2007年7月のプチ日記

7月31日(火曜) 深夜

 誰しも「不安」に襲われるときがあるだろう。

 たとえば、大勢の前での発表が迫っているとき。

 大勢の前でトチったらどうしよう、無様な姿をさらしてしまったらどうしよう、セリフを忘れてしまったらどうしよう……。いや、こんなに不安ばかり募らせていたらダメだ! うんうん、きっと大丈夫、自分ならできるはずだ! 

 でも、考えれば考えるほど不安が募る。頭では「大丈夫」と言い聞かせていても、心のどこかで最悪なことを考えている。状況がどうなるか分からないものだから、どうしても悪い方向を予想してしまうのだ。人間はコントロール不可能なことに対して、おもしろいほどに不安を募らせやすい。

 確実さを求めているのに、失敗しないという保証はどこにもない。いくら成功しようとがんばったところで、失敗してしまうかもしれないのだから。ああ、どうなるか分からないなんて、不安で不安でたまらない!!

 …というような悪循環におちいってしまう御仁も多いのではないか。

 しかしここでふと思う。「成功する確率」はいくらがんばっても100%にできないけれど、「失敗する確率」は努力次第で100%にできる。わざとミスすればいいんだから、こんなに簡単な話はない。

 そして、できれば同僚や知人に賭けを持ちかけてみる。

 「今度の発表だけど、オレが成功したらオマエに1万円払う。その代わり、オレが大失敗したら5千円払うってことにしない?」

 こうなったら最低一回は失敗しないといけなから、今度は成功してしまうことへの不安が募ってくる。もし全然トチらなかったらどうしよう、そこでわざと大失敗する度胸が自分にあるんだろうか、本当に自然な感じでミスできるだろうか……。

 「失敗したらどうしよう」と思うと本当に失敗してしまうのと同様、「失敗しなかったらどうしよう」と思うと失敗しないまま発表が終わってしまう、というのが世の道理である。

 おまけに、「大失敗」はやろうと思えば100%できるわけだから、「状況をコントロールできないことへの不安」が一挙に低くなって、不安による自然発生的な失敗がますます起こりにくくなる。悪循環というか良循環というかこれ、なんとも妙なことになってくるんでありまして。

 そして幸か不幸か発表が成功のまま終わってしまったとしたら、一万円で成功が買えたわけだからめでたしめでたし。もし無事に失敗できたら5千円が手に入るわけだから、これもめでたしめでたし。

 …こんな感じでやってみるといいと思うんですが、どうですかねえ。

 頑固な不眠でお悩みの御仁は、居眠りしたらぶたれる座禅道場に行かれるべし。

 

7月30日(月曜) 夜

 ルイヴィトンの財布を持っている人にそのことを指摘すると、決まって言い訳が返ってくる。

 ルイヴィトンといえば押しも押されぬ世界の一流品、どうしてこうも弁解しないといけないんだろう? 「偽物なんです」とか「駅で拾ったんです」とかなら正直に言ってほしい気もするが、丈夫だからとか免税店で安かったからとか、そんな事情まで聞きたいわけじゃあない。

 それとも何ですか、世界の一流品であるにもかかわらず、漠然とした負い目や気恥ずかしさを抱いておられるんでしょうか。みんな持ってるし…みたいな理由で。ルイヴィトンの社長さんが知ったら、相当がっかりするんじゃないか。

 でも、みんな判で押したように言い訳が返ってくるのが面白くて、ヴィトンの財布を持ってる人を見つけるとついつい指摘してしまう昨今。

 皆さんもよければ、身の回りのヴィトン財布オーナーに聞いてみてください。

−−−

 ちなみにぼくが持ってる財布は、濃い青緑色が素晴らしいビームスの革財布です。

何度見ても最高!

何度開いても最高! 

でも"VEGETABLE LEATHER"って?

