2007年2月のプチ日記

2月28日(水曜) 深夜

 最近ウチの職場でも機密情報の取り扱いがきびしく、廃棄する書類はすべてシュレッダーにかけている。

 本日も用済みの書類の山を処分しておくよう後輩に指示したのだが、いざ後輩がシュレッダーにかけようとした瞬間、まだ必要な重要書類を間違って突っ込んでいたことを突然思い出した。

 そして気がつけば反射的に口にしていた。「タイムッ!!」

 …また言ってしまった。

 小学生の頃、「ちょっと待って!」の代わりに「タイム!」と言うのが流行って以降、いい大人になっても当時の口癖がずっと直らないのだ。

 いや、頭では「直さないと恥ずかしい」と思い続けている。うっかり口にしそうになっても、意識して言わないように心がけているから、たいていは口を滑らさずに済んでいる。

 しかし、それが緊急事態であればあるほど、反射的に叫んでしまうんである。

 「タイムッ!」

 思い返せば、知人の運転する車がバックしていて通行人を轢きそうになったときも、社員食堂で同僚が豆腐にウスターソースをかけそうになったときも、同じように口にしていた。

 「タイムッ!」

 クリティカルな状況に直面すると、意識的なコントロールが発動されるより前に、前意識的な言動が反射的に表出されてしまうのだろう。これはこれで、生存に適した本能行動だとは思うのだが、なにしろ「タイム!」である。こんなもん、生存に有利でもなんでもない。

 でもひょっとすると、救急医療の現場なんかでも同じようなコトになってるのかもしれませんな。心臓移植の手術中、切断したら大出血する血管を誤って切りかけてる医師に対して、別の医師が咄嗟に「タンマッ!」と叫んでしまったりとか。

 三つ子のソウル百まで、という諺の恐ろしさを実感する昨今です。

 

2月27日(火曜) 深夜

 おでんの出汁がたくさん余ったので、今夜もまたおでん。

 昨日の日記で「おでんのたまごは一個に限る」みたいなことを書いた途端、一個にこだわってる自分が心底莫迦らしくなってきて。本日は半ばヤケクソになって二個入れてみたら、なんの問題もなく美味しく食べることができたのでした。

 ちなみに今回は、昨夜の「たまご」「大根」「厚揚げ」「はんぺん」「こんにゃく」といったラインナップに加えて、「もち巾着」「牛メンブレン」「じゃがいも」を新たに入れてみた。引き立て役が増えれば増えるほど、主役・たまごの存在感もぐんぐん光ってくる。一個20円だけど。

 そういや、もち巾着もすこぶる平和ですな。動物園のライオンにもち巾着を食わせたい。

−−−

 おでんは簡単に作れるけれど、時間が少々かかるのが難点である。

 だし汁で40分ほど弱火にかけたのち、2時間くらいかけてゆっくり冷まさないと旨くならない。2時間かかると分かってるのに、待っているあいだずっと落ち着かず、15分おきくらいに「まだかなァ」と蓋を開けてしまったりする。

 で、こんな自分を抑えるために、レンタルの映画で時間をつぶしたり。Cinema for おでん待ち。…監督にはちょっと申し訳ないけれど。

 

2月26日(月曜) 夜

 夕食におでんを作った。

 おでんは平和でいいなァと食べるたびに思う。さっき Google で「おでん殺人事件」を検索してみても、ヒット数はゼロだった。おでんの陰に殺人なし、殺人の陰におでんなし。ブッシュ大統領も毎日おでんばかり食べてりゃ、戦争など始めなかったんじゃないか。

 それはさておき。

 おでんの種は何種類もあるが、自ずとランキングが生じてくる。

1位:たまご
2位:牛スジ
3位:大根
4位:その他

 とりわけ「たまご」は、2位以下に大きく差をつけてダントツの1位である。居酒屋なんかでおでんを頼むと、皆がたまごをめぐって疑心暗鬼になってしまうし、自分ひとりで食べているときも、たまごだけはなんとなくデザート的な扱いで、最後のほうまでとっておいてしまう。

