5月29日(金曜) 深夜
本日の YouTube。
…すみません、先日映画館で観た『グラン・トリノ』がとてもよかったので YouTube で余韻に浸ろうと思ったら、こんな画面になったもので。
当該の動画はプロモーション映像だと思うのだけれど、それでも勝手にアップロードされたら著作権侵害になるのが可笑しい。だったらテレビCMの映像なんかも「著作権侵害の申し立てにより削除」されているんだろうか。無料でCM流してくれてるのに。
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それにしても、YouTube に申し立てすると、敬称はすべて「〜さん」になるんですな。Warner Bros. Entertainment Inc. さん。なんだかフランクな感じだ。
キリン「氷結」のCMなんかをアップロードすると、次のようなメッセージが出るんだろうか。
「この動画は、キリンさんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました」
動画検索すれば分かるんだろうけれど、面倒なのでやりまへん。
5月28日(木曜) 深夜
電車のなかで、近くに立っていたカップルの女性のクシャミが変だった。
「ブワックショッ!…ックシュン♪」
おっさん顔負けの盛大な勢いで噴出したかと思えば、そのまま妖精のように可愛らしいクシャミへとフェードアウトしていったのだ。まるでトヨエースにローバーミニの車体がついてきたかのような違和感というか、大五郎のジャンボ瓶から化粧水が出てきたかのような違和感というか。
いやまァ、気持ちは分からないでもない。生理的反応として馬鹿デカいクシャミが出てしまったものの、眼前に彼氏がいることを咄嗟に思い出して、あわてて取り繕った結果なのだろう。ただ、それが全て透けて見えてしまうと、かえって逆効果なのではないかと他人事ながら心配してしまう。
彼女のこんな姿を見たら、普段は「ブワックションッ!」と豪勢なクシャミをしているにもかかわらず、自分の前ではそれを隠して可愛らしい自分を演じようとしていることがバレバレである。こういうところで猫をかぶる安直な距離感が相手をゲンナリさせてしまうように思うのだ。自分たちの関係って、そんなに安っぽくて表面的なものだったのかと。
だってそうだろう。もしあなたの恋人が大五郎のジャンボ瓶に伸ばしかけた手を引っ込めて、妙に気取ったカクテルなんかを購入したとしたら、「素の自分を出すか、完全に騙すかのどっちかにしてよ!」と言いたくなるんではないか。それこそ一事が万事で、他にもいろんなことを取り繕っているんじゃないかという猜疑心にかられるんではないか。
このように考えると、取り繕っていること自体を演技として利用して、「本当は妖精みたいな自分だけど、それが恥ずかしいから、あえて豪快なクシャミをする私」を演出するのが最も効果的かもしれない。「可愛らしさを隠し切れない自分」を演出するわけである。
「クシュ…ブ、ブワックショーイッ! 畜生め!!」
ただ、これをやっていいのはご婦人限定であって、同じことを殿方がやると、しょぼいクシャミを無理やりマッチョに見せているみたいで逆効果なので注意が必要かもしれません。
ま、クシャミひとつでこんなにゴニョゴニョと屁理屈こねてる時点で、すでにアウトかもしれませんが。
5月27日(水曜) 深夜
いつもと違う気分を味わおうと、通勤駅までの通り道を一本変えてみた本日。
そういや小学生の頃は、登下校のルートが厳密に定められていた。このルート以外は通ってはならぬ! と先生から厳しく言われていたのだ。
ただ、ダメと言われたら反射的にやりたくなるのが小学生である(今でもそうだけど)。当然のことながら、自称「ワル」の面々は旧友の目を盗んで、別のルートで下校する日々を繰りかえすことになった。そして、その禁じられているルートのことを、ぼくらは「ワープ」と呼んでいた。
