもしろい。小学生の頃の「暗黒面」や、今の社会の中で浮いてしまう「イタさ」が、ことごとくユーモラスな筆致で描かれる。「あー分かる分かる!」と、思わずひざを叩きたくなるようなこの感覚。 せっかくなので、ひとつだけ作品を紹介してみます。 中学時代、英語の小テストの答え合わせで、先生が正解を言っていくという場面にて。 いやー、笑わせてもらいました。
4コマ漫画集なので、気が向いたときにちょっとずつ読むにもオススメです。おもしろかったので、ぼくは一気に読了してしまいましたけれど。 |
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早い話が「脳のサイエンスよもやま話」なのだが、この本は既存の脳科学本と一風異なる。とにかくトピックスが新しいんである。 なにしろ著者の池谷氏は現在36歳の新鋭科学者。これから脂が乗ってくる現役研究者だけに、最新の論文からの情報が惜しみなく紹介されているのだ。 「金縛りの謎解き」や「なぜ人は右利きなのか」といった、知的好奇心を満腹させてくれる知見の数々。 さらに、「ド忘れ解消法」や「記憶増強法」といった、実生活にすぐ活用できそうな知見の数々。 我々の行動を見事に説明する脳科学のオモシロさを、いい意味で「いいとこ取り」で堪能できる一冊です。 …あまり褒めてばかりなのも悔しいので、敢えて欠点を指摘するなら、各コラムの最後があまりにもベタにまとめられているのがちょっと可笑しい。
でもこれって、普通なら気にならないベタさが気になるくらいに、内容がシャープだということなのかもしれません。 |
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たとえば「太陽からの熱が2%ほどへった状態が続くと、すべての海が氷となる」「雨にはビタミンB12が含まれる」「熟していないヤシの実の汁は、輸血用に使える」などなど……。 SFの大家はここまで膨大な知識を持っていたのかという驚きとともに、単純に雑学の内容そのものにも驚くという、ダブル驚きの一冊です。 雑学なんて知ったところで何になるの? という意見も時おり耳にするけれど、無駄な知識のプールこそが何かを産み出す土壌になる、と個人的に信じてますもので。 それよりなにより、好奇心が満たされる快感は、一度知ったらもう後戻りできません。
おまけに本著の訳者は、透明な文章を書くことにかけては右に出る者のいない星新一。この上なく読みやすく、内容だけがスーッと頭に入ってくる明晰な文章は、こういう訳書にこそ打ってつけだなあと再確認させられます。 |
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もともとぼくは「マジメなもの」「堅苦しいもの」が大嫌いで、茶道だとか華道だとかピアノだとかフルコース料理だとか、そういったものは耳にするだけで拒否反応を示していたクチである。 しかし、偽札作品で起訴された赤瀬川原平の著書だということで本著を手にとってみたところ、一読して茶道のおもしろさに惹きこまれてしまった。 キーワードは「侘び・寂び」。こんなに素敵なものだったとは!! 茶道というと肩ひじ張って窮屈なイメージがあるかもしれないけれど、少なくともこの本は滅茶苦茶に柔軟である。 「侘び・寂び」を理解するため引き合いに出されるのも、ビートたけしであったり、路上芸術トマソンであったり、自身の強迫神経症であったり。 一見すると、脱線に脱線を重ねているだけのように思える。それだけにやたらと楽しく読み進めることができるのだが、気がつけば千利休の「本質」がバッチリ理解できているという、ぼくにとってはすごい一冊なんでありました。 タイトルこそ真面目だけれど、岩波新書のなかで実は異色の一冊。ぐにゃぐにゃしたアナロジーが縦横無尽に行き交うストーリー展開を目の当たりにするにつけ、赤瀬川原平はやはり良くも悪くも「天才」だったのだなあと、改めて思うのでありました。 ちなみにこの本、ぼくの家族も気に入ったらしく、気がつけば強奪されていたのでありまして。一人暮らしするにあたって、新たにもう一冊に買い直してしまいました。 そのくらいオススメです。「茶道なんて興味ねーよ!」という方にこそ是非。 |
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養老孟司やリリー・フランキー、田口ランディといった執筆陣のなか、ひときわ異彩を放っているのがこの『正しい保健体育』だ。みうらじゅんの十八番であるエロ知識が、これでもかという位におもしろおかしく披露され続ける。 その結果、コンセプトに反して、子どもにはとても読ませられない一冊に仕上がっているが、セックスに関するあれこれを乗り越えてきたオトナにとっては、「アハハ! 分かる分かる!」と噴き出してしまうエピソード満載の最高の一冊である。 男性諸氏は過去の自分を思い出して、女性諸氏は「男の子ってこんなのだったんだ…」と呆れながら、楽しく読めること請け合いです。 Q&Aコーナーもすこぶる面白い。たとえば… Q:先日、女子だけが体育館に集められて映画を見ていました。あれはいったい何を見ていたのでしょうか? A:だいたいゴダールの映画ですね。ジャン=リュック・ゴダールかミケランジェロ・アントニオーニがほとんどです。
