2010年10月のプチ日記

10月29日(金曜) 深夜

 社外秘の書類を入れるための鍵付き専用棚が、新しく職場に導入された。

 それはいいだけれど、いざ使おうとしたら棚に鍵がかかっていて開かない。鍵はどこだ!? と探し回るも誰もありかを知らない。

 さんざん探した挙句、答えを知っていたのは、棚を設置した同僚Oさんだった。

 Oさんいわく、「鍵は事務室の7番デスクの引き出しにあるって伝言ノートに書いておいたじゃないですか」。その伝言ノートってどこに置いてあるんですか? とOさんに尋ねると、いわく「鍵の場所を書いた大切なノートですから、ちゃんと専用棚に入れて鍵もかけておきましたよ」。

 なあんだ、鍵のありかを知るためには、鍵を開けて伝言ノートを見ればすむ話だったんですねOさん。…って、絶句!!

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 デジカメが壊れたので買い換えました(扱いが荒いせいか、これで5台目です)。

 今回買ったモデルには自動的に人の顔を認証する機能が付いていて、使ってみるとこれが案外楽しい。

映画のポスターをファインダーにおさめると、こんな風に自動的に顔が検出・認識されます。
 右側の赤シャツは顔と認識されましたが、左側の黒シャツは顔と認識されません。
 
上の写真の黒シャツは今回もダメです。左下のしゃがんでる男性は顔と認識されるのに。
 
油絵のなかの顔もちゃんと認識されましたのに。

 プレデターとかエイリアンとかは顔と認識されるんでしょうかねえ。また検証してみたいと思います。

 

10月26日(火曜) 夜

 チリ鉱山の落盤事故が映画化されるらしい。タイトルもすでに『33人』と決まっているそうで。

 事実に基づき、実際の映像と演技とを織り交ぜた作品になる予定とのことだけれど、事故の顛末がすでにこれだけ報道され尽くしている昨今、映画で新たな感動を与えるのは非常に難しいんではないだろうか。

 ストーリーもなんだか想像がつきそうだし。

 まさかここまで陳腐なものにはならないとしても、どうしたってこんな感じのストーリーになってしまうのは避けられない気がする。それとも映画ということで大きく出るか。

 こんなことになったら是が非でも観てみたいものだが、ともかくリアル世界で全員の方々が助かってヨカッタヨカッタ。

 

10月25日(月曜) 深夜

 自分の使ってるモノを紹介するのって気分いいですね。

 そんなわけで昨日、とうとう京都・有次の三徳包丁を買ってしまいました。すべて鋼(はがね)製の18cm、お値段は11,025円なり。

 有次といえば錦小路御幸町の角にある本店が有名で、全国から買い物客がやってくるらしいけれど、近くにある高島屋(四条河原町店)にも出店していて、こちらで買うと高島屋カードのポイント分だけ得するので迷うことなく高島屋で購入。ポイントが8%だから千円近く違ってくるわけで、これは大きい。

 実を言うと三徳包丁はすでに2本持っていて(菊一文字の18cmと21cm)、改めて買う必要などちっともなかったのでした。

 ただ、いままで使っていたのが不錆鋼(銀三と呼ばれるステンレスの一種)製だったので、いつか本鋼製のやつを使ってみたいなァ、うんうん不錆鋼と本鋼とで使い分けられたらいいなァ、いや普通だったら両者を使い分けるだろう、というか両者使い分けないなどもはや奇人変人の域だ! …という具合に、どんどん想いが募っていた次第でありまして。

 そんなわけで本日は、買った包丁を使いたいがため、キャベツの千切り定食。

 いやー、ものっすごいよく切れます。切れるだけでなくて、刃と柄の重量バランスがいいから、腕に力を入れなくてもトントントントンと自然な感じで刃が入る。ヘンケルみたいな普通のステンレス洋包丁なんて、この切れ味に比べたら屁みたいなもんです。ヘンケルが屁だとすると、有次はもはやウンコの域に達してるといっても過言ではありません。

 ただ、いくらいい包丁を買ってもちゃんと研がないと切れ味は落ちてくるし、なにより本鋼は錆びやすいから、きちんと水気を拭くことがとても重要。ステンレスに比べるといささか手がかかるけれど、それがまた可愛らしいと思えてくるから不思議というか、我ながら不気味です。

 …というわけで、買ったモノ自慢でした。自分自身に自慢できるところがないから、モノで自慢するしかありません。

 

10月22日(金曜) 深夜

 所有者が長く使っている愛用品について、みずから紹介している記事が好きだ。

 誰かがずっと使っているモノというだけで興味深いし、書き手自身の愛着が文面ににじみ出ているのも微笑ましい。

 そんなわけで当方も、気がつけば長いあいだ使っているモノ達について書いてみたいと思った次第にて。

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 今回は二十年来使っている「爪切り」です。

 これを手に入れたのは確か中学生の頃だったろうか。電器屋の景品かなにかでもらって、せっかくだからと使い始めたのがきっかけ。

 カバー部分には"Let's Play Ski"という 文法的に間違ってる英語がプリントされているうえ、よく見るとスキーヤーのシルエットも、直滑降なのに足を逆ハの字形に広げていて、危なっかしいことこの上ない(ダウンヒルの選手がジャンプしている瞬間のシルエット?)。

 こんな脱力さ加減満点の一品なので、使うたびになんとなく釈然としない気分になるのだけれど、かといって買い替える理由もとくにないので、以来ずっと使い続けているという次第。なんの愛着もないまま、気がつけば二十年以上使ってる。

 でも爪切りってほとんど壊れないし、切れ味もよく分からないから、何十年と使い続けている人って意外と多いんじゃないでしょうかねえ。

 

10月19日(火曜) 夜

 10月6日の日記で紹介した近所のゴミ置き場ですが、ますますエスカレートして大変なことになってます。

 いくら貼り紙で凄んでもまったく変化がないから、ますます凄む。これって、いくらパチンコにつぎ込んでも勝てないから、ますますつぎ込む…というのと似たような間抜けさがあって、恐さのなかにちょっとした可笑しさがありますね。おまけに誤字もちらほら。

 やっぱりひとつだけ言えるのは、次に高さ10mくらいある看板立てて「出てこいやゴルァ!!」とか書いても、捨てた主は絶対に現れないだろうことです。

 でも、「人の迷惑分からないアホ、ボンクラ、カスじゃ!」という陵辱には、思わず頬がゆるみそうになりました。ボンクラ、カスじゃ!!

 

10月18日(月曜) 深夜

 佐伯誠之助さんの結婚式ライブに行ってきました。

観客や親族の皆さんが見守るなか、新郎さん&新婦さんによるケーキ入刀。お二人とも面識はありませんが、オメでとうございます!!
 
おそらく新郎さんのお知り合いのミュージシャン御仁。「結婚生活において大切な3つの袋は何か知ってるか? ひとつめは右の金玉袋、ふたつめは左の金玉袋、そしてみっつめは何か? それは新婦のオメコや!!」とのご高説を述べておられました。結婚式ということもあって全裸でのご出演。
 
フードは食べ放題のバイキング形式だったんですが、みんな美味しい具の部分ばかり食べるため、散らし寿司などはこんな悲惨なことに。「ご飯を少なくするか、あらかじめ一人前ずつ取り分けておくか、どっちかにしんしゃい!!」と、心のなかで強く憤慨しておきました。

 

10月15日(金曜) 深夜

 「他人の夢の話」と「知らない映画の話」ほどつまらないものはないとよく言われる。

 夢も映画も、話し手は具体的な情景を思い浮かべられるのに対して、聞き手はそれらを断片的な情報のみから推測するしかないから、話し手と聞き手とのあいだで感情移入のレベルが乖離してしまうのだろう。

 映画の話の場合だとあらすじがちゃんとしているぶん、丁寧に説明すればまだ興味を持ってもらえる可能性もあるが、夢の話の場合だとあらすじさえも支離滅裂であることが多いから一層たちが悪い。こんなものを人様に聞かせるなど失礼千万の極みといえるだろう。

 逆に言えば、相手の夢の話にちゃんと耳を傾けることによって、婉曲に "I like you" "I love you" のメッセージを伝えられる利点はあるのかもしれませんが。

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 …これくらい書いておけば大丈夫でしょうか。実は先日、夢を見まして。

大金持ちの知人(実際には存在しない)と共に、晩ご飯の材料を買いに行くことになったぼく。
上等そうなデパートで食材コーナーを物色していると、どの食材も値段が高い。ほうれん草が一束3千円、牛肉がグラム2万円などなど。
そんな値の張る品を買い物かごにポンポン入れていく知人の姿を見て、「ここのお会計、割り勘なんやろか…」と次第に不安を募らせるぼく。
そうしたら最後に、大きな里芋が「一袋3億円」とあって仰天していたら、あろうことか知人はそれをも買い物かごに放りんで。
さすがに「高すぎるんとちがう?」と口を挟むと、「ええねん、ええねん」と知人は意にも介さず。
後にその3億円は、当の知人が借金している額の反映だったと知って、ああそういうことかと妙に納得したところで夢終了。

 最後の不可解な展開はまことに夢っぽい感じですが、それよりも里芋が三億円するという状況を受け入れているのが自分でも可笑しかったので書いてみました。って、なあーんにも可笑しくないですね。重ね重ねすみません。

 

10月14日(木曜) 夜

 同僚と雑談していて、そういやパソコンの音声認識入力って最近見なくなりましたねぇという話になって。

 市場に広く出回り始めたのは10年近く前だったように思うけれど、パソコンにつなげたマイクの前で文字を読み上げることでテキストが入力されていくというやつである。たしか鳴り物入りで登場して、IBMやNECといった大手メーカーのオールインワン・パソコンには必ず搭載されていた気がする。キーボードを打たなくていいし、タイピングするよりも入力が速いというのがその謳い文句だった。

 当時、これを見た知人が「入力が速いんやったらチャットとかにぴったりかもしれんな」と言っていて、卒倒しそうになったことがある。お互いがパソコンの前で文章を読み上げながらのチャット。だったらスカイプでもやっときんしゃい! というか、電話で通話しときんしゃい! という話である。

 それはさておき、音声認識入力はその後ちっとも浸透しなかった。理由はよく分からないが、キーボード入力が既にスタンダードとなっていたことや、漢字変換などの使い勝手が悪かったことがその主たる原因だったのだろう。

 ただ、それに加えてひとつ言えるのは、音声認識するのがおそらく「かなり恥ずかしい」だろうことだ。たとえば恋人へのメールなんぞにしても、キーボードかケータイで静かに打っているからいいのであって、その内容をいちいち音声で読み上げないといけないとしたらどうだろう。家族に聞かれたら赤面だろうし、もし一人であっても、小っ恥ずかしくていたたまれなくなるんじゃなかろうか。

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 あと話題に出たのが、テレビ電話も普及しないですねえぇという話。

 いやまァ、スカイプなんかにはテレビ電話的な機能があるみたいだけれど、日常に使う携帯電話だってテレビ電話化はカンタンにできるはずなのだ。それにSF映画の世界では、未来の電話といえばテレビ電話がお決まりだった。なのに、どうしてちっとも普及しないのか?

 それは自分が実際に使っている場面を想像してみるとすぐ分かる気がする。

 たとえば夜、同僚から電話がかかってきたとして。

 それがテレビ電話であれば、自分の姿格好や部屋のようすがすべてライブ映像で相手に伝わってしまうのだ。着ているのはボロボロのパジャマ、背景には散らかり放題のリビング、てんこ盛りになっているゴミ箱……。こんなもん同僚に見せられるわけがないから、とりあえずは居留守を使ってやりすごして、多少ましな洋服に着替え、部屋に掃除機をかけ、ゴミ箱をきれいにして。

 …な、な、なんで、電話一本にここまでせんとあかんねんっ!! 

 それに比べてテレビ機能が付いていない電話なら、いくらパンツ一丁で股間をぼりぼり掻いていたところで、電話がかかってきたら「あ、どうも名倉です。日頃よりお世話になっております」などとテキトーに話しておけばいいのだから快適なもんである。

 そんなわけでテレビ電話はこの先も普及しないと思うのだけれど、どうでしょうかねえ。

 

10月12日(火曜) 深夜

 愉快な仲間たちが東京から拙宅に来てくれたので飲み呆けてました。

正面のオレンジ色シャツの人から時計回り順に、出版社勤務のMさん、Nさん、タルモトさん、美術家のWさん。玉乃光、桃の滴、招徳などなど、伏見の地酒オンパレード。
 
途中参加の美人作家Fさん。我が家にしては背景までキレイ! …と思ったら、テレビの液晶画面でした。顔にモザイク入れると誰でも胡散臭くなるからいいですね。
 
ぼくが自分で描いた絵を飾ってるのを見つけたタルモトさんが、「何やこれ(笑)」と鼻で笑ってましたの図。隣のFさん、ついつい後頭部にモザイク入れてしまいましたが、そのままアップします。
 
記憶ないゾーンの写真一枚。なぜこんな写真を撮ろうと思ったのか、本当に、心の底から、自分が分かりません。

 書いてる本人だけが楽しんでる日記ですみません。

 

10月8日(金曜) 深夜

 たまたまテレビをつけたら「人志松本の○○な話」。

 その中で、ある若手の芸人さんが「強欲だった祖父のお骨を火葬場で拾っていたら中からダイヤモンドが出てきた」という旨の話をしているのを聞いて。

 とっさに火葬炉の温度とダイヤモンドの燃焼温度をネットで調べてしまった自分がなんともさもしいなァと、ふと我に返って思った本日。これって、借りてきたアダルトビデオが擬似か本番か見極めようと、「本来の目的」そっちのけで躍起になっていた高校時代と同じようなものではないか。

 でもまァ、一目でウソと分かると幻滅してしまうわけでして。消費者側としては、うまく騙してくださいとお願いするしかありません。

 

10月6日(水曜) 深夜

 気持ちは分かるけれど、ゴミも注意書きも糞みそというかなんというか。

 ひとつだけ確実なのは、いくら凄んでも、このゴミの捨て主は決して持って帰らないだろうこと。

 でも、これだけ偏執的な注意書きがされていたら、さすがに新たなゴミは捨てられにくいかもしれませんね。

 

10月5日(火曜) 夜

 大阪科学館に行ってきました。

 展示されていたハイテク製品に瞠目!!

 解説によると、

「そろばんのほうが…」「電卓では、わり算の余り計算ができない」といった声もあり、そろばんと電卓を一体化したソロカルが登場しました。中には、電卓の計算結果をそろばんで検算するという使い方もされたようです。

 とのことで、電卓の計算結果をそろばんで検算するという猜疑心に惜しみない拍手をおくりたい気持ちになりました。

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 そして本日の刺身半額。

  人生なんのために生きているかと問われたら、最近はもっぱら半額の食材を買うためです。大根のツマだけは贅沢して、自分で切りますけどね。

 

10月4日(月曜) 夜

 瀬戸内国際芸術祭から帰ってきました。

 作品のほうは正直よく分からなかったものが大半だったけれど、こういうイベントが行われなかったら一生上陸しなかったであろう過疎の離島に足を運べたのはよかったかなーというのが率直なところでしょうか。

 帰宅してから、この芸術祭について書かれたブログやらをいくつか読んでみたら、案の定というべきか賛否両論で。

 ただ、時折見かける「島本来の姿と現代芸術とがまったくマッチしておらず環境破壊だと感じた。作品が置かれていない自然な光景のほうがずっといい」みたいな論調は、個人的には「それはちょっとちゃうんちゃうん?」と思ってしまいますな。そういう批判をしている人自身、今回のようなイベントがなければ過疎の離島になど出向いていなかったはずだし、そもそも島の自然に接するチャンスすらなかっただろうから。

 こういうのって、ツアーで富士山に登った人が「せっかくのご来光の美しさも人の多さで台無しでした」とか言ってるのと似たような撞着だと思うんですけどねえ。ツアーがなければそもそも富士山なんて登ってないだろうし、自身もその「人の多さ」の一員であるにもかかわらずツアー客の多さに立腹しているという構図が、芸術祭批判のそれとダブって見えるというか。

 ま、それはさておき、本日の着る魔法瓶です。

 あと蛇足ながら、今シーズン初めて秋刀魚を食べました。一匹98円。美味しいとしか言いようがなく、いくら日本酒があっても足りません。

 

10月1日(金曜) 深夜

 瀬戸内国際芸術祭もいよいよ三日目。

 「本日」は、高松港から フェリーに乗って、女木島まで行ってきました。ほんとうは男木島にも行きたかったんですが、「昨日」の夜に火災が起き、作品が全焼して公開中止になってしまったので断念しました。

◆連絡フェリー。女木島は別名「鬼ヶ島」と呼ばれていて、昔は鬼が住んでいたそうですが、桃太郎に駆逐されてしまったみたいです。
 
◆女木島に到着すると、こんな立て看板に出迎えられます。傍らの「ようこそ、おとぎの島へ」という文言も涙を誘います。
◆洞窟に入っていくと、こんなチープな鬼がいたるところに。こんな鬼に賽銭する神経がいまひとつよく分かりませんが。
 
◆鬼ヶ島の洞窟の奥深くに展示されていた、韓国の聞いたことないアーチストのよく分からない作品。ぼくにとってはこれ、「名も無き芸術家の作品」でしたが、きっと名前はあります。
 
◆ベネッセの福武ハウスが入っている女木小学校(休校中)。平成12年の卒業生は眞田くんと柴本さんの2名のみ。
 
◆小学校のなかに残されていた一枚。「放し飼いはやめよう」、なんだか素敵です。
◆海岸にはカモメの風見鶏がたくさん並んでいて、これもアート作品なのだそうです。風の向きが変わると一斉に方向転換するらしいんですが、当然のことながら本日無風。
 
◆〆はやっぱり讃岐うどん。旅なので贅沢して、温泉たまごを入れました。

2010年9月のプチ日記

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