 考えてみたら、たまごなんて一個あたり20円にも満たない代物である。なのにどうして、ここまで別格扱いになるのだろう? そんなにたまごが食いたけりゃ、たまごばかり何十個も入れたおでんを作ればいい話ではないか。

 しかし、たまごばかり何十個も入っているおでんなど、考えただけでもゲンナリする。ごぼう天やらコンニャクやらがひしめき合うなか、一個だけ燦然と輝いているからこそ、たまごは素晴らしいんである。

 今回のおでん作りに際しても、たまごは一個しか入れなかった。それでいて、たまごは貴重だといって大騒ぎしながら食べている自分。

 …こんな倒錯した感覚も、おでんの隠し味なのかもしれません。

 

2月25日(日曜) 深夜

 「よくやった自分!」と褒めたくなる出来事があった。

 本日、近所の本屋をブラブラしていたときのことである。

 雑誌コーナーで立ち読みしていたら、おならをしたくなってきた。ぼくはおならを我慢すると腹が痛くなるので、なるべく我慢しないようにしている。このときも幸い至近距離には客がいなかったので、迷わずこっそりスカすことにした。

 で、注意深くこいてみたところ、無音のはずという予想に反して、「ブーッ」とあからさまな音が出てしまったのだった。うわっ!

 しかしここで、反射的に判断・行動している自分がいた。

  1. 今回のおならは非常に低音であったうえ、最初から最後まで一定の音階で「ブーッ」と鳴った。
  2. 携帯のバイブ音にそっくりじゃないか。
  3. よしっ!
  4. 咄嗟にカバンから携帯を取り出し、「はい、もしもし〜」と空通話しながら店を出た。
  5. 周りの誰からも違和感を抱かれなかった(たぶん)。

 すぐに電話を切るのも変なので、しばらく一人で通話しておりました。「まだちょっと予定分からんから、こっちから連絡するわー」なんてって。

 世の中、携帯で喋ってる人の半分くらいは、おならをごまかすための空通話なのかもしれません。…って、ぼくだけですか。

 

2月23日(金曜) 深夜

 マジックペンをじっくり見ていたら、小さな発見があったのでご報告を。

いつも使ってる見慣れたマジックペンだが、今回は本腰を入れて、じっくり読ませてもらうことに。
「ああ、そんなに見ないで!」「ふふふ、よいではないか。減るものでもあるまい」と、ひとしきり一人で盛り上がってみる。
 
インキ補充可能だったんですねえ。知らなかった。でも補充用のインキって見たことない。
 
「ご使用後はコチンとキャップを」との注意書き。コチンっていったい何だ!?
 
…と思って先っぽを見たら、ちゃんと書いてあったのでした。「コチン」。可愛らしいじゃないか!

  小チン、コチンコチン。…そろそろ寝ます。おやすみなさい。

 

2月22日(木曜) 深夜

 本日の「このくらい書き直そうよ」

 おまけに、いまだに節分の話題だし。まるでズボラを公言しているようなもんである。

−−−

 そういやぼくも、小学生の冬休みの宿題で、似たようなことをやったのを思い出した。

 書き初めの宿題が出されたので「書き初め」と書いたのだが(いま振り返っても安直である)、提出する直前になって、「初」の字のテンがひとつ足りないことに気づいた。

 かといって書き直すのも面倒なので、テンの部分だけマジックペンで描き足して提出したら、即刻先生にバレて呼び出しをくらったのだ。

  「年初めからこんなダラシナイことでどうするんだ!」と叱られた記憶があるが、どうせダラシナイんだったら最初から正直なほうがいいじゃないか。

 

2月21日(水曜) 深夜

 仕事が忙しかったので、帰宅するなり楽しい作業に没しておりました。

 楽しい作業というのはコレ、WeBookstoreコーナーの更新です。すみません。

 いやー、自分が好きな本についてアレコレ書くのって本当に楽しいですねえ。これが仕事になってしまったら、途端にイヤになるのかもしれないけれど。

 よければ、ご一読いただければ嬉しいです。

 

2月20日(火曜) 深夜

 本日の絶対反対。

 いったい何に反対してるのか!? 