文面の8割がたが冗談だけれども、残りの2割に、みうらじゅんが真摯に性と向き合ってきた末の「哲学」が込められているような気がします。 |
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根本敬の本を読むたびに、氏の持つセンサー&増幅器の凄さを思い知らされる。社会の裏側とか文化の暗黒面とかいう言葉では片付けきれない、人間のカルマとでも言うべき真理が、その不気味な輪郭をくっきりと現しはじめるのだから。 人類という異常発達した生命体は、すぐれた科学や芸術を生み出す一方で、得体の知れない暗黒の宇宙をも生み出すことになった。 「清濁併せ呑め」とよく言われる。 「清」のほうは世の中にあふれ返っているけれど、「濁」は隠蔽されたままでなかなか言語化されない。言語化されないモノは解決されないまま、人々の心の中で怪物として成長し続ける。 恋愛ドラマとか見たあとは是非、根本敬の著書でも読んでバランスを取っていただきたいと心から思う。
ちなみにアマゾンの書評によれば、「松尾スズキがイチローに読ませたい本として(本書を)挙げていた」とのこと。そうそう、そういう本ですこれは。 |
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なぜ安楽死が必要なのか? 安楽死するためにはどうすればいいのか? といった疑問に対して、感情論に流されない明確な理論と方法が提示される。 鶴見済の『完全自殺マニュアル』にも収録されていない実践的な安楽死の方法が、医師ならではの医学的見地にたって紹介されているのも心強い。 本来は人命を救うべき医師が故意に人命を終わらせるのは、たしかに自然の摂理に反するかもしれない。だが、自然界ならとっくに死んでいるはずの老人を(本人の意思を無視して)延命装置で生き続けさせるのは、自然の摂理に反しないのか? 老人病棟では現在、膨大な数の植物人間が、延命装置によってむりやり生き続けさせられている。彼らの医療費は一日に10万円以上かかる場合も多いらしい。医療保険制度が破綻するのも当たり前である。 安直な自殺は無理にでも止めるべきかもしれないが、十分に生きてきた老人が自らの意思で死にたいと思ったとき、それまでもが禁止されるのは道理に反している気がしてならない。 日本でも安楽死制度が認められることを願いつつ、紹介させていただきます。 |
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恥ずかしいながら告白すると、学生時代から漠然と「文章が上手になりたいなァ」と思っていた。それで地味ィに、こっそり日記を書いたり、三島由紀夫なんかの小説を書き写したりしていた。 しかしこの本を読んで、上述したような「練習」が甚だ非効率的な代物だったことを痛感させられた。楽器でいえば、コードすら教本で読まないまま、やみくもに弾き続けていたようなものだったというか。 たとえばテン(、)の打ち方ひとつにしてもそうだ。用法には一定の大原則が存在しており、これを知らないまま「なんとなく」「雰囲気で」使い続けたところで、いつまでたっても正しい文章は身につかない。 打つべきテン、打つべきでないテン。この違いさえ知っておけば後はカンタン。法則にのっとって用いれば、自ずと読みやすい文章が書けるようになる。 極端な話、文章の書きかたを学ぶには、この一冊で事足りるのではないか。中学の国語の教科書にすればいいのにとすら思う。 全国民にとって必読の書。この本さえ読めば、「恥ずかしくない文章」を書けるようになること間違いなしです。そして、世にあふれる文章の多くがいかにダメなものであるかがハッキリ見えるようになってくる。 読んでて内容が理解しにくい文章って、自分の読解力ではなく、書き手の文章力に問題がある場合のほうが多いんですよ。
…とか書いてるテメエの文章はどうなんだ? 読むたびに恥ずかしいぜ! とおっしゃる向きも多いでしょうけれど、それは言わない約束で。 |
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ぼくの大好きな久住昌之さん(&久住卓也さん)による、タマラナイ漫画本です。 主人公はヤンチャでドジで、でも実は小心者な小学生・新吉くん。そんな彼の「好奇心の塊」のような日常生活が、軽妙な筆致でテンポよく描かれる。 たとえば父親の電気シェーバーに興味津々の新吉くん、試しにこっそり使ってみたら、あまりの悪臭にノックダウンされてしまう。 はたまた女の人の「まんこ」がどうなってるの気になって仕方がない新吉くん、勝手な想像や心配ばかりして日々が過ぎていく。
読み終えるのが勿体ないくらい懐かしくておもしろくて、でも読み終わったら「いい本だったなァ」としみじみ思える、そんな一冊。オススメです!! |
