2004年4月のプチ日記

4月30日(金曜) 夜

 本日のトイレの落書き。

 確かにくさいトイレだったけれど、だったら落書きなどしてないで、さっさとトイレから立ち去りよし。

−−−

 全然関係ないが、職場でいろんな上司にお願い書きをすることになった。

 「添付書類に記入のうえ明日までに提出してほしい」という内容なのだが、ここでハタと困ってしまったわけです。

 客観的に見てもかなり面倒な書類なので、ぞんざいにお願いするのは気がひける。かといって「非常にお手数でありますが〜」なんて書けば、かえって上司がその面倒さに気づいてしまうかもしれない。

 「あ、ホントだ。これって面倒だよなあー」「お手数なことを頼むなんて失礼なヤツだ」なんてって、寝てる子を起こす結果になってしまっては元も子もないではないか。

 …と逡巡した挙句、文面はこのように決定したのでした。

明日までに添付書類を提出していただくことになっていますのでお願いします/名倉

 これなら上司も、余計なことを考えることなく、「そうなのかー」と淡々とこなしてくれそうじゃないか。

 無礼なほうが失礼にならないこともあると思うんですが、ぼくはなにか間違ってますでしょうか。

 

4月29日(木曜) 深夜

 知り合い数人とファミレスで外食。

 すいていて周りに誰も座っていないのにワキガの臭いが漂っていた。

 おかしいなと思って「なんかこの店、ワキガくさくないですか?」とみんなに訊いてみたら、「バカッ!」と静かに叱られてしまった。ふと後ろを振り返ると、ウェイトレスが早足で歩き去っていた。

 ウェイトレスさん、すみません。

−−−

 ところでぼくは、話をするとき、身振り手振りを多用する傾向がある。

 どもりなので言葉がつまりやすいこともあり、動作で会話を補うくせがいつの間にかついたのだ。

 だからたとえばレストランでも、「ぞうきん貸してください」と頼むときはテーブルを拭く身振りを交えながら言うし、「お水ください」と注文するときはコップを飲み干す手振りを交えながら言う。無意識のうちに、気がつけばやっているという感じである。

 それはいいのだが、今日はこれが裏目に出てしまった。ファミレスで「ちょっとトイレ行ってきますわ」とみんなに言ったとき、ついつい手で「チンコを上下に振る」動作をしてしまったんである。食事中の突然の出来事に、ただ唖然とする知人たち。

 「トイレに行く」というのは確かに、「放尿した末にチンコを振って水切りする」行為なのだけれども。

 ノンバーバルコミュニケーションは時として、言葉が持つオブラートを剥ぎとってしまうので要注意であります。

 

4月28日(水曜) 夜

 この時期になると毎年放映される尾崎豊の追悼番組。

 学生時代はさんざん楽しませていただいたものだった。ステージ上を一人でピョコピョコ飛び跳ねては「ウッオーッ!」と絶叫する尾崎豊。当初は「なんじゃこりゃ」「えらいモンがおるなァ」と唖然としたものだったが、気がつけば、彼のライブビデオは酒の席の必需品になっていた。

 ところで尾崎豊のヒット曲のひとつに「17歳の地図」というのがある。ただ個人的には、17歳だけに限定するのはどうだろうという気がする。共鳴できる年齢層をもう少しだけ増やしたほうが、より幅広い若者たちに受け入れられたのではあるまいか。

 尾崎豊「16〜18歳の地図」

 とにかくメシと尾崎豊のとりあわせは要注意ですな。安岡力也のロックンロールと同じく、思わず噴き出してしまう危険大。

 偉大な人を失ったものだなァ、と毎年ションボリとしております。

 

4月27日(火曜) 夜

 先日、東京の某駅前で見かけたコインロッカーです。

 でかいミッキーマウスの風船がふわふわ揺れていたので何かと思えば、ロッカーから浮いて風にそよいでいたのでした。でもこういうのってアリなんでしょうか。

 きっと地方のカップルなんかがディズニーランドで浮かれて、後先考えず買ってしまったのだろう。で、「せっかくだから六本木とか恵比寿とかいろいろ巡ろうよー」となったときにふと、デカいミッキー風船を連れて歩く恥ずかしさに気づいたのではないか。

「あ、でもコレどうすんだよ?」
「ほんとだ…。このまま六本木ヒルズとか行くの恥ずかしいね」
「飛ばしちゃおうか」
「ダメよ、かわいそうじゃない!」
「ウ、ウソだよウソ! じゃあさ、とりあえず泊まるとこ探そうよ」
「えー、まだ午前10時じゃない」
「ねえー、いいじゃんいいじゃん。とりあえず部屋入ろうよ」
「そんなだったらアタシ帰る」
「あー、あうあう。だからウソだってば」
「じゃあ風船どうすんのよ!?」
「お前のほうが買おうって言ったんだろ」
「言ってないわよ! アンタがニヤニヤしながら、買おっかーとか言ってきたんでしょ!」
「言ってねえよバカ!」
「もうアタシ帰る」
「いや、だからウソだって!!」
「ウソって何がよ!?」
「あーもう、分かったよ! 駅前のロッカーに入れようよ!!」