たとえば下図のような具合である。
どうして「ワープ」なのかと言えば、正規ルートよりも距離が近くて、アッという間に到着するような気がするから。しかし今になって思えば、全然近くなってない。禁じられているルートに足を踏み入れているという緊張感から猛ダッシュしていたものだから、自ずと早く着いていたのだろう。
それでも当時のぼくらは、「今日も…ワープするけ?」「おお、しようや!」「誰にも言うなよ!!」とか叫びながら、ウワアアアーッと一挙にワープする日々を過ごしていたのでありました。
通勤駅までの通り道を一本変えてみたら、こんなことを思い出して懐かしくなった本日。これからも、たまにはワープと洒落込もうと思います。
5月26日(火曜) 深夜
しばらく更新があいてしまいましたが。
とくに忙しかったわけではなく、時間のほうが勝手にどんどん経っていっただけの話です。時間が悪いということでひとつ。
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ところで最近、酔っ払うと知らないうちにブレブレの写真を撮っていることが多い。
これまでは飲んで帰った翌日、欠落した記憶をデジカメの画像で補うのが密かな満足だったのだけれど、おかげでそれすらもおぼつかなくなっている。とにかく写真という写真がブレブレで、なにがなんだか分からないのだ。
これなどはまだマシなほうである。それにしてもワインクーラーにボトルを垂直に立てると滅法ダサくなりますな。よければ真似してください。
マイクを持ってる人がいるので、かろうじてカラオケ屋で撮ったのだとわかる。もちろん人物が高速で動いてるわけでなくて、手ブレです。 おそらくバーで撮った一枚。写っているのはたまたま隣席に座っていた女性客だったと思うが、顔がエクトプラズムみたいになってます。 ものすごい乱気流のようですが、これは多分バーの別グループの男性客。なんでこんなもん撮ったのか皆目分からず。
もはや手ブレなのか何なのかすら判然とせず。これがもし現代芸術気取りで撮ったものだったら自分に殺意を覚えます。 光源があると手の動きがそのまま描かれます。1/2秒のスローシャッターだから、0.5秒間にこんな手の動きをしていたわけだ。酔っ払い。 光源が多いとこんなことに。店内なのか道路なのかさえ特定できません。そういやオーロラってこんな感じなんでしたっけ。違いますか。
いよいよ豪快な手ブレになってきました。泥酔してぐるんぐるん回ってるのが、そのまま表現されてます。うん、これ泥酔したときの視覚世界だ。 そしてついに、水墨画のような境地へといざなわれてしまいまた。ただただ呼吸をするように写真を撮っているのが自分でも伝わってきます。
ちなみにこの手ブレ問題、カメラの設定をフラッシュOFFからONに変えれば解決してしまうのだけれど、そうなったら鮮明に見えてくるであろうレンズの向こう側が恐ろしいような気がする。
ぼんやりした世界に浸りたいからこそ、ぐでんぐでんになるまで飲む。飲むにつれて写真もどんどん、ぼんやりしてくる。
やはり、写真は写心なんでありましょう。…って、気の利いたこと書いてるみたいですが、アラーキーの言葉ですので念のため。
5月22日(金曜) 深夜
アリとキリギリス。
【オリジナル】
アリとキリギリスがおりました。アリは夏のあいだ、冬にそなえて食糧を蓄え続けました。キリギリスは夏のあいだ、歌をうたって楽しく過ごしました。そして冬がやってきました。食べるものがなくなったキリギリスはアリに助けを求めましたが相手にされず、そのまま飢え死にしました。【アリの視点から】
夏のあいだ中ずっと歌をうたっていたキリギリスが、冬になったとたん私たちのところにやってきて、「飢え死にしそうだから食べものを恵んでくれ」と言ってきました。キリギリスが飢え死にしたら私たちの貴重なエサになるから、もちろん断りました。早く死んでくれないかなー。【キリギリスの視点から】