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花輪和一の作品をちゃんと読んだのはこれが初めてだった。そして一読して、「こんな漫画を描ける人がいるのかァ…」と感嘆してしまった。 著者が銃刀法違反で逮捕され、三年間のムショ暮らしを強いられたときの暮らしを紹介しているのだが、その緻密さが尋常ではない。 刑務所での労働や食事はもちろん、衣服、入浴、用便、おやつに至るまで、暮らしっぷりが微に入り細にわたり、これでもかと再現される。この観察力はいったい何なのだろうと驚きながらも、なんだかワクワクしてくるんである。 偏執的なこだわり(たとえば食べ物への異常な執着とか)を味わうには最高の一冊かもしれません。 |
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少しでも早くオトナになりたかった高校生当時。口では「年上の女をヒィヒィ言わせたいぜ!」なんて言いながら、帰宅したら片思いのクラスメートへの詩を書いていたり。 …こんな「DT」(童貞)な間抜けで香ばしい魅力が、とことんユーモラスに描かれる。笑いながらも哀愁の中に爽やかな読後感の残る、魅力たっぷりの一冊。 「あまり早くDTを失うとつまらない大人になる」という、みうらじゅんの持論をひしひしと実感させられますな。不器用でヤボで損な生き方をしてるんだけど、これらがうまく醸造されると素晴らしい味わいになる。この本などはその親玉みたいなもんである。
本著の底本『ヤボテンとマシュマロ』を以前に読んでいても存分に楽しめました。かなりの原稿が追加されているのもあるけれど、面白いものは何度読んでも面白い!! |
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白夜書房の編集長をつとめるスウェイこと末井昭氏の、波乱に満ちたハチャメチャな半生が描かれた名著。 実母が隣家の息子とダイナマイトで心中したエピソードが冒頭から紹介される。全身バラバラになって吹き飛んだふたり。裏山の木の枝にぶらさがる飛び散った腸……。 こういう経験があれば、普通なら「心的外傷になった」だの「それを必死で乗り越えた」だのと感傷的な叙述を繰り返しそうなものだが、末井氏の文章は常にブレない。 ただただ飄々と書き綴られるその文面からは、ショックな出来事を抑圧するでもなく、脚色するでもなく、そのまま受け止めて観察する稀有な強さが伝わってくる。
物事の「本質」を見抜く本能的な力とは何か? その力が各方面でどう発揮されるのか? 本著を読めばその片鱗が垣間見られるような気がします。 |
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「〜教室」というタイトルに騙されてはいけません。文章教室の名を借りた、実験的コラムとでも言うべきすごい本です。 念のためもう一度書くと、実験的コラムとでも言うべきものすごい本です。あと一度だけしか書きませんが、実験的コラムとでも言うべきものすごい本です。 たとえば、感嘆詞による感動表現についてのレクチャー。
こんな調子で、「誇張」「比喩」「省略」といった種々の表現手法が、どんどんどんどんどんどんどんどんエスカレートしていく。たまりません。 そして気がつけば、ほんとに表現手法のイロハを学べているおまけ付き。オススメ!! |
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医学にまつわる都市伝説に鋭いメスを入れた一冊。 著者の坂木氏は現役精神科医であり、その芳醇な専門知識と徹底した科学的姿勢によって、都市伝説の数々の真偽が検証されていく。 死体洗いのアルバイトは本当にあるのか? 膣に入れた電球が割れて死亡した女子高生の噂はなぜ流布したのか? 美人はなぜ白血病で死ぬのか? 等々……。 この本を読めば、高尚な雑学がぐんとアップすること請け合いです。
ともすれば難解になりがちな専門知識をこれだけ平易な形で書ける著者こそ、真の意味でのインテレクチュアルなんでしょうな。 |
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宮沢章夫から松尾スズキに至る、シュール&不条理のトップランナーたちの原点とも言うべき別役実。 氏の著書を初めて読んだのが、この『日々の暮らし方』だった。これですっかり虜になってしまい、別役本ばかり読み漁る日々がそれから数ヶ月間続くことになった。 これだけ細部までクオリティの高い不条理な笑いを、これだけ分かりやすく書き砕くことのできる才能。 白状すると、ぼくがWebで日記を書き始めたのも、「別役実みたいな文章を書きたい!」という分不相応な動機からだった気がする。そして思い知らされた。こんなもん、素人に真似できるワケがない!! 別役ワールドに足を踏み入れるには最適の一冊だと思いますので是非。 |