 そうしてカッカしながらロッカーに行き、いざ入れようとしたらブツがちっとも入らないのだ。

「あー、これ入らないや」
「ロッカーに入れりゃいいって言ったの誰よ!?」
「もうどっか捨てちゃおうよォ。それかオレ、持って歩いてもいいしさァ」
「一緒に歩くアタシが恥ずかしいわよ!」
「じゃあ駅員さんにあずかってもらおう!」
「あずかってくれるワケないでしょ」
「だったらどこかホテル入ろうって」
「あーもう、私ほんと帰るわ!」
「い、いや、あ、ほら、こうすりゃいいだよ!! ほうら、ここに結わえてドア閉めるんだ」
「……」

 こうしてカップルは無事、デートを続けることができましたとさ。背後にはふわふわと風に揺られるミッキー風船。

 …なんて妄想を数秒のうちに膨らませてしまった小生のほうが変態でしょうか。

 

4月26日(月曜) 夜

 東京2泊3日の旅から帰還。いろんな人と打ち合わせとかしてきました。

 敬愛するサイト運営者のSさんとSさん(イニシャルにすると同じになって間抜けだが仕方ない)にお会いできたのも非常に楽しかったです。楽しさと緊張とがあいまって、すっかり浮かれて飲みすぎてしまいました。

 酔いつぶれてワケ分からなくなってるぼくを介抱しながら宿まで送り届けてくださったSさんとSさん、本当にありがとうございました。放っておかれてたら今ごろ、東京の路上で身ぐるみはがされて死んでいたかもしれません。

 ところで飲み会の席では、みんなそれぞれ中学高校時代に「いろいろあった」てな話になったわけですが。

 ぼくも高校に入った頃、不良グループの生徒にパシリをさせられていた時期がある。腕力も気も弱いのをあっさり見抜かれてしまったのだろう。「おい名倉、ちょっとジュース買ってきてほしいんやけどなァ」「ついでにオレも菓子パン頼むわ」なんてって使わされる日々。

 もちろんぼくにもなけなしのプライドはある。だが歯向かったところで勝ち目はない。するとどうなるかというと、なんとか自分が傷つかないよう精一杯の「合理化」に邁進することになる。たとえばこんな風にだ。

相手:「おい名倉、ちょっとジュース買ってきてくれへんか?」
ぼく:「ぼ、ぼくもちょうど売店行こうと思ってたとこやから丁度ええわ。行ってくる行ってくる」

相手:「体育館のロッカーからオレのジャージ取ってきてほしいんやけどなァ」
ぼく:「え…。ああ、体育館な。うん、ついでに自分のも取ってくるしええよ。まめに洗濯せんとアカンな。アハハ…」

相手:「パン買ってきてくれや。オレいま金ないから、おまえ出しといてくれ」
ぼく:「う、うん。ぼく、いま小銭たくさんあるから丁度ええわ。出しとく出しとく」

 いま思えば、なにがどう「小銭たくさんあるから丁度ええ」のか皆目分からないが、当時はこうするより仕方がなかったんである。「これはあくまで自分の用事のついでだからね!」と自他にアピールすることによって、なんとか瓦解せずに取り繕っているプライド。周りの誰が見てもパシらされてるのは明らかなのに。

 そして授業中、教室に紛れ込んできたカメムシに「不良グループのA君のとこに飛んでいけ!」と念を送り続けたりしていた高校時代。ハチなどが飛んで来ようものなら、それこそ鬼気迫る形相で「A君を刺すのや!」と念じていたものだった。

 おかげで今でも自己欺瞞だけはけっこう得意である。彼らに感謝すべきなのかもしれない。しないけど。

−−−

 『1億人のプチ狂気』が書店に並び始めています。

 嬉しいので、本を紹介するページを作ってみました。よければご覧いただければ幸いです。

 そしてよければ、ひとつ買ってやってください。皆様のお力添えをどうか…。

 

4月25日(日曜) 昼

 用あって東京に来ております。新宿のまんが喫茶より更新。

 大阪・梅田に紀伊国屋書店という本屋がある。こちらに来てから紀伊国屋書店で調べたいものがあったのだが、東京のことはよく分からない。そこで東京在住の友人に電話して訊いてみたわけです。

 「東京にも紀伊国屋書店ってどこかにあるかねえ?」

 そしたら失笑されてしまいました。紀伊国屋ってもともと東京にあった店だったのか。これじゃあまるで、「イセタンって日本にもあるの?」と言ってるようなものではないか。

 わざわざ東京に来てまで馬鹿をさらしたところで、このへんにて失礼します。なんか忙しいのう。

 

4月23日(金曜) 夜

 河原町五条に「ザ・めしや24」という定食屋チェーンがある。

 安いのでときどき利用するのだが、今日行ってみたら、隣のテナントに「めしや丼」(同じく定食屋チェーン)がオープンしていたので驚いた。こんなによく似た店が隣り合った場所に新規オープンしていいんだろうか。共倒れになってしまうのではないか。

 …と他人事ながら心配して友人に電話で報告してみたところ。

 「え? 『めしや24』と『めしや丼』って客層が違うから別にいいじゃないの!?」

 友人が言うには、前者は定食が550円であるけれど、後者は丼セットで600円もするから高級さが違うのだと。「まァオレも、金が余ってるとき以外は『めしや丼』には入らないだろうね」。

 ひょっとしてぼくは、知らない間に上流階級の仲間入りをしていたのかもしれません。

 とかいって、今日もさんざん迷った末、「めしや24」に入ったんだけど。野菜いため定食550円、うまーい。

 

