9月29日(火曜) 深夜
そういえば思い出した昔の話。
大学院にいた頃、バイトで短大の講師をさせてもらっていた(担当していたのは心理学の授業で、おもにストレスと身体反応の関係について)。
ちなみに当時はまだパワーポイントなどという便利なものが普及していなかったので、講義はすべて黒板に板書しながら進めていた。そんなある日、「闘争か逃走か反応」について説明していたときのこと。
「我々がクマに遭遇したとしたら、心拍が増大して、血圧が上昇して…という反応が起こります。これを『闘争か逃走か反応』と呼んでいます」
闘争か逃走か反応。講義の重要なポイントであるだけに、それまでよりもいくぶん大きな声で力説したのち板書しようとしたところ、最初の漢字をド忘れしてしまい。かといって何も書かないのもおかしいので、結局こんな文面を黒板に大書きするはめになってしまったのでした。
「とう争か闘争か反応」
書いた直後、こりゃ失笑が漏れるかもなァ…と戦々兢々の思いで教室を振り返ってみたら、みーんな寝ていて失笑すら沸き起こらなかったという一件です。
あまりにも哀しいので、心の中でこっそり「どっひゃー」とつぶやいたのち、何事もなかったかのように講義をすすめました。
9月28日(月曜) 深夜
引越しするのを機に、テレビなどの家電類をいくつか買い換えようと思って、近くにある某B社に出向いてきた。
同じ商品構成での見積もりを別のT社で既に取っていて、それをチラつかせながら交渉する、という我ながらイヤな感じの客だったのだけれど、その甲斐もあってか、担当者もなるべく安くなるよう、値引きだけでなく、ポイント制度もいろいろ工夫してやりくりしてくれたのだった。
ただ、ポイントというのは規則上、そのまま値引きするという風には使えないらしい。たとえばテレビとDVDと冷蔵庫を買う場合、まずテレビとDVDだけを買ったことにして、それによって生じたポイントを利用して冷蔵庫を値引きする、という風にしなくてはならんというわけである。
ここで問題になるのは、だったら「最後にポイントで値引きした冷蔵庫」に対して与えられるポイントはどうなるのか、ということ。これがそのままポイントとして残ってしまうと、今回の値引きには反映しなくなってしまう。で、これをうまくやりくりするために、アレコレ考えてくれたという次第なのだった。
そして最終的に提示された見積もりを見てみたら、ポイントが「マイナス」の逆ポイントになっていたので驚いた。どういう計算をしたのか知らないけれど、ポイントを全部使い尽くすにとどまらず、さらにマイナスの領域にまで進出した結果、こちらが逆ポイント分の現金を支払わなければならなくなったんである。
それでもT社よりはずっとお得に買うことができたのでまァいいのだけれど、いったいアレはどういう仕組みだったんだろう。「1万円値引きさせてもらった分には千円分の逆ポイントが付いてきますので、千円のお支払いをいただきます」みたいなことなのか。
値引きも昨今はいろいろややこしいのう…と、言われるままに「逆ポイント」を支払いながら思った本日。
9月25日(金曜) 深夜
来月中旬に引っ越すことに決めた。
といっても同じ京都市内に移るだけの話なのだけれど、いま住んでいるワンルームがあまりにも手狭で、いよいよレンタル倉庫の中で暮らしているような 様相を呈してきたもので、もう少し広い部屋に鞍替えしよう! と思い立たざるを得なくなったという次第。
ただ、もうじき引っ越すとなった途端、掃除という掃除をまったくしなくなってしまった。どうせ引っ越すんだから同じことだと思ってしまうんである。
おかげで現在、我が家は急速に退廃を極めつつあるわけでありまして。
引越しまであと数週間あるというのに、この体たらく。だったら新居も「どうせいつか死ぬんだから同じこと」、まったく掃除しなくていいことになりますな。
−−−
ちなみに、「退廃」といえばクリムトとかミュシャとか耽美的な人たちの名が浮かびますが、本当の退廃はこんな感じなんだと思います。エントロピー激増。
9月24日(木曜) 深夜
同僚が実家で獲れたナスビを持ってきてくれた。