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『春琴抄』や『卍』など耽美的な小説を多数輩出した谷崎潤一郎の手による、身辺雑記というか身辺随筆。 谷崎本の中では異色の文章という感じながら、さすがは耽美の巨匠である。日本文化に古来から伝わる「陰翳」の視点にたって、当時の日常生活が辛辣な切り口で評論される。 なかでも「厠のいろいろ」と題された、トイレにまつわるよもやま話は必読だ。あの文豪・谷崎が、「クソ」真面目な文体でトイレ批評しているのだから、面白くないわけがない。谷崎が思いを馳せる理想のトイレとは…。
全体としては、失われつつある日本の伝統文化を名残惜しむ内容なのだが、昭和8年の作品だというのに、今でも「そうそう!」と共感できるものが多いのがすごいです。 |
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養老孟司の随筆本がめっぽう好きだ。 解剖学という切り口にたちながら、言語や哲学、宗教、都市構造といったさまざまな社会現象の本質を鮮やかに浮かび上がらせる。そのときの見事な論理的整合性は、まさに名人芸と言いたくなる。 読むたびに、ああ強靭な頭脳! と思わずため息が出そうになるのだ。 ちなみにこの本は、「口」から「肛門」に至るまで、人体の臓器について分かりやすく解説された一冊。養老先生の本はどれもいいけれど(ただし『バカの壁』などの口述筆記系は密度が薄いので買うのがちょっと勿体ないと思う)、何となく「ちょうどいい」感じがしたのでこれを選んでみた。 書くべき内容を短い文章で簡潔に述べる。そこにさりげなくユーモアを織り込む。…こんな文体も健在である。 たとえば、こんな文章がさらりと書かれる。 先日エコーを撮ったら、脂肪肝だと言われた。もっとも、診察してくれた医者自身が、もっとひどい脂肪肝だったから、なにも気にする必要はない。要するに、食べ過ぎである。われわれの祖先は、まさかこれほど食物が豊かになるとは、まったく予想せずに暮らしてきたのである。おかげさまで、われわれの遺伝子は飢えには強いはずだが、飽食には弱い。 いやいや、感服です。 |
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決して大げさではなく、ぼくの人生観は、この本を読む前と後とで質的に変わった。その位すんごい本です。 地球上にはなぜ生命が誕生したのか? 人類なんていう高等動物はなぜ出現したのか? 我々は何のために生きているのか? …こういった、子どもの頃から持ち続けていた疑問が一挙に氷解した一冊。 いやまァ、言ってみりゃあ「進化論を分かりやすい切り口で解説した啓蒙書」なのだろうけれど、ドーキンス一流のアナロジーのおかげで、進化論(自然選択論)の本質がスーッと頭に入ってくる。 もちろん、この本の理論が絶対正しいわけでもないし、現に反論だってたくさん出てきている。しかし、独創的な仮説を提唱しつつも(竹内久美子なんかとは違って)「科学」に対する敬意を忘れない姿勢には好感が持てる。 それよりなにより、生きるのが楽になるといっても過言ではないくらい、自分の中でのパラダイムシフトが得られた著書ということで。 会う人会う人に薦めてはイヤがられてますが、ほんっとにいい本だと思うんです。 |
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「自己とは何か?」という問いに対して、ここまで明確に回答してくれた本は他にない。 自分って何なのだろう? というのもまた、子どもの頃からの素朴な疑問だったのだが、哲学だの心理学だのは遠回りだった。 自分か自分でないかの線引きは、免疫によって規定されていたんだ!!
こういうことを言うと、「じゃあ人間の心はどうだっていいわけ?」と目を三角にする御仁がたまにいる。もちろん心の問題を軽視していいわけではない。これは全く次元の異なる話であるから、比べることがそもそも間違っていると思う。 本著に書かれていた印象に残フレーズを最後にひとつ。 「女性は存在であり、男性は現象である」 …確かにそんな気がしますわ。 |
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「冷蔵庫まで足を運んでいるとき家族に声をかけられたせいで、一体なにを取りに行こうとしてたのか忘れてしまう」という日常の些細なひとコマを、99通りのスタイルで描き分けたコミック作品。 それぞれ画風も違えば設定も異なる。「冷蔵庫の視点」「宗教勧誘パンフレット」「スーパーヒーロー」「アナグラム」……こうやってスタイル名を列挙しただけでも、その楽しさの一端がお分かりいただけるだろうか。 原案となった著書は、若かりし頃の中島らももかぶれていたレーモン・クノーの『文体練習』である。この本も滅法面白いけれど、なにしろ文字ばかりなので、活字に馴染みのない人には少々とっつきにくい感があった。
しかしこの『コミック
文体練習』は、些細な日常のひとコマを99通りものスタイルで描き分けることの「意味を突き抜けた馬鹿馬鹿しさ」、そして「途方もない発想転換の驚き」が、理屈ではなくダイレクトに脳みそへと入ってくる。 |