アリの連中は夏のあいだ中ずっと、近辺の食べものを奪っては巣に貯め込んでいました。他の虫たちはみんな迷惑していたし、自分はそんなハシタナイ真似はしたくないので、みんなを楽しませるために歌をうたっていました。冬になっていよいよ食べものがなくなってきたので、恥をしのんでアリに助けを求めたところ、すげなく断られてしまいました。このままでは飢え死にしてしまいそうです……。 助けてください!!【地中のミミズの視点から】
アリもキリギリスも、夏のあいだにたくさん糞をしてくれたので、土の栄養が豊富になって過ごしやすいです。冬になって、なにやらアリとキリギリスがもめているようですが、私たちにとってはどちらも神様のような存在です。本当にありがとう!!【人間の視点から】
せっかく購入したマイホームの庭なのに、アリとかキリギリスとか出るようになりました。アリは家に入ってこられたら迷惑だし、キリギリスは鳴き声がうるさいので、アリコロリと殺虫剤を買ってきて両方とも退治しておきました。【鷲(ワシ)の視点から】
アリとかキリギリスとか、そんな小物は腹の足しにもならないので、何がどうなろうと興味ないです。ヒヨコとかネズミとかの話をしてください。
真実なんて、きっといくらでもあるんだと思います。
5月21日(木曜) 深夜
マスク売ってないかとドラッグストアを巡ってみたところで、どこも品切れ。
マスクなんて買いたくないのだけれど、着けてないと同僚からの冷ややかな視線が突き刺さるので、しぶしぶ店に足を運んでいるという次第。でも、ここまで品切れだと、「探し歩いたけどどこも売り切れだったんです!」と言えるので実は嬉しい。おまけに買わなくていいし、着けなくてもいいのだから一石二鳥である。
ただ、せっかく店まで出向いたのに何も買わないで帰るのも癪なので、インフルエンザにかかったときのために、ちょうど100円セール中だったゼリー食品を買いだめしておいた。
数年前、ひどい風邪で高熱が続いたとき、ゼリー食品のお世話になったのを思い出したのだ。
39度前後の熱がずっと続いてカップラーメンを作るのさえおぼつかない中、なにより頼もしかったのはコレだった。キャップを取れば寝たまますぐに食べられるうえ、カロリーもビタミンも水分も含まれている。つくづくありがたい製品だなァと、病床でひそかに感謝していたのだった。
ほとんどの人々が現在、「予防」ばかりにとらわれてマスク購入に奔走しているけれど、ぼくはさらにその一歩先、「感染」に主眼をおいて準備を整えているわけである。今後は新型インフルエンザが快方に向かったときのために、本とかDVDとかも用意しておこう。きっと退屈するだろうから。
皆さんも今のうちから、本とかDVDとか買い占めておいたほうがいいですよ!!
5月19日(火曜) 深夜
新型インフルエンザのあおりを受けて、こちら京都でも街ゆく人々のほとんどがマスクを着けている現況。
パニック映画が現実になったかのような光景を目の当たりにして、ただただ唖然とするのみである。電車の中はもちろん、地上に出てもマスク。ふと道路を見れば、マイカー通勤してる人までマスク。思わず笑いそうになってしまう。
ぼく自身もともと神経質なほうで、「帰宅したら医療系方式で手洗い」「手でモノを食べない」「洗ってない手で鼻をほじったりしない」等の自分ルールを数年前から励行しているクチなのだけれど、それにしても今回の騒動はすごいなァというのが正直な感想。現在の状況って、マイカーの中でもマスクしなくちゃならないほどの緊急事態なんだろうか。病原性からしても、これまでよりも少々感染力の強いインフルエンザという程度みたいだし。
個人的にはここまでやる必要あるのかなあと疑問に思ってしまうものの、こういうとき多数派に従わずマスクをせずに過ごしていると、「おまえが感染するのはいいけど、それが子どもやお年寄りに伝染したらどうするんだバカ!」などとなじられるのがオチなので、せめてポーズだけでもと思い直して薬局に立ち寄ってみたところ。