で、その中のひとつが何となくエロい感じだったので、興奮しながらパシャパシャ写真を撮っていたところ。
後輩の若い女性がやってきて、「わー、カワイイですね。私も写真、撮ろうっと!」とカメラを取り出して、一緒にシャッターを切ることになったのでした。
まァぼくも大人なので、「でしょ! カワイイよねー」などと適当に合わせつつ撮っておったわけですが、同じものを見ていてもこれだけ感性が違うんだなァと思い知らされた本日。
ちなみに当方、青空と太陽の光景が卑猥に感じられてシャッターを切ったことがあるクチです。もう、どないもこないも。
9月23日(水曜) 深夜
連休はいつも、終わってみればアッという間。
ちなみに連休中は、遠出する気力はないけれど家でじっとしてるのも癪だというありがちな葛藤の末、大阪・神戸あたりをほっつき歩いてました。
京都から大阪に向かう京阪電車の車窓から。中書島〜枚方の区間は個人的に最も好きな風景のひとつです。なんか懐かしい感じといいましょうか。といっても幼少時、こんな川べりに住んでいたわけでもないんですが。
京阪天満橋駅の眼前に鎮座しておられた巨大アヒル。こんなアヒルが本当にいたら、我々人間などはミジンコのようにパクッと食べられてしまいそうですな。正に人を食ったような現代芸術といえましょう。
神戸の巨大家具屋、IKEA。あまりにも大きすぎて、もはや国連本部との違いが分かりません。違いといえば、中に入っているのが国連か家具かだけです。
IKEA内のフードコーナーで食べたホットドッグ(100円)。パンとウインナーだけが機械的に与えられて、あとはセルフでトッピングするという合理的なシステム。味わうというより、摂取するという言葉がピッタリな味と雰囲気でした。
IKEAの商品ブースに座って休憩なさっていた初老の男性。広すぎてご老体にキツいのはよく分かるけれど、これじゃあ折角のディスプレイも老人ホームのたたずまいです。
連休中すっかり疲れてしまったので、明日から平日の仕事にて、なんとかリズムを取り戻したいと思います。
9月18日(金曜) 深夜
本日の映画の法則。
「拷問されながらも相手に唾を吐きかける人物は助かる」
−−−
あと、マズい状況に陥ったときに、「待て! 話せば分かる!」というセリフをよく聞くけれど。
自分の経験ではこういうとき、いくら話したところで相手には全然分かってもらえない。
本当に「分かって」もらいたいなら、一番の近道は相手の話を聞くことだ。こっちがなにか話すと、相手はたいていその数倍返しで喋ってくる。そこでちゃんと耳を傾けるフリをして、「確かに…」とか「なるほど…」とか丁寧に返すことによって、ようやく本当に「分かって」もらえるんである。
だから「待て! 話せば分かる!」と相手を説得するのは間違いで、正確には「待て! 聞けば分かる!」と言うべきだろう。
ま、こんな風に事実を口にすると相手が逆上しかねないから、口では「話せば分かる!」と言いつつ聞くほうに回るという、姑息なやりとりが一番いいんだとは思いますが。
人が本当に納得するのは、相手から理路整然と説得されたときではなく、自分の言いたいことを相手にそのまま聞き入れてもらえたときなのかもしれまへんですな。もちろん逆もまたしかりで、自分が納得したいときにこそ、「待て! 話せば分かる!」なんでありましょう。
9月17日(木曜) 深夜
同僚Aさんは、一人暮らしの自宅を10年来、一度も掃除したことがないらしい。
これだけでも相当な猛者であるが、その自宅というのが親から譲り受けた古い木造一軒家で、おまけに田舎の竹やぶ付近に建っているものだから、崩れた土壁の隙間からいろんな動物が自由に出入りしているという 。
ちなみに、どんな動物が家を出入りしているのかAさんに尋ねてみたところ、
まさに、Aさん宅の中で「食物連鎖」が完成しているのである。ノミ、シラミ、クモ、ネズミ、イタチ、猫という具合に上位動物へと繰り上がっていく中で、Aさんはその食物連鎖の頂点に君臨しているのだ。いやー、本当にスゴい! まさに百獣の王、ライオンのような存在ではないですか!!