 自分で言うのも大好きなんですが、とても気に入ってます。もし誰かが「いい財布だね!」と指摘してくれたら、そりゃあもうどれだけ素晴らしいかを5分間くらい演説する用意があるんですが、残念ながら誰一人として訊いてくれません。

 誰も聞いてくれないから、こうやって日記に書いて、無理やり読んでいただいてる次第。本当に申し訳ないです。

 …というか、日記の過去ログファイルをジオシティーズに移して容量が空いたのが嬉しくて、なんでもいいから画像をアップしたかったというのが事実なんですが。

 なぜ日記を書くのか? という問いに対するひとつの明確な答えは「サーバの容量がまだ余ってるから」でしょうな。

 

7月29日(日曜) 深夜

 中学生の頃、いろんなイタズラが流行した。

 最もポピュラーだったのは、「恥ずかしい文面が書かれた紙片を誰かの背中にこっそり貼る」だった(下の写真参照)。

イメージ図

 標的になったのはたいてい、女子生徒にモテたくて格好つけてるようなクラスメートである。女子生徒に勉強を教えてあげたり、お洒落なCDアルバムを貸してあげたりしているケシカラン男子生徒がいたら、その翌日にはこんな紙片が背中に登場していたのだった。

 いくら洋楽のCD(当時は洋楽というだけでお洒落だった)を女子生徒に貸したところで、背中には「2回オナニーをしました」とか書かれてるのだ。ざまあみろ! …と、女子から相手にしてもらえなかったぼくらは、ひたすら暗い笑いを共有していたんである。

 ただ、一度だけ「やりすぎたかな」と反省したこともあった。スパルタ派で恐れられていた体育のD先生をからかおうというので、体育の授業のとき、級友K君の背中に「D先生は仮性包茎」と大書きした紙片を貼りつけておいたのだ。

 しばらくして紙片に気づいたD先生は当然のことながら激昂して、なぜかK君に強烈なビンタを食らわしたのだった。いまだに申し訳ないと心から思う。…と同時に、あの怒りようから察するに、D先生は本当に仮性包茎だったのだろうとも思う。

 別のイタズラとしては、学校主催の講演会なんかのときに、「前の座っているクラスメートのズボンを長椅子に括りつける」というのがあった(下の写真参照)。

イメージ図

 あらかじめ持参しておいたヒモでもって、標的のズボンのベルト通しを長椅子と結わえてしまうのだ。それも満身の力をこめて何重にも固結びして。

 実際にやってみると分かるが、自分の後ろにある結び目というのは自力ではまず解けない。その結果、他の生徒がみな講堂から出て行っても、ひとりだけ取り残されて座り続けることとなる。

 これで先生に気づかれたら、「いったいいつまで座っとるつもりや!?」と叱られはするが、事情を説明して先生に解いてもらうことができる。…が、運悪く先生までもが講堂を立ち去ってしまったら、あとはもう自分でなんとかするしかない。

 そういえば一度、鬼気迫る形相で、長椅子ごと教室に帰ってきた生徒がいたのを思い出した。あれは本当に怖かった。

−−−

 というわけで中学生のみなさん、こういうことは決してやってはいけませんよ。

 そして、もっと楽しいイタズラがあれば教えてください。

 「こういうことも決してやってはいけない」という教訓として、この日記上で発表させていただくかもしれません。教育道徳の向上にどうかご協力ください。

 

7月27日(金曜) 深夜

 疲労骨折の名目で休場していた朝青龍さんが、地元モンゴルでサッカーに興じていたことが分かって大問題になっておりますが。

 力士だって休みたいときもあるだろう。もし仮病で休んだのだとしたら、休みたいときに休めない角界の制度にも問題があるのではないか。

 一般企業と同じく、力士にも有給休暇制度を導入すればいいのにと思う。

 こんな風になれば問題も一挙解決ですな。

 

7月26日(木曜) 深夜

 ショボい話で恐縮なんですが、このサイトを置いているOCNのサーバ容量がひっ迫しておりまして。

 無料のブログサイトでも何百MBとか提供されるこの時代に、どうして容量が10MBとか20MBとかなのだ!? 