どこに行っても「マスクはすべて売り切れました」の告示。いやー、すごいですねえ。
ただ、こういう状況下でマスクを着けずに過ごしていると、出遅れて買いそびれた可哀想な人みたいに見られそうで恥ずかしくなってくる。いやまァ、買いそびれたと言われればそうかもしれないが、メンタリティとしてはそうではない。といって、ポーズとして着け ようとしたら売り切れてただけなんだもん! などと声高に駄々をこねても袋叩きに遭いそうなので、ここは涙をのんで、買いそびれた可哀想な人と見られるほうが保身につながるのだと自分に言い聞かせることに。
…というわけで、買いそびれた感を一層確実に演出するため、引き出しに眠っていたバンダナを口元に巻いてみたんですが、あまりにもあんまりな自分の姿に卒倒しそうになり、これだけはやるまいと誓った本日でありました。
一日も早くインフル騒動が終結しますように。この願いだけは同じです。
5月18日(月曜) 深夜
先週末の飲み会で、知人のSさんが何度もゲロを吐いていた。
二度目、三度目になると胃の内容物がほとんどないので、胃液のみを吐くことになる。このときの胃液の味が大嫌いだというSさんは、吐き気を催すたびに、「ゲロの味つけをする」と言って、オレンジジュースやクッキーを口にしてからトイレに足を運んでいた。吐くまえに甘いものを食べておくと、胃液の酸っぱさと合わさって爽やかな風味になるらしい。
実を言うとぼくも、レモンチューハイなんかを飲んだ後のゲロは、けっこう美味しいと思っているクチなのだけれど、Sさんのようにゲロを味つけするという発想は浮かばなかった。美食を堪能し続けるために食べては吐いてを繰りかえしていた中世の貴族もビックリである。
ゲロを忌まわしいものとして目をそらしてばかりいても問題は解決しない。むしろ、それを味わうものとして積極的に向き合っていくSさんの姿勢にこそ、根本的な解決があるのではないか。
とりあえずぼくはピリ辛風味が好きだから、吐く前には唐辛子&旨み調味料あたりを胃に入れてみようかと思案中です。これに胃酸が加われば、世界三大スープのひとつ、トムヤムクンのような風味が楽しめるんじゃないかと期待している次第。
美味しいゲロの作り方、なんていうレシピ集が人気を博する時代が、もうすぐやってくるかもしれません。
5月14日(金曜) 深夜
一人でビール飲みながら半生を回想していたら、ふと思い出した。
あれは小学校低学年の頃だったろうか。いつものように実家でひとり遊んでいたある日、親が使っているタンスの裏側に小さな穴が開いていることに気がついた。そして咄嗟に、その穴はタンスの「眼」であって、毎日ひそかにぼくらを監視しているように思えてきたのだった。
そう思うと、タンスがなんだか得体の知れない恐ろしい存在のように感じられてきて。両親に相談しようかとも考えたのだが、今度は、「秘密」を親にバラしたことをタンスに知られたらどんな制裁を受けるか分からないという恐怖が芽生え、気がつけば心の中で「ごめんなさい!」「ぜったい言いませんから!!」と哀願していた。
その日以降、タンスの近くを通るたびに、わが身の潔癖をアピールするため心の中でつぶやき続けた。ときには友達と悪さをしたこともあったが、その場合は先手を打ってタンスに懺悔した。とくによくも悪くもないことでも、逐一タンスに報告した。
「あなたのこと、ほんとに親には言ってません!!」
「今日は友達と一緒に犬のうんこを踏みました」
「ちゃんと毎日、歯を磨いてます」
「靴下がやぶれました」
しばらく報告を続ける日々を送っているうちに、それだけではタンスのご機嫌を十分にとれていないのではないかという不安が頭によぎるようになった。なにしろ得体の知れない不気味な存在なんである。たまには褒めておかないと、なにをされるか分かったもんじゃあない。
「きれいなタンスですね」