…とみんなでヨイショしていたら、Aさんが突然怒り出した。
「オレが食物連鎖の頂点やて!? 言っとくけどオレ、イタチも猫も食っとらんぞ!!」
確かにその通りで、食物連鎖の頂点=最上位の捕食者である。
出入りするようになったイタチやら猫やらをシュッと捕まえて食べているAさんの姿は想像するだけで楽しいけれど、さすがにそれはあり得ない。というか、この食物連鎖はノミやシラミに血を吸われるAさんから始まっているわけで、考えてみればAさんは食物連鎖の最下位に位置しているんである。 百獣の王どころか、シラミ以下。
日々がんばって働いて自宅の食物連鎖を支え続けているAさん、改めて頭がさがる思いです。
9月16日(水曜) 深夜
本日の間違い検索。
実を言うと恥ずかしながら、大学を出るまで「エコー&ザ・バニーメン」のことを「エコー&ザ・バーニメン」だと思い込んでいて、そんなことをふと思い出して懐かしさ半分で検索してみたところ、いやー、ヒットするもんですねえ。
とりわけ検索トップに表示される文面が素晴らしくて、思わず微笑んでしまったという次第。「僕が子供の頃に憧れ、多大な影響を受けたアーティスト達…」とあるのに、エコー・アンド・ザ・バーニメン。ま、もしかしたら単なるタイプミスなのかもしれないけれど、いいなあバーニメン!!
ちなみに、ぼくがどうして己の勘違いに気づいたかというと。
あるとき、彼らのことを「エコー・アンド・ザ・バニーメン」と言ってる知人に出会い、「アハハ、こいつバニーメンやて! バニーメンってウサギ男やんけ。バーニメンやっちゅうに!」と内心で嘲笑しつつ、帰宅してから同じような勘違いをしている輩を調べてみたら、逆に自分のほうが勘違いしていたことを知って愕然としたのでした。
よく考えたら「バーニメン」こそ、いったい何なのかさっぱり分かりません。単に言いやすかっただけなんだと思います。
9月14日(月曜) 深夜
根が面倒くさがりなので、作った料理を鍋のまま冷蔵庫に入れることが多い。
そういうときは鍋にラップをかけて保存するのだが、今度は根が貧乏性なので、そのラップを再利用、再々利用することが多い。一日使っただけのラップを捨てて新しいのに替えるなんて、殿様じゃないんだからと思ってしまうんである。
その結果、数日間にわたってラップが使われることになる。するとどうなるかというと、だんだんラップがくしゃくしゃになってきて、なんとか元に復元しようとするもますますくしゃくしゃになり、たいていは「申し訳程度ラップ」へと落ち着く。
もはや当初の姿はとどめておらず、鍋の半分くらいしか覆っていないのだけれど、だからといって裸で入れるのは精神的に落ち着かないから、やらないよりかはいいか位のつもりでかぶせているという次第。
改めて冷静に考えてみると、これにどれだけの意味があるのか疑問ではあるのだが、それでも何かの儀式かまじないのように、文字通り「申し訳程度」にラップしている自分に気づいてハッ! とした本日なのでした。これまでも漠然と、なんだか釈然としないなァーという不全感は抱いていたものの、こんな莫迦なことをしていた事実が意識化されると、我がことながら情けなくなってくる。
でもまァ、申し訳程度であっても精神衛生に役立っているなら、それはそれでいいやとポジティブに考えることにします。「申し訳程度」って、実はいろんなことの潤滑油になっているような気もするし。ああ、オレは申し訳程度が好きだ、大好きだっ!! …と叫びたいくらいである。
そういや学生時代、申し訳程度ムードンコにて彼女を妊娠させた末、学生結婚に至った輩がいたのを思い出しました。生命の神秘にかかわることについては、「申し訳程度ってダサい!」「僕は申し訳ある付けかたをするね!」等と、イチロー選手あたりにCMしていただくほうがいいかもしれませんな。
9月11日(金曜) 夜
母親が先日、携帯電話の「家族割り」に申し込んだ。
これで(ぼくも含めて)家族間は24時間無料で通話できるようになったのだけれど、問題は母親が基本的に携帯の電源を切っているということ。滅多に使わないのにずっと電源をONしてたら、無駄にバッテリーが消耗してもったいないというんである。
案の定、たまに用事があって母親の携帯に電話しても、100%の確率で電源が入っていない。 やむなく実家の固定電話にかけることになるのだが、これでは無料通話の意味がまったくない。正に馬鹿の一族である。
…というわけで、なんとかならんものかと思って、せめて夕方以降だけでも電源をONにしてはどうかと母親に提案したところ、逆にこんな提案が返ってきた。