 いまどき「ホームページ」なんてやってる時代錯誤ユーザーはほとんどいないだろうから、苦情や要望が寄せられることもなく、そのまま放置されているのかもしれません。

 いよいよ写真を載せることができなくなり、テキスト打つにもあまり多くならないよう気を遣ってる情けなさ。インターネットのリソースが有限であることを、こんな低レベルなことで実感しているのがまた情けない。いやまァ、ぼくのようなしょうもない者には、10MBとか20MBとかの容量が相応しいのかもしれませんが。

 時間のあるときに、「過去ログをジオシティーズのサーバに移す」という、これまた地味な作業にいそしみたいと思います。

−−−

 というわけで、本日の日記はこれにて終わりです。

 容量に限りあるときに書くべきことなど自分にはほとんど何にもない、という冷徹な事実を再認識するばかり。

 

7月25日(水曜) 深夜

 台所に生ゴミを放置していたら、小さなハエみたいな虫がたくさんお越しになってしまった。

 おかげで帰宅してから、ぶんぶん飛び回る虫をビール飲みながら一匹ずつ退治していたら、もう寝る時間になった。

 一体なにをしていたんだろうと思うが、虫をすべてやっつけられたので相当の充実感があるのも事実。考えてみると、これって人生の縮図かもしれない。

  1. 仕事から帰ってきたら、ハエが飛び回っていていた。
  2. 鬱陶しいので退治したら嬉しかった。
  3. 疲れたのでメシ食って寝る。

 「ハエ退治は人生の縮図である」

 でも、人生の縮図って言ったら、どんな言葉を持ってきてもそれっぽくなるような気がする。

 エアコンなんかも勿論、人生の縮図です。

 そして言えるのはひとつ、人生の縮図なんて聞いたところで何の役にも立たないということ。

 

7月24日(火曜) 夜

 梅雨も明けかけた京都。いよいよ鴨川の川床シーズン到来でありますが。

 立派な川床の中華料理屋で飲んでる客よりも、川床にたたずむカップルよりも、「セルフ川床」のおじさん(いつも見かけるホームレスの人)のほうが何だか楽しそうだ。一人で床を敷き、天に手を合わせながら酒を飲む。

 幸せになるためには、川床で飲む経済的余裕よりも、浮世のことなんてどうでもよくなる精神的境地のほうが大切なのかもしれまへんな。本当の幸福とは名誉やら金銭やら愛欲やら で満たされるものではなく、悟りによってのみもたらされるのだ(どうりで新興宗教なんかが次々と涌いてくるわけだ)。

 ぼくは謙虚で慎ましい人間なので、お金で買える幸せで十分ですが。本当の幸せなんていう高望みはいたしません。

 

7月23日(月曜) 夜

  家で包丁を研いでいたら、頼んでいた宅配便がちょうど届いて。

 ついつい包丁片手に玄関口に出たら、思いっきり硬直されました。宅配の人、すみません。

 ちなみに、宅配便で注文していたのはコレ。

 

 今まで数千円のペラペラな文化鍋で煮物を作っていたのだが、あまりに焦げつくので、思い切って高性能鍋を買ってみたという次第。一見すると普通のステンレス鍋だけれど、なんでも9層構造になっていて熱がうまく回るんだとか(11層構造の製品もあったが定価4万円以上するので妥協した 。それでも同容量のル・クルーゼよりも値が張りました)。

 3層構造とかは聞くけれど、9層とか11層とかなると数字が大きすぎて笑いそうになりますな。とことんやってしまった気恥ずかしさ、というか。

 

 で、さっそくシチューを作ってみたところ、さすが! と思わず唸りました。まったく焦げつかないうえ、出来上がった料理の味が丸いこと丸いこと。

 いい道具は腕の悪さをカバーしてくれるものだなあと、改めて。

 そして、アフィリエイトを貼る欲望に打ち勝った自分をちょっと褒めたい。

−−−

 全然関係ないですが、ツタヤでハッと立ち止まってしまったのがこれ。

 自分の視覚認識を再現してみました。インポッ、インポッ、インポッ……。

 いつになったら中学生メンタリティから卒業できるのかと、我がことながら不安です。

 

7月20日(金曜) 夜

 先日、とあるセミナーに参加したときに聞いた話。

 たとえばあなたが家庭教師で、全くやる気のない生徒を担当することになったとして。

 生徒は勉強が大嫌いなのだが、親から言われて仕方なく家庭教師を受けている。案の定というべきか、いつもふてくされたような態度で、ただただ時間が過ぎるのを待っているだけ。いくらなだめすかしても、怒ってみても、一向に勉強しようとしない。

 こんな状況になったらもうお手上げ! 嫌がってる生徒に勉強を教えるなんてできっこない!!