「とてもずっしりしていると思います」
「ぼくもあなたみたいになりたいです」
「いつもいてくれてありがとうございます」
こんなテキトーなお世辞を並べるのがすっかり日課となってしまい。
しかし、しょせんは小学生である。しばらくしたら褒め言葉のレパートリーが底をついてしまい、「今日はどうやってタンスを褒めようか…」と苦悩する毎日を過ごすはめになってしまったのでした。
たまに実家に帰ってこのタンスの前を通ると、今でも無意識のうちに褒め言葉を頭に浮かべている自分がいる。その言葉は「ご無沙汰しております」だったり「変わらずお綺麗で」だったりする。もちろん、タンスに生命が宿るなんて信じているわけではないのだけれど。
いま思うと、当時のタンスはぼくにとって、まさしく「神」だったのかもしれない。タンス教。
5月13日(木曜) 深夜
長崎みやげとして自分用に買って帰った「うに豆」。
うにで味付けしたソラマメらしい。もともとソラマメは好きであるうえ、普段なかなか食べられない「うに」である。これが300円程度で味わえるという喜びに思考停止状態となり、駅の売店で半ば衝動的に購入した一品だったわけですが。
さっきビールのつまみ(兼夜食)にしようと思って食べてみて驚いた。
いくら口にしてみても、ただのソラマメなんである。
いや、ソラマメは美味しい。芳ばしい風味と独特のかおりがビールによく合うし、粒が大きいゆえの食べごたえも頼もしい。ソラマメには何の罪もないし、それどころか、常日頃からお世話になっている感謝の念をささげたいくらいだ。うん、いつもありがとう。
しかし、名前に冠された「うに」のほうはどうなったのか?
いやまァ、うに様は決して常日頃からお世話になるような近しい存在ではなく、むしろ拝謁できるだけでも身に余る光栄に存じ奉るような存在だった。高貴すぎて雲隠れなさっているのかもしれない。ただ、今回ばかりはそれでは困るのだ。大枚(百円玉だけど)を3枚も出して購入に踏み切ったのだから。
もしかするとぼくの舌が鈍感なだけかもしれないと思い直し、気合を入れてじっくり味わってみるも結果は同じ。ソラマメの表面に甘辛い風味を感じるのみである。ああ、うに様よどこに? それともこの製品において、うに様はとうとう概念上の存在となってしまわれたのか!?
気になって成分表示を見てみたところ。
生うにの使用量は「食塩よりも少なく、唐辛子よりも多い」ことが判明した(原材料名は使用量の多い順に表記するよう義務付けられている)。なるほど、食塩はほんのわずかでも塩辛いけれど、同量の生うにを食べたところで、それがいったい何なのかもよく分からないことだろう。
そういや静岡土産の「うなぎパイ」に、うな丼のような味とボリュームを期待する人はいない。「かっぱえびせん」に対して、えびは入っているのに、かっぱは入ってないじゃないか! と文句をつける人もいない(かっぱのすり身が入っていても恐いけれど)。これと同じく「うに豆」も、無粋なことは言わずに、ロマンとしての「うに」に思いを馳せながらいただくのが正しい食べ方なのかもしれない。
…とかなんとか必死で合理化しながら、ソラマメをついばむ本日なのでした。まったく世の中は生きづらい。
5月12日(火曜) 夜
昨日の日記の「はるか遠くの水平線がおよそ30km先らしい」という文面に関して、読者の方からご指摘をいただきました。
水平線までの距離はどの高さから見るかによって違ってくるのですが、30キロだと海抜約60メートルから見る事になりますので、少し高いとこから見下ろしすぎではないかと感じました。
30kmというのは聞きかじりの知識をそのまま書いてしまったのだけれど、調べてみたら確かにその通りで、地球の大きさから三角関数の公式を用いて概算すると、水平線までの距離はおおよそ次のような公式になるみたいです(参考:たとえばこちらのサイトなど)。
水平線までの距離(単位:メートル)=3570×√h ※hは海面からの高さ(単位:メートル)