 意図がよく分からず気色悪いまま歩いていたら、しばらくして「葬儀場の建設に断固反対!」との看板が出ていたので、ああコレのことかとようやく納得したのでありました。感情が高ぶると主語や目的語が抜け落ちがちだけれど、こういうスローガンでやっちゃあいけません。

 そういや、看板なんかで周囲の注意を惹くために、文字を反転させてるやつを時々見かける。どうせならこれも反転させてみてはどうか(ホントは文字部分だけを反転させたかったんですが、レタッチが面倒なので写真を反転させるにとどめました)。

 たしかに反対なので、誰もが納得です。自己完結の美しさ。

 

2月19日(月曜) 深夜

 本日の「えっ?」

 ご好評につき終了してしまうんですか。関係ないのに思わず、「そんなー」と心の中でつぶやいてしまう。

 いやまァ、くじが全てなくなったんだろうけれど。

 このぶんだと逆もまた真なりで。

 人気がなければ、「ご不評につき当分のあいだ続けさせていただきます」ってことになるんでしょうな。

 

2月18日(日曜) 深夜

 信州は八方尾根スキー場に行っておりました。

 日本で一番標高が高い場所にあるマクドナルドで食事をしたので、今回は少しばかりご報告を。
 


標高日本一のマクドナルドに行ってみた
 
◆リフトに乗ってマクドナルドを目指す

敵は標高1500メートル近くに居を構えるマクドナルド。

冬山を歩けば3〜4時間はかかるであろう標高差だが、リフトを乗り継げば15分少々で到着する。ありがたい話である。

幸いなことに天気はよく、リフトからの光景も最高に美しい。ただ、気温は低く、スキーウェアを着込んでいても肌に冷気が突き刺さる。

ちなみに今回は、自分のスキーを持参するのが面倒だったので、レンタルスキーで道具を調達した。

レンタルしたのは「Volkl」(フォルクル)というメーカーのスキー板。学生時代これを「ボイキ」と読んでいて、ショップで大恥をかいたことがあるのを思い出した。「ボイキの板ってどうなんっすかねえ」なんて店員に尋ねたりして。
 

リフトを乗り継いで上をめざす
レンタルしたフォルクルの板
 
リフトからの光景(たぶん北アルプス連峰)

 

◆マクドナルドに到着

標高1500メートル付近の兎平ゲレンデに到着。さっそく店に入り、まず値段をチェックする。ゲレンデのレストランはやたらと値段が高いのが常なのだ。

しかしマクドナルドはすべて定価販売。関西空港店の値段が割り増しなのに比べると良心的である。

スキーをして腹ペコだったので、迷うことなくビッグマックセットとチキンナゲットを注文する。
 

唐突に登場したマクドナルドの看板
 
 
標高1500メートルを微塵も感じさせない店員
 
お値段はどれも定価なのが嬉しい

 

◆予想外につらかったカフェテリア席

せっかくゲレンデに来たのだから、と野外のカフェテリア席を選んだのが失敗だった。

なにしろ気温は氷点下。ハンバーガを頬張ったのち、ポテトをつまんでみたら、カチコチに凍っているんである。アイスコーヒーの表面もどんどんどんどん凍ってきて。しまいには、ストローで穴を空けないと飲めなくなる始末。

ダストボックスもおかしな感じにて食事終了。

どんどん凍るビッグマック定食
 
 
大自然の厳しさとマクドナルドとの共存
 
これでいいんだろうか? と自問自答しつつ、台の上にトレーを載せました

 