 …と普通は考えがちだけれど、さにあらず。生徒が家庭教師の時間を嫌がっていればいるほど、容易に勉強させることができるのだという。

教師:「キミ、勉強するの嫌いだろ?」
生徒:「うん、大っきらい」
教師:「家庭教師の時間も嫌いだろ?」
生徒:「うん、大っきらい」
教師:「家庭教師なんか受けるんだったら、友だちとゲームとかして遊びたいだろ?」
生徒:「うん、遊びたい!」
教師:「じゃあ、家庭教師なんて少しでも早く終了になるほうがいいよね」
生徒:「…うん」
教師:「家庭教師が早く終了になるにはどうしたらいいと思う?」
生徒:「テストでいい点数を取る」
教師:「そう! だったら、家庭教師を早くやめるために、いい点数を取っていこう!」

 いやー、頓知の利いた話ですな。暴漢の襲ってくる力を利用して相手を倒す、みたいな鮮やかさだ。

 実際にこの方法が通用するかどうはさておき、マイナスをプラスにすり替える式の話は個人的に大好きです。それだけなんですが。

 どうにか悪用できないものか考え中。

 

7月19日(木曜) 深夜

 京都の街を歩いていると、この張り紙をちょくちょく見かける。

  「ゲリラから文化財を守る」、警察署の標語である。モノローグ口調なのがよく分からないけれど。

 ところで京都にはゲリラが多いのか? それともぼくがゲリラの意味を狭くとらえ過ぎているのか?

 気になったので、広辞苑を引いてみたところ、

ゲリラ【guerrilla】
(もとスペイン語で小戦争の意。ナポレオン一世のスペイン征服当時、スペイン軍のしばしば用いた戦法に由来する語)
奇襲して敵を混乱させるなど、遊撃戦を行う小部隊。また、その遊撃戦法。「―戦」

 やはり、テロ攻撃なんかのゲリラ戦を指す言葉のようだ。ゲリラ兵士のターゲットは文化財なのか?

 ま、人命のひとつやふたつより、文化財のほうが大事なのかもしれまへんが。

−−−

 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「ココアシガレットの思い出」。 先日、近所の駄菓子屋をのぞいてみたら、今は懐かしいココアシガレットが売られていたので、いろんな種類のものを買って食べ散らかしてみたレポートです。開封してみたら、ぼくが知っているモノとは違うものになっていて少々幻滅しました。

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

7月18日(水曜) 夜

 自分にできないことができる人って尊敬してしまう。

 たとえばバイク。あんなややこしいギアを操りながら走れるなんて単純にすごい。いや、バイクでなくても原付でも十分にすごい。なぜなら自分では運転できないから。

 そういや学生時代、一度だけ原付(といってもギアなしのスクーター)を運転したことがある。大学から歩いて20分くらいの場所に行く用事があったのだが、そのときたまたま一緒にいた友人がスクーターを貸してくれると言ってくれたので、ありがたく厚意に甘えることにしたのだ。

 行きはなんとか運転できた。持ち主が乗っていたスクーターにそのまままたがり、のろのろ運転ながら、歩けば20分のところを5分くらいで着くことができた。なあんだ、簡単じゃないか! スクーターってこんなに便利なものだったのか!!

 …しかし帰路ですっかり進退窮まってしまった。

 エンジンをかけようとしても一向にかからないのだ。なんどキーを回してもダメ。アクセルを踏んでもダメ。持ち主に訊こうにも、当時はまだ携帯電話が普及していない時代だったから、連絡のつけようがない。

 で、すっかり立ち往生したまま30分以上が経過して。結局、たまたま原付で道を走ってきた人(もちろん赤の他人)に無理やり声をかけて、エンジンのかけかたを教えてもらったのだった。

 「す、すいませーん! ちょっと困ってるんです!!」
 「…どうされました?」
 「このスクーター、どうやってエンジンかけたらいいか分かります?」
 「ハァ!?」

 ヘルメットをかぶった人物がスクーターのハンドルに手をかけながら、突然こんなことを尋ねてきたら、そりゃあ誰だってビックリするだろう。案の定、相手にはポッカーンとされたけれど、事情を全て話したところ、失笑しながらエンジンのかけかたを教えくださたのでした(ブレーキをかけながらでないとエンジンがかからない仕組みだった)。

 以来、原付はなんとなくイヤな感じがするので一度も乗ってません。乗ってる人はいまだに尊敬する。

 

7月17日(火曜) 夜

 本日のマスク。

 ローマ字では"Carbon Mask"なのだが、日本語表記は「カニポソマスク」。なんですかこれは!?