ということは、軍艦の甲板の高さはおよそ海抜5mくらいなので、これに身長を加えた数値を入れると、甲板に立ったときの地平線までの距離はおよそ9km先ということになります。艦橋の上部でも高さは30m程度なので、上まで登っても地平線までの距離は20km弱。
自分でちゃんと調べもせずにイイカゲンなことを書くとロクなことがないという、反面教師としてご参考になれば幸いに存じます。
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いやーしかし、改めて三角関数とか目で追ってみても、「おっしゃりたいことが分かりかねますが…」状態になってしまうのが情けない。
サイン、コサイン、タンジェントの基本くらいは高校時代にちゃんと習ったはずで、微分積分に進むまでは一応まともな成績を取っていたはずなのだけれど、ここまでワケが分からなくなっていると逆に爽快な気分になってくる。普段から使ってない知識とかって、ここまで無くなってしまうんだなァと。
高校時代の授業で習ったことでいまも覚えてるのって、保健体育の知識くらいかもしれません(それも性器限定)。
5月11日(月曜) 深夜
今回は長崎・佐世保での観光写真です。
JR佐世保駅に鎮座していた、佐世保バーガーのモニュメント。ただただ唖然とするのみです。おまけにハンバーグぶ厚すぎて変だし。
ガイドブックに載っている佐世保バーガー店はどこも1〜2時間待ち。ハンバーガーひとつ食うのに何時間も待つ日が来るとはなァ…。 何時間も待つのはあまりに馬鹿らしいので、結局時間を指定して購入。ログキットのスペシャルバーガー(880円)。デカいけど高い。味は普通。
佐世保でのメーンイベント、海上自衛隊は護衛艦の一般公開に足を運んできました。今回は「とね」と「しまかぜ」に搭乗できるという幸運。
自衛隊基地内のジュース自販機。普段のご苦労をおもんばかってか、定価よりも安い価格設定でした。ぼくもこれにあやかってお茶を購入。 ハープーン対艦ミサイル。海面スレスレを飛んで敵艦のレーダーに引っかからないようにできるんだとか。
76mm速射砲。かっこよく撮ろうと思ってグッと寄ったら、たいそう間抜けな写真になってしまいました。これじゃあ砲身が赤ちゃんのチンチンだ。 「アスロック」8連装発射機。50km先の標的も狙える長距離魚雷らしいです。はるか遠くの水平線がおよそ30km先らしいからスゴい。
主要な装備にはそれぞれ、整備担当者の名前が記させていて、たとえばこれは田嶋3曹さんが担当しておられます。
そして思わず笑ってしまったのがコレ。落水士長。軍艦の搭乗員として落水という名前を持っているのはどんな心境なんでしょうかねえ。 ラブホテルかと思って近くで見てみたら、本物の教会だった。昭和6年に建てられた由緒正しき教会なのだそうで。失礼いたしました。
教会は出入り自由。念のため入ってみたら、主イエスの偉業の数々が書かれておりました。イエス、エルサレムの婦人を慰める。へえ。
こうして一通り佐世保を観光したのち、ウイスキーとミネラルウォーター(2リットル)を買い込んで新幹線に乗り、トイレに5回くらい行きながら京都に帰ってきました。長時間にわたる新幹線も酔っ払ってるとアッという間で、むしろ乗っていた記憶すらないくらいです。
5月8日(金曜) 深夜
本日の思わず駄洒落になってしまったは、「時間を実感できる」です。
それはさておき、今回は長崎市内の観光写真でも。
長崎駅から路線電車で10分ほどにある繁華街、思案橋付近にて。いつかこんなマンションに住んでみたいものですな。
そのまま中華街付近をぶらついていたときに見つけたスナック。本当にどん底なんだろうなと思わせる風格。エリートマンションと対比してます。 中華街で行列の末ありつけた長崎チャンポン。なんだか白湯(パイタン)ラーメンみたいでがっかり。これで900円は高い!!