4月22日(木曜) 夜

 ストレスで調子を崩して心療内科に通っている友人がいる。

 先日、ひとりで夜遅くまで酒を飲んでいたとき、「元気にしてるのかなァ」とふと思って電話してみた。すると眠そうな声で、「休職してるとどうしても生活リズムが昼夜逆転してしまってねえ。今は寝てたんだけど…」との返答。

 そこでついつい、「調子悪いときこそ、早寝早起きを心がけなきゃダメだよ!」と説教してしまったわけでありますが。

 よく考えたら、深夜の3時に電話かけてるぼくが言えるセリフじゃなかったなァと赤面。本物のバカです。

−−−

 全然関係ないが、同僚のSさんという女性が最近結婚した。

 彼女の左手を見てみたら、ちゃんと結婚指輪がはめられていた。さらに、手首には新しい時計が輝いていた。

  ぼく:「この時計も結婚記念なの?」
 Sさん:「違いますよ。ただ結婚を機に買い換えただけ」
  ぼく:「でもそれって結婚記念になるんじゃないの?」
 Sさん:「そんなこと言ったら、なんだって結婚記念になりますよ」

  ぐっ、確かにその通りである。二人で新たに暮らし始めるわけだから、結婚にともなって買い足すものはいろいろあるに違いない。

 でも、ある意味「結婚記念」には違いないんじゃないか。

 Sさんも将来、子どもができたら是非語り伝えてほしい。「このスリッパは私たちの結婚記念に買ったものなのよ」。

 お子さんはきっと「ウチはかわいそうな家庭なんだ…」と感じ取って、謙虚な人間に育ってくれると思いますよ。

 

4月21日(水曜) 夜

 帰宅したら、注文したおぼえのない本が届いていてビックリ。

 『1億人のプチ狂気』の製本が完成したというので、出版社から見本が送られてきたんであります。

表表紙

裏表紙

 現物を手にすると嬉しさもひとしおです(スキャナがないのでデジカメ撮影。ショボさが口惜しい)。

 イラストはぼくが敬愛するイラストレータ、ささこ氏に描いてもらいました。とてつもなくいい感じで文句ナシです。頼んでよかったー。ちなみに裏表紙の「エロいことを妄想してる男」はぼくがモデルなのだそうで(ささこ氏談)。似てるだけに腹立たしい。

 友人に愚痴ってみたところ、「でも実物よりハンサムに描いてくれてるからよかったじゃん」。ますます腹が立つ。

 帯コピーにはなんと、あの大槻ケンヂ氏が紹介文を書いてくださいました。豪華です。こんな無名の編著者のために書いてくださって、ありがたいというか申し訳ないというか。まったく嬉しい限りです。

 自分で言うのもナンですが、内容のほうも、三千通の投稿から三百通を厳選しただけあって負けずに楽しいです。読み返してると思わず生温かい笑みがこぼれます。心底どうでもいい素敵な「時代の標本」だなあとしみじみ。

 …投稿は自分で書いた文章じゃないので、遠慮なく褒められるのがいいところですな。いやいや、今回の本はホント、みなさまのお陰で出せたものです。陳腐な謙遜ではなく、心からそのように思っております。

 「まえがき」だけはぼくが書いたので、どうしようもない駄文ということでひとつ。

 今週末(4月24日〜25日)には書店に並ぶ予定です。見かけたら、どうか買ってやってくださると嬉しいです。

 完成祝いに発泡酒飲んで寝ることにします。こんなことなら奮発してビール買っておけばよかった。

 

4月20日(火曜) 深夜

 平日なのに飲みに行ってました。

 酔った状態というのは文章を書くのに向いていないとは分かりつつ。

 ぼくはベージュのズボンが好きで、気がつけば10本少々を購入しているわけですが。

 

 本日、同僚から「名倉さんってズボン、2本くらいしか持ってないですよね」と言われて大いにショックを受けた次第でありまして。自分ではいろいろと、カラーバリエーションをつけて買っていたつもりだったのだが…。

 よってるので、本日の日記はこれだけです。日記なんてものはしょせん、こんなものです。

 だんだん、変換さえもめんどうになるような。はい。

 

4月19日(月曜) 夜

 いまさらながら、携帯電話ってホントに便利ですな。

 先日も旧友から久しぶりに電話がかかってきて長電話していたわけですが。

 話を聞いてると、最近ストレスが原因で調子をくずして心療内科に通っているとのこと。おお、そんなことになっていたとは。ここはひとつ、ちゃんと話を聞いてやることにしよう。

 …と本腰を入れた矢先、間の悪いことに激しい尿意を催したのでした。ううむ、こんな大切な話をしているときに「ちょっとオシッコしてくるわ!」なんつって中断するのはどうも気がひける。かといって、尿意に耐えながらでは大切な話を上の空でしか聞けない。

 しかしさすがは携帯電話である。そのままトイレに移動し、そろりとズボンをずらして便座に腰かけ、音がしないようチョロチョロと優しく放尿。音がしそうになったら、大きな声で「えっ? 電波が悪くてよく聞こえなかった!」とか言ってごまかして。

 おかげで話はつつがなく傾聴することができました。そうかァ、そんなことがあったのかァ…。つらかったんやねえ…。そりゃ誰だってしんどくなるよ…。などなど相手の話をかみしめながら。

 チョロチョロと優しく放尿しながら。

 丁寧に悩みを聞いた甲斐あって、相手も多少落ち着いたようだった。 ぼくはなにか間違ってるでしょうか。

 