 というか、このネーミングで思いつくのはただひとつ。「カーボン」という文字の上からちょこちょこっと落書きすれば「カニポソ」になる、それだけである。

 中学生くらいのときによくやった気がするけれど、もしかして本当にこれで商品名にしちゃったんでしょうか。

 だとしたら、なんともしっくりくるので素晴らしい。

 トヨタのクラウンなんかも、次期モデルは「タヲウシ」にしてほしいところですな。ニュー・タヲウシ。"Tao of cow"。

 

7月16日(月曜) 夜

 本日のタマネギ。

なんとなく「地獄の乳房」という言葉が浮かぶ

 茶色い部分が微妙な大きさなので進退窮まってしまった。

 茶色い部分は不味いのでカットしたいのだが、皮全体をもう一枚むくべきか、それともヘタ部分を大きく切り落とすべきかで迷い始めた末に、どっちのほうが得なのか全く分からなくなってきて、どうにも決められなくなってしまったのだ。

 こういうときこそ、占いがあればいいのに。

 占いは全然信じてないけれど、存在意義は大きいと思っている。物事を自分で決断できないときに、どの道を選ぶかを占いで後押ししてもらうことによって、「何もできないまま時間が経過する」という最悪の進路を避けられるからである。

 ああ、今こそ占いを! 「タマネギの皮をむくかヘタを落とすか占い」が載っている雑誌があったなら!!

 そして、包丁を持ったまま固まること数分。

 茶色い部分だけを爪で剥ぎとるのが最も得だと気づいて、そのように実行したのでありました。

 二者択一の思考パターンは心の余裕がなくなっている証拠である。冷静になって考え直せば、第三の選択肢が浮かんでくる場合が多い。

 …タマネギのヘタで追い詰められて、心の余裕が消失していたのかぼくは。

−−−

 話は変わって。

 今朝、京阪電車に乗っていたら、向かい側に座っていたカップルが突然口げんかし始めた。

 興味本位で聞き耳を立ててみたところ…

 といった感じだったのだが、続く彼女の言葉に思わず噴き出しそうになってしまった。

 「私だって、もっとかまってもしいねん! 優しくされたいねん! アンタ私のこと、けなして味が出るタイプやと勘違いしてへん!?」

 ちなみにその後、彼氏いわく「そんなことないちゅうねん。オマエ、けなしたかて味なんか出ぇへんやろ」。

 このぶんだと、しばらく平行線が続きそうですな。どうかお幸せに。

 

7月14日(土曜) 夜

 台風なので自宅でひとり、麦焼酎を飲みながら。

 クセがなくて飲みやすいうえ安い、という理由で「いいとも」を買うことが多いのだが、「MY FRIEND」とか書かれるのは本気で落ち込むからやめてほしい。…というのが唯一の要望であります。こんなところでどうして、冷徹な事実を指摘されなければならないのか!? まったくポンショリするぜ。

 友だちなら他にも沢山いるからいいんだけどね。発泡酒とか氷結とか。

−−−

 台風で思い出すことをふたつみっつ。

 しょうむない話ですいません。台風なのでカレー食べて寝ます。

 

7月13日(金曜) 深夜

 職場の後輩Xさんは高校時代、倖田來未と同級生だったという。

 高校3年生のときに芸能界デビューしたらしいが、それまでにも学校のイベントがあるたびに歌をうたって、生徒から人気を博していたとのこと。で、テレビのオーディションなんかに出演し始めるにつれて、芸能界入りの噂が学校に広まっていった。

 で、ついにデビュー決定!