2月15日(木曜) 夜

 いまから信州に行くので、急ぎ足にて。

−−−

 本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「 冷める恋愛、冷めないタバコ」。池谷裕二さんという科学者が「タバコへの思いは冷めないのに、恋愛は冷めることがあるのはどうしてなのか?」という疑問を呈しておられたのに触発されて、このあたりの事情について拙く考察してみました。

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

2月14日(水曜) 深夜

 冬場の楽しみといえば、そう、コール天のズボンを履けることである。

 コール天のズボンを履いていると、電車の座席に浅く座っても尻が前に滑らない。キュッと固定されたまま、安定して浅く座れる。

 これがたまらない。普通のズボンでは味わえないほど、グッスリと安心して眠りに落ちることができる。

 幸せな人生というのは、きっとこういうことを言うのだろうなと思います。小生は果報者です。

−−−

 ところで、災害や事件が起こると、しばしば総理大臣の声明が発表される。

 たとえば、地震で家屋が倒壊すれば、アナウンサーはこう口を揃える。

 「安倍総理は、全力を尽くして被災地の救助にあたるよう命じました」

 あるいは、辛酸な殺人事件が起これば、アナウンサーはこう口を揃える。

 「安倍総理は、事件の究明に全力を尽くすよう警察に命じました」

 地震が起これば「救助にあたるよう」命じる、殺人事件が起これば「事件の究明に尽くすよう」命じる。総理大臣はいつも、こんな当たり前のことばかり命じてるのか。

 いやまァ、そういうわけじゃないことは分かってるんですが。

 こういうとき、総理大臣は照れたりしないんですかねえ。「また普通のことを言わねばならないのか…」って。

 

2月13日(火曜) 深夜

 ぼくは面倒くさがりなので、たいていのことは「ハイハイ分かりました」と言ってしまう。

 仕事でもこれは同じで、ちょっとどうかと思うことがあっても、つい「ハイハイ」言ってる自分がいる。当然ながら上司もぼくの悪癖には気づいていて、本日も会議中に注意を受けてしまった。

 上司:「名倉くん、なんでもかんでもハイって言わないように!」
 ぼく:「ハイ!」

 直後、周囲からクスクスと笑い声が湧き起こって。…しまった、これじゃあまるでコントじゃないか。

 それにしても、こんな風に言われたら一体どう答えろというのだ。なにしろ「ハイ」とは口にできないのだ。「ウイッス」とでも言えというのか。それとも「いいえ、、ぼくはハイと言います!」と反論しろというのか。

−−−

 コントっぽいといえば、本日の同僚の会話。

 「この連休どうだった?」
 「もー最悪」
 「え…なんかあったの!?」
 「ていうか、ホントなーんにもなくて」

 シンパシーを感じる話ではあります。

 ちなみにぼくは、この連休中ずっとアルコール漬けだったので、記憶そのものがありません。

 

2月9日(金曜) 深夜

 「いそがしい」が口癖の上司が職場にいる。

 急ぎの用件があって伺っても「いそがしい! いそがしい!」の一点張りで、ロクに話もきいてくれない。それでも用件を伝えようとすると、「今いそがしいんだけど!」「来週の予定までずっと入ってるんだから!」などとソッポを向かれる。単にぼくが嫌われているだけかと思ったこともあるが、同僚に訊いてみたら全員が同意していたから、きっといつもこの調子なのだろう。

 「いそがしい」というのは、考えてみればおかしな言葉である。

 仕事してればそりゃあ、やるべきことは次から次に現れてくる。それらの全てを先着順にやっつけるなんてのは所詮無理な話であって、いかに優先度を重みづけして処理していくかが大切ではないのか。それなのに、来週の予定を理由に急ぎの用件を却下されるという不条理。

 だったら「いそがしい」ではなく、「キミの用件より優先度の高い作業が来週まで詰まってるんだよ」とでも言われたほうがまだ納得がいく。ただし、優先度が高い作業というのは、聞いてみたら「書類棚の整理」だったりするのだけれど。