4月18日(日曜) 夜

 自転車のタイヤの空気が減ってきたので、実家の近くにある自転車屋「Sサイクル」に行ってきた。

 これまでの人生、自転車はずっとSサイクルで購入してきた。老夫婦がこじんまりと経営している寂れた店である。

 思い返せば小学生のころ、最初に買ってもらったのは「宇宙戦艦ヤマト」の自転車だった。黒塗りのボディにヤマトの模様が描いてあり、ハンドルの中央には波動砲が装備されていた。ボタンを押すとランプが光って「ドォーン!」と音が鳴るのだ。

 よくもまァこんな代物に乗っていたものだが、当時は嬉しくて発射しまくっていたのだから世話はない。進路をはばむ通行人や車には片っ端から波動砲を浴びせるのだ。効果のほどはどうだったかよく憶えていないが、現在のぼくがあの自転車に乗って波動砲を使えば、前方の人も車もきっとモーゼの海のように開けることだろう。

 さすがは恐るべし波動砲である。

−−−

 というわけで本日は、このような自転車屋まで足を延ばしてきたわけであります。愛車のマウンテンバイクをこいでこいで。

 空気を入れるためだけに、わざわざ遠く離れたSサイクルまで行くには理由がある。子どもの頃から主人のオヤジさんと顔なじみなので、料金をいろいろサービスしてくれるんである。

 たとえばチェーンに油を注すと千五百円くらい手数料がかかるのだが、この店ではそれを全てタダにしてくれる。これが嬉しくて、空気を入れるついでに油を注してもらったりしているのだ。

 ただ、オヤジさんは親切で気前がいいのだが、奥さんのほうはケチで商魂たくましい。するとどうなるかというと、オヤジさんが注油作業をタダにしたりすると奥さんから叱られる。「ちゃんと料金もらわなきゃダメよ」「いつも私が悪者になるんだから!」。

 このようなことがあり、ぼくが高校にあがる頃になると、オヤジさんが工夫をこらしてくれるようになった。「タイヤに空気入れるのも、チェーンに油を注すのも自分でやるんやで」「ほら、そこに道具あるから勝手に使っとくれ」と。こうすれば堂々と、手数料を徴収せずに済むというわけである。

 ここで問題なのは、チェーンに油を注すのが結構難しいということ。マウンテンバイクはギヤやディーラーにも注油するのだが、これにはちょっとだけテクニックが必要となる。下手にリム(車輪)などに油をかけてしまうと、ブレーキが効かなくなったりするから危ないのだ。

 なのでオヤジさんも、油を注すときは手伝ってくれる。ただ、自ら作業すると、奥さんから「手数料もらってよ!」と叱られる。

 そこでオヤジさんは、「ワシが手本を見せるからその通りにやるんやで!」と言って実演してくれるようになった。でもぼくはモノ覚えが悪いうえに不器用なので、いくら言われてもうまくできない。それで結局、「これは手本やからな!」と何度も口にしながら最後までやってくださるのだった。

 で、「最後くらいは自分でやってみィ」と言われるがまま、とってつけたようにチョロっと油を垂らして作業完了。…というのがいつものパターンとなり、この風習が現在に至るまでずっと続いている。

 当然のように今日もまったく同じだった。「これは手本やからな」で始まり「最後は自分でやってみィ」で終わる。

 実は毎回、この儀式が愉しみで、遠く離れたSサイクルまで通っているような気がします。

 

4月17日(土曜) 深夜  

 たまには趣向を変えて、紙芝居コラムっぽく書いてみます(画像が多いですがご了承ください)。



視覚障害者用の点字誘導ブロックをよく見かけるだろう。

目の見えない人が道路や駅ホームを歩くとき、このブロックが非常に大切な役割を果たす。この先どう進めばいいのか、前方に危険な箇所がないか等々、ブロックからの情報を頼りに足を進めるのである。

座頭市が今の世にいたら、彼だってありがたく使っていたに違いない。

 



ちなみに点字ブロックには二種類ある。

ひとつは突起が直線状になっているもので、これは「ススメ」を意味する。このまま進んでも大丈夫ですよという情報となる。

もうひとつは突起が点状になっており、これは「トマレ」を意味する。この先には道路や階段など危険なポイントがあるので、いったん立ち止まったほうがいいですよという合図になる。

 



しかし、街を歩いていると、どうかと思う点字ブロックによく出会う。

たとえばこれはどうだ。道行く視覚障害者はきっと、「漁師さんのラーメン」に入ってしまうのではないか。なにしろ「ススメ」の情報なんである。

そして店に入ってからようやく気づくのだ。「なんで漁師がラーメン作ってんだよ!?」「こんな店で食いたかねえよ!」

 



これもちょっとどうだろう。

どうやら民家のようだが、そのまま吸い込まれてお邪魔してしまったらかなり気まずいことになるんではないか。

この家の住人が視覚障害者だという可能性もあるが、自宅の前がどうなってるかなんてブロックなどなくても分かるだろう。

ひょっとすると新手の「連れ込みナンパ」かもしれません。

 



そして極めつけがこれである。菓子屋のタカラブネ。

ずうーっと「ススメ」のブロックを歩いていくと、そのまま売り場に誘導されてしまうのだ。「いらっしゃいませー!」。気がつけば、ワケが分からないうちにケーキを買わされている視覚障害者たち。