 …した途端、倖田さんはサングラスをかけて登校してきて、みんなから「さっそく芸能人気取りかよ!」「確かに芸能人だけど!」と陰口を言われていたらしい。実際にはまァ、こんなものなのだろう。

 それにしても、芸能界入りした途端にサングラス。あまりに分かりやすいアクションで、いっそ清々しいではないですか。

 自分は芸能人だと気づいてもらいたくて、サングラスしていたのかもしれませんな。

 

7月12日(木曜) 深夜

 ヤクルトといえば小学生の頃、「上の銀紙をいかに取らずに飲めるか」を競うのが流行した。

 つまようじ等で目に見えないくらい小さな穴を開けて、そこから中身をチュウチュウ吸い出すわけである。すると、銀紙を取った形跡がないのに中身が空っぽという状態になり、これはすごい! とクラスメートから賞賛されるのだった。

 当初は、よく見れば小さな穴が開いているのを確認できたが、次第にみんな腕が上達して、ちょっと見たくらいでは分からないレベルになっていった。そのぶん穴が小さくなっているわけだから、みんな20分とか30分とかかけて1本のヤクルトを飲んでいたのだけれど、これで楽しい時間を過ごせていたのだから小学生は世話がない。

 思えば他にも、給食メニューでいろんな「食遊び」が流行したものだった。

 いま振り返ると、どれもこれも時間をかけて不味くしているだけの話だが、固形物をドロドログチョグチョにするのには退行的な悦楽があるような気がする。離乳食の頃(=自分と他者の境界があいまいな幼児時代)に回帰するような感覚というか。

 ちなみにさっき、ご飯を一粒ずつじっくり食べてみたら、今でも結構楽しめました。休日の新しい娯楽にしよう。

 

7月11日(水曜) 夜

 同僚Iさんには中学生の息子さんがいる。

 その息子氏が家で検尿を取ることになったのだが、コップを忘れてしまったため、ヤクルトの空容器におしっこを入れて採尿したらしい。

 そしたら数日後、学校側から緊急の呼び出しがかかったらしい。通常では考えられないような高い糖とたんぱくが検出されたため、大至急、精密検査を受けるようにとの通達だった。このままでは命も危ない状態だというのだ。

 おかしいと思ったIさんが息子氏に問いただしたところ、尿を入れたヤクルトの空容器はざっと一回水洗いしただけだったことが判明した。どう考えても、異常な検査値はこのせいに違いない。

 慌てたIさん親子は、「間違えてヤクルトの空容器で採尿してしまった」ことを学校側に伝えた(よく考えたら何をどう間違えたのか理解に苦しむが)。それでも念のため再検査することになったものの、今度はちゃんと正常値が出て、結果的にはオーライだったらしいのだけれど。

 こういう事件が頻発するといけないから、ヤクルトの容器には「検尿には使用しないでください」と明記しておきべきでしょうな。時代の流れとして。

 

7月10日(火曜) 深夜

 年に何度か、職場のビルの火災報知システムが点検される。

 その度に突然、けたたましいサイレン音とともに「避難してください!」という自動音声ガイドが響きわたって驚かされる。

 こうやってちょくちょくチェックするのは防災上大切だとは思うのだが、問題は防災管理者の声が小さすぎるということ。いつも「今から防災システムのチェックと訓練を行います」という放送を流しているらしいのだが、これがたいてい聞こえないんである。

 だからいつも、火災報知システムが突然作動する。就職した当初は、そのたびに「うわっ!」と思って身構えていたのだが、次第に「またチェック&訓練か」と思って、ちょっと驚くにとどまるようになってきた。これはぼくだけではなく、他の社員もみな同じである。

 このぶんだと、本当の火災でシステムが作動しても、絶対に誰も避難したりしないと自信を持って断言できる。まるで狼少年の寓話だ。

 訓練すればするほど、実際に火災が起こったらダメになるというユニークさが、ウチの職場の自慢です。

 

7月9日(月曜) 深夜

 本日のカメラ。

 携帯電話のカメラで撮ったため被写体が小さく分かりにくいが、鳥を写しているオジサンのカメラが日傘と一体化していた(正確には三脚のボディに日傘がジョイントされている)。なるほど、これだと日焼けしないうえ、両手を自由に使えるから、写真撮影には持ってこいである。

 iPodに携帯電話機能が付いてくる時代であるから、そのうちデジタル一眼レフにも携帯電話&日傘機能が付いてくるかもしれませんな。

 

7月8日(日曜) 深夜

 広告に「オープン価格」って書くのはそろそろやめにしないかい?

 こっちは「定価」を知りたいんだよ! このウンコたれ!! 屁こき虫がっ!!