 ちなみにこの上司、職場を移動するときも昼休みに定食屋に向かうときも、常に駆け足である。

 こうやっていつも時間的切迫感にかられている人々は、心理学の研究では「タイプA」と呼ばれ、冠状動脈性の心疾患(心筋梗塞など)になる確率が高いとされている。交感神経が常に優位な状態にあるため、心臓血管系への負担が慢性化してしまうんだとか。

 心筋梗塞で死期が迫ったとしても、この上司はやっぱり「いそがしい!」と言ってる気がする。「朝起きたら朝食だし、そのあとは日課の散歩があるし、回診もあるし、そうこうしてたら昼食だし、合間に新聞も読まなきゃならないし……。おおいそがしい!!」なんてって。そして、いそがしいまま成仏するト。

 「いそがしい」で先手を打っておけば、それ以外の余計なことを考えなくて済むから、意外と人生楽なのかもしれませんな。

 ちなみにぼくは、本当はいそがしくてもいそがしくないことにして、余計なことばかり考えて自滅するタイプです。

 

2月8日(木曜) 深夜

 小学生の頃といえば、将棋も流行したのだった。

 それまで将棋など指したこともなかったのだが、クラスメートにつられて始めてみたら、これがなかなか面白い。それで入門書など購入して研究していたら、級友にも結構勝てるようになってきて、気がつけばすっかりハマッていた。

 当時から筋金入りの運動音痴で、サッカーやバスケではさんざん屈辱を味わっていただけに、「相手に勝てる」というのが異常に嬉しかったのだろう。

 そんなある日、担任の先生の発案で「将棋トーナメント大会」が行われた。このときも準々決勝までは順調に勝ち進み、準決勝でも「これで勝てる!」という局面にまで持ち込んだのだが、そのとき相手のH君が有無を言わさない雰囲気で言ってきたのだった。

 「オレの銀とおまえの飛車、トレードしようや」

 そんなことしたらぼくが逆転負けするのは明らかだったが、なにしろH君は腕っぷしの強いガキ大将的存在。「それはカンベンしてや〜」と何度も哀願したが却下され、当然のようにH君が決勝戦に勝ち進んだ。そしてH君は「クラス第2位」として先生から表彰されることとなった。

 社会のしくみを思い知らされた貴重なエピソードである。

 ただ、この一件ですっかりスネてしまったぼくは、以降もっぱら「一人将棋」に没頭した。先手と後手の二役を一人でこなしつつ、先手は居飛車、後手は中飛車なんて風に作戦を練りながら、最善と思われる手を指していくんである。今から考えるとまったく馬鹿げた話であるが、当時はこれがめっぽう楽しかった。

 この「一人将棋」はたいてい、実力伯仲の名勝負だったのだ。当たり前である。どっちも自分が指してるんだから。

 将棋というのは基本的に、相手が次にどんな手を打ってくるか予想しながら駒を進めていくゲームである。そして「一人将棋」の場合、相手が自分だけにすべて予想通りの手が返ってくる。これはこれで、どんどん作戦がキマる快感があって心地よかったんである。

 ただ、ときたま王手飛車などの大技がキマることがあり、こんなときは先手役で「よっしゃー!」と興奮した直後、後手役に回って「しまったァー!」と落胆するという、かなり高度な感情の切り替えが要求されりもした。いま思えば、よくもまァ飽きずにやっていたものだと、つくづく呆れるのだけれど。

 それから数年が経ち、中学生になった頃にはファミコンの将棋ゲームが登場した。これでやっと「本当の一人将棋」ができる! と喜び勇んで飛びついたものの、実際にやってみたら思いのほかつまらなくて、すぐにやめてしまった。

 理由は「思い通りの手が返ってこなかった」からである。

 