ただ、帰途も「ススメ」ブロックがあるので非常に安全である。きっと無事に帰宅してタカラブネのケーキを召し上がることだろう。

 もしぼくが視力を失ったら、街を散策するたびにいろんなところに闖入してしまいそうである。食いたくもないラーメン屋に入ったり、民家にお邪魔してしまったり、挙句の果てには延々と歩いたすえケーキを買うはめになったり……。

−−−

 というわけで、今回言いたかったのは、「点字ブロックの上に自転車を駐めたりするのはやめましょう」ということでした(無理やり良識派になってみる)。

 タカラブネの前の点字ブロックには駐輪してもいいと思うんですけどね。

 

4月16日(金曜) 夜

 ぼそぼそと自宅で飲酒。90円で購入した発泡酒を何本も。

 あまりに寂しいので、生ワカメをつまみにして飲んでおります。

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 ところで今日、職場で雑談していたら浴槽の話題になった。

ぼく:「ところで浴槽って、どのくらいの頻度で洗ってます?」
A氏:「そんなの毎日だよ。風呂から上がったらそのつど洗う」
ぼく:「そりゃあ変すよ」
B氏:「えっ!? 名倉さん、毎日洗わないの?」
ぼく:「洗うわけないでしょ。半月にいっぺんくらいかなァ」
A氏:「汚ねー。信じれないね」
ぼく:「じゃあ毎日、バスマジックリンしろって言うんですか? 地球環境キラーですよそれは」
B氏:「いやマジックリンするのは週末のみだけど、浴槽洗うのは毎日だろ」
A氏:「そうそう、お湯を抜きながらスポンジでこすると汚れがよく落ちるんだよ」

 そうだったのか。浴槽は毎日洗うべきものだったのか。

 かなり面倒くさいが、みんなからの教示は大切にしなければならない。

 今後は風呂に入らないことにしよう。シャワーだけで十分である。

 

4月15日(木曜) 夜

 ここのところ晴天続きなので、まめに布団を干している。

 ただ、平日は朝から夕方まで仕事があるから、家を出るときに布団をベランダに出し、帰宅してから取りこむことになる。

 途中で夕立ちでも降ろうものなら大惨事になるが、いろんな天気予報を見まくって情報収集したうえで、当日の直感で「今日はイケる!」と判断した日のみを選んでいるので、今まで雨に降られたことはない。さしずめ「布団の山師」である。エッヘン。

 …てなことを同僚に自慢していたところ、先輩たちから思わぬ反撃をくらってしまったのでした。

 「布団は午前10時〜午後2時の間だけ干すのがいいの。夕方まで干したら湿気を吸うから余計にダメよ!」

 「夕方になっても布団が干してあるなんて防犯上もよくないわ。不在をアピールしてるようなものよ!」

 ぐっ、そうだったのか。

 湿気を吸うことに関しては実際あまり気にならないのでまあいい(いずれにしてもベランダ全開で家を出てるんだから、室内に布団を入れてたって同じことだろう)。ただ、防犯上のことまではまったく思い至らなかった。ここはひとつ、何らかの対策を講じるべきかもしれない。

 そこまでして干したいのか!? と問われたら、「そうだとも!」と答えたい。太陽のにおいのする布団がなくなったら、ぼくはいったい何を楽しみにして生きていけばいいというのか。

 関係ないけど、ウチの向かいにある家ではよく、2〜3日間布団が干しっぱなしになってます。豪快というか何というか。

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 さて、隔週木曜日の Go smoking 連載コラムが更新されてます。

 今回のタイトルは「タバコのキメかた」。人々から隠れるようにして喫煙するのが当たり前になりつつある昨今、これとは逆に、みんながいるときしかタバコを吸わないというポリシーを貫いていた友人について書いてみました。

 よろしければご覧くださると嬉しいです。

 

4月14日(水曜) 夜

 職場の会議で配られた資料に、まさかと思う誤字があったのでビックリした。

 社内文書なので公開できないのが残念だが、次のような文面である。

○○の件については、決まり次第、各部署の担当者にファックしてくださいますようお願いいたします。

 「ファックス」が「ファック」になっているのだ。当然のように一部からクスクスと忍び笑いが起こったが、資料を説明している上司はワケが分からずただポカーンと。

 「ありそうだけどなさそう」と思っていたものが現実になったときの衝撃は非常に大きいことを実感しました。

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 帰宅途中、四条河原町を歩いていたら、ビラ配りの大群に出くわした。

 両手がデパートの袋とカバンでふさがっているのに、次々とビラを渡されるのだ。

「イラクの人質問題についてのご理解をよろしくお願いしまーす!」
「人質解放のため、自衛隊撤退へのご署名をお願いしまーす!」
「3人の命を救ってくださーい!」

 で、うっとうしいなァと思いつつもヘコヘコ会釈しながら歩いていたところ。

「英会話のジオスでーす。よろしくお願いしまーす!」

 人質問題についてビラ配りしてる人たちの最後尾で、英会話スクールのビラを配るはめになった彼らの心中は、いったいどんなものだったろう。きっと時間が二倍くらい長く感じられたんではなかろうか。

 なんだか可哀想だったので、最後の英会話のビラだけは受け取ってしまいました。ひょっとして人情派ですかぼくは。

 