ビードロの絵付けに挑戦してみました。我ながら風流な仕上がりになって、すこぶる満足しました。吸うとガラスが肺に入るかもしれず危険。 市街にはこんなジャンボサイズの「白ポスト」が。長崎はエロ本の街なんでしょうか。気になってデジカメを中に突っ込んで撮ってみたところ…。 おおーっ! 決して大漁とはいえないまでも、エロチカブックスがしっかり入っておりました。思わず「欲しい!」と思ってしまう自分に落涙。
なんとなく『千と千尋〜』に出てきそうな光景と思って撮ってみたものの、改めてみると驚くくらいそんなことありませんでしたの一枚。
「人休味」と書いて「ひとやすみ」と読ませます。なんだかスプラッターホラーの香りがするのはぼくだけでしょうか。
またもやジャンボ白ポスト! さっきの収穫(現物は取ってませんので念のため)に味をしめて、こちらも内部を撮影してみたんですが…。
二匹めのドジョウならぬ、二つめのエロ本はありませんでした。こんなもん胎児にだって見せられるわいっ! と内なる怒りが込みあげてくる。 長崎駅ホームの「ハイパーかも」。ちっとも特急列車らしくない。「合鴨エクスプレス」とかもあるんでしょうか(本当は「ハイパーかもめ」です)。
そして最後は、無駄に美しい夕焼け空を車窓に眺めながら、長崎市内を後にしたのでした。ありがとう長崎、さようなら白ポスト。
次回は佐世保に向かう予定です。もう3日も前のことですが。
5月7日(木曜) 深夜
今回は長崎県沖、軍艦島を巡ってきた写真でも。
まずは軍艦島のお勉強。正式名称は「端島」で長崎港沖20キロ付近にあり、地中深くまで炭鉱が掘られていたそうです。
クルーズ(110分)の料金は3300円。座席は既に満席で、予約しておいてヨカッタと胸をなでおろす。ま、上陸ツアーは取れなかったんですが。 雨天にもかかわらず、張り切って出港の30分前から桟橋に並ぶ。ここはがんばっていい席に座らないと!!
幸いなことに、ぼくの前に並んでいた客はまだ10名足らず。ところで、前に並んでいた女性が美人なのに傘メチャクチャで可笑しかったです。 三菱重工業のドックに最新鋭イージス艦「あしがら」が停泊していたので思わず撮影。軍艦島よりもこっちのほうが見たかったかも。 こちらはNTTの船舶「すばる」。海底に光ケーブルを敷設するための専用船なんだとか。いろんな船を見られて単純に楽しい。
出港から30分少々経ったころ、見えてきました軍艦島!みんな身を乗り出して写真を撮り始めてます。
迫ってきた軍艦島。たしかに色合いとか軍用船っぽいけれど、軍艦というより輸送船という印象。でも「輸送船島」だとちょっと…ですな。
島の周りをゆっくりとクルージング。乗客たちはみな大興奮だったけれど、ただの古いビルである。これが地上だったら見向きもされません。
…とか言いつつ、ぼくも興奮しながらパシャパシャ撮っていたクチなんですが。改めて写真で見ると、ちょっとテンション下がる。 そしてあろうことか、立ち入り厳禁のはずの島内に竿を持った釣客の姿が。こんなに気が抜ける体験をしたのは久しぶりでした。
持参のぬいぐるみと共に撮っていた若い女性客。これはこれで気が抜けるけれど、心の広い自分をイメージして、なんとか切り抜けました。
そうそう、軍艦島クルーズの船に乗るときは、進行方向に向かって左側の席に座ったほうがいいですよ(島周辺のクルーズは反時計回りだから右側席からだと乗客に阻まれてよく見えない)。ぼくなどは真っ先に右側に座ったせいで、多大なる苦労を強いられました。
次回もおそらく長崎旅行の続きです。重ね重ねかたじけない。
5月6日(水曜) 深夜
長崎から帰ってきました。
軍艦島については、写真撮りすぎて収拾がつかなくなってるので、ひとまず初日の写真でも。
新幹線で博多まで行った後、特急かもめ号にて長崎方面に向かう。かもめ号の座席はすべてヒョウ柄だったので緊張しました。
諫早駅の公衆トイレには「高校生の出入りを禁ず」との張り紙が。彼らが繰り広げる喫煙やら不純異性交遊やらに対する消極的実力行使か。 諫早から雲仙に向かう島鉄バスの車中から発見した「タクシー博物館」。見てみたくて仕方ないぼくの心中など尻目にバスは遠ざかるのみ。