−−−

 コホン。ええと気を取り直しまして。

 今朝、所用あったのだが寝坊して、目が覚めたのが家を出る時間の10分前だった。

 あわてて飛び起きて、顔を洗って外出用の服に着替えた時点で7分が経過。

 残り時間の3分間で朝食をとるかどうかで迷いに迷ってしまった。ヨーグルトにコーンフレークをかける程度なら食べられるだろうか…。いやしかし、今から準備していたら間に合わないかもしれない…。でも量を少なめにしたら食べられるかもしれない…。

 …と逡巡すること3分、時間になったので家を出ました。迷って損した。

 

7月6日(金曜) 夜

 某新聞社の印刷工場を見学させてもらったとき、記念品として頂いたボールペン。

 ごく普通の新聞記事が、そのままデザインに使われているのが素晴らしい。とくに大きなニュースでもなくイベントでもなく、「偽名領収書 廃止」である。ああ、こういう感覚のやつが欲しいとなんとなく思ってたんっすよ!! どうしてぼくの好みのツボをこんなにうまく突いてくるんっすか!?

 そういや中学生の頃、英字新聞をランダムに貼り付けたようなデザインのグッズやらTシャツやらが流行したことがあるけれど、外国人が見ればきっと、このボールペンみたいな感じだったんでしょうな。 内容も「市内の中華料理屋で強盗事件発生。売上金12万円が奪われる」みたいなのだったりして。

 今こそ着たい、英字新聞Tシャツ。

 

7月5日(木曜) 深夜

 痴漢で逮捕された容疑者がしばしば口にする言い訳に、「仕事のストレスで疲れていた」というのがある。

 これがいつもよく分からない。本当に疲れていたら、痴漢なんていう面倒な行為をする元気もないだろう。「バテマラ」という言葉もあるにはあるが、疲弊しきった人は普通、なにをする気も失せるのではないか(うつ病になると多くの場合、性欲がなくなる、というのは広く知られている話である)。

 情けない行為が露呈した恥ずかしさを打ち消そうという心性なのかもしれないが、見苦しくて余計に恥ずかしいと感じるのはぼくだけではないだろう。だったらいっそ、本当のことをストレートに言ったほうがまだかっこいい。

「最近すっかりご無沙汰で鬱憤がたまってまして…。ムスコのほうはもうビンビンだったんですけど、かといって風俗に行く金もないしで。そんなとき、満員電車でムッチリした女性のお尻が目の前に現れたもんですから、もう辛抱たまらなくなってですね、我を忘れてこう、ムギュッ! と…」

 でもよく考えたら、こんなセリフ、ニュース番組でそのまま流せませんですな。「容疑者は痴漢の動機について、鬱憤がたまっていたと話していたということです」とか、サラッとまとめられてしまうんだろう。

 だったら、もっと本質的な理由を述べてほしいとも思う。「女のケツを触りたかったからや!」 …これならさしものアナウンサーも、きれいにまとめられないどうだろう。「容疑者は痴漢の動機について、女性の臀部が好きだったと話しているということです」なんて風になるんだろうか。

 ぼくも将来、もし劇場型犯罪とかやらかして捕まったら、「仕事のストレスで疲れていた」と言おうと思います。無難そうやし。

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 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「分煙するなら分赤も!」。 赤ん坊の泣き声問題について、好き勝手なことを書いてます。世の女性たちを敵に回してしまいそうな不安もあるんですが、こういう度量の小さいヤツもおるんだな、くらいの気持ちで大目にみていただければと。

 よろしければご覧いただけると嬉しいです。

 

7月4日(水曜) 夜

 先日、近所に住んでいる男友達の下宿(一人暮らし)にお邪魔したら、洗面台に歯ブラシが6本も立っていた。

 彼女の分が1本あるとしても、2本しか要らないだろう。なのにどうして6本も!?

 理由を尋ねたところ、こんな返事がかえってきた。

 「ボロくなった歯ブラシって排水溝の掃除とかに使えそうじゃん? だから使い終わったやつを捨てずに置いてるんだよ」

 しかし実際に掃除することは滅多にないから、こうやってどんどん増えているんだという。

 なあんだ。女が5人も6人もいるのかと思えば、こんなことだったか。

 そういや随分と前にダウンタウン松本が言っていた(細かい内容はうろ覚え)。

 当時は、へーなるほど! と思ったものだが、こんな面倒なことをしなくても、常に6本くらい歯ブラシを立てておけばいいのだ。

 

7月3日(火曜) 深夜

 生卵をそのまま凍らせてみたいと思ったことはないかい?