4月13日(火曜) 夜

 肩の痛みを訴えていた50歳代半ばの上司(男性)が先日、痛みに耐えかねて医者に行ってきたらしい。

 「そしたら四十肩だって診断されちゃってねえ。ワシも50代にしてはまだまだ若いってことかな。ガハハ」

 …それってただ、体のガタが肩にきてるだけじゃないのか。

 何ごともポジティブに受け取る人は、個人的にはちょっと苦手かもしれません。

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 関係ないが、ここのところ職場が暑くてかなわない。

 まだクーラーが動いていないくせに人口密度が高いので、どうしても熱気がこもってしまうのだ。

 小学生時代ならこういうとき、「下敷き」をうちわ代わりにして涼めたのになァとふと思う(もちろん今は持っていない。下敷きを持っている社会人というのもちょっとまずいだろう)。仕方なくCD−ROMであおいでみたるが、もちろんちっとも涼しくない。

 それにしても下敷きは便利だった。友達同士でジャンケンして、「負けたほうが30回あおぐ」てなルールで勝負したり。で、負けてみると悔しいので、自分のほうにも風がくるようにズルしてみたり。

 なかには下敷きで女子生徒のスカートをあおいで、なんとかパンツを見ようと試みる猛者もいた。いま同じことをやったら、痴漢犯罪界に新たな旋風を巻き起こしてしまうことだろう。小学校は軽犯罪のグレートマザーである。

 そういや、下敷きをこすった静電気でスカートを「吊り上げよう」としていた輩もいたのを思い出す。「手さえ使わなければいい」という男子生徒の身勝手なルールは、このような形でよく分からない進化をとげていったのでした。

 手鏡で女子高生のパンツをのぞいた某早大教員のカバンには、やはり下敷きも入っていたんだろうか。

 

4月12日(月曜) 夜

 AI(人工知能)の研究がすすんでいるらしい。

 いままでは機械的な作業をこなすロボットが主流であったが、今後はもっと「人間的」なメカニズムを備えたロボットが開発されるだろうト。たとえば人間の脳のニューロン構造を模した学習プログラムを組み込むことによって、より人間に近づくことができるのだという。

 そして研究者は胸を張って語る。「脳の機能を再現するのが目標です」

 でもこれってどうなんだろう。最先端の科学技術と巨額の研究費を投じて、完成するのが「脳の機能」。これだったら地球上に何十億個もあるじゃないか。

 長年の研究のすえ、ぼくのような人間がひとつ誕生するだけかもしれないではないか。誕生して30年経っても、インターネット上でウンコとかチンコとか書くしか能が無い人工知能が生まれたら、それは果たして科学の成功なのか。

 もちろん、仕事など大嫌いでサボることしか考えないロボットである。危険な場所に行って作業するなどもってのほか。おまけに酒ばかり飲んで、挙句の果てにニューロンをダメにしてしまう。

 長年の研究の末、こういうロボットができるのもまた一興かもしれませんが。

 

4月11日(日曜) 深夜

 近所にある「江口商店」を通るたびに、「エロ商店」と見間違えてドキッとする自分に改めて幻滅。

 そういや小学生のころ、クラスメートの江口さんの名前が黒板に書かれるたびに、こっそり「さんずい偏」を消していたのを思い出した。ついには問題となって学級会で取り上げられてしまったが、それでもぼくは最後まで名乗り出なかった。

 江口さん、担任の先生。あのときは本当にごめんなさい。

 それにしても、「江口さんのさんずい偏を消してるのは誰!?」が議題になっていた当時。しょせんは小学生だ。

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 今日中にやっつけないといけない仕事があった。

 おかげで丸一日、逃避的にゴロゴロしたり寝たりして過ごしてしまった。仕事があると、「何もしてない時間」がものすごく甘美なものに感じられるのだ。ああ、この世の中にこんな楽しいことがあるなんて! 何もしない!!

 ちなみにその後、なにひとつ仕事に手をつけないまま深夜になってしまいました。もう寝るしかないか。

 ぼくにとって、仕事は最良の睡眠薬であります。

 

4月9日(金曜) 夜

 職場でデスクワークに励んでいたら、先輩が突然言ったのでした。

 「ん? なんかこの部屋、ドブのニオイしないか?」

 ぼくは咄嗟に自分の体を嗅いでしまったのだが、そしたら同僚からクスクス笑われてしまった。

 連続殺人というのはこういう時に起きるのかなァ、とちょっとだけ思いました。

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 気をとりなおして、我が家のテレビジョンであります。

 狭い部屋に住んでいるぼくにとって、テレビの上は貴重なスペースである。「使用済み洗濯物」を置くためのスペースとして、そのポテンシャルを存分に発揮している。ああ便利だ。私はテレビが好きだ! と言いたい。

 おかげでご覧のように、テレビの上にはパンツやら靴下やらが山積している。靴下の一部などがディスプレイ部分に侵入することもあるが、わざわざ除けるのも面倒なので、たいていはそのままテレビジョン観賞へとなだれ込むわけです。

 ただ困るのは、サスペンス系や名画系の映画を観ているときである。ビデオで『ユージュアル・サスペクツ』を観てハラハラしていても、あるいは『レナードの朝』など観てしんみりしていても、気がつけば靴下が画面にビローンと垂れ下がっているのだ。

 瞬時にして盛り下がるスリル、興奮、そして感動。 あわてて靴下を払いのけるも、時すでに遅しである。

 だってそうだろう。たとえば劇団四季のステージに意味なく靴下が干してあったら、果たして素直に感動できるだろうか(…とか、劇団四季なんて興味ないくせに書いてみる)。

 ちなみに『マトリックス』シリーズは、靴下を払いのける必要すらなかったのでよかったです。ユーザーのコンフォータビリティーを追求した最高の映画と言えるのかもしれません。ポクポク。