こちらは当初から立ち寄る予定だった「マーリンアート館」。ウナギの皮だけで描かれた風景画が有名らしく、楽しみにしていたんですが…。 「本日は、都合にて閉館させて頂きます」との張り紙が。定休日は下調べしていたのだが、まさか臨時休業とは。事前の電話は必須ですな。
それでもあきらめきれず、窓ガラスに顔を押しつけて内部の絵画を拝見させていただく。窓ガラスに顔を押付けたのって小学生以来かも。
こっそりのぼったマリーンアート館の屋上からは無駄に美しい風景。「ウナギアート」の間抜けさとは対極的な。
マリーンアート館の近くにあった、名も知らぬ神社。「せっかく来たんだから」とセコい気持ちから訪れてガッカリするのはいつも同じ。 この日宿泊した雲仙国民休暇村の夕食バイキング。今年初めてのそうめんが美味しかったので、まァよしとしますか。
国民休暇村の売店コーナーにて。素敵な駄洒落のこれでもかというオンパレードに、胃もたれしそうなくらいお腹いっぱいです。
続きは明日にアップしますが、全くたいしたことのない垂れ流し写真集なので、どうぞご期待なさらないでくださいませ。
5月1日(金曜) 深夜
明日から黄金週間。ちょいと長崎まで旅してくるので、しばらく更新できないかもしれません。
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実を言うと今年の2月下旬あたりから、ゴールデンウィークには軍艦島に行こうと決めて、着々と予定を立てていたのでした。
4月下旬には上陸できるようになるらしいという、あやふやな情報だけを頼りに、3月の時点でビジネスホテルを連泊で押さえ、その勢いで新幹線も押さえようとしたら係員から「ご予約は1ヶ月前からとなっております」と一蹴されるも、4月に入るやいなや新幹線の指定席も押さえ、あとは肝心の軍艦島のみという状態にて落ち着かない日々をすごしていたのでした。
4月に入ってからは、来る日も来る日も軍艦島ツアーのサイトをチェックする毎日。上陸する手段はやまさ海運の船舶のみということを知ってからは、やまさ海運のサイトをブックマークに入れて、一日2回はチェックする毎日。これを機に極めて遅ればせながら、はてはアンテナに登録しようかとも考えたほどである。
しかし待てど暮らせど、「4月下旬から上陸が許可される予定です」とのアナウンスしか表示されない。ああ、いつになったら予約開始されるんだよ!?
そして来る解禁日の4月22日。おそるおそるやまさ海運のサイトを開いてみたら、そこには燦然と輝く「軍艦島上陸クルーズ」の文字が!! 取るものも取りあえずすぐに電話したのだけれど、いつまでたってもつながらない(というか電話に出ない)。 これではいけないと即座に機転を利かし、すぐさまサイトの予約フォーム画面を開いて、かつてないほどの高速タッチタイプで氏名、住所、連絡先等を入力して送信する。よっしゃ!!
そしてその翌々日、やまさ海運から待望の返答が届いたのでした。
がーん。それでも諦めきれず、申し込んだ5月3日の前後日もあたってみるも全て満船とのこと。ああ……。
そして気がつけば、ビジネスホテルと新幹線指定席だけはガッチリ押さえているという勇み足加減。
仕方ないので「軍艦島周遊コース」のクルーズを申し込み、こちらのほうは無事予約が取れたんですが、周遊コースなんてものは何年も前から普通に運航されていたのでありました。
まことに自分らしい旅行になったことよのう…と、我がアイデンティティを改めて再確認しております。思えば人生、だいたいがこんな感じだった。
−−−
しかしまァ。
軍艦島は上陸したところで、廃墟から遠く離れた規定の遊歩道(たった200メートル!)を散策する許可しか下されていないから、建造物をじっくり楽しむにはむしろ、周遊クルージングのほうがいいんじゃい! 軍艦島は上陸するものではなく、近くから見るものなんじゃい!
…と、酸っぱいぶどうの典型例のような合理化を反射的にしてしまうところも、我がアイデンティティのひとつです。ご愁傷様。