 私は一度だってない。神に誓ってないと断言する。それなのに凍らせちまったんだ。

 なぜかって!? 

 そいつはいい質問だ。答えはただひとつ。

 夏場だからと思って冷蔵庫のスイッチを「強」にしたら、とてつもなく冷えて、生卵がみんなカチコチになっちまったってわけさ!!

 そこで今回は、その様子をご紹介しよう。

このとき私は、卵が凍ってるって事実にまだ気づいていなかった。その数秒後、自分が世界一の愚か者だったってことに気づいた。普通に割ろうとしたら全然割れなかったんだ。
 
こいつは明らかにおかしい! とにらんだ私は、無我夢中で殻をむいたんだ。そうしたらこのザマさ。思わず叫んだね、「おお神よ!」「この卵は凍ってる!」って。
勢いづいた私は、もう自分を抑えることができなくなっていた。生卵がそのまま剥けてしまうのだから! 私に残された道は、ただ神のご加護にすがるのみだった。
 
10分経過。おそらく君にも見えるだろう。黄身の一部が溶けているようすが…。これを刺激的な出来事だと思わない人が果たしているだろうか? 否、いるはずがない。
30分経過。すっかり元の生卵に戻ったと確信した私は、次の行動に出ることを選択した。自分の道を行け! という両親の言葉を思い出し、それを実行に移そうと決めたんだ。
 
私が選択した行動…それは讃岐うどんに、新たに買い直した、凍っていない生卵を入れることだった。解凍した卵は処分したってわけさ。その理由はひとつ、不味そうだったからだ。

 みんなも是非、生卵を凍らせてみてほしい。これが私からの伝達だ。

 

7月2日(月曜) 夜

 魚ぞうめんって、京都以外にはあまりないものだったのか。読者のかたからのメールで知りました。

 ちなみに魚ぞうめんというのは、そうめんを魚の形にしたものです。ウソです。

−−−

 本日の自転車。

 京都市内も最近、自転車の路駐の取り締まりがきびしく、数時間置いていただけで撤去されたりするのだが、この自転車の持ち主はあくまで強気である。

 「撤去しないでください」

 この正直さが素晴らしい。みんな心のどこかで思っていても、常識にとらわれて抑えてしまっていた言葉を、そのまま表現している。正に「ロック」である。

 ぼくも「通報しないでください」とプリントしたTシャツを着て万引きとかしようかな。

 

7月1日(日曜) 夜

 知人と"Billy's Boot Camp"について喋っていたとき、つい「ビリーズ・ブートギャンプ」と言ってしまった。

 幸い相手には気づかれなかったけれど、やっぱり自分は日本人だなァと思い知らされる。

 ただ、いくら外来語であっても、ここは日本である。「ゴミ+ふくろ」が「ゴミぶくろ」になるように、「手巻き+すし」が「手巻きずし」になるように、「魚+そうめん」が「魚ぞうめん」になるように、続く言葉は濁音になるのが掟だろう。

 これは「連濁」と呼ばれる日本語の法則で、広辞苑(第五版)にもちゃんと収録されている。

れんだく【連濁】
 2語が複合して1語をつくるときに下に来る語の初めの清音が濁音に変ること。
 「みかづき(三日月)」の「づき」、「じびき(地引)」の「びき」の類。

 ちなみに本日、蒸し暑かったので今シーズン初めて冷房を入れた。いわゆる初グーラーである。

−−−

 全然関係ないけれど、最近になってようやく「レギンス」という名称を知った。ずっとスパッツだと思っていた。 

 で、自分が心底ファッションに疎いことを再確認して、密かに落ち込んでいたわけですが。

 昨夜さっそく夢に見た。街を歩いている女性たちに「それってレギンスですよね!?」と嬉々として声をかけている自分の夢である。

 夢から目が覚めて、あまりの情けなさに死にたくなった。夢でここまで落ち込んだのは久しぶりかも。

 


  2007年6月のプチ日記 

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