 

4月8日(木曜) 深夜

 おい、しょうもない見栄をやるのはそろそろやめようぜ。

 ほんとは大学に入ってから読み始めた三島由紀夫を、「高校のとき読んで感銘を受けた」とか言うのは。なんだよ、この数年の見栄は。おまけに実は、そんなに感銘も受けなかったくせに。

 …ええと、自分への言葉です。

−−−

 さて、お花見シーズンまっさかりな京都でありますが。

 桜の花に対する意見が人それぞれでおもしろい。

「やっぱり桜の花はいいもんだねえ」

「花は散るからなんだか寂しくなる」

「花は散るからこそ美しいんだよ。花に嵐のたとえもあるさ、ってね」

 続いて同僚のFさんは、

「散ると掃除がタイヘンやから桜は苦手やわ」

 楽しい意見に出会えた喜びを今、じっくりと味わっております。 これだから桜はいい。

 

4月7日(水曜) 深夜

 会社から帰宅して自宅に入ろうとしたら、カギが開かなかった。

 いくら試しても開かない。違うカギを挿してしまったのかと思って確認してみるも、ちゃんと自宅のカギを使っている。うわー、なんだなんだ!?  このままぼくは自室に入れなくなってしまうのか? 

 あまりに不条理な展開にうろたえながらもドアノブをガチャガチャやっていたところ、ドア越しに人が近づいてくる気配を感じた。そして「のぞき窓」が暗転した。外からなのでちゃんとは見えないが、部屋の中の人物がこちらをのぞいているのだ。ぬわっ、さては泥棒か!?

 とっさに身を引き、ふと部屋番号を見てみたら全ての原因が判明した。ぼくは違う部屋を開けようとしていたのだった。自室はアパートの5階なのだが、4階の同じ位置にある部屋を自室と間違えていたのだ。ってことは、ドア越しの人物は階下の住人……。

 あわてて軽く会釈して、逃げるように退散してきたわけでありますが。

 相手はいったいどう思っただろう。

 「部屋のドアが開けようとされているので玄関外を確かめてみたら、男が会釈して立ち去っていった」

 こっちのほうがよほど不条理でありシュールである。日常の恐ろしさを垣間見たのではあるまいか。

 顔をモロに見られているぼくとしては、本日の一件で、はやく今のアパートを引っ越したくなってきた。…かと言うとそうでもなく、早く4階の住人が出て行ってくれないかなァ、と切望するようになりました。

 

4月6日(火曜) 夜

 職場で雑談していたらデビッド・ボウイの話題になった。略してデビボ(正式にはデヴィボか)。

 そこでぼくが「中学に入ったころよく聴いてましたねえ」と言ったら、周囲からお褒めの言葉をいただいた。「へえー。中学生でグラムロック聴いてたなんて、なかなか進んでたんだねー」と。

 このときはただ曖昧な笑みを浮かべてやり過ごしたが、当時デビッド・ボウイを聴き始めた経緯は次のようなものだった。

  1. 小学校の頃、親が教育ママだったので音楽など全く聴かせてもらえなかった。
  2. 中学に入って「このままではダメだ」と思った。
  3. でも音楽の知識が欠落しているので、何を聴いていいのやら分からない。
  4. そんな折、たまたま友人から『戦場のメリークリスマス』のビデオを借りた。
  5. 映画は今ひとつよく分からなかったが、とりあえず戦メリのサントラを聴いて日々を過ごすことにした。
  6. それ一枚だけだと飽きてきたので、次は主演のデビッド・ボウイのアルバムを適当にレンタルしてみた。
  7. 以降、「戦メリのサントラ」と「デビッド・ボウイのアルバム」を交互に聴く毎日が始まった。

 これが中学入学当時のぼくの音楽ライフだったのだ。当時流行していたBOOWYすら知らないのに、戦メリからの「孫引き」で聴き始めたデビッド・ボウイ。…書いてると我ながら涙が出てきそうだが、ボウイ本人もまさか、こんなださいガキが自分のアルバムを聴いているとは夢にも思ってなかっただろう。

 馬鹿の一つ覚えとは恐ろしいもので、気がつけば、ぼくのCDラジカセの横には彼のアルバムがほとんど揃っていた。それと戦メリのサントラと。 

 そうして中学生活も一年ほど経った頃、ようやくラジオやテレビで情報収集するという術を知り、小泉今日子や安全地帯といったメジャーな邦楽を聴き始めた。そうなるともはや、デビッド・ボウイのアルバムはほこりをかぶり始めた。

 再びデビッド・ボウイのアルバムを聴いたのは大学に入ってからのこと。何年かぶりに聴く曲たちはとても新鮮だった。全然違うかっこよさ、新しさがあるように感じた。しかし悲しいかな、中学生当時の「もっさりエピソード」の記憶がどうしても同時によみがえってくるのだった。

 大学時代に観た『ポンヌフの恋人』にはデビッド・ボウイの曲"Time Will Crawl "が使われていたが、このときも反射的に中学時代の自分がフラッシュバックして、非常にもっさりしたポンコツ気分になってしまったのでした。

 今回の日記をレオス・カラックス監督に捧げたいと思います。合掌。

 