「私の携帯に電話したいときはな、まず家の固定電話にするやろ? そこで私が電話に出たら、携帯! って一言だけ喋ってすぐ電話切るんや。そしたら、ああ、○○(ぼくの下の名前)からやなって分かるさかい、こっちからアンタの携帯にかけ直したげるわ。どや、これでええやろ? 合言葉は、携帯! やで」
あまりの馬鹿馬鹿しさに反論する気力すら消えうせてしまい、結局、我が家での通話はこの形式でいくことに決定したのでした。固定電話に出た親に「携帯!」とだけ話して切ったら、数秒後に自分の携帯にかけ直されてくるという、なんともいえない間抜けな通話システムが構築された本日。
ちなみに母親は、携帯電話をむやみに持ち歩いて失くしたらタイヘンというので、固定電話のすぐ横に設置した「携帯電話入れ」という名称の立派な木箱にいつも定置しています。いったい何のための携帯なのか(まァ、いつも電源OFFだから、安置しようと持ち歩こうと同じことなんですが)。
携帯電話を固定電話にヒモで結わえたりしていないだけ、まだマシとしますか。
9月10日(木曜) 深夜
プロ野球の中継を見ていて、いつも思うこと。
ホームベースに選手が滑り込んだ瞬間なんかに、審判の傍らで、味方の選手が「セーフ!」とやっているシーンをよく見かける。
おそらく、審判が「つられて」セーフ判定してくれることを目論んでいるのだと思うけれど、誰がどう見てもアウトなタイミングでも、律儀に「セーフ!」のゼスチャーをしてらっしゃるから可笑しい。そんなわけがないことはお互いに分かっているはずだから、もはや儀式の一種になっているのだろう。
しかし、何事も儀式になってしまうとつまらない。どうせなら味方の選手も、自分の眼で見たまま正直な判定を下したほうがいいのではないか?
必死でホームベースに滑り込んだものの間一髪でタッチアウトされた選手が、ふと天を仰いでみたら、審判も味方選手も二人して握りこぶしを振りかざしながら「アウトーッ!」。ああ、やっぱりそうだよなァ…とガックシ肩を落とす選手、という姿こそがプロの真剣勝負ではあるまいか。
で、ベンチ裏の味方選手たちも全員して、「アウトッ!」と静かにこぶしを握りしめていたり。こういうのってダメなんでしょうかねえ。
9月9日(水曜) 深夜
職場帰り、京都市内を歩いていたら外国人のカップルから声をかけられた。
京都近辺の地図を手にしながらしきりに話しかけてくるので、どうやら道を尋ねているらしいことは分かるのだけれど、相手が指さしているのが大阪・高槻のあたりなので、どうしたいのか今ひとつよく分からない。おまけに言葉が英語ではなく、イタリア語かスペイン語かそんな感じなので、おっしゃっていることもサッパリ分からない。
やむなく、「サッパリ分からない」というジェスチャーをハリウッド映画並みの大げささで表現してみたところ、相手は若干イラついた様子でカタコトの日本語を繰り返し始めたのでした。
相手:「マッダマッダ、ムッカウカー?」
ぼく:「うーん、アイキャントアンダースタンド」
相手:「マッダマッダ、ムッカウカー!?」
ぼく:「…ソーリー、アイドントノウ!」
相手:「マッダマッダ、ムッカウカー!? イエス or ノー?」
ぼく:「……」
相手:「イエス or ノー!?」
ぼく:「イ、イエス?」
相手:「ドモウ、アリガト!」
このようなやりとりの末、ようやく立ち去ってくれたわけですが、いったい何にどう納得してくれたのかすら皆目分からず、どうにも後味の悪さだけが残っているという次第。マッダマッダ、ムッカッテおられるだろうことは漠然と推測されるものの、あのあと彼らはどうなったのか…。
というか、その場逃れでつい「イエス?」と答えてしまった自分も、ちょっぴり邪悪だったなァと反省した本日でした。
9月8日(火曜) 深夜
同僚の女性が去年から空手を習っているらしい。
で、何級を取っただとか何帯を巻けるようになっただとか聞いて、ただただ「すごいですねえ」と言うしかなかったのだけれど、このやりとりを見ていた別の同僚や先輩から手厳しい指摘を受けてしまった。
「名倉さん、空手から一番遠い人ですよね」
「空手の試合になっても、まずは話し合いましょう! とか言ってそう」
「そうそう。試合じゃなくて、空手論で勝負しましょうとか言って」
「で、空手論でも負けて一念発起して、通信教育の空手とか習い始めたりして」
…どれもこれも当たっているのが非常に悔しい。
けれど、ぼくのような運動音痴が空手なんぞに手を出したらケガするのがオチなので、自分の身を守る才覚に長けているということでひとつ。空手というのは護身用に習得する人が多いらしいけれど、護身術を習うことで自らを痛めてしまう可哀想な人もいるのです。
ちなみにぼくの護身術は、揉めごとに発展しそうになったらとりあえず相手に同意しておくことに尽きます。ザ・極真同意護身術!!