2月7日(水曜) 深夜

 小学生の頃、「鉛筆サイコロ野球」が流行したことがある。

 「ヒット」や「アウト」、「ホームラン」といった文字を書き込んだ鉛筆を転がして、出た結果のとおりに選手を動かして勝負するというゲームである。

 で、休み時間などに友達同士で対戦して遊んでいたわけだが、ぼくはこのゲームにすっかり「魅了」されてしまった。理由は単純。

  1. 本当の草野球とちがって運動神経を問われない
  2. 外に出なくてもプレイできる
  3. 相手がいなくても一人で遊べる

 運動音痴なうえに友達が少なかったぼくにとって、鉛筆サイコロ野球は、まさに打ってつけの遊びだったんである。とくに何の予定もない週末などは、一日に何時間も、一人でゲームに興じ続けていた。

 当時は阪急ブレーブスのファンだったので、なるべくブレーブスに有利になるよう、鉛筆の転がしかたを微妙に贔屓したりして。それでも敵チームが勝ったら、しばらく本気で落ち込んだりして。

 こんなぼくを見て両親もさすがに不憫に思ったのか(あるいは心配したのか)、あるとき、ちゃんとした野球盤ゲーム(消える魔球のやつ)を買ってくれた。それでもぼくはソロ鉛筆野球に没頭し続けた。野球盤ゲームは相手がないと遊べなかったからである。

 そして気がつけば、「西宮球場」「甲子園球場」などの各種図面を作成し、選手のコマもブレーブスについては全員分を揃えて、しまいには観客のコマまで自分で作成して、いっぱしのペナントレース状態になっていたのだった。

 一度だけズルして、ブレーブスの攻撃でアウトが出たのに息を吹きかけてホームランにしたときは、罪悪感で丸一日苦しんだ。

 実はいまでも、あのときのズルは心のどこかに残り続けている気がする。自分に許しを請い続けて二十余年。

 

2月6日(火曜) 深夜

 いやー、びっくりしますねえ。

 今朝、通勤電車に揺られていたところ、隣に座っている女子高生二人組がこんな会話を。

 「この前から付き合ってる彼氏、どうなん?」
 「そやねん、それが聞いてェや。週に三日くらいは会っとんねんけどな」
 「うんうん」
 「いっつもやりたがんねん」
 「みんなそうやんなー。どこでやってんの?」
 「休憩で入ったりとか」
 「お金かかるやんなー」
 「まあ、だいたい相手が出してくれるし、それはええねんけどォ」

 よくもまァ、こんな話を公衆の面前で喋るもんだと呆れながらも小生、全力で無表情を取り繕いつつ、全力で耳を傾けておったわけでありますが。

 続く会話に思わずメガネがずり落ちそうになった。

 「今度の彼氏な、ぜんぜんつけへんねん」
 「えっ?」
 「大丈夫やからって言うねんけど、やっぱ心配やん?」
 「えっ? つけへんって!?」
 「ほら、アレやん。アレ」
 「アレってなによ??」
 (顔を伏せつつ小声で)「もー。ほらっ、ゴ…ゴム」
 「あー、ゴム! コンドームつけへんの!?」
 「…そんな大きい声で言わんといてっ! みんなに丸聞こえやんっ!!」


 ここまで散々あけすけなエロ話をしておきながら、コンドームの単語が出たとたん恥ずかしがる女子高生。ひょっとして、「やりたがる」だの「休憩」だの「つけへん」だのは全て隠語で、周りにはバレてないと思っていたんだろうか。…そんなもん、中学生でも分かるわ。

 オトナをナメるなと申し上げておきます。エロい意味ではなく。

 

2月5日(月曜) 深夜

 ずいぶん前に某社のカバンをネット通販で購入した。

 それ以来、カバンの商品案内のメールが毎週届くようになった。

 …そんな毎週毎週、カバンばっかり買わしまへんわっ!!

−−−

 話は変わるが、ぼくはなぜか肺活量がめっぽう多い。

 高校時代に体力測定したときも、どういうわけか学校でトップの数値だった。測定器の針が振り切れて計測不能となり(確かMAXは六千数百ccだった)、担当の先生から「こんなのは前代未聞や!」と言われたんである。

 測定器の故障ではないかと疑われ、もう一度測ってみても測定不能。さらにもう一度させられ、さすがに息切れして五千九百ccに落ちた。で、これで測定値が出たというので、ぼくの肺活量は「五千九百cc」がいうことで一件落着したのだった。

 六千cc近い肺活量を出していた生徒は他にも数人いたが、いずれも陸上部やラグビー部の猛者たちだった。そこに、なんのスポーツをしているわけでもなく、むしろ運動音痴で鳴らしていたぼくがいきなりハイスコアを出したものだから、周りの面々も目が点になっていた。

 「なんのスポーツもしていないヘタレが意味なく肺活量トップ」

 よく分からないコトというのは、意外と身近なところにあるもんだなァと思ったエピソードである。

 高校生当時はワンダーフォーゲル部で細々と山登りなどしていて、登山のときにバテにくかったのは肺活量のおかげだったのかもしれないけれど。心機一転して水泳とかマラソンとかやっていたら、そこそこの成績が残せたのかもしれないけれど。

 肺活量のハイスコアに喜んでいたら、これまた担当の先生から言われたのだった。

 「肺活量が多い人は早死にしやすいらしいから気をつけろよ」

 そのときはちょっとへこんだものの(だいいち何に気をつけろというのだ)、いま振り返ると、生徒の夢をぶちこわす先生は結構好きかもしれません。

 先生のおかげで、大学に入ってからもとくにスポーツなどやることのないまま現在に至っております。これでよかったと心から思う。

 

2月4日(日曜) 深夜

 「東京大学」とプリントされたTシャツを着てる人を街で見かけた。

 当然ながら東大生なのだろうと思ったが、よく考えてみたら、京都の街を東大生がウロウロしているのはおかしい気もする。それに、大学のオリジナルグッズなんて、大学生協にいけば誰だって買えると聞いたことがある。

 世界の名門大学のグッズを自作して、それで身の回りを固めれば、労せずして「優秀感」を醸し出せるのではないか。
 

さりげなく着こなせば一目置かれます!
 
友人を家に招いたときのマストアイテム
 
「博士号取ったときの記念品なんだよね」
 
近所のコンビニもこれ一足でOK!
 
モテ鍋といえばコレで決まり

 …英語で書くと気づいてもらえない可能性がありますから。

 

2月1日(木曜) 深夜

 小学生のころ、地元の進学塾に入るときIQテストというのをやった。

 で、全ての問題をやりおえて得点が出たのち、テスト担当者から言われたのだった。

 「テストを朝にやったから、眠くて不利だったかもしれません。おまけで7点ほど高くしておきましょう」

 当時のぼくは早起きだったので、実のところちっとも眠くなかったのだが、点数が上がるのはいいことなので素直に喜んでいた(同席していた両親も同じく喜んでいた)。かくしてぼくのIQは、おまけの7点を加えられたスコアに決定した。

 その後、大学の心理学の授業でIQテストについても学んだのだが、「朝に実施した場合にはおまけの点数を加える」なんてルールは一切出てこなかった。おまけにIQは、生涯を通じてほとんど変化しない指数だと言うではないか(ただし近年この説は覆されている)。

 それなのに担当者の判断で「おまけの7点」。検査結果がこんなことでいいんだろうか。

 …こうして書いてると、どれもひょっとしたらあり得るような気がしてきました。世の中、実はおまけで動いてるのかもしれません。

−−−

 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「小さな楽しみ」 。 大きな楽しみと小さな楽しみ、どちらがいいのかについて猛烈に中途半端なことを書いております。ほんとはもっとピリッとしたこと書きたいんですが、いつもながらショボさフルスロットルです。

  よければご覧いただければ 嬉しいです。

 


およそ番目です。   

  2007年1月のプチ日記 

Otearai Webの表紙へ