4月5日(月曜) 深夜

 本日の動物園。

 あられもない、とはこういうのを言うんでしょうか。

 …ええと、本日は旧友と飲みに行ってて思考能力がないので、これで勘弁してください。

 これを見ているクマたちの一助になればと思います。動物たちにも優しい日記を目指しております。

 

4月4日(日曜) 夜

 本日のルーズファッション。

 京阪特急で大阪に向かう途中で乗ってきたオジサンであります。

 合皮のジャンパーはいたるところ破れて中綿が出てるし、ズボンも垢がこびりついて変色している。おまけにほんのり酸っぱい異臭があたりに漂っているありさま。ホームレスのかただろうか。

 かわいそうなのは向かいに座っていたお兄さんである(手前のジーンズの人)。酸っぱいにおいに耐えながら、ずっと向かいに座り続けておられたのだ。

 一部始終を観察していた限り、次のようなことだったと推察される。

  1. 当初は車内がそこそこ混んでいたのでホームレス氏が相席してきた。
  2. しばらくたつとガランゴロンに空いてきた。
  3. でも近くの席に座りなおすのも失礼だ。
  4. 仕方なく空いてる車内でホームレス氏と相席し続けるハメに。

 駅で降りるフリして別の車両に移るなりすればいいと傍目には思うが、切羽詰まって余裕がなくなると思考の柔軟性が失われてしまうのだろう。なので結局ずっと我慢し続けることに。

 ちなみにぼくは面白いのでずっとこの席に座ってました。向かいのお兄さんもさては同じだったか。

−−−

 少し間があきましたが、プチ狂気コーナー更新しました。

 トイレに本を持ち込まないと気がすまない人、洋式トイレの便座を降ろしたまま小用を足す殿方などなど、今回もいろいろいらっしゃいます。よろしければご覧ください。

 あとプチ狂気の出版、ようやくメドが立ちました。

 実は先日まで、「本文の一部(ネタ部分)をフォント強調するかしないか」で編集部のかたと激しく議論したりしていたので、遅れに遅れてしまいました(どちらがぼくの主張かは伏せますがご想像にお任せします)。結局、プレーンテキストで出すことに落ち着いて胸をなでおろしています。

 タイトルについては、収録する投稿が300個強なので、当初は「300人のプチ狂気」で行く予定だったんですが、なんかショボいなァということになり。で、総投稿数から「三千人のプチ狂気」にしようという話にもなったものの、どうせならもっと増やしちゃえ! ということで「1億人」と相成った次第であります。日本人の総数ってことで、どうか大目にみてやってください。

 著者名は恥ずかしいですが、自戒を込めてこれでいきます(どういう自戒かよく分かりませんが)。

 …ホントは実際に発売されたときに淡々とアナウンスするほうがかっこよさそうだけど、嬉しいので報告してみました。

 

4月3日(土曜) 夜

 昨夜は飲みに行ってたので更新できず。

 更新しない日があると、多忙な生活を過ごしてるみたいでカッコイイですな。

−−−

 グアム旅行から帰ってきた同僚がみやげをくれた(写真左)。

 どうということのないチリソースなのだが、裏面の「おすすめ使用法」(写真右)はこんなのだった。

・ヤマサの醤油2
・レモン1
・チリソース1
※お刺身やバーベQ、ケラゲニ(グアムの郷土料理らしい)などによく合います。

 醤油はヤマサでなくちゃいけないのか。キッコーマンではだめなのか。というか、この妙なこだわりは何なのだ!?

 いやまァ、グアムではヤマサが醤油を寡占してるってことなんだろうけれど。

 そういや去年タイ旅行に行ったときには、醤油といえばキッコーマンだった。レストランに入ると、ボーイが卓上の醤油を指差しては、「コレ、キッコマーン! ホントヨ!!」などと言っていたのを思い出す。キッコーマンの醤油を自慢されても困るが、現地では高級醤油の代表格なのだった。

 我が国の料亭などもこれに見習って自慢すればどうか。「ウチはキッコーマンの醤油しか使ってまへん!!」。

 

4月1日(木曜) 夜

 叶姉妹のCMなどで知られる「DHC」という化粧品会社がある。

 ただ、けっこう広く知られている話ではあるが、この「DHC」は「大学翻訳センター」(Daigaku Honyaku Center)の略なのだ。翻訳事業を手がけ、『翻訳の世界』などの雑誌を出版するうちに、いつしか化粧品販売に至ったという次第。

 DHCは現在、スキンローションやクレンジングオイル、アイシャドウなど幅広い化粧品を展開しているが、正確には次のようなことになる。

 こんなのが売れているというのだからビックリですな。

 

 …コホン。ええと、本日はエイプリルフールということで。上述の話は真っ赤なウソで、DHCの本当の略は"Dominant Human Cosmetic"の略です。友達などに話して恥をかかぬようお願いいたします。 

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 さて、隔週木曜日の Go smoking 連載コラムが更新されてます。

 今回のタイトルは「親とのタバコ攻防戦」。タバコを吸ってることが親バレしないよう、涙ぐましい努力をしていた我が高校生時代について書いてみました。けっきょくバレたんですが、いま思い出しても背筋が凍る。

 よろしければご覧くださると嬉しいです。

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 …コホン。本日はエイプリルフールなので、ここまでの文章に「一文だけ」ウソがあります。ご了承ください。

 ネットが発達するとウソが簡単に分かるからつまらないなァ

 


   2004年3月のプチ日記 

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