9月7日(月曜) 深夜
本日の写真でも。
このピンク色の花たちは「事務部門」だそうです。
えっ!? …起こりえないミスはこうして起こる。
金融関係の説明マニュアルにて。消費貸借とは「金銭、米、醤油等の貸し借りのこと」だそうで。
借りるものの代表例といえば、いつの時代もやはり米と醤油です。
9月4日(金曜) 深夜
本日の飲み会でも。
昼間っから川べりで飲んでおられた殿方お二人です。ご両人がどういう関係なのかは知る由もないけれど、偶然の合席が恋のハッテン場! みたいな流れだったら素敵なことだなァ、などとロマンチックな空想にふけりながら背後から盗撮させていただいた一枚。愛は地球を救う! ラブ&ピース!!
ちなみに右側の黄色シャツの貴公子は、ずっと眼前の地図を見ながらブツブツ雑談しておられたんですが、隣の老紳士はまったく興味のないようすで川を眺めておられました。わざといけずして愛の渇きをかきたてよう、という作戦かもしれません。
でも、街中の地図を見ながらみんなで飲むのって楽しそう。話のネタに困っても、「この店なんやろうね」「理髪店クマゴローって!」などと適当に盛り上がれそうですし。
いつかやってみたいと思います。街の地図飲み。
9月3日(木曜) 深夜
職場でのこと。
取引先の女性の苗字が変わっていたので、「ご結婚されたんですか? おめでとうございます!」と話を振ってみたら、「その反対です」と言われてしまった。先月離婚して旧姓に変わったらしく。
ただ、あまりに予想外の展開に動揺してしまい、余計なことを口走ってしまったのが今回の失敗。
「…離婚ですか。た、たいへんですね」「そうかー、離婚って苗字変わりますよね」「でも、離婚って自由でいいですよね」
もういいですよ、と逆に気を使われて、その後は何事もなかったのように仕事の話をしました。アカン人の典型例です。
9月2日(水曜) 深夜
学生時代、友人らと「ルールを決めないトランプ」をやったことがある。
どういうものかというと、とりあえずトランプの山を場に置く。で、それを4人くらいで囲み、各々が好きなように自分のルールでもってゲームを進めていく。
お互いにカードを交換していても、ある者は「スペードを多く取ったほうが勝ち」と決めてプレイしているし、別の者は「早く1から10を揃えたほうが勝ち」と決めてプレイしているというわけである。
実際にやってみると、これが意外とおもしろい。当初は各々が好き勝手なルールでプレイするものだから収拾がつかないのだが、しばらくやっているうちに、なんとなく暗黙のルールが場に芽生えてきて、ついには「それって反則ちゃうん!?」みたいな発言までが飛び出してくるんである。
これって、大げさに言えば「新たな言語」の誕生ではないか。
まァ、それはそれとしても、ゲームという「場」に対して、そのルールを自分が決めることができるって何だか楽しいなと思った一件なのでした。一階層上のコミュニケーションレベルに立っているような錯覚を味わえるというか。
今でも当時のことを思い出して、リアルな生活を勝手にゲームにして乗り切ってたりしています。たとえば同僚との間でモメたとき、こちらのほうで勝手に「先に怒ったほうが負け」と決めて、そのうち相手が怒り始めたら、心の底で「勝った勝った!」とほくそ笑んでみたり。
相手のほうも、ひょっとしたら「先に怒ったほうが勝ち」とか勝手に決めているかもしれないのだけれど、だったら両方とも勝ってるんだから最高です。
9月1日(火曜) 深夜
職場の仕事が急に立て込んできて、ちょっとマズい感じになってきた。
ここまで次々と仕事が入ってくると、もはや何から手をつけたらいいか分からくなってくる。おまけに、どの案件にも「できるだけ早急に提出のこと」などと書かれているものだから、一体どうしろというんだ!? と叫びたくなってくる。
しかし、こういうときこそ冷静に考えなければならない。限られた時間しかないのだから、「今日中にやるべき案件」と「そうでない案件」とを明確に分け、優先順位をつけて業務を処理していかなければならないのだ。
…というわけで、山積している業務の中から「今日中にやるべき案件」を熟考・厳選していたら、一日が終わってしまった本日。今日中にやるべきことを考える、なんていう新たな仕事を加えたのが間違いだった。
こんなことにならぬよう、皆様におかれましても十分ご注意